三者揃って激走中
「今のところ開墾は上手くいっています。物資も今は多少目減りしていますが、この分であれば早晩回収できるでしょう」
「なるほど。ではそろそろ新しく開墾させる土地の選定を行うべきかしら?」
「そうですね。難民は増え続けていますので労働力には事欠かないかと」
「わかったわ。司馬朗からは何かあるかしら?」
「今のところ豫州方面からの流入が多いようだから、南部に手を付けてみてはどうだろうか?」
「妥当なところね。ただ、なまじ故郷が近いと事態が落ち着いたら故郷に帰ろうとするかもしれないわよ?」
「今の豫州の政を見れば、自分の意思で帰ろうとする人間はいないと思います」
「むしろ豫州と陳留の違いを実感して、石に噛り付いても離れなくなりそうだな」
「ふむ。栄華と司馬朗が言うのであればそうなのでしょうね。わかったわ。次は南部の開発に力を注ぎましょう」
ただ夏侯淵を待つだけではアレだということで、ついでに仕事の話をすることにしたのだが、いやはやなんと。凄いものだな。
僅かな時間で色々なことが決定していくではないか。
この在り様は封建制に於ける上意下達の良い見本だと思う。
そんなこんなで仕事の話を進めること30分ほど。
「華琳様! こ奴です!」
雑談していた俺たちの下に、息を切らせた夏侯淵が現れた。
その手に抱えられているのが今回の下手人なのだろう。
ぱっと見だとぐってりしている猫耳フードの少女にしか見えんが……って。
あれ? あの猫耳フード。見覚えがあるぞ。
「もしや、文若殿ではないか?」
おそらく、というか、あんな猫耳フードを被った少女が他にいるとは思えん。
しかし、俺の記憶が確かであれば彼女は袁紹のところに仕官したはずだが、その彼女がこんなところでナニをしているのだ?
―――
「もしや、文若殿ではないか?」
「あら、知り合い?」
「えぇ、まぁ」
秋蘭が抱えてきた少女を見た司馬朗が驚きの声を上げた。
どうやらこの少女は彼の知り合いらしい。
本来であればさっさと拷問でもなんでもして私を試したことを後悔させてやろうと思っていたのだけれども、さっそく目論見が狂ってしまったわね。
彼女がただの小娘であれば即断できた。
でも、彼の知り合いとなると話が違う。
私を試したことを許すつもりはないけど、それはあくまで一時の感情でしかないわ。
そんなものに従って彼と親しい人間を処罰することはできない。
まして、私たちには司馬家に対してたくさんの借りがあるもの。
彼の知り合いを無下に扱うことはできないわ。
もちろん何かしらの罰は与えるけど、それだって予定よりは随分軽くする必要がありそうね。
そんなこんなで、これからの態度次第では許してやろうかと思っていたのだけれども……。
「司馬伯達っ!」
司馬朗から声を掛けれらた少女は、苦々しい声を上げて司馬朗を睨みつけているではないか。
それも秋蘭の脇に抱えられたままの状態で。
威圧感もなにもあったものじゃないわよ?
というか、この子は今の自分が置かれている状況を理解していないのかしら?
それと、今のでお互いが顔見知り以上の関係なのはわかったけど、一体どんな関係なのかはわからないままね。
睨みつけられている司馬朗は「相変わらず敵意剥き出しだな」なんて笑っているけど、自分に敵意を剥き出しにしている相手に対してそんな軽く接していいの?
なんだか今にも噛みついてきそうなんだけど。
いや待て。笑っている?
あの司馬朗が? 本当に?
「え? 司馬朗さんって笑えたんですか?」
「……まさか」
うん。栄華も秋蘭も驚いているからどうやら私が幻を見ているわけではなさそうね。
……一体どういう関係なのかしら?
