雲海と
スペルビア領グーラ、トリゴの街の一角。
ソラは今日もベッドから外の広場を眺めていた。
活気ある露天、駆け回る子供、気怠そうに欠伸をする兵士。
そこから見える景色はトリゴの日常であり、ソラは変わることの無い日々を過ごしていた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
1階から爆音と甲高い悲鳴が聞こえてくる。
変わらないトリゴの日常を横目に、本と小鳥と1人の親友だけだったソラの日常は大きく変わった。
「ソラ様ぁ!申し訳ありません、本棚が倒れてしまいました...」
ソラの前に佇む黒髪の少女、
ソラは彼女のドライバーになったのだ。
「初めまして、私はシオリ。あなたに尽くす事が私の幸せ。よろしくおねがいしますね」
あの日、運命に導かれるようにコアクリスタルに触れ、ソラは期せずしてドライバーとなった。
そらはまさしく運命の出逢いであり、ソラが今まで読んできたどんな物語よりも鮮烈で衝撃的な
「ぼ、ボクはソラ。よろしく、シオリ」
そう言ってソラは手を伸ばした。
「はい、ソラ様。よろしくお願い...!ソラ様!?」
だがその手は差し出された少女の手に触れる前に落ちた。
同調による負荷。
常人にはなんとも無い物でも病弱なソラでは耐えきれなかったのだろう。
ソラの意識はそのまま深い闇へと落ちていった。
暗闇の中ソラは夢を見ていた。
眼前にはフードの男がおり、手には武器を持っている。
夢の中でソラは外で動くことができ、そのフードの男に近寄っていった。
その後はとても曖昧で、視界が赤く染まり液体が額に落ちる感覚だけが残った。
ソ......ま..............ラ........ま...
誰かの声が頭の中で反芻する。
ソ......さま.......ソラ.....ま...
「ソラ様!」
自分を呼ぶ声でソラは現実へと引き戻された。
いつものベッドの上で目が覚める。
ソラが家の中で倒れたのはこれが初めてではない。
その時もベッドに運ばれ看病され、目を覚ますと傍らにはルークがいた。
『やっぱりお前は俺がいないとダメだよな』
ルークはそう言って夜遅くまで家にいてくれた。
だが今傍にいるのはルークではなく、ソラのブレイドとなったシオリだ。
「良かった!目が覚めたんですね!」
そう言ってシオリはソラの顔をのぞき込む。
その表情は凜々しくも同時に何処かあどけなさも残した表情だった。
「ごめん、なんだか迷惑かけちゃったかな」
「大丈夫です。私はソラ様のブレイド、戦いはあまり得意じゃ無いですけど掃除洗濯料理もろもろ身の回りのお世話なら任せて下さい!」
そう言って自慢げに胸を張る彼女の姿は凜々しい姿とは裏腹に、年相応の少女そのものだった。
「ありがとう、でも任せっきりは悪いよ。体が悪いと言っても家の事くらいは自分で出来るしさ」
そう答えるとシオリはバツが悪そうな顔をして、
「良いんですよ、私がソラ様のブレイドになったからには私達は一心同体、あなたのことは私が守りますから」
そう笑顔で答えた彼女の瞳は優しさで溢れ、どこか揺れていた。
「ソラー、何か奢ってくれよー......って、ん?」
そこにさも自分の家であるかのようにずかずかとルークが入って来た。
「誰だその子?ソラに女なんて一体どういう風の吹き回し?」
ルークがシオリに気づいて疑問を口にした。当のシオリは平然を装うとしているが、明らかに体が警戒していた。
「えーと、彼女はシオリ。一応ボクの...ブレイドだ。」
「一応ってなんですか」
シオリが不服そうにソラを睨み付ける。
「なんだお前のブレイドだったのか。............えーッ!?お前の!?ブレイド!?ってことはお前、ドライバーになったのか!?」
「そう...なるね」
少し口籠もりながら答えた。
ルークは2人を交互に見つめた後、満足したように頷いて、
「そんな顔するなって。確かに俺が同調出来なくてお前に出来たのが悔しく無いと言えば嘘になるが......それでお前が気に病む必要は無いぜ。それにお前は今までずっと普通の人とは違う暮らしをして来たんだ。これでもまだ足りないくらいだろ」
少し目をそらしながらそう言うルークの目は、友を思う親友そのものに見えた。
「でももう毎週食料を持って来て貰わなくて良いよ。必要ならシオリに頼めるし、ブレイドからエーテル供給を受ければ----外だって歩けるかもしれない」
ソラの本音。
毎週食料を届けてもらうついでにルークと談笑する。
