東京災禍~哲学的雪女と死にたがりJKの怪異譚~   作:三文小説家

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続き、というよりは補足ですかね。主人公のバックボーンを一部明かします。今まで結構冷静というか、周囲に無関心気味だった時雨くんですが、その間何を考えていたのか。


Kiss it better

 朝、目が覚めた時雨は小夜花を抱きしめていた腕を見る。何も異常は無い。人間ではないが、何の変哲もない腕だ。

 

「我ながら面倒な体質、性質? だよな」

 

 時雨は他人の正義や善意などの感情に共鳴して、身体が腐り落ちていく幻覚を見る。

 

「馬鹿馬鹿しいけれどね、本当に」

 

 無論、幻覚だ。実際に病変ないし異変が起きているわけではない。だが、感情に共感する事で生じる心の傷が、時雨自身の肌が腐って蛆が湧いているかのような幻覚を見せていた。自分でも何を言っているのか分からないような事態で、端から共感されるとは思っていない。

 

 いつからだったかは正確には思い出せない。だが、時雨が人間ではなく稀人となった後なのは間違いない。何故なら、最初にその症状が出た時に自分の指を切り落としたのだから。今では指は十本揃っている。人外故に再生したのだ。

 

 母親を殺した後、人間達に混じって生きていくために正義や善意を始めとする種々の感情を取り入れた。だが、どうあっても共感できない感情に無理矢理共鳴させていった結果、時雨の心には徐々に傷が生まれていった。

 

 そして、その傷が悪夢のような幻覚を産んだ。

 

「なんだよ! 僕が何したってんだよ!」

 

 腐り、蛆が湧いてゆく皮膚を掻き毟りながら過去の時雨は叫んだ。「痛い……痛い……気持ち悪い」そう言いながら傷がつくのも構わずに皮膚を切り、裂き、掻き毟る。だが、幻覚は皮膚に留まらず血管の中を虫が這いまわる、骨に沿って虫が肉を喰い進める感覚まで生み出した。

 

 時雨は嘔吐する。実際に吐き出したのは胃液か胃の内容物であろうが、時雨の目には腐った臓器と酸化した血液、そして無数の蛆だった。

 

「うああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!!!」

 

やがて視界までもが腐敗に覆いつくされ、時雨は右眼を刀で刺した。それでも身体の腐敗は止まらない。

 

 ここまで身体が腐ってゆく原因は何か。それは取り入れた感情に含まれた悪意、殺意、独占欲、狂気……時雨の心はやがてそれに覆いつくされた。そして、時雨は理性でそれを抑え、腐敗の幻覚は進み、やがて時雨に終わらない殺人衝動を抱える事になった。彼が腐敗から逃れるには誰かを殺すしかなかった。

 

「うっ……」

 

 時雨は吐き気を感じたが、寝起きの何も腹に入れてない状態で何かが出てくるわけもない。

 

(吐いても何も出ないのに何を吐いたんだろう、ウケる)

 

 何故、明確な悪意や殺意より、正義感や善意の方が症状が重くなるのかは時雨にも分からない。母親の善意による虐待がトラウマになっているのか、それとも、正義感や善意によって引き起こされる惨劇を無意識に想像しているのか。

 

(いや、結局、共感できないものを無理矢理取り込んだ結果だろうな)

 

 分かりやすく言えば、拒絶反応。型の違う血液を輸血した時に患者が死ぬのと似ている。受け入れられない感情を取り込んだ結果、深刻な精神汚染を生み出した。

 

「んぅ……? どうしたの? 時雨くん」

「ああ、ごめん。起こしちゃったか」

 

 過去での出来事は叫んだ事だけである。それ以外の独り言は現在の出来事だ。隣で寝ている恋人を起こすには十分だっただろう。

 

「とはいえ、そろそろ朝だから起きた方が良いとは思うけれど」

「いいじゃん。お休みなんだから、もう少し寝てようよ」

 