―――
「司馬伯達っ!」
縄で縛られて俵持ちにされている最中であっても俺に対する敵愾心を隠さないとは、さすがは文若。
うむうむ。しばらく会っていなかったが、懐かない猫のような気性は健在なようでなによりだ。
「……どういう知り合いなのかしら?」
牙を剝いている文若を微笑ましい気持ちで見ていたら、曹操から「知っているなら紹介しろ」という視線を向けられてしまった。
うむ。確かにここで睨みあっても仕方がないな。
というか、曹操は彼女のことを知らないのだろうか?
いや、顔を知らないのか。
「彼女の名は荀文若。豫州は潁川荀家に於いて神童と謳われていた人物です。洛陽にいたころに何度か会う機会があった関係でお互いそこそこに知った仲なのですよ」
猫のような性格もそうだが、発育があまりよろしくないうえ、普段から露出の少ない猫耳パーカーを着込んでいるので、俺のちん〇に対して極めて優しい人物なのだ。
「荀文若! へぇ、彼女があの……」
さすがは優秀な人材が好きな曹操である。
予想した通り本人の顔は知らなかったようだが、存在自体はしっかりリサーチしていたらしい。
「貴方が言うのであれば本人で間違いないようね。でも彼女は麗羽のところに仕官したと聞いていたのだけれど?」
いや、麗羽ってだれよ。
おそらく袁紹の真名なのだろうが、知らない人間の真名を告げられても困るんだよな。
そういうところだぞ。
別に他人のことだからどうでも良いのだが。
真名の話になると面倒な感じになりそうなので、とりあえず話を進めよう。
「私もそう聞いていました。だからここでこうして顔を合わせたことを驚いています」
いやマジで。お前は何をしにここに来たんだ?
あ、もしかして工作員として派遣されてきたのか?
それなら納得だ。
それに、彼女が本気で工作をしたのであれば夏侯淵が出し抜かれても仕方がない。
書類仕事に関してはそれほど優秀なのだ、この猫耳は。
優秀だからこそ敵に回ったら厄介なのだが。
実際夏侯淵が出し抜かれたせいで、こうして面倒ごとになっているしな。
離間の計と考えればこの時点で成功しているのだ。
書類仕事一つでここまで陣営を苦しめることができるのだから、さすがの智謀と言えよう。
しかしながら疑問はある。
それは彼女が何故今もここにいるのか? ということだ。
いや、策を実行したのはわかる。
だが物資を少なく用意させることで遠征を失敗させるにせよ、曹操と他の部下の間に軋轢をつくるにせよ、我々に回ってくる書類の偽造に成功した時点で策は成っている。
そうである以上、この場に彼女が残っているのはおかしい。
具体的に言えば、彼女がさっさと陳留を脱出していないのがおかしい。
陳留から出ていればこうして夏侯淵に捕まることなどなかっただろう。
少なくとも数日は稼げたはずだ。
下手人に逃げられた夏侯淵の評価は地に落ちるし、実質的に武官の仕事を統括していた夏侯淵の評価が落ちればそれだけ曹操陣営の動きは鈍くなる。
策としては十分だろう。
しかしここで下手人として捕まってしまえば話は別。
事実、下手人が文若と知った俺や曹操は夏侯淵の能力不足ではなく、文若の手際に注目してしまっているのだからな。
これでは画竜点睛を欠くどころの話ではない。
下手人は現場に戻る。なんて言葉も聞いたことはあるが、彼女はその結果どうなるかを予想できないほど愚鈍ではない。
というか、自分で仕掛けた謀略を自分で台無しにするような愚か者にこんな真似ができるはずがない。
つまり彼女の知恵は曇っていない。
それなのに彼女はここにいて、こうして捕らえられている。
逃げる気配もない。
何故だ? わからん。
わからんことは素直に聞こう。
「それで、文若殿。貴殿はなぜここにいるのだ?」
「あ、貴方が……言うに事を欠いて、貴方がそれを私に問うの!?」
なんだろう。めっちゃ驚かれたんだけど。
しかも恨みがましい口調と殺意が籠った視線付きで。
「……なるほど、そういうことね」
隣で観察していた曹操はこれだけでナニカを掴んだらしい。
さすが曹操。侮れん。
「荀文若。正直に答えなさい。貴女、私を試したわね?」
試す? 曹操が物資の不足に気付くかどうかを試したのか?
