東京災禍~哲学的雪女と死にたがりJKの怪異譚~ 作:三文小説家
この話の主人公である、時雨という少年の姿をした稀人。作品によっては彼が善か悪か、関わり敵対する存在が善か悪か、という所に焦点を当てるだろう。しかし、幸いな事に、そして限りなく不幸な事に、この物語においてはあまり関係がないのである。
前述した通り、時雨は人間に対して恒常的な殺意を抱いていると言って遜色ない。しかし、殺意を抱いたことの無い人間など、果たして何人存在する事やら。もはや数億ドルの名画と並ぶ希少種なのではないだろうか。
……少々脱線したので話を戻そう。
この物語では善も悪も、正も誤もあまりに無力である。何故なら、人間にせよ稀人にせよ、それは逝き方の違いでしかないからだ。
母親を殺し、殺意に取り憑かれた少年
破滅という愛を囁く花魁
人間に求められる儘に振る舞い、悪趣味なエンターテイナーと化した地獄の獄吏
無頼派を気取る三文小説家
人身御供としての生きがいを見出した少女
挙げればまだまだあるが、ここでは割愛する。いずれにせよ、ただ異端に過ぎた者達。どうにもならない程に、どうしようとも思わない程に異端な存在。異端であるが故に呪われてしまった者達。
いや、この言い方はあまり正確ではないかもしれない。そもそも人間という存在が異端に過ぎるのである。周りが四足歩行の中、突然二足歩行となり、その辺の石を道具として扱い始める。道具を使う動物自体は数多いるが、ここまで文明を発展させてしまう人間という生き物はやはりこの世界では異端だ。
そんな異端の存在が、人間同士の事とは言え普遍性を求めるなど、それそのものが甚だしい
世界は怒りに優しい。世界は怒りに厳しい。
世界は哀しみに優しい。世界は哀しみに厳しい。
世界は汚辱に優しい。世界は汚辱に厳しい。
世界は喜びに優しい。世界は喜びに厳しい。
世界は正義に優しい。世界は正義に厳しい。
おそらくどちらも真実であり、正も誤も無い。いや、真実という言い方すら烏滸がましい。これはただの事実だ。y=1/xの関数はx=0を定義できない、素数は無限に存在する、そんな事に並ぶ世界の法則。
そんな法則は人を呪った。魂と引き換えに祝福を授けた。そうして生まれたのが稀人だ。中には努力をせずとも力を手に入れたりした者もいるだろう。世界は平等である。
ご都合主義と嗤うだろうか。だがそれは大きな間違いだ。世界は
いずれにせよ、時雨達稀人と警察達人間はあまりにも逝き方が違うという事が不和を招いているのは間違いない。何度も言うが、正誤はこの際問題では無いのである。論理と心理と感情は必ずしも連動するものでは無い。
閑話休題
時雨達がビルに入っていったあと、警察達は佇む増女の顔をした剣客を訝しんで眺めていた。元々、時雨達を送り届けた後は全員撤収する手はずだったのだが、若い警官が難色を示したのである。曰く、「稀人など信用できるか」「立ち去った後に悪事を働くつもりだろう」と根拠に乏しい弾劾をしてきた。
時雨達〝八咫烏〟に依頼をしてきたのは彼らの上層部の人間なのだが、それは信用に足る理由ではないらしい。稀人によって引き起こされた
年長者よりも若人の方が頭が固いという或る意味珍しい現象が起きていたが、うんざりしながらも一応理由は理解できる時雨。仕事人としての態度に難色を覚える紫苑をどうにか宥め、妥協案を提示することにした。
「とりあえず一体使い魔を置いておくよ。いざとなったらソイツを盾にすれば?」
時雨の技能の中の一つに〝
とにかく、時雨はそれによって妖刀を作ることが出来るのである。そして、その刀にある程度の自律性を与える事も出来るのだ。その場合は刀に人型の姿を取らせ、剣客として闘いに赴かせる事になる。
『使い魔』とはこの剣客の事なのだ。なお、使い魔たちの名を〝
