東京災禍~哲学的雪女と死にたがりJKの怪異譚~ 作:三文小説家
ピアノを弾く彼女の音波斬撃を、時雨の放つ氷の蝶が相殺する。〝エス・アルペジオ〟と呼ばれる、音波の斬撃を飛ばす技は凍り付き、時雨の刀で斬られる。
「エス? タナトスじゃないんだ」
「タナトスはあくまで死の欲動。救いたい、殺したい、というのはあくまで
彼女は無数の投擲剣を物理法則を無視した軌道で飛ばしてくる。さながら、ピアノの鍵盤が独立して飛んできているかのようなその技は、〝エス・グリッサンド〟。
「へえ、じゃあ、僕を殺したいのは衝動なのか。結局、アンタも僕と同じ殺人者じゃないか」
「否定はできませんね。貴方という雑音をこの世界から排除したいというのは衝動以外の何物でもない。しかし、貴方とは決定的に違う部分が、一つある」
「というと?」
「私は確かに
「随分と大きく出たね?」
「私は人を救いたいという衝動であり、それを抑圧する超自我でもある。私が行う救済は秩序の、理性の生み出したものです。ただ殺したいだけの貴方とは違う!」
彼女は初めて声を荒げた。それと同時に、動きが鈍る。時雨はすかさず居合切りで距離を詰め、彼女の身体を斬った。
「はあ、はあ……」
だが、彼女は振動する大鎌や剣の残響を渡り歩き、そのばから瞬間移動した。時雨の必殺の一撃はあえなく躱されてしまった。しかし、彼女は腹の当たりを押さえている。
「ようやく攻撃が通るようになって来たね」
「…………」
「まだやる気?」
「当然です……私は超自我の役割として、貴方を排除しなければなりません。仮にそれが衝動であったとしても、秩序を保つためには必要な事です……」
その言葉は、彼女自身に言い聞かせているようでもあった。大鎌を支えにして立ち上がる彼女に、時雨は膠着した状態を打破するため、言葉を投げかける。
「ねえ、これはあくまで個人的見解なんだけどさ……死は救済でも裁きでもないんじゃないかな」
「何を……」
「死はただ死として、静かに横たわるだけのものだと思ってる。僕は僕の母を殺したけれど、それは救いでも裁きでもない。ただ、母親が死んだ、僕が殺したって事実を突きつけられるだけだった」
聞いてはいけない。彼女はそう思ったが、耳を塞ぐ余裕は無い。時雨の呪いの言葉は彼女の心に入り込む。
「僕は死に敬意を払っているんだ。それは雪のように降って、雪のように積もり、溶けてゆくだけ。それ以上でも、以下でもない。善だの悪だの、救済だの裁きだのといった概念は、生の側にあるべきだと僕は思ってる。死はただそこに存在するだけさ。だからこそ、僕はただ殺すんだ。下手な脚色で、死を穢さないように」
殺人鬼の美学、だろうか。普段なら表層だけでも戯言と切り捨てるだろう彼女だったが、今はそんな余裕などなかった。死は救済、そう定義づけられて生まれた彼女にとって、時雨の価値観は正しく劇薬だった。ようやく立ち上がりかけた足も、力が抜けて膝をついてしまう。
「返事は無しか……まあ、いいや。何度でも言うけど、アンタの価値観を否定するつもりは無いよ。僕は僕だってだけ。そして、僕は殺される気は無い」
それが、時雨のミスであった。彼女を倒すだけが目的ならば、否定したままでいればよかった。しかし、彼女の姿もまた美しいと思ってしまった時雨は彼女を否定しきれなかった。
それが、彼女に逆転の一手を許してしまった。
「———っ!!」
彼女の首を切り落とそうとした時雨に、音波の暴力が襲い掛かる。何事かと時雨が顔を上げれば、空間から生える四本の腕がピアノを奏でていた。
(チクショウ……忘れてた)
時雨は彼女の腕が八本ある事を忘れていた。絶え間なく降り注ぐ剣を切り裂き、音波は空間を斬る事でなんとか逃れた。なんとか立ち上がった彼女は、時雨を見据えて言い放つ。
「貴方の思想が、一理ある事は認めましょう。確かに、死はそこに整然と横たわる。それについては反論は有りませんよ。しかし、これだけは言わせてもらいます。死は救済たり得ますし、裁きでもある」
「幻想だね」
「仮に幻想であっても、救いとなればいい。私に安楽死を頼む人や親族は、貴方の言う幻想に縋るしか方法が無いのです。人を殺す度、私には苦痛が走る。しかし、それが幻想でも救いになるのならば、私は鎮魂歌を奏でましょう」
彼女は今まで、安楽死や殺害を実行する時、それが救済であり裁きであると自負してきた。そうでなければ、自分を生み出した意義が無い。そのアイデンティティを破壊されかけて、彼女の心は折れかけた。
しかし、時雨は本心から彼女の信念を美しいと思っていた。口では否定するも、心は肯定してくれた。今までは親族から罵倒される事もあった。唾を吐かれたこともあった。本人の依頼であった安楽死を実行して親族から責められる。もしくは自分達で依頼してきたにも関わらず責められた事もあった。彼女の生は否定と苦痛が大半を占めていたのだ。
