軍気、もしくは戦気と呼ばれるモノが有る。
これは我々超人がその身に宿している気とは似て非なる物で、軍全体が醸し出す雰囲気というか、そういう類のモノである。
たかが雰囲気と侮るなかれ。
それなりの眼がある人間が見れば、向こうの陣営の士気がどのような状態にあるのかを理解することができるし、もっと優れた眼を有している人間であれば部隊ごとの士気の差を判別し、明らかに士気の低いところを攻めることで敵軍を貫くことさえ可能となるのだ。
そんな軍気だが、種類は多々ある。
簡単に例を挙げると、勝ちに浮かれているものだったり、負けに沈んでいるものだったりする。
その中で特に警戒すべきは敵が決死の覚悟を決めている場合である。
死兵は怯まない。
死兵は退かない。
死兵は諦めない。
そして死兵は一人では死なない。
戦場に於いて黄巾賊が恐れられたのは、一人一人が漢の圧政によって後を絶たれた人間であるためほとんどの兵が生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれていた兵だったところにある。
勝てなければ死ぬのだ。
それが飢えによってのものなのか、官軍によるものなのかの違いはあれど、後がなかったことに違いはない。
故に彼らは強かった。
緒戦で官軍を打ち破り、潁川や南陽と言った要衝を制圧できるほどに強かった。
そう、強かったのだ。
「だが今の彼らは違う」
「そうね。ここからでも彼らが及び腰なのがわかるわ」
賊でしかなかった彼らが官軍を打ち破った。それは快挙だ。
しかしその勝利が彼らに余裕を与えてしまった。
その余裕は大勢の仲間を引き寄せた。
大勢の仲間を得た彼らは、さらに気持ちが緩んでしまった。
これだけいれば負けないだろう。
自分が逃げても他の人たちが頑張ってくれるだろう。
そう考える人間が出てくることは当然であった。
また、潁川で略奪を繰り返した結果、彼らは食糧を手に入れた。
この食糧がある間は戦わなくてもいい。
戦いがしたいなら、戦いたい人間だけが戦えばいい。
元々戦いを生業としていなかった彼らの中にそんな気持ちが生まれてしまったことを誰が責められよう。
そして、沢山いたはずの仲間が負けたことを知った者たちの心が挫けていることを、誰が責められよう。
「負け犬とはいえ賊は賊。容赦はしないわよ」
「当然だな」
責めることはない。
ただ攻めるのみ。
我らは官軍。国家の守護者にして民の守護者。
略奪者と成り下がった彼らにかける情けはないのだから。
そう、異論はない。ただ懸念はある。
「……なによ」
「いや」
俺が抱える懸念とは、戦に先立ち文若が提唱した、敵の本陣を落とした証としてそれぞれの将旗を立てるというものだ。
それに曹操が便乗し、より高い場所に旗を立てた者に報奨を与えると宣言したことだ。
文若の顔を潰すまいと思ってその場で異論を唱えはしなかったが、こんなことならしっかりと反対しておけばよかったと思う。
効果の程は理解はしている。
多少は曹操の名を高める効果はあるだろう。
だがそれが必要な事か? と考えれば、そうは思えない。
そもそも我らは朱儁将軍に断りを入れた上で洛陽に兵糧を献上しようというのだ。
この時点で誰が砦を落としたか、なんて明白ではないか。
それなのにわざわざ落とした砦に軍旗をたてまくるなど、朱儁将軍とともにいる諸侯に対する煽りと、金と資財の無駄でしかないように思えてならない。
それだけではない。
「司馬朗様」
「……あぁ」
徐晃は痛ましいようなモノを見る目で敵陣を眺めている。
その瞳に映るのは、夏侯惇らに門を破られたことで心が折れた賊であり、心が折れたところに追い打ちを喰らい今も殺され続けている賊であり、その賊と戦う兵たちだ。
無論略奪を繰り返していた賊に同情の余地はない。
だが賊になった経緯には酌量の余地がある。
彼らの大半は元は罪なき漢の民であった。
彼らが賊に堕ちたのは、偏に役人や太守らの腐敗が原因だ。
一部の政治犯を除き、彼らは追い詰められて、どうしようもなくなったからこそ賊に堕ちたのだ。
その末路がこれ、か。
何度も繰り返すが、賊に同情の余地はない。
たとえここで夏侯惇らに遊び半分で殺されたとしても、たとえここから逃げ出した後に南陽まで地獄の逃避行を行わねばならぬことにも同情はしないし、するべきではない。
ただ、彼らの家族はどうなるのだろうな、と思う。
賊の家族は賊なのか、と。
そのまま死んでもいい存在なのか、と。
徐晃も同じことを考えているのだろう。
稼ぎ頭。というには殺伐しすぎているが、それでも彼らは家に帰れば親や妻や子がいるはずだ。
家族を喰わせる為に賊になった者もいるはずだ。
賊にならなければ身内が殺されていた者もいるはずだ。
そういうのを十把一絡げにして賊として滅ぼすことに違和感を覚えるのは悪いことだろうか?
いや、悪いことなのだろう。
我が妹も言っていたではないか。
戦における要点は5つ。
戦意があるときは戦い。戦えなければ守り、守れなければ退く。
それができなくなったら降るか、死ぬかの二つしかない、と。
彼らは戦うことを選び、そして負けた。
ならばあとは降るか死ぬかしかない。
だが官軍は賊徒の降伏を認めない。
故に残るは死あるのみ。
我らがそれを執行することに是非はない。
それでも、遊び半分で処刑を執行するのが正しいとは思えない。
覚悟があれば何をしても良いというわけではない。
神妙にしていれば何をしても許されるというわけではない。
しかし、物事にはそれに相応しい所作というものがある。
それに鑑みて、笑いながら敵を切り飛ばす必要があるのか?
旗を刺す場所を探しながら敵兵を殴り飛ばす必要があるのか?
なぁ曹操よ。曹操殿よ。貴殿は覚悟しているのか?
遊び半分で子を、夫を、家族を殺された者が抱く恨みの先に立つことを。
文若よ。貴様は理解しているのか?
手柄を奪われ、略奪も封じられた上に面目まで潰された連中がどう動くかを。
そして旗を指す場所を探しながら砦を攻めている諸将よ。
貴様らは理解しているか?
どれだけ圧倒的な勝ち戦であっても、配下の兵に犠牲が出ないなんてことなどありえないということを。
傷を負った兵は思うだろう。あのとき将軍が真面目に戦っていたら自分は傷を負わなかったのではないか? と。
死んだ兵の友や家族は思うだろう。あのとき将