それはソラにとっては嬉しいことで、かけがえのない時間だったが、同時に彼の心の重荷でもあった。
ルークはドライバーでは無い身で傭兵となり、日夜戦っている。只でさえハンデを負っているのに、自分に......何も返すことの出来ない自分に時間を費やさせてしまって良いのだろうかと。
「.........それもそうだな!ドライバーとブレイドは絆が重要って言うしな。しっかり2人の『絆』育んでくれよな!じゃ、じゃあ俺は任務があるからまたな!」
ポンと肩を叩きそう言い残してルークはそそくさと帰っていった。
「な、何だったんですかあの人は...」
あまりの急展開に半ば呆然とした状態でシオリが尋ねる。
「僕の親友だよ。良い奴さ」
そう、小さい頃からずっと面倒を見てくれた良い奴。これまでも、そしてこれからも、ソラの側にいて理解してくれる親友。
「でも支えられてばかりじゃ意味が無い。今はまだルークの位置が君に変わっただけだけど、いつか恩を返さないと」
「やめて下さい」
「えっ」
シオリの否定的な声。先程までとは違う表情にソラは焦る。
「君って呼ぶの、止めて下さい!」
だが返ってきたのは予想外の返答。
「じゃあなんて呼べば...」
「先程の様にシオリと呼び捨てで」
食い気味にシオリが答える。
「じゃ、シ、シオリ」
「はい!よろしくお願いします、ソラ様」
満面の笑み。その姿は太陽の様でソラの世界を明るく照らしていた。
「な、ならボクからもお願いだ。様と呼ぶのはやめてくれ」
ソラは光り輝く太陽にささやかな抵抗を試みる。
「はい、分かりましたソラ様!」
「絶対分かって無いでしょ!」
2人はお互いに見つめ合い笑った。
この瞬間、ソラの閉ざされた世界は2人の世界になった。
太陽に照らされた新しい世界。
だが、ソラはその影を心の底で感じ取っていた。
(この部屋のドアって...あんなに遠かったか?)
それから幾つかの昼と夜が過ぎた。
ソラはドライバーとしての体に、シオリはここでの家事に少しづつ慣れていった。
シオリの家事の手並みは見事な物だった。どれもテキパキとこなし、家事自体を楽しんでいる様子だ。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
悲鳴と爆音が聞こえる。手並みは良いが、少しドジなところもあるようだ。
「ソラ様ぁ!申し訳ありません、本棚が倒れてしまいました...」
「ど、どうして掃除で本棚が......仕方ない、手伝うよ」
シオリは申し訳無さそうにしているが、構わずソラは片付けを始める。
テキパキと本を拾い、重ねていくソラ。
ソラは元々家の中を歩き回るのもやっとだったが、ここ数日でそれも苦では無くなって来ている。
「うぅ......ありがとうございました。お礼と言ってはなんですがすぐお茶を淹れますから!」
「嬉しいよ、シオリのセリオスティーは絶品だからね」
シオリの好物だと言うセリオスティー、初めて出会った日に淹れてもらいあまりの美味しさソラはそれ以来愛飲している。
「ああーーーーーーっ!」
「今度はなんだ!?」
またしても叫び声を上げるシオリにソラが駆け寄る。
「お茶...切らしてました...」
よく見るとお茶だけでは無く、食材もあまり残ってはいない。傭兵団には2人分の物を頼んではいなかったので当然といえば当然だ。
「うーん、もうそろそろ食材も無くなっちゃうし...シオリ、買い出しを頼めるかな?」
「お任せ下さい!あ、せっかく外に行くんですしソラ様も一緒にどうですか?」
目を輝かせながら尋ねてくる。純粋な勧誘、そこに悪意はないだろう。
「------っ!ぼ、ボクは......良いよ。別に詳しくも何ともないし、この体じゃ...また迷惑かけちゃうかもしれないし」
ドライバーとして力を供給されている今の体は以前とは違う。その事はソラ自身が誰よりもよく分かっている。
だが、外には出たく無かった。
昔とは違う。その事を頭では分かっていても。
外が...怖かった。
「...わかりました。じゃあ、いってきますね」
そう言ってシオリは買い出しへ出かけていった。
その背中を見ながらソラはそこで立ち尽くしていた。
「ダメだな......あの時から、なんにも変わってないじゃないか」
「すいません、食べ物を売っているお店はどちらですか?」
家から出たシオリは通行人に店の場所を聞いていた。
同調してから一度も家を出ていなかったし、ソラから詳しい場所を聞く暇も無かったからだ。
