Ⅰ:いつか起こりえる事象
Masquerade終演後。
前を歩くうちのベーシストの少し後ろで、やや目線を下に向けるスタッフを見ながら、またかと内心舌打ちをする。
「ティモリス、ケース危ない」
「...?」
「...悪い、気のせいだった」
雑な振り向き誘導で下心MAXのスタッフの目線を切る。
恨めしそうな目線を向けられた気がしたが、それがどうした。
「...ルイナス、平気?」
「...ん、何が」
少し後ろを歩いていたモーティスにそう聞かれ、とぼける。
「何もなかったのに、怖い顔してた」
「...別に、何もないよ。寝不足が祟って視点がボケてるだけ」
「なら、いいけど」
詐欺師は9割の嘘に1割の真実を...逆だったかな、とにかくそういう話術があるらしい。
人をうまく騙すテクニックだとか。
俺が消えても、Ave Mujicaの世界観には何の支障もないのだから。
「...ぁ」
俺一人用にあてがわれた控え室で、いそいそと衣装を着替える。
男の着替えなんて1分足らずで終わるし、そこから制汗剤だのなんだのを加味しても、カップラーメンが出来上がるかどうか。
お湯沸かす時間入れたら3分なんか優に過ぎるぞってツッコミは置いておく。
と、カバンの中で携帯が震える。
「...豊川?」
隣の部屋で帰りの準備をしてるはずの豊川から。
一体何があったんだろう。
「もしもし?」
『...帰りの支度は終わりましたか?』
「終わったけど...?」
『でしたら、その...扉の前にいるであろう人間をどかしてほしいのです。覗きなど無粋なことはしないと思われますが、気配がずっと...』
「...了解」
忘れ物が無いかを確認し、控え室を出る。
そのまま視線を右にやると、若めのスタッフが扉の横で携帯を弄っている。
「あの、そこの人」
「...」
ワイヤレスイヤホンを付けているらしく、こちらの声は届いてないようだ。
だったら、少し強引に。
「なぁ、アンタ」
「えっ、なんすか?」
「そこ、扉開ける時に邪魔になるから、携帯弄るなら余所でやってもらってもいいですか?」
「はぁ?どこで休憩しようがスタッフの勝手でしょ?」
「最近のライブハウスのバイトは扉に寄りかかって携帯弄るんだな、そうか。あとで上の人間に言っときます」
軽い脅しのつもりでそういったが、なおも退く様子はない。
「...あ、もしもし、すみません。本日はありがとうございました」
とまで言えば、スタッフが血相を変えた。
まさか本当に電話されるとは思ってなかったんだろう。
とはいえ、あくまでまだ動かないようだ。
「はい、その節は...それでですね、少し接客、というかタレントに対する態度がちょっと気になるスタッフがいてですね...」
そこまで言うと、流石に嘘電話だと思ってたスタッフが大急ぎでその場を離れようとするので、名札だけ確認して、電話口にその名前を伝える。
「はい、すみません。よろしくお願いします。本日はありがとうございました。失礼します」
そう言って電話を切る。
借りる場所の連絡先を抑えていて初めて役に立った瞬間だった。
「...さて」
あのバイトからの報復は怖いが、それが俺に向くなら安いだろう。
Ave Mujicaメンバーの控室のドアを軽く3回たたく。
『碧さん...?』
「碧だよ。悪いな、時間かかった」
『いえ、助かりましたわ...』
おずおずとメンバーが出てくる。
相当怖かったのはよくわかる。
「...助かりましたわ」
「...一人で帰れる?」
「...多分また狙われる気がしますわ」
「他4人は車だからいいとして、豊川は...途中まで俺が付くか」
豊川手配の車に乗り込む直前、初華が俺の手を握る。
「...碧くん、祥ちゃんをお願い」
「了解」
初華が乗り込んだ車が出発したのを見届けて、豊川に行くぞと声をかけようと目線を送ると。
「...申し訳ありません、碧さん」
「...何謝ってんの」
「...暴力沙汰になる可能性があったにもかかわらず、碧さんを囮にするような真似を」
「それ以上言ったら、一発叩く」
強引に豊川の独白を遮る。
「豊川は俺に助けてって言って、俺はそれに答えた、それでいいじゃん」
「ですが」
「叩くぞ」
「...では、そういうことにしておきます。ありがとう、碧さん」
陰った顔が笑顔で消えた。
ライブハウスを出て近くにある自販機で二人分のお茶を買って、飲みながら駅に向かう。
「...笑ってくれて良かったよ、怒られるのは俺だからな」
「...前から思っていたのですが、碧さんと初華は付き合ってるのですか?」
危うく吹き出しそうになった、お茶が口に無くて助かった。
「...だとしたら今の状況は浮気じゃないの?」
「初華が任せたって言うから、てっきり公認なのかと」
「付き合ってないし、バンド内恋愛はダメなんじゃないの?」
そう聞けば、笑顔で別に?と返されて。
「構いませんわよ?バンド活動に支障がなければ」
「...安心しな、誰とも付き合う気はないよ」
