東京災禍~哲学的雪女と死にたがりJKの怪異譚~ 作:三文小説家
さて、今回はいよいよ現代編のヒロインが登場します。
孫一に報告を終えた時雨は
「ただいまー……」
「おかえりなさい!」
時雨がドアを開けて帰宅の挨拶をすると、勢いよく彼に飛びつく影があった。犬か? 猫か? 違う、時雨は動物など飼っていない。(この世界では有り得ない話ではないが)そもそも動物であれば基本は人語を発しない。その影の正体は一人の少女だった。
艶やかな赤髪に小柄な身体。こんなことを本人の前で言ったら確実に不機嫌になるが、時雨からしたら少し見下ろさなければ見失ってしまうその少女は、
「お待たせ、
時雨が愛する人間の少女、
時雨がこの少女と出会った時、こんな未来など予想していなかった。
鬼が人間を拾う。言ってしまえば人間が捨て猫を拾う感覚に近いものだろう。とある廃墟で時雨が小夜花を見つけた時、正しくそのような有様だった。
何某かの倉庫であっただろう廃墟で、その場に存在するありとあらゆる刃物や金属片が身体に刺さっている状態で見つかった小夜花。普通の人間なら間違いなく死んでいるであろう刺し傷と出血量。誰かが彼女を殺そうとしたのだろうか。怨みを持つ誰か? 強姦魔? それとももっとシンプルに快楽殺人鬼か? 違う。この殺人未遂の犯人は小夜花自身だ。
彼女の話によれば閉じ込めたのも、小夜花を刺殺しようとしたのは小夜花自身だった。しかも致死毒を刃物にたっぷりと塗った上で。苛められ、蔑まれ、何をしても自分自身を救えない。何をしても世界は彼女を助けてくれない。
小夜花を弱いと言うだろうか。なるほど、それも間違いではないかもしれない。だが、当時の彼女の希望は死しか無かったのだ。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「お粗末様でした」
小夜花が作った食事を食べ、挨拶をして食器を片付ける小夜花を眺める時雨。実を言うと時雨が愛した女性は小夜花で二人目だが、殺人衝動を抱えた鬼から離れようとしない彼女達の事を、時雨は物好きだと思っていた。
(いや、小夜花の場合は『だからこそ』なのか)
殺したい鬼に惹かれる自殺志願者の少女。需要と供給が成り立ってしまっている。ただ、肝心な事がまだ不明だ。上述の有様でも小夜花が生きていたのは、彼女が『死ねない』異能を持つからに他ならない。一般人に試せるありとあらゆる自殺方法を試したそうだが、どれも彼女を殺せなかった。
すなわち、時雨が刀を振るった所で小夜花を殺せるのかという事が不明なのである。しかし、試したことは無いがおそらく可能だろうと思っている。その根拠はじきに分かる。
「ねえ、五月雨さん」
つーん
「さみだれ――」
つーん
「小夜花」
ぱああああっ!
時雨が下の名前で呼んだ瞬間に、実に嬉しそうに顔を向ける小夜花。恋人になってから、下の名前で呼ばないと返事をしなくなってしまったのだ。
と、ややアクシデントはあったが、時雨は本題を口にする。
「痣っていうのはさ、紛れもなく怪我なんだよ」
小夜花が盛大に肩をびくつかせ、洗っていた皿を取り落とした。落下地点は床ではなく流しなので割れたりはしていないが。
「な、何の事かな……?」
「もう半分くらいは察してるだろ。基本的に傷なんてすぐに再生する僕についた痣って……」
時雨はそう言うと自分の髪をかき上げ、首の後ろについた痣を見せる。
「どーしてくれんの。この内出血」
「キスマークのこと内出血って言わないでよ!」
「やっぱり君の仕業か」
「あっ」
発覚したのは紫苑が時雨の後ろに立った時である。物凄く面倒くさい
「あ、もしかして、下手したら死ぬから怒ってる?」
「違うけど参考までに聞いておくよ。キスマークで人って死ぬの?」
「うん。血栓が脳に行って脳梗塞になったって聞いたことあるよ。内出血だしね」
「知っててなんでやったのさ」
「性欲」
いっそ清々しい程に開き直る小夜花。一応二人は恋人同士なのだから不自然ではないが、思わず半眼で小夜花を見てしまう時雨。だが、それは思ったよりも応えたようで小夜花は俯いてしまった。
「ごめんね……? 嫌だった?」
「別にそうは言ってないけどさ……というかいつやったの? やられた記憶ないんだけど」
「時雨くんが寝てる間」
「なるほど、道理で……」