本音を言えばさっさと帰って夕飯でも食ってて欲しいが、謎の正義感に駆られた若人達は梃子でも動かないだろう。
(押し付ける先が出来たのだから素直に押し付ければいいものを)
正義だの義侠心だのというのは実に面倒で、扱いづらい。こんなものが人間の間では模範とされているのか。鬼である時雨には分からない……仮に人間だった時代でも分からないだろうな、と時雨は思い直した。別に極端な厭世家というわけでもないが、簡単に善悪など決められない人生であった。
なんにせよ、なけなしの妥協案を出したわけだが、それでも反発は収まらない。やれ今度は「やっぱり不気味だ」「それを使って殺す気だろう」「信用できない」と宣った。能面は自国の伝統芸能だが、それを躊躇いなく不気味と吐き捨てる。時雨は少し哀しくなった。年配の警官はなんとか収めようとしているが、効果は芳しくない。紫苑は言葉が通じていない与太郎と判断して実力行使に出ようとしている。
時雨は溜息を吐いて、次の行動に出た。アプローチを変えるのである。
「やめようよ。信用とか子供っぽい事」
「……!?」
警官たちが一斉に動きを止める。時雨の言葉に驚いたのではない。ぶつけられた殺気と、唐突に変わった声色に怯えたのである。実に鬼らしい人を見下したような、それでいて蛇のように地を這うような声。
時雨は言葉だの信用だのという説得手段を諦めた。ビルの中にいる稀人と同じだ。言葉が通じないのなら、戦争しかない。
「アンタ達が僕達に金を払って、僕達は仕事を見つけて馳せ参じた。実に勤勉な、極めて普通の事だ。人間というのは怠惰を嫌うだろう? 全く逆の事をしている」
「だが……!」
「物分かりが悪いなあ……要するに、共通の敵が存在する今くらい、利用し合おうって言ってるんだよ」
「………」
警官たちは絶句した。時雨の、あまりにも酷薄な告白に。時雨の右眼を隠す長い前髪から除く左眼は、光を映してはいなかった。
「助け合いってヤツさ。人間って好きだろ、こういうの。何ならかなり慈愛的だと思うけれどね。普通は魂を要求するところを、金で済んでいるのだから。『何カト引キ換エニ願イヲ叶エテヤラウ』……当然だよ。人間なら」
稀人と人間、大きく違うように見えて実は根底は似通っている事が多い。考えてみれば当たり前の事、稀人は人間の感情から生まれるものだ。傍目に見てどれだけ悍ましかろうが、それは人間の願いから生まれた物なのだ。時雨はそれを人間の行いに例えて揶揄しただけに過ぎない。
尤もそれが、この後のニヒリズムの喜劇の原因の一端となったわけだが。
「さて、何この愉快な状況」
「……待機していた警官の一人が、突然叫び声を上げたかと思えば、今度は変異しだしたんだ。間違いなく、稀人化している」
時雨を送って来た年配の警官が説明する。間違いは無いのだろうな、と時雨は判断した。目の前の
(〝外道〟って奴かな……)
外道とは主に西日本に伝わる憑き物の事である。人に憑依して害をなす霊とされ、
「お前の……せいだ!」
「……?」
稀人化していない若い警官が時雨に敵意を向け、言葉を発した。
「お前達稀人が人間を殺すから! 人の心を持たない者が、我が物顔で俺達の国を荒らすからだ!」
時雨は感情を感じさせない、光の無い眼でその警官を見る。その態度は人間の神経を逆撫でするには充分であり、警官は更に激昂する。
「何とか言ったらどうなんだ! お前達が見下した
稀人への怨みを叫び続ける警官が突然の攻撃によって張り倒される。攻撃の主は時雨ではない。不快気な顔で扇を振るった紫苑であった。
「先程から聞いておれば、こはばからしゅう事を」
紫苑は声に、重力すら上乗せされているかのような威圧を込めて言の葉を紡ぎ、
「ぐあっ!!」
「ではわっちも問わせていただきんすが、人間どもがわっち
張り倒した警官を憎々し気に踏みつけた。
