誰ソ彼怪異譚 作:躁鬱
002
「ですので、今日をもってRoseliaを脱退しようと思います」
「いやいやいやちょっと待ちなって紗夜」
ヒナが止めてと言ったのはこの事だったか。
騒ぎを聞きつけ何事かと戻ってきた友希那と付き添いで残ったヒナを交えて、紗夜が単刀直入に切り出した話がそれだった。
CiRCLEの共同スペースの一角にあるソファを占領したアタシたちは膝を突き合わせて、紗夜が休んでいたこの五日間のことを聞くことにした。
聞けば、五日前の夜に突然目が全く見えなくなったらしい。大きな怪我も病気もない状態で目が見えなくなった様で、町医者から大学病院までこの五日間は病院を梯子して検査や診察をしてもらった様だが、原因は不明。紗夜は突然失明状態になったことで、ギターはおろか日常生活も難しい状況のようで、心身共に相当参っている様だった。
「おねーちゃん今日も病院に行ってきていろんな検査してきたんだけど、視力が弱くなったとかじゃなくて本当に光に反応してないみたいなんだ……」
「それって……本当に失明してるってことですか?」
「うん……光の明暗も分かってないんだって」
燐子の問いにヒナは目を伏せて頷いたのを見て、アタシたちは誰ともなく息を呑んだ。紗夜の隣に座ったヒナは、紗夜を気遣う様に手を繋いでいる。その様子から、どうやら質の悪いドッキリの類ではなさそうだった。
ちらりと紗夜の様子を伺う。パチリと開かれたその黄金色の双眸に、側から見た限りだと特に異変がある様には見られなかった(強いて言うなら微妙に焦点が合っておらず、どこか見ているというよりは、ただ真っ直ぐ視線を送っているだけの様に思えた)。あこや燐子も同じ様に感じたのか、紗夜の目をじっと見つめていたが、紗夜はアタシたちの視線には少しも反応しなかった。
「そんな……なんで紗夜さんの目が急に見えなくなっちゃったの……?紗夜さん目の病気だったんですか?」
「いえ、病院で診てもらった限りだと、特に病気も怪我もないみたいです。突然目が見えなくなる症状はいくつかあるみたいなんですが、私のコレはそのどれにも当てはまらないようです」
隣で不安そうにしているヒナとは反対に、紗夜は自分の身に起きたことを悲観も動揺も交えずまるで他人事の様に話した。淡々と病院で聞いてきたことを話す様子に、アタシは不気味さすら感じるほどだった。
「こんな目ではステージに立つのもギターを弾くのも……そもそも日常生活がまともに送れる様になるかどれくらいかかるか分かりません。ですので、私は今日でRoseliaを辞めます」
「ちょっとちょっとだから落ち着きなって紗夜!」
「そうです氷川さん……そんなに早まらないでください……」
据わった目でそう語る紗夜を私と燐子でなんとか宥める。しかしこちらの言葉に特に大したリアクションを見せず、会話はしていてもどうにも一方通行気味だ。
「その……お医者様はなんて言ってたんですか?病気でも怪我でもないと言ってましたが……」
「うん、目の状態自体は健康みたい……。昨日の夜はおねーちゃんと一緒にいたけど、転んだりどこかぶつけたりしてないし。光とかの刺激に反応してない状態で、ただただ何も見えてない状態なんだって……」
そんな、と呟いたのはこの場にいる誰だったか。燐子の隣でその瞳に不安そうに涙を浮かべて話をきいていたあこのものだったかもしれないし、思わず口の端からこぼれてしまったアタシのものだったかもしれない。
その呟きが誰のものであれ、この場にいた全員が一つの絶望を共有していたことは間違いなかった。
「紗夜」
ことの成り行きを見守っていたのか、紗夜の言い分を咀嚼していたのか、それまで聞き手に徹していた友希那がこの時初めて口を開いた。
「Roseliaのギターは貴女よ。私はこんなことで貴女の脱退を認めないわ」
