東京災禍~哲学的雪女と死にたがりJKの怪異譚~ 作:三文小説家
人を喰ったような話です。
時雨と出会う前はいじめられていた。
両親がやってもいない罪を擦り付けられ、小夜花は犯罪者の娘として白い眼で見られ続けていた。
小夜花は優しい少女だった。怪我をした子供を見れば絆創膏を貼り、困っているお年寄りを見れば手助けする。学校でもその善良さは遺憾なく発揮され、話しかければ笑顔で応対し、助けを頼まれれば出来る範囲で手伝った。小夜花の周りにいた人物ならば、彼女が健気に奔走する様子は印象的な赤毛と共に記憶に残っているだろう。
だが、そんな性格が後に彼女に悲劇を齎したのかもしれない。両親が罪を着せられた直後に、狙いすましたかのように小夜花に対するいじめが始まった。小夜花の善良さが気に喰わない人間や、唯々誰かを傷つけたいだけの人間。そう言った者共の標的となったのだ。
耐えられると思っていた。否、反撃する勇気が無かった。
昨日まで普通に話していた人間が、友人だと思っていた人間が、過去に助けたはずの人間が、小夜花を殴り、蹴り、髪を乱暴に引っ張り、煙草を押し付け、服を剥いて辱めた。最初に有ったのは恐怖。豹変したかのように、獣のように自分を痛めつける人間が怖かった。
だから、必死に反撃しても弱々しい物で、相手の加虐欲を増長させるだけだった。
(どうして? どうして嗤ってるの?)
(人を殴って、蹴って、恥ずかしい思いをさせて何が楽しいの?)
(私は良い人ぶってなんかない! なんで普通に生活してるだけでそんなこと言われなきゃいけないの!)
時には喉を通らず、時には掠れた声となって少女は悲鳴と疑問を上げ続けた。そして、暫くして、何も感じなくなった。何を言ってもやめてくれない。抵抗もできない。痛い、恥ずかしい、苦しい、怖い……
そして、小夜花は考えるのをやめた。何か考えたところで苦しいだけだ。虚しいだけだ。彼らの中で絶対悪となってしまった小夜花の話など聞いてはくれない。暴力をやめる事も無い。彼らにとっては暴力を振るう事自体が、善良で優しい少女と見做していたものを辱めるのが目的なのだから。
ぽたり ぽたり
殴られて出来た傷から血が滴り落ちる。
ぱきり ぱきり
小夜花の心が壊されてゆく。
どくり どくり
五臓がただ動く。囁く。響く。
壊れたい 壊れたい
もう苦痛を感じたくない。
狂いたい 狂いたい
意識が消えてはくれない。
死にたい 死にたい
生きていても良い事なんて無い。
ああ ああ 正しいと教えられたことが壊れていく。どす黒い感情が這い上がっていく。仮面が剥がれる。間違ったもので、汚いもので埋め尽くされていく。
やめて やめて 抑えが効かない
やめて やめて 何もしたくない
だが、思考能力すら停止した小夜花に、〝汚いもの〟は止められなかった。
「おま……急に……何、すん……」
気が付いたら、自分を虐げていた同級生の男子を執拗に殴打し、首を締めていた。相手が怯えている。周りも怯えている。その中で、小夜花だけが、ひどく冷静だった。首を締められている割にはよく喋るな。
自分の意思ではない反撃に、小夜花は少し動きを止めた。すると、周りの共犯者が殴りかかってきた。
誰だっけ。もう名前も覚えていない。
そんな事を考えていると、その男子の握り拳が小夜花の頬に刺さる。口の中が切れて鉄の味がする。でも、そんな事はどうでも良い。
小夜花は傍に有ったガラス片で相手を切りつける。相手の顔に裂傷が走る。運がいい事に、目には当たらなかったようだ。
「う、うわぁぁぁあぁ!!」
相手の男子が大げさに悲鳴を上げる。お前の加減が下手くそなせいで服を切り裂かれた時に胸元に傷がついた。痛いと言ってもやめてくれなかった。小夜花はイラついた。
(そういえば私の手も痛いな。ああ、ガラス片で切れたんだ)
男子の肩を、腕を、ガラス片で刺す。そもそも、自分はこんなに力持ちだったっけ……などとも思ったが、すぐにどうでも良いと切り捨てた。
見れば、携帯を構えて動画を取っていた女子たちはひどく怯えていた。腰を抜かして、蛙のように這いずって小夜花から逃げようとしていた。本当に動物みたい。どんな味がするだろう。人間じゃないから、食べても良いよね。
小夜花はその女子の肩に噛みついた。噛まれた女子が悲鳴を上げる。不思議な美味しさが有った。最近は食事も喉を通らなくなって、美味しいと思えなくて、食べたら吐き出してしまう事もあった。