「ただ悪だという理由だけで狩られ続け、辱められ、痛めつけられた。人里を離れ、ただ平穏に暮らしていただけの稀人にすら、飢えた犬のような嗅覚で探し出し、要らぬ争いすら起こす始末……お主はわっち
そこまで言った紫苑は、目を伏せ一筋の涙を流す。しかし、再び開かれた目には消えぬ激情が宿っていた。
「わっちは山に捨てられた所を稀人に拾われ、育てられた。
嘆く紫苑には、普段の悠然とした、妖艶なる淑女の面影はない。今の彼女は家族を奪われた唯の女であった。
「わっちは稀人に与した〝裏切り者〟と処断され、男達の慰み物にされ、あまつさえ人間どもは
一頻りの慟哭を終えた紫苑は血を吐くような深呼吸をし、そして
「のう、答えておくんなまし。お主ら人間という名の猿どもが、実行犯でもない者を、ただ稀人であるという理由だけで情動的に裁くのなら、わっち等はその理不尽を享受しろと言うでありんすか? 獣欲をぶつけられ、殺し合いの余興に駆り出されるその蛮行を受け入れろと言うでありんすか?」
そして、紫苑は警官を踏み潰す勢いで足に力を掛け、叫ぶ。
「答えろぉぉぉぉ!!!!」
「その辺にしておきなよ、紫苑」
しかし、そこで紫苑を止める人物がいた。時雨である。時雨は警官を踏みつける紫苑の脚に鞘に入った大太刀を当てていた。そして、手で紫苑の涙を拭う。
「こんな奴らのために、貴女が品位を落とす事も無い」
その言葉で、紫苑は冷静さを取り戻した。優雅な花魁としての彼女を思い出したかのように。長い付き合いの中で、時雨は四つ這いで過去を呻く紫苑も見たことがある。
しかし、それでも彼女は救われなかった。
時雨は紫苑がどれだけ哭いても、救われない事を知っている。むしろ、自ら懇ろに苦しみを増長させるだけであった。ならばと、時雨はその涙を止める。
紫苑は少し驚き、そして愛おしそうに時雨の手に頬を擦りつけた。
「にくい梟でありんす。涙を流す時には、お主ほど役に立つ者もおりんせんね……」
「
「そうでありんしたね……」
時雨は紫苑と警官であれば、間違いなく紫苑の側に付く。仲間意識だけではない。結局のところ、警官が言っているのは
所詮はその程度だから《呪い》に抗えず、あまつさえ理性を失うのである。稀人を恨む情が、彼らを稀人にした。これ以上の醜悪極まる喜劇が有ろうか。
愚かなる善人は、ただ絶対悪が欲しいだけ。そのような体たらくで、忌むべき過去を抱えながらも花魁としての矜持を保ち、博学と美を身に纏う紫苑を同列に扱うというのなら赦しはしない。
時雨は闇夜のような怒りとともに警官達を見下ろし口を開く。
「アンタ達には難しい事は分からないだろうから、もう少し簡単な話をしよう。なに、子供でも識っている常識さ。僕達はアンタ達の依頼を受け、そしてそれを完遂した。だが、アンタ達はその恩を仇で返した。そういう奴らはねえ―――
―――殺しても良いって事になってるんだよ」
時雨は予め与えられていた通信機の内容を伝授する。
「警察の情報部から追加の依頼だよ。『落伍の兵達に死の救いを』……だそうだ」
そう言うと時雨は、稀人達の進行を防ぐために展開していた障壁〝
我々は誰を犠牲に生きて良いのやら……先に言っておきますと、多分コイツ等が正義感とか義侠心で行動する事は殆ど無いと思われます。もししたらそれは例外中の例外。
あと、基本的に稀人視点で話が進むので、稀人に寄った物語になります。仮に今回の話で人間達に同情するとしても、それはそれでいいと思います。
>紫苑の嘆き
簡単に言えば、今までの話でコイツの歪んだ性格とか書いて来たけど、結局それは人間の正義感とそれに付随する悪意と色欲が生み出したというオチ。
>時雨という名前
時雨という言葉自体は、晩秋から初冬にかけて日本海側を中心に降る、寒く冷たい通り雨の事。転じて『涙を流す』という意味もある。何度も繰り返す冷たい雨に例えられた涙など、さぞ悲しい物でしょうね。