夏侯惇らが先陣を切ることなどが決まったことで軍議は終わったかに思えたが、まだ議題は残っていた。
と言っても、戦術的な話ではない。
戦後処理についての話である。
一部の武人などは「戦う前から勝ったときのことを話してもしょうがない」などと嘯くかもしれないが、こういうのは戦が終わってから考えるのでは遅すぎる。
世の中には、自分で功績をたてるのではなく、他人の足を引っ張ることで自分が得をしようとしている人間がごまんといる。
そういう人間は誰かの揚げ足取りをするため、常に『付け入る隙はないか』と眼を光らせているのである。
そう言った輩に介入する隙を与えないよう振る舞うのも、人の上に立つ人間としての務めなのだ。
なにせ自分が足を掬われてしまえば、自分に付き従ってくれた将兵にまで類が及ぶのだから。
「そんなわけで、敵の本拠地を落とした後にするべきことを伝えるわ」
「大事なことだから絶対に聞き逃さないでね!」
「「「……」」」
武官組は完全に沈黙したな。
まぁ分からんでもない。
戦後処理は門外漢だし、何より曹操と文若の間で意思統一ができているという時点で政略向けの話だからな。
自分たちが口を挟む場ではないと考えているのだろう。
ちなみに俺も同じ意見である。
ことが政略関連なら、あのネコミミに任せておけば問題はない。
曹操が同意しているのであればなおさら問題ない。
面倒なことは連中に任せて、俺は風呂にでも入っていればいい。
……そう思っていた時期が俺にもありました。
「では皆に命じるわ。敵の本拠地にある食糧は全て焼き払いなさい。米一粒たりとも持ち出すことを禁じます!」
「絶対にダメなんだからね!」
「「「えぇぇ!?」」」
な ん で そ う な る !
―――
「そ、それはどういうことでしょうか?」
「そうなの! 食べ物を焼いたら食べられなくなるの!」
「んー。それはちょっとあかんかなぁ」
「華琳様! そんなの駄目です! もったいないですよ!」
「華琳様の命令でも食べ物を粗末にするのはちょっと……」
うん。やっぱり反対意見は出るわよね。
特に反対しているのは、義勇軍だった凪・沙和・真桜の三人と、季衣に流琉か。
民に近い立場だったからこそ、食糧を焼くことに抵抗があるのでしょうね。
「我らは華琳様のお考えに従うのみ!」
「少しは考えて欲しいところだが、まぁその通りだ」
「華琳様にはなにかお考えがあるはずっす!」
「そ、そうですね。私たちは華琳姉様を信じるだけです」
「本音を言えば私ももったいないと思いますけど、理由があるのであれば仕方ないですよね」
うん。最初から武官として仕えていた春蘭たちも、積極的に賛成というわけではないけれど、それほど抵抗はないみたい。
栄華は金庫番としての意見だから少し毛色が違うけど、少なくとも感情的になっているわけではないし。
欲を言えば春蘭たちには命令の真意まで理解してほしかったけれど、それはおいおいということにしておきましょう。
桂花はもちろん賛成。
今回の件を発案したのは私だけど、桂花も同じ意見だったものね。
そういう意味では司馬朗も賛成だと思うけど……っ!?
「食糧を焼く、だと? 正気か?」
え? どういうこと? なんでそんなに怒っているの?
彼ならここで食糧を焼かなくてはならない理由を理解しているでしょう!?
「華琳様に対する暴言については後で咎めるとして……司馬朗。貴方は華琳様が決めた方針に反対するってことかしら?」
「当たり前だ。率直に言って正気の沙汰ではない。俺はそのような命令に従うつもりはないぞ」
怒気を受けて固まった私に代わって桂花が問い質してくれたけど、司馬朗の答えに変更はない。
つまり彼は食糧を焼くことを是としていないということよね。
それは何故?