恋人になってから小夜花は「寒い」と言って時雨のベッドに入って来るのである。稀人としての時雨の特性上、余計に寒くなる気がするのだが気にしてはいけない。
時雨が「ヘソ曲げたかなあ」となんとも言えない表情をしていると、小夜花は少し口を尖らせて呟く。
「だって、きっと時雨くんにキスマーク残せるのなんて私だけだし」
「………」
「こんなの、前の奥さんだって―――っ!」
小夜花が咄嗟に口を塞ぐ。言ってはいけない事を言ってしまった……そんな後悔が聞いているだけの時雨にも伝わってくる。
「やっちゃった……」
「何を? 人を?」
「絶対、時雨くんのこと傷つけた……」
「まあ、恋人としては当然の感情なんじゃないの」
軽くおさらいすると、時雨は二百七歳である。この半生で妻を娶った事が有ると言うだけの話だ。現在より一世紀以上も前の話だが。
「見苦しい……よね。私が生まれる前の話なのに、嫉妬して」
「愛されてんだね、僕って」
「それに、
「さては君良い奴だな? 侮辱でも何でもないだろ。真夏がキスマークつけらんないのは事実だし。それだけで彼女の価値が決まるわけじゃないしね……」
「………」
(黙っちゃったよ)
重くて病んでて面倒くさくて……
(可愛い女だよね)
時雨からすれば捨て犬を拾ったような感覚だと言うのに、人間不信みたいな顔をして時雨に懐いて、恋をして、告白してきて、今じゃ一緒に暮らしている。そんな卑屈な恋愛感情を持つ小夜花が、時雨には可愛らしくてたまらなかった。
時雨は小夜花の背後に忍び寄り、ノータイムで首裏に唇を押し付ける。
「ひゃっ!?」
「言っておくけれど……」
時雨は小夜花の耳元で舐るように話しかける。
「君を傷つけられるのも僕だけだって事、忘れないでね?」
時雨に傷をつけられるのは小夜花だけだった。では人間でありながら不死身の異能を持つ小夜花を傷つけられる存在はいるのだろうか。
答えは是。現状では、時雨だけが小夜花を
〝私を殺して〟
純粋な笑みと疲れた笑い声とともに殺害の依頼をしてきた小夜花。
それが彼女にとっての救いになると理解していても―――
時雨は刀を振れなかった。
(とっくに絆されてたんだよなあ……)
少なくとも、小夜花を殺す事に抵抗するだけの感情がある事だけは確かである。
実を言うと、キスマーク云々もそこまで嫌悪感を抱いているわけではない。少し揶揄っただけである。紫苑の事をとやかく言えない時雨であった。
「いじわる……」
涙目で抗議する小夜花。同棲しているだけあって、なんとなく時雨の心情の推移も察せたようだ。彼女の赤い相貌には羞恥と、微量の怒りが含まれている。とはいえ、元々は自分の悪戯が発端である以上、強くは言えないのだろう。
「はは……」
随分明るくなったものだと思う。
出会った時はこの世の全てに絶望していた。声すらも出せなくなるほどに。控えめに言って暗い。オブラートに包まずに言えば生者の纏う気配ではなかった。
「暗い女は良い女だよね。無意味に輝いているよりも」
「趣味悪いよ。時雨くん」
「中々の自虐だね」
皿洗いが終わった小夜花は時雨に抱き着き、体重を預ける。
「私に愛想を尽かしたら、ちゃんと殺してね?」
「どちらかと言えば殺人鬼流のプロポーズじゃない?」
「じゃあ愛してても殺すの?」
「変な方向にパッションが昂ったら殺すかもね」
「じゃあどちらにしても幸せだな、私」
「殺人鬼に嫁いで幸せとはね……」
「いいの。誰が何と言おうとも。私を殺す機会を逃さないように、瞼ににバターを塗って潤してね」
「クソがつくほど強欲な奴だなあ……重くて深くて面倒くさくて―――
―――溺れてしまいそうだ」
現代編ヒロインの小夜花登場。中々に業が深いというか、暗い過去を抱えていそうである。
2024年1/21 若干の内容を修正
備忘録
五月雨小夜花:
ヒロイン。重くて面倒くさくて可愛い女(by 時雨)。死のためなら如何なる苦痛も受け入れる自殺志願者。自分を殺せそうな時雨に恋をしている16歳。学校は絶賛おサボり中。身長は152cmで同年代の女子と比べると低い。なお、胸はそれなりにある。料理が得意。
時雨:
暗い女が好みらしい。真面目にコイツの性癖が分からなくなる作者。身長は178cmなので、小夜花とは20cm以上差がある。小夜花の事は殺したくないくらい愛してる。