それを、初めて肯定された。故に、彼女はまた立ち上がる事が出来た。開き直りと言われるかもしれないが、改めて彼女は生きる理由を見つける事が出来た。
彼女は一つの詩を引用する。
―私には苦痛しかない。他には何も望まない。
苦痛は私に従順で、今に至るまでそうあり続けた。
如何にして苦痛を恨むことが出来ようか。胸の思いが自らの心を押し潰したとしても、苦痛は私の傍に座ってい続けたというのに。
苦痛よ、私はついに貴方を尊敬するに至る。貴方は決して私から離れることは無いが故に。
「はあ……喋りすぎたか。『否定しない』なんて言わなきゃよかった」
「少なくとも私は救われましたよ?」
「そうなの? だったら見逃してくれないかな」
「それはそれ、これはこれです。貴方を殺すという役割は変わらない」
「堅物がよ……」
そこは舞踏室だった。中央には時雨と死神がいた。刀と大鎌が撃ち合い、拍手のような音を立てる。時雨が〝薄氷〟で体勢を低くして死神に斬りかかる。それをすんでの所で大鎌が防ぐ。衣服をはためかせて互いの位置を入れ替える。
時雨が飛ばした〝黒夜行〟の斬撃と、死神の放つ〝エス・アルペジオ〟の音波がぶつかり合った。それは互いの信念がぶつかり合う様にも思える。
「この状況を少し楽しんでる自分に腹が立つな。信念のぶつかり合いとか、ガラじゃないんだけど」
「これを信念と言うのですか?」
「言うだろうね。それが殺人者同士の共食いであっても」
「それが独り善がりの願望であったとしても?」
〝エス・ダルセーニョ〟で瞬間移動した死神は、時雨に剣を投げ、ピアノで音波を飛ばし、大鎌で斬りかかる。
「ああ、願望であったとしてもだ。というより、信念とは願望の強化形に過ぎないものさ。なんら論理や根拠を伴うものじゃあない。だから僕は信念って物が嫌いなんだけどね。しかし、こればかりは信念と言わざるを得ないな」
時雨も負けじと居合の体制から疾走し、軌道上にあるものを切り刻む〝閃影・雨車〟で応戦する。もはや両者に敵意の類は無く、ただ旋律に乗って踊っているようにも見えた。再び互いの位置が入れ替わり、互いに背後に攻撃する。寸分違わず息の合った攻防だった。
〝4分33秒〟を使ってくる気配は無い。もうそれだけの余力は無いのだろう。
「全く、雨か雪のような人ですね。降っては止み、そして気まぐれに試練と祝福を与える」
「光栄だね。雪女の亜種としては」
「天の災いだと言っているのですよ。まさか、貴方のようなものに遭遇するとは思いませんでした」
「ものって」
「物の怪です。間違ってはいないでしょう」
大太刀と大鎌は一度撃ち合い、そして、両者は倒れた。彼女の展開した空間は無くなり、微妙に生臭く無機質な路地裏と都会の雑踏が蘇る。
「さて、僕は時間が経てば再生する。強さから言って、多分君もそうだろうけど、どうする? 第二ラウンドと行くかい?」
彼女は息も絶え絶えに答える。
「冗談でしょう? もうそんな気力はありませんよ……それより、休戦協定を結びませんか?」
「休戦協定?」
「貴方を排除するべきだという私の意見は変わっていません。しかし、戦力不足で倒せないという事実は、闘わない理由にはなるでしょう? だから、休戦しましょうと言っているのです」
時雨は笑った。その言葉が本心ではない事は、先の闘いで分かっている。最初と比べて攻撃に殺意が足りなかった。だが、自分の意見を曲げる事は出来ない。だから、倒せないという事実を盾に休戦協定を結ぼうとしている。
「良いよ。僕も疲れた」
「あっさり承諾するんですね。てっきり、私を殺したくて仕方が無いのかと思っていました」
「僕を
「そうですか……」
路地裏特有の、生暖かい風が二人を撫でる。
彼女は、少し黙ってこう続けた。
「私は、貴方を許す事はできません」
「…………」
「でも、貴方に好感を抱いていることも事実です。少なくとも、殺すべきだとは思っていないんです。こんな私は、〝死神〟として間違っているでしょうか?」
時雨は少し考えて、こう返した。
「……許す必要は無いよ。そこに如何な事情が有れど、僕がやってきた事は許されざる蛮行だ。おそらくこの場を凌いでも、別の死神が僕を罰するのだろう」
「…………」
「だから、アンタに殺されなかった事はただの幸運でしかない。ちょっと寿命が延びただけさ。気に病む必要は無いよ。少なくともアンタは、死神としての役目を全うした、と僕は思うね」
彼女は息を吐き出して、呆れたように返事をする。
「何ですかそれ……支離滅裂です」
「そんなもんだよ。哲学なんて。ってのは、少し暴論か。別にいいじゃないか。答えの出ない問題だって、オチのつかない展開だってある。それでも気になるなら……」
「……気になるなら?」
「僕はアンタを〝ピアニスト〟と呼ぶ。〝死神〟を名乗りたくないのなら、そう名乗ればいい」
彼女がピアノを弾いているという事実を端的に表したその名前。しかし、彼女は〝死神〟という名前よりは余程、自分に似合うような気がした。