「脱退するには十分な理由でしょう。湊さんはバンドのことには現実的な判断をすると思っていましたが、貴女らしくもない」
「その言葉そっくりそのまま返すわよ、紗夜。……私の目には、貴女が自暴自棄になっているようにしか見えないわ」
「今の私には光の明暗すらも感じ取れないんですよ。……まともに日常生活ができるようになるのにどれくらいかかるかも分かりません。学校も、このまま花咲川にも通えません。そんな中で私がギターに時間を割ける様になるまで、バンドの活動を止めておくつもりですか」
「見えなくなったのが突然なら、見える様になるのも突然かもしれないでしょう。そうでなくとも、貴女の目がそうなった原因も分からないのに、昨日の今日でバンドをやめる必要は──」
「──無責任なこと言わないでください」
友希那のその言葉に、今日初めて、紗夜の焦点の合っていなかった瞳に感情が滲んだ。
「確かに湊さんの言う通り突然また見える様になるかもしれません。病院でも同じことを言われました。『何かのタイミングで見える様になるから様子を見よう』と。
「──でもそれっていつですか。
「明日ですか。一週間後ですか。一ヶ月後ですか。それとも一年後ですか。
「せっかくRoseliaがバンドとして軌道に乗ってきたのに。みなさんとちゃんと仲間になれたのに。……日菜とも、ようやく歩み寄れる様になったのに。
「全部、……全部これからだと思ったのに。誰にも何も分からないまま私の目は見えなくなった!!」
「……紗夜、私は──」
「──無責任なこと言わないでください。勝手なこと言わないでください。どうなるかも分からないのに、希望を持たせる様なこと言わないで!!」
堰を切ったように溢れ出した紗夜の言葉に、アタシたちは何も言えなかった。友希那なりに元気付けようとした言葉だったのだろうが、アタシたちは紗夜の抱えていた不安の大きさを見誤っていた。
「Roseliaの皆さんすみません!撤収遅くなっちゃって、今スタジオ開きましたけど……」
「うわぁ、なんですかこの空気。ケンカですか?」
アタシたちの間に漂っていた沈んだ空気に割って入ってきたのは、つぐみと巴の二人だった。その後ろには他のAfterglowのメンバーもいた。どうやら、Roseliaの前に入っていた予約がAfterglowだったらしい。
二人はこの場の空気が穏やかなものではないことを感じ取ったのか、心配そうに顔を翳らせた。
「まりなさんからRoselia呼んでくる様に頼まれたんですけど……邪魔でしたか?」
「……ごめん巴。ちょっと今それどころじゃなくて……悪いけどまりなさんにキャンセル伝えてもらっていい?」
「あぁ、それは全然……。ていうか紗夜さん、体調崩してたって聞いてましたけど大丈夫──って、おいつぐ!?」
アタシが巴と話していた横で、突然つぐみがアタシたちの会話の輪に割って入った。そして、アタシたちやヒナには目もくれず紗夜の目の前までくると、紗夜の顔を両手で頬を挟む様に触れ、その顔をじっと覗き込んだ。
紗夜は聞こえてきた声から目の前にいるのがつぐみだとは判別できているのだろうが、声がけもない突然のつぐみの行動に、先ほどまで不安を吐き出していた勢いは鳴りを潜めて困惑していた。
「あの、羽沢、さん……?」
「あのね、つぐちゃん。今おねーちゃん──」
「──紗夜さん」
つぐみは、ヒナの言葉を遮って紗夜に尋ねた。
「
003
当然のことながら、アタシたちが紗夜の目が見えなくなったことを知ったのは今さっきのことだ。
メッセージでは体調不良としか伝えられていなかったし、ヒナも今回の事情が事情なだけに、病院での診察や検査の結果が出るまでは紗夜の目のことを誰にも言っていなかったようだ。
だというのに、つぐみはただひと目見ただけで、紗夜の目に何かが起きていることをぴたりと言い当てた。
「……紗夜さん、もしかして今、ほとんど目が見えてないんじゃないですか?」