その通行人は丁寧に教えてくれた。
「どうも親切にありがとうございました」
「いいって事よ。それにしてもアンタ見ない顔だね、最近越してきたかい?」
突然尋ねられた。
「いえ、私は最近同調したばかりのブレイドです」
「なんだい。同調してすぐ使いっ走りなんてアンタも大変だね」
「いえいえ、これは私が好きでやっていることですし、ソラ様には助けられてばかりですので」
「そうかい。じゃあそのドライバーさんのこと、大切にするんだよ」
「はい!」
そう言い残して、通行人は去っていった。
軽やかな足取りでシオリは店へと向かう。
その道中で見る景色はシオリにとって新しい世界だった。
活気ある露天、人、そしてドライバーとブレイド。
どれも家の中から見るのとは全く違う表情を覗かせる。
見たことの無い物に目を輝かせながらシオリは店を回って行った。
「そんなにたくさん買って、さながら一流のメイド様だな」
好意に甘え、買いすぎた荷物と睨み合うシオリに男が声を掛けた。
「あなたは......たしかソラ様の...親友の、ルークさん?」
「おっ、こんな美人に覚えていて貰えるなんて嬉しいねぇ」
そこに現れたのはルークだった。
ルークは大量の荷物を軽く持ち上げ、シオリに言った。
「もしかして、シオリちゃんはこれが初めての外出か?なら、見て貰いたい場所があるんだ」
「い、今からですか!?」
「すぐだからさ、な?」
そう言ってルークはシオリの手を取り街の外へ駆け出した。
街の外へ1歩踏み出すと、そこは魔物が闊歩する危険な場所だった。
しかし、ルークは荷物を持ちながらも片手に携えた剣で軽々と魔物を倒していく。
その光景は戦闘が苦手なシオリからすると驚愕の出来事だった。
そしてあっという間に辿り着いたのは、少し高い丘の様な場所だった。
「.......!すごい、良い景色ですね」
そこからは青々と広がるグーラの草原が一望でき、遙か遠くには世界樹まで見ることができる。
「すごいだろ。ここは見晴らしの丘って言って、俺のお気に入りの場所さ」
ルークは一面に広がる草原の先、トリゴの街を見つめながら言った。
「俺は昔ソラにこの景色を見せようとしたことがあったんだ」
ルークは静かに語り出した。
「病弱なあいつの体を無理矢理引きずって、そのまま街を飛び出した。
...けどソラは倒れるわ、魔物に囲まれるわで結局辿り着けなかったんだけどな」
「そんなことが...」
シオリは外出を拒否したソラの顔が脳裏に浮かぶ。
「...それ以来あいつは自分の事が足手まといだと思い込むようになっちまって、申し訳無いよ。あいつを少しでも励まそうと同調しようとしたが、失敗してむしろ逆効果だった」
ルークの目は何処か遠い所を見ていた。まるで、その先に誰かがいるような。
「それから戦争で分かれて、また会ったときあいつは平気そうな顔してた。でもあいつは明らかに外を避けていた。まあ俺も避けていたところはあったと思うが...今日も外には出たがらなかったんだろ?」
シオリは無言で頷く。
やはりかといった顔をしてルークが続ける。
「あいつも俺も、昔から浮いてた。それが俺の所為でさらに孤立が深まっちまった気がする......やっぱり俺は、あいつの側にいるべきじゃ無いのかもしれないな」
「...すぎです」
「え?」
シオリが声を上げた
「あなたも、ソラさまも、自分を責めすぎです!もっと誰かを頼ってもいいんじゃないですか!」
シオリは2人の過去を詳しくは知らない。ただ今は自分がいる、頼って欲しい。その思いを愚直に口に出した。
「----!ハハハ!それもそうだな。」
「わ、笑わないで下さい!」
ルークは何かに気づいたように固まってから、大声で笑い出した。心なしかその目には微かな光が見えた。
「悪い悪い。...じゃあ、頼まれてくれるか?」
「はい、お任せ下さい」
「なら、あいつに...ソラにこの景色を見せてやってくれ」
ルークはひと思いに言い切った。
自分が憧れていたドライバーとブレイド、その関係に託したのだ。
「はい!ここだけと言わず、世界中を見せてみせます!」
「おいおい、そりゃ大きく出たな」
雄大なグーラの草原に、2人の笑い声が木霊した。
「ただいま戻りました。ごめんなさい、遅くなってしまいましたね」
シオリがソラの家に戻ったのは、日が沈みかけた頃だった。
「シオリ!良かった...なかなか戻らないからもしかしたらドライバー狩りにあったのかと思ったよ。」
「ドライバー...狩り?」
耳慣れない言葉に首をかしげる。
