「ぬぅ……」
……どうしたらいいのかしら。
司馬朗が物凄く不機嫌だわ。
怒りの気が周囲の景色を歪ませているくらい不機嫌だわ。
あまりの怒気で、周辺に人がいなくなっているじゃない。
私の護衛はどこに行ったのよ。
「華琳様……」
「えぇ。秋蘭。わかっているわ」
護衛云々よりも、今の彼を何とかしろっていうのよね?
それはわかるわ。
軍事行動である以上適度の緊張は必要だけど、何事もやりすぎはいけない。
このままでは全軍が緊張のし過ぎで駄目になってしまう。
特に桂花が。
ただでさえ初陣ということで緊張しているのに、横にあんな憤怒の化身みたいなのがいるんですもの。
完全に委縮しちゃっているわね。
この有様では能力を発揮するどころの話ではないわ。
そういうところも可愛いとは思うんだけど、彼女こそ元凶と言える存在なのが困ったところ。
大前提として、彼が春蘭が怯える程怒っているのは、賊退治ごときに自分を帯同させたことに不満があるから。
当然よね。
今回の遠征は彼ほどの武人が出るような状況ではないもの。
それだけでも彼が怒るのは当然だというのに、今回はさらに怒る理由がある。
それは私が「桂花と春蘭たちの間に入ってもらいたい」と頼んだことよ。
他に頼れる人材がいなかったとはいえ、彼にしてみれば完全にとばっちりですもの。そりゃ怒るわよね。
事の発端は桂花が小細工を弄したこと。
それだけならまだ良かったんだけど、その小細工に秋蘭が巻き込まれたのよね。
今なら相手が悪かったと言えるけど、あの時点では秋蘭が小細工を見破れなかったことだけが事実だった。
実際、私が最終確認していなかったら秋蘭はあのまま出陣していたでしょう。
今はまだいい。でも勢力が拡大すれば、逐一私が確認できるような状態ではなくなるわ。
それだけじゃない。いずれ秋蘭は別動隊を率いる将になる。
その将が小細工に気付かないのは論外よ。
だから今回の失敗に関しては『相手が悪かったから』と簡単に許すのではなく、しっかりと釘を刺しておく必要があった。
秋蘭にとってもそれは必要なことだったと確信している。
でも、それはそれとして、秋蘭が踏み台のように扱われたことを知った春蘭が怒るのは当然のことなのよね。
桂花が素直に謝罪できればまた違ったかもしれないけど、彼女は彼女で荀家を背負っているせいで、簡単に謝罪できる立場ではなかった。
主君である私や、司馬家の長男であり正式に官位を得ている司馬朗相手であればその限りではないけれど、武官筆頭とはいえ未だ無位無官の春蘭が相手ではそうもいかない。
その上、春蘭が書類仕事を苦手としているのも悪かった。
桂花は文官至上主義、とまでは言わないけど似たような価値観を持っている。
具体的には名家特有の武官を軽んじる悪癖がある。
そのせいで桂花は春蘭や秋蘭に素直に謝罪することができなかった。
素直に謝罪できなかった桂花に対し、春蘭が折れる理由はない。
というか折れることができない。
もし彼女が先に折れてしまえば軍部全体が軽んじられてしまうから。
だから春蘭は謝罪を受けない限り敵意を解くことはないし、敵意を向けられた桂花も無抵抗ではいられない。
結果として武官の筆頭と政務官の筆頭がいがみ合う事になってしまった。
立場とはなんとも面倒なことね。
主君としては両者の間にあるわだかまりを解かなければならないのだけれど、その方法が難しい。
私が両者を叱責して仲良くするよう命じても意味がない。
それをやれば双方が『相手のせいで叱責をされた』と思い込むでことしょう。
状況が悪化するだけね。
だから一番簡単な解決策は、互いが互いを認めることだと思うのよ。
桂花が春蘭の武勇を認めて謝罪するに値する人間だと判断すれば良し。
春蘭も桂花の能力を認めて謝罪を受け入れればそれで良し。
これが一番無難な解決方法よね。
そう思って桂花を今回の遠征に従軍させたのだけれども、互いを認める前に死にそうなのよね。
主に桂花が。
それも気持ちの問題ではなく、物理的に。
やるのは春蘭か秋蘭か、はたまた華侖か柳琳か。
それ以外の部隊長やなんなら一兵卒が動くかもしれない。
つまり軍部に所属している人間のほぼ全員が桂花を狙っているわ。
桂花ったらモテモテね。
……笑えない冗談はさておき。
いくらなんでも闇討ちはしないと思うけど、従軍中に軽い嫌がらせをしたり、賊に奇襲を受けた際、故意に助けなかったりするくらいのことはやりそうな雰囲気があった。
そんなことをされたら私は管理不行き届きを指摘されるでしょう。
もちろん荀家や荀家に連なる家の人間から敵視されることになる。
人材はいくらいても足りないというのに、こんなことでその伝手を失うのはよろしくない。
それを防ぐために桂花と同じ名家の出であり、武官にも顔が利く司馬朗に同行を願ったのだけれども、その結果がこれだものねぇ。
いえ、まぁ、春蘭も桂花も委縮しているし、こんな状況で嫌がらせだのなんだのができるはずがないと言えばそうなんだけれども、いくらなんでも度が過ぎているわ。
だからなんとかしたいのだけれども、正直どうしたらいいのかわからない。
まさか不機嫌だからという理由で帰還させるわけにもいかないし。
そんなことをしたら「何のために連れてきたんだ!」って言われて私が空を舞うことになるでしょう。
普段の彼ならそんなことはしないと断言できるけど、今の彼は無理。
相手が私であっても殴り飛ばす。
そんな雰囲気がプンプンするわ。
あぁ。どこからか彼が怒りのままに斬り殺しても問題ないような相手が出てきてくれないかしら。
出てきたら即座に出撃させてあげるのに。
「か、華琳様!」
「どうしたの、春蘭? 彼についてならもう少し考えさせてほしいのだけど」
彼が放つ重圧に耐えるのがきついのはわかるわ。
でもね、いくら私でもできることとできないことがあるのよ。
「いえ、朗報です! 先発させていた物見から報告です。前方で何者かが戦闘を行っているとのこと! 詳細は不明ですが少なくとも片方は賊の可能性が高いそうです」
「なんですって!」
賊。つまりは何をしても良い相手よね?
よくやったわ! これで勝てる!
「司馬朗を向かわせなさい!」
「はっ!」
―――
「前方で戦闘をしている形跡在り。相手が賊ならこれを討伐せよ、か」
「う、うむ! 司馬殿にとってはつまらぬ相手かもしれんが、退屈しのぎにはなるだろう?」
「退屈しのぎ、な」
夏侯惇よ。お前は俺を何だと思っているんだ。
いくら相手が賊とはいえ、ストレス発散の為に人を殺すようになったら人間お終いだぞ。
曹操はそのあたりもう少し教育するべきだと思う。
あと容易に間合いを詰めて来るな。
片乳と生足が見えるだろうが。
慎みを持て慎みを。
ちん〇痛いねんて。
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