「不思議そうな顔をされてもな。逆に問おう。何故食糧を焼く必要がある?」
「……華琳様。私が代わりに答えても?」
「え、えぇ。お願いするわ」
本来であれば私が答えるべきなのだろうけど、もし私の考えに瑕疵があった場合、私は先ほどの命令を取り下げなければならない。
でもそれは、配下である司馬朗との討論に負けて方針を覆すということになる。
それは君主としてあるまじきこと。
だから桂花はあえて自分が間に入ることで、この場を『司馬朗と桂花が討論する場』にしてくれた。
方針を転換することに違いはないけれど。討論で勝った方の献策を受け入れるという形にした方が私の体面が傷付かないから。
……ごめんなさい。
そしてありがとう。
貴女のことは忘れない。
「いい? まず、私たちは今までどこからも略奪を行わずに戦ってきたわ」
桂花の冥福を祈る私の耳に、司馬朗を説き伏せようとする桂花の声が届く。
「そうだな」
「それをよりにもよって、盗賊ごときの糧食を掠め取るような真似をしてごらんなさい。今まで築いてきた評価が台無しになってしまうじゃない!」
そう。別に清廉潔白を気取るつもりはないけれど、わざわざ悪評を得る必要もない。
「ふむ。賊の溜め込んだ食糧は得られない。だが放置もできん。だから焼く、と?」
「そうよ! それに、もし焼かないで食糧を接収した場合、アンタはそれを周辺の街や邑に配れというんでしょ? 確かにそれをやれば周囲の評判は良くなる。でもね。ここで手に入れた食糧を近くの街に回せば今度はその街が略奪の対象になるのよ! その場合略奪の規模は前回以上のものになる! そうなったらアンタは責任を取れるの!?」
一時的な施しは害にしかならない。
私と桂花はそう考えた。だからこその焼却。
「責任ねぇ。ならばその後は『支援物資は後から届くから我々は民を見捨てたわけではない。あとはここにある食糧を焼くことで、賊どもの怒りをすべて我らが引き受ければいい。それで他の街も安泰だ』とでも言うつもりか?」
「わかっているなら聞かないでよ!」
その通り。そこまで理解しているなら反対する理由なんてないじゃない。
それなのに何で……あぁ、いや、そうか!
彼はこうしてみんなの前で問題提起することで私の考えを凪たちに伝えようとしていたのね!
実際凪たちの顔を見れば、さっきまであった不満そうな気配が完全に消えているのが分かる。
もちろん春蘭たちの中にもあったであろう疑問も消えて、みんなスッキリしたような表情をしている。
これが彼の狙い。
わざと私に対して批判的な言い方をしているのも、私の意見を代弁している桂花の論調に花を添えるため。
つまりは武官から軽視されがちな桂花の立場を向上させようとしているのね!
まったく。それならそうと前もって言ってくれれば良かったのに。
でもまぁ、先に知らされていたら桂花が恥ずかしがって提案を拒否していたかもしれないものね。
だからこういう形になったと思えば、先ほどまでの司馬朗の態度にも納得ができるわ。
私たちのために一時的に悪者になってくれた司馬朗に感謝しないと。
特に桂花はあとで直接お礼を言いなさいね。
なんて考えていたのだけれども……。
「ふむ。それで?」
「え?」
え?
「兵糧を焼く理由はそれだけか? と聞いている」
「そ、そうよ!」
「浅い。浅いぞ荀文若っ!」
声を荒げながら桂花を見る司馬朗の眼には怒りしかなくて、そこには『桂花のため』なんて気持ちがあるようには思えなかった。
つまりそれは、彼はここで桂花を完全に論破するつもりだということで……。
あぁ、ごめんなさい。
そしてありがとう。
貴女のことは忘れないわ。
色々と悟った私は、これから私に代わって司馬朗に論破されることになるであろう桂花の冥福を再度祈ることにしたのであった。
―――
こいつは何を口走っているんだ? 本気、いや正気か?
もし政務官の筆頭であるこいつが正気のままこんなことを考えているようなら、即座に矯正しないと陣営全体が大変なことになるぞ。
故にこの司馬朗、容赦せん!