「軍の人が言っていたのを見たんだ。近頃ドライバーを襲い、ブレイドを強奪するドライバー狩りがこのトリゴで多発しているらしい」
ソラは静かに語った。さらに、その事件現場にはドライバーの凄惨な死体があったという。「大丈夫ですよ。私はブレイドですし、狙われることはないと思います、それに今日はルークさんも一緒にいてくれましたし」
ソラは我に返ったような顔をして、
「ルークがいたのか!それなら安心だ。それとブレイドだけを襲うっていうのも冷静に考えればおかしいな...早とちりしてたみたいだ。ごめん」
そう言って場を紛らわすかのように持って帰ってきた食材を運び始めた。
「でも、ソラ様にそんなに大切に思われてるなんて嬉しいです!」
あせあせと動く背中に向かってシオリは声を掛けた。
「そ、そんなんじゃないから!」
頬を染めながら二階へと走り去っていく。その姿はさながら子供だ。
「だったら明日私と外で、で、デートして下さい!」
その一声で忙しなく動く背中が、止まった。
次の日、ソラは早朝に目が覚めた。
否、その表現は間違いである。ソラは昨日から殆ど寝ていない。
昨夜シオリに誘われ、外に行くことになった。お互い真逆の主張を繰り返していたが、最終的にはソラが折れる形で決着となった。
外に出ることへ心の底では恐怖を感じつつも、このチャンスを逃せばもう二度と外へ出ることが出来なくなってしまうのではと思っていた。
気を紛らわす為に一階へ降りた。セリオスティーの香りが鼻腔を刺激する。
「あ、おはようございます、ソラ様」
そこにはシオリがいた。その様子をみると、彼女もあまり眠れていないようだ。
ソラは目を逸らしつつテーブルに置いてあったお茶を一気に飲んだ。
「あ、熱っ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
朝の時間はあっという間に過ぎた。
朝食と身支度を済ませ、出発の時間となった。ソラは今、玄関の前に立っている。
「さあ、行きましょう」
シオリに促され足を動かそうとする。
------動かない。
外の世界は目の前にあるのに目の前の開け放たれたドアが堅牢の城壁かの如く通行を阻害する。
また迷惑を掛けてしまうんじゃないか、自分のせいでドライバー狩りにやられてしまうのではないか。
そんな思考が脳裏を支配する。目眩がし、足下が覚束なくなる。
「だめだ、やっぱり僕は--------」
トンッ
後ろから突き飛ばされる。平衡感覚を失ったソラの体はそのま----外に倒れ込む。
「外----出れましたね」
シオリがソラの顔をのぞき込む。
「そ...と...」
もう既にソラは外に出ていた。
家の中で感じていた恐怖も、不安も、何も無くなっていた。
「気持ちいいね、風」
2人の間を風が吹き抜ける。
その風はソラがいつも感じていた風とは違う。
暖かくて、優しくて、そしてほんのり懐かしい。
この風をソラはもう既に知っている。
『どうだ?外ってすごいだろ!』
あの時----幼い日にルークに連れ出され外に出たあの日。
その日と同じ風が吹いていた。
「うん------忘れていたな...この感じ」
シオリがソラへ手を差し伸べる。ソラがそれをつかみ、立ち上がった。
「さあ!行きましょう!」
太陽は今日もアルストを照らしている。
月光の下、太陽の影で今日も何かが蠢いている。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁ!」
一人の男性が左足を斬り飛ばされ呻き声を上げた。
「もうやめて!人をいたぶりたいなら私にして!殴っても、斬っても、犯してもいい!だから!だがら!もうこの人には手を出さないで!」
傍らの女性が泣き叫ぶ。どうやら彼女は彼のブレイドの様だ。
「------っ!ぁぁぁぁぁっァァァ!」
男性が声にも成らない悲鳴を上げる。両腕が、曲がってはならない方向へと曲がっている。
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてぇ!」
「騒ぐな!」
剣を携える男が叫ぶ。
「この
「--------!--------------!!」
声帯を潰され、もう悲鳴すら上げられなくなった。
「どうして...どうしてこんなことを...」
ブレイドが泣きながら男を見上げる。
「全く。道具如きが人間の真似事とは、神様とやらも趣味が悪い」
翌日、もはや人間の原型を留めていない男性の死体がトリゴの裏路地から発見された。