何のために? あぁ、いや、見極めか。
「……はい」
「その理由は私が主君として正しいかどうか見定めるため。違うかしら?」
「「はぁ?」」
横で聞いていた夏侯淵と曹洪が揃って声を上げた。
うん。わかる。わかるぞ。
そんなのに巻き込まれたのか!? って思ったんだろう。
気持ちはわかる。
ただな。この時代に限らず仕官する前に相手の器量を試すというのは稀によくあることだ。
それが名士だの知恵者と呼ばれるような、自分の価値を高いと思っている輩であれば猶更な。
ここでわざわざ曹操を試したということは、文若は袁紹の下を去ったのだろう。
で、自分の主君にふさわしい人物を探すことにした彼女は、最近名を上げている曹操を見定めることにした。
その方法が今回の策というわけだ。
これに気付くなら良し。
気付かないなら自分の主君にふさわしくない。
そんな感じだろう。
他の人間がやれば何かしらの罰を受けることになるだろうが、それをやったのが彼女となれば話は変わる。
なにせこれは名士を登用する際の通過儀礼のようなものだからな。
自分が試されたことを怒って罰を加えれば名が落ちる。
故に試された人間は鷹揚に受け入れるしかない。
その際どういう態度を取るかまでが試験である。
曹操とて、自分を試したのが一介の文官ではなく、世に名高き荀文若だとわかれば不満はないのだろう。
実際先ほどまでの怒りは霧散しているように見える。
いや、怒りが霧散したどころか、近年稀にみるドヤ顔を披露している。
まぁ、きっちり試験に合格したわけだしな。
それも名家として名が知られている荀家の人間が出した試験に。
そら誇らしくもなるだろうさ。
「ふふっ」
ご機嫌だ。かなりご機嫌だ。
今日は宴だろうか。
文若が来てくれたら文官が増えて楽になるな。
ドヤ顔でポージングをしている曹操を横目にそんなことを考えていたのだが、現実はそこまで甘くなかった。
「違います! 私は初めから曹操様こそが我が主君にふさわしい人物であると考えていました! その私が曹操様の器を試すなんて不遜な真似をするはずがありません! そう、そんなことは天地がひっくり返ってもありえません!」
なんと。曹操に試験を課した当の本人が、血を吐くような声をあげて反論してきたではないか。
しかし、なんだ。その反論は良くないぞ。
「……え?」
見ろ。ついさっきまで自信満々に「私はわかっているわよ」とドヤ顔していた曹操が、頬をヒクつかせて硬直しているじゃないか。
そりゃな。自分が自信満々で言ったことが『天地がひっくり返ってもありえない』なんて言われたらそうなるよ。
文若。褒められながら梯子を外された曹操がどう思うかを考えろ。
「私がこのような真似をしたのは、曹操様に私の価値を知ってもらうためです! それ以外の意図はありません!」
おぉう。止めを刺しにきやがった。
「……え?」
おいおい文若。曹操に仕えたいというならちゃんと相手の顔を見ろ。
曹操のライフはもうゼロだとなぜ気付かん。
「だから曹操様! 私の策を聞いてください!」
献策? 気になるが、それどころじゃないな。
「……」
なんだかんだで褒められているのはわかるので怒るに怒れない。
さりとてこのまま献策を聞き入れるのもなんか違う気がする。
今の曹操の心境を言い表すならこんなところだろうか。
「あ~曹操殿。差し支えなければ私が話を聞きましょうか?」
「……えぇ。そうね。うん。お願いするわ」
結局どうしていいか分からなくなって固まっていた曹操があまりにもアレ過ぎて見ていられなくなった俺は、差し出がましいとは思いつつ彼女に対して助け船を出すことにしたのであった。
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