 そう言って小夜花は時雨をベッドに引き倒す。腕力は小夜花の方が強いのだ。

 

「Chu」

「どうしたのさ」

「Kiss it better. 外国のおまじない。痛いの痛いの飛んでけ~、みたいな。君と私は恋人なんだから、いいでしょう?」

 

 確かに日本でやったら特定の層に顰蹙(ひんしゅく)を買いそうなおまじないだが、時雨と小夜花は恋人同士であるから問題ないと言いたいのだろう。

 

「それより、さっきも仕事はお休みなんだから二度寝しようよ。暁なんて見なくても良い。この微睡みに浸る日が有ったって良いじゃん」

「……そうだね」

 

 何故真実は決して重要ではないのか。何故死によって自分の業苦が終わるのか。何故誰も自分の傷を感じられないのか。

 

 そんな疑問について考える事はあれど、必ずしも解が存在するかも分からない。

 

 疑問と言えば、自分は真夏や小夜花を愛しているだろうか。愛していたとして、浮世離れした人外の愛し方かもしれない。長命になればなるほど、他者の悲しみが、愛が理解できなくなってゆく。だから、自分に暗示をかけるように時雨は呟く。

 

「愛してるよ、さや……か……」

 

 

 

 

 

 「やめろ! やめろよ! お前そんな事するやつじゃなかっただろ!」

 

 うるさい。その善良な少女を否定したのはお前じゃないか。小夜花はイラつきながらその男子生徒の腕に噛み付く。美味しい。素直にそう思った。飢えた肉食獣のように牙を突き立て、目の前の獲物を捕食しようとする。だが、一瞬の隙をついて逃げられてしまった。そして、正気に戻った小夜花は猛烈な吐き気に襲われる。

 

これ以上、人を食わないように死のうとする。

 

「…………」

 

小夜花は懐かしい夢から覚めて、隣で眠る最愛の恋人に顔を寄せる。

 

 外出時と違って、在宅中はサイズの大きな服を着たがる時雨は、鎖骨から肩にかけてはだけている事も珍しくない。小夜花は彼の鎖骨を甘噛みしてみる。女性のように綺麗で、肌もきめ細かい時雨を見ていると、過去とは違う欲に駆られてしまう。氷を使う彼は、雪女の系譜なのだろうか。男なのに雪女というのも変な話だが、そう思うほどに現実離れした美しさだ。

 

 昔は自分をいじめた奴らが憎くて仕方がなかった。だが今はどうでもいい。この冷たくて暖かい恋人に寄り添っていたい。

 

 正直、時雨が自分を愛していようといなかろうと、それほど頓着はしていない。以前に読んだ異類婚姻譚でも、種族の違いゆえの恋愛観の差に着目した話は多い。極論、時雨が自分を拾った時は犬か猫と言った愛玩動物を拾ったのと大差ないだろう事は小夜花にも分かっている。

 

 だが、小夜花はそれでも良いと思っていた。現在に至るまで、向けられている愛情が愛玩動物のそれに対する物でも構わない。どうせ、人間同士でだって愛の定義など確定してはいないのだ。

 

 恋愛経験や自前の倫理観で愛の真実とやらを語る人間は多いが、結局はその人物個人の知識と経験の投影であり、決して真理ではない。

 

 たとえ、時雨が小夜花の異能を目当てに恋人のふりをしているだけでも小夜花は愛し続ける。それが、彼女の愛であった。

 




 これに二世紀近く晒されていた時雨くんよ……特に最初の方なんか精神年齢も17歳くらいですからね。今のように多少人間的な反応を見せるようになったのは奇跡に近いかと。

 おそらく、時雨の気質を簡単に説明するなら『サイコパス』という表現が適切かもしれません。先天的に他者の感情に共感できないという特徴が顕著です。それでも無理矢理取り入れようとした結果、時雨は深刻な精神異常に晒される事になりました。
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