でも、初めて食べた人肉は、とても美味しかった。幾らでも食べられそうだった。痛みに晒され続けた小夜花の身体は、既におかしくなっていたのだろう。とてもじゃないが、その時は人肉以外を食べられる気がしなかった。暫く女を生きたまま貪って、噛みついて、血を舐めて、
けれど、その美味しさで少し正気に戻った。
自分は今、人を食べた。人を、傷つけた。平気で暴力を振るう自分。人肉を、美味しいと思ってしまった自分。
「あ―――」
怪物になってしまった、自分。
「ああああ!! ああ*********あ*****!! ******!!! あ’’あああああああああああああああああ!!!!」
受け入れられなくて叫んだ。頭を掻きむしった。だが、爪で傷つく逃避は自分を正気に戻してはくれない。肉塊に囲まれて獣のような咆哮を上げる。血で汚れた口を拭う。手に乗り移った血と唾液が、小夜花の行動をこれでもかと示していた。
どれくらい、叫んでいただろう。叫びすぎて血を吐いた。それをもろに被った女子は悲鳴を上げるが、そんな物は耳に入らない。もう、動く気力も無い。
突然、後頭部に痛みが走った。
倒れる小夜花が見たのはバットを振り上げる男子生徒の姿。だが、小夜花が感じたものは恐怖ではなく、安堵だった。
(ああ、やっと……死ねるんだ)
この薄汚れたグランギニョルから解放される。
自分をいじめていた奴らの顔には恐怖と、それを上回る愉悦が浮かんでいる。生臭い血と共にてらてら嗤う。自分の頭にバットが振り下ろされる。下手くそだ。そんな姿勢じゃ、死ねない。
「あは、アハハ! 犯罪者の娘のくせに私達に逆らうからこうなるのよ!」
周りの奴らは、小夜花の先の狂態など忘れたかのように笑っている。腐敗臭を肴に、女は男に売春婦のように寄り添っている。女の皮を縫い付けた畜生が狂ったように笑い声を上げていた。
もう動けない小夜花に、金属の塊が振り下ろされる。拡がる惨状、叫び続ける狂笑、知りもしない。簡易的な無法地帯で発生した、怪死乃至狂死過去死。だが、殺人者達も、彼らが慕う同罪の傍観者たる教師も罪悪感など無く、裁かれもしない。
でも、もうどうでもいい。小夜花にとっては死ねただけで満足だ。床に散らばるように流れる髪、光を映さない瞳、地面には緋色が流れていく。ぐしゃりぐしゃりという音。細く、白を連想させる脆い手足、何度も殴られ、貌の亡い顔。
全てが極上の管弦楽に聞こえる。第一楽章を終えた屍体はやがて、鳥によって嬉々として貪り散らかされるだろう。
らーららら らーららら
誰か歌ってはくれないか。頭が潰されて声が出ない。血の
鬱に塗れた三流の脚本と、唯々嗤うだけの大根役者の稚拙な舞台。主演の女優は惨めに死んだ。ドラマチックに人が死ぬ話は売れるらしい。正義の量子論に選ばれた生贄たる自分を見て、満足しただろうか。
お前達が望んだことだ。嗤えよ、哂え、悪魔ども。
・
・・
・・・
・・・・・・・・・・・・
小夜花の意識は覚醒した。覚醒してしまった。
起き上がった彼女は狼狽える。こんな事が有っちゃいけない。有っていいはずがない。やっと死ねたのに、やっとこの世界から解放されたのに。ああ、まだ続くのか、この悪夢は。
この世に神がいるなら恨まずにいられない。今まで助けもしなかったくせに、今度は死なせもしないのか。私が何をしたんだ。知らない間に石でも投げていたのか。何かを叩いていたのか。聖書に出てくる
何故か声が出なくなった喉で、小夜花は恨み言を吐く。
(死ななきゃ……死ななきゃ……)
猛烈に人間が食べたくなった。こんな存在はいちゃいけない。何より、もう生きていたくない。審判の日まで待っていられる程、小夜花は気が長くない。
男子の顔を切り裂いたガラス片を自分の胸に突き立てる。確かな痛みは感じたが、どれだけ待っても死にはしない。心の臓を掻き毟るように自傷を続けるが、小夜花の待ち続けていたものは来なかった。
(きっと……きっと有る。私が死ぬ方法……)
小夜花は赤で満たされたその場から離れた。また人を食べてしまう前に、自分の命を終わらせる術を探すために。
もういじめとかいう域を超えてるよね()。この後、時雨に拾われました。
実は小夜花は登場時期を急遽変更したので、整合性が終わってる可能性がありますね。矛盾点は見つけ次第直しているけれど。今回書いたのも、物語的な都合というよりは作者の混乱を防ぐためというのが大きいです。プロットだけだと限界があるんです……
まあ、終わってるのは整合性よりも倫理観ですが。これ投稿して大丈夫なのか……?