「え!?マジですか紗夜さん……!?」
「は、はい……。今そのことを話してまして……」
「マジかよ……全然分からなかった……。ていうか、つぐが分かったってことはもしかして──」
「ちょ、ちょっとまって!」
唖然とするアタシたちを置いて、二人の間だけで話を続けるつぐみと巴。勝手に話が進んでいきそうな雰囲気だったので、アタシは思わず二人の会話に割り込んでしまった。
「その、つぐみ。なんで紗夜の目が見えないって分かったの?……さっきのアタシたちの話、聞いてた?」
「い、いえ。その、そう『
「でもおねーちゃんの目、病院で診ても何も分からなかったんだよ?つぐちゃんどうして分かったの?」
「ひ、日菜先輩……。ええと、その……」
「何。どうしたのつぐみ」
アタシとヒナがつぐみに詰め寄って問い詰めていると、様子を見ていた蘭たちもこちらに合流してきた。
「紗夜さんがどうとか聞こえてきたんですけど……紗夜さん、なにかあったんですか」
蘭は、ちらとアタシたちを一瞥して尋ねた。ソファスペースを陣取って全員辛気臭い顔をしていれば、何かあったと思うのも当然だろう。蘭は常々素直になれない不器用な性格だとは思っていたが、今はその不器用な気遣いに気まずさを感じていた。
「あー、蘭……。紗夜、今Afterglowが来てるんだけど、話してもいい?」
「……えぇ。羽沢さんは、何故か私の目のことに気づいたみたいですし……遅かれ早かれ、後輩の彼女たちには伝わることですから」
アタシは蘭たちにかいつまんで紗夜の身にあったことを代わりに話した。急に目が見えなくなったこと。その原因が分からないこと。そしてそれを理由にRoseliaを辞めようとしていること。
話をしながら、
蘭はRoseliaのことを意識してたし、つぐみが紗夜になついていたように見えた。巴はあこがいるバンドだからかアタシたちにあこの様子を聞いてきて交流も多かったし、ひまりとモカもアタシやあこを通しての交流はそこそこあったと思う。
言ってしまえばこれはRoseliaの内輪揉めに近い。そういったものに後輩を巻き込んで心を痛めさせるようなことになるのは、正直本意ではなかった。
そうして紗夜とヒナから聞いたことを話終え、ちらと五人の様子を伺った。蘭なんかはギタリストとしても紗夜を意識してたから、これを聞いたら怒るだろうなとは思っていた。
だけど、蘭たちのその表情は、アタシが想像していたものではなかった。
なんというか──
嫌な顔をしている訳ではないことは確かだ。さりとて特別ショックを受けているような風でもない。アタシの話を聞いている最中、蘭たちは茶々を入れる訳でもなく、かと言ってどうでもいいことだと途中から抜いて話を聞いている様でもなく、真剣に話を聞いていた。
ただ全員、アタシの話を聞き終えて揃って微妙な顔をしていた。
例えるなら、マーク式のテストの解答ずれを終了五分前に見つけてしまったときの様な、行くのはやぶさかではないんだけど親にこっちの予定を確認されずにお使いを一方的に頼まれた時の様な、そういう
蘭たちはその微妙な表情を保ったまま、お互いに顔を見合わせていた。
「これってさ……」
「いや、突然目が見えなくなるって病気でも一応あり得るんだろ……?」
「でもつぐが『見えて』るんでしょ〜?」
「うん……結構はっきり見えてるし多分そうだと思う……」
「はいAfterglow集合!!」
ひまりのその号令ののち、ぽかんとするアタシたちをヨソに(見えてないはずの紗夜でさえ呆けた顔をしていた)蘭たちはさっと談話スペースの隅でなにやらコソコソと相談を始めた。
そうして彼女たちの井戸端の話し合いが始まって数分、話がまとまったのかつぐみはこちらに向き直り、「その……」と控えめに話を切り出した。
「紗夜さん……私たち、その紗夜さんの『目』について、心当たりがあります」