「悪い、ちょっと我慢してくれ」
「いえ、お気遣いありがとうございます」
現在時刻、7:12。
現在地、満員電車内。
どうしてこうなったかと言えば、寝坊である。
俺はともかく、祥子はなぜなんだ。
まぁ、それはここを脱出してからでいいか。
「苦しくない?」
「えぇ、おかげさまで」
体勢的には俺が祥子を抱きしめる形。
俺は立場的にタレントを守る役回りだし、これでどう言われても文句を言うつもりないが、祥子の方はそうはいかないだろう。
どう考えたって嫌だろ、好きでもない男に抱きしめられるのは。
そんな事を考えていると、「碧」と小さく呼びかけられる。
「そんな顔をしないで。守ってくれているのでしょう?」
「まぁ、そうだけどさ」
祥子「なら文句なんて言いませんわ。ありがとう、碧」
端から見たら付き合ってるように見えたりするのだろうか。
でも実態はそうじゃない。ただの神とその従者だ。
神様に従者ってのもおかしい話だけど。
というかただの神ってなんだよ。
「…お兄様」
「え?」
「あ、その…呼んでみた、だけですわ」
確かに直近でオブリビオニスとモーティスの兄、という役でムジカの劇をやったことがあるけど。
「どうした?」
「気の所為なら、いいのですが、その」
その先は聞こえなかった。
多分言わなかったのだろうけど、理解した。
ちょうどよく駅に止まり、人波に紛れて祥子と俺の位置を入れ替える。
「あの、お兄様?」
「じっとしてなよ」
後でお叱りは受けるとして、一旦これで下品な手は近づいてこないだろう。
しかしまぁ、よくやるものだ。
「その、ありがとうございます」
「頼れよ。一人じゃないんだし」
言われるがままの役を作る。
睦を見て真似てみたけど、まだまだ付け焼き刃だな。
「碧は、優しいですわね」
「寝言なら寝て言えよ。降りるぞ」
終点2つ前の駅で降りる。
改札を出て、一息。
「本当に、何から何まで」
「神様だからな」
「…せめてムジカ外では、人間として扱ってくださる?」
「ムジカ外なら俺らは他人なのよ。難しいかな」
少し笑ってやれば、祥子も微笑んだ。
「いい顔するじゃん。行こうぜ」
「…碧は、よくモテると言われませんか?」
「いや?あいにく色恋沙汰には無縁なもんで」
「…そう、ですの」
祥子の歩行スピードが落ちた。
合わせて歩く。
「何?惚れた?」
「そういう、わけでは」
「だったらやめときなよ。俺よりいい奴が星の数ほどいる」
「…過小評価しすぎですわ。あれだけの行動を自然にやっておきながら」
「嫌だろ、180の男に壁に押し付けられるの」
さっきの電車内でのことだ。
祥子を魔の手から遠ざけるためとはいえ、2発ほど殴られる覚悟で居たのだが。
「助かったと言ってるじゃありませんか。これ以上自分を下げるようなら引っ叩きますわよ」
「どうぞ、存分に」
「…はぁ」
頬に痛みはこない。やめたようだ。
「なんだ、やんないのか」
「そうやすやすと体を差し出すものではありませんわよ」
「あいにくどれもこれもが初物だよ、よかったな」
軽口で返したら引っ叩かれた。意外と痛い。
「目覚めたわ」
「ならよかったですわ。次はグーですわよ」
「怖っ」
「さて、遅れてしまいますわ。行きましょう」
「はいよ、神様」
祥子にお兄様って呼ばれたいよね