駅構内に入りながら、ズレた回答をする。
「俺ごときがみんなの人生狂わせるわけにはいかないでしょ」
「...あなた、相当自分を下に見ていますのね。優良物件だと思いますのに」
「お世辞どうも、嬉しいよ」
「褒めてるのは事実なのですが」
言われて嬉しいのは本当だが、生憎そういう器じゃない。
「俺は独り身で良いんだよ、誰に迷惑をかけるわけでもなく生きるから」
「では、今の状況をそこまでよく思ってないのですか?」
「そういうわけじゃない。人生には時として人と関わるタイミングがある、それが今だし、俺はめちゃくちゃ楽しんでるよ」
「それなら良かったですわ。声をかけた甲斐がありましたわね」
会話が一区切りすると、静かな空気が流れる。
ホームで電車が来るのを待つ間、特に話すことも見当たらない。
それはそうだ。
別にそこまで仲良しなわけでもなければ、特別な関係という訳でもないんだから。
「...ところで、碧さん」
「ん?」
呼びかけられたので、駅の掲示板から目線を移すと、何やら気まずそうな豊川と目があう。
「どこまで一緒に来る気ですか?...その」
「別に言い方で気悪くしたりしないよ。家前5mとか?」
「そこまで...その、こう言っては何ですが」
「家の場所とかばらさないし、安心してよ」
「...申し訳ありません」
「家の近くに来られるのは誰だっていやだろ、俺も悪いなと思ってる」
お互いの微妙な空気を吹き飛ばすように電車がホームに入ってくる。
帰宅ラッシュとは時間がずれているために、そこそこ空いてるようだ。
「座りな」
「...」
断ろうと思ったけど状況を見て座った、ように見える。
メンバーの前であれだけきっちりしているけど、根はやさしい人間なんだろうと軽く予想ができる。
だとしたら、何のためにこのバンドを?
顔を隠す必要性は?
考えても仕方のないことを、グルグルと思考する。
そうしなければ、何か余計なことを言いそうになるから。
考え事に集中していれば、声を発する必要もないから。
「...碧さん、降りますよ」
「ん?...ん、了解」
「...では、このあたりで大丈夫です」
「ん、気を付けて」
「はい、碧さんもお気をつけて。このご時世、狙われるのは女性だけではありませんわ」
「...肝に銘じておく」
豊川の背を見送りながら、行く先に不審な人影がないかを見通す。
別れた瞬間に路地に連れ去るなんてこと、ドラマじゃあるまいしとか思うけど。
「まぁ、ないよな」
自分に言い聞かせるように呟いて、体を反転させる。
「...で、俺に恨みがあるのはどこのどいつだよ」
電柱の影、揺らめく黒い影。
「何だよ、分かんのかよ」
「分かるだろ。足音もうるさい上に息も荒い。尾行下手くそか?」
「うるせぇな!」
正論にでかい声でしか返せない、典型的な感情型だ。
...尾行に正論もクソもないと思うけど。
「誰が狙い?俺?やめてよね」
「なわけあるか!」
「じゃあ通報するよ。未来ある若者へ暴行を加えようとしたってな」
そのまま携帯を取り出すと、そいつは逃げる...訳ではなく、腕を振って何かを取り出し、こっちに突っ込んでくる。
「...っぶね、何持ってんだよあんた...っ!」
「うるせぇ!ここで死ね!」
「ガキかよ、クソッ...」
とりあえずこいつの動きを止めないと話にならない。
というか、こいつ。
「昼のバイトかよ...っ」
覗けなかったことがよっぽど頭に来たのか、ここまで追ってくる精神は逆に尊敬する。
「当たれ、当たれよっ!!」
「誰が当たるかバカっ!!」
別に体術関係を習っていたわけではないが、こいつの斬撃はあまりにも素人のそれ。
常習犯じゃなくて安心している。
と、そんなことを考えている暇はない。
「おいアンタ!一生牢屋か近くでサポートできるスタッフか、どっちがいい!?」
「黙れっ!!邪魔しなければ俺は今頃!」
「ちょっと早い牢屋行きだよバカがっ!」
馬鹿に何を言ってもそもそも聞いてないという話はたぶん本当、ソースは今この瞬間。
「はぁ、はぁ...」
「人殺したいんだったら死体処理のことも考えて体力つけた方がいいぞ」
言ってる場合じゃないが、向こうのガス欠はチャンスだ。
だけど、うかつに近づいて足にザクッとやられる可能性を考えると...。
「...すみません、路地で刃物を持った男に襲われました」
が、妥当かな。
ガス欠なら動けるだろうけど、先のような鋭い攻撃は来ないだろう。
「はい、はい...――区の、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」
電話を終えても、そいつは動かない。
「諦めがついたか?」
「いつか殺す、絶対殺す...!」
「殺害予告も追加か、罪計算どうなるんだろうな」
多分重い、知らんけど。
程なくして警察が来て、そいつは連れてかれた。
パトカーに乗せられる直前まで俺を睨んでたけど、報復とかありそうで怖い。
戦闘描写がカス...精進します