「……大前提としてだが、民の前で兵糧を焼くのは愚行以外のナニモノでもない。なぜそんなことがわからんのだ」
「愚行、ですって!?」
「そうだ。なぁ文若殿。想像してみろ。理由はどうあれ、食うモノがなくて死にそうになっている民の前で食糧を焼くのだぞ? 目の前で食糧を焼かれた民がどう思うかわからんか?」
「だからそれは……」
「理由が有るのだろう? だがな。そんなものは関係ないのだ。貴殿は経験がないからわからんかもしれないが、餓えは人から理性と知性を奪う。故に餓えている人間に理由など説いても無駄だ。彼らは『曹操が食糧を焼いた』としか認識しない」
「そんな。それは、だって」
「後から支援物資が届く? その支援はいつ届くのだ? 夜か? 明日か? 明後日か? その間に死んだ人間がいたら、その死んだ人間の身内や友人知人は誰を恨むと思う? 食糧を奪った賊か? それとも食糧を分け与えずに焼いた曹孟徳か?」
「……」
「もちろん賊も恨むだろう。だが本来賊とは不特定多数の存在。つまりは記号でしかない存在だ。人間、明確でないモノに怒りや恨みを抱き続けるのは難しい。ならば生きている個人、つまり曹操殿に恨みが向くに決まっている。その恨みは曹操殿の名が上がれば上がるほど溜まっていくだろう。なにが悲しくて賊を退治しにきた曹操殿が民からそんな恨みを向けられねばならんのだ? よもや文若殿は曹操殿を恨む民が無尽蔵に増えても良いと考えているのか?」
「そんなわけないじゃない!」
「ならば食糧を焼くべきではないな」
「くっ」
はい論破。だがまだだ。まだ終わらんよ。
「次だ。文若殿は『賊から略奪したら我々の評価が落ちる』そういったな?」
「……えぇ」
この時点でおかしいやろがい。
「ではそれが『賊から略奪した』ではなく『賊から取り戻した』となればどうなると思う?」
「え?」
「現在賊の陣地に溜め込まれている食糧は、彼らが土地を耕すなどして得たモノではなく、周辺の街や邑で略奪をして集めたモノだ。それはわかるな?」
「それがどうしたっていうのよ!」
「わからんか? では一つたとえ話をしよう。もし陳留で大規模な賊が発生し、その賊によって大量の物資が略奪された場合、それらは誰の物資かね? 賊の物資か? それとも陳留の物資か?」
「そ、それは……」
誰がどう考えても陳留の物資だろうが。
「わかるだろう? これを今回の件に当てはめれば、ここの賊が蓄えている物資の大半はここ潁川から略奪されたモノだ。ならばその物資を奪い返すということは、潁川の物資を取り戻すということだ」
「……」
「そして潁川の物資に対する諸々の決定権を持つのは潁川の太守であって我らではない。それを勝手に焼いたらどうなると思う?」
「……潁川の太守、もしくは豫州の刺史から非難されるわ」
「その通り。結論としては、ここで食糧を焼いた場合、我らは民から恨まれ、賊から恨まれ、太守や刺史からも恨まれることになる。反対に、賊から奪われたモノを取り戻したことに対して文句を言う者はいない。無論独占しようとしたり大量に懐に入れようとした場合は非難されるだろうがな」
この辺のさじ加減が重要なのは事実ではあるが、だからって焼くのはあり得ないだろうが。
「それと近隣に食糧を配ることの是非についてだが、我々がそれを考慮する必要はないぞ」
「は?」
「考えてみろ。ここはどこだ?」
「どこって、どういう意味?」
「そのままの意味だが……まぁいい。答えは豫州の潁川郡だ。先ほど答えを口にしていたな」
「だから、それがどうしたっていうのよ!」
おいおい。なんでわからんのだ。
「あのなぁ文若殿よ。大規模な賊が健在である今ならまだしも、これからここでは官軍と我らによって本格的な残党処理が行われるのだぞ? その後に再度賊が発生するのか? もし発生したとしても、それは豫州潁川郡のことではないか。何故我らが今後潁川で発生するかもしれない賊や、それらが行うかもしれない略奪に対して責任を負わねばならんのだ?」
「あっ!」
豫州の政は豫州の刺史が、潁川の政は潁川の太守が責任を持ってやるべきことであって、陳留の太守でしかない曹操が責任を負うことではない。
当たり前の話だよなぁ?
少し考えれば分かることなのに、何故気付かなかったのか。
恐らく曹操至上主義なところがある文若にとって『すでに自分の地元である潁川は曹操の領地である』という認識があるからだと思うが、それはあくまで文若の脳内設定であって現実ではないからな。
それともう一つ。勘違いを正しておこう。
「あとな。元々俺は取り戻した食糧の使い道を周辺の街や邑に配布することだなんて一言も言っていないぞ」
「はぁ?」
「先ほどは文若殿がそう主張したからこそ「もしやるとしてもそれを考慮する必要はない」と伝えるために反論しただけであって、俺の意見ではない」
「……いや、確かにそうかもしれないけど」
憮然とした表情でそう呟いた文若。
彼女はその目に「だったらどうするっていうのよ!」という疑問を浮かべていた。
周囲にばら撒かないし懐にも入れないとなれば、やることは一つしかないではないか。
「なに、朱儁将軍に一言断りを入れた上で一部を周辺の街や邑に分配し、残ったモノを中央に献上すればいい。それで諸々の問題は解決する」
「「はぁ!?」」
お。文若だけでなくこれまで黙って聞いていた曹操まで反応したな。
そんなに意外だったか?
オリ設定:賊の本隊は朱儁率いる官軍に負けたせいでグダグダになっており、本陣が少数(約8000)の兵に奇襲で落とされたとしても取り戻すための軍事行動を取れる状況ではない。
前回同様オリ設定というよりは恋姫設定ですが、史実や演義とは違うので一応記載しています。
閲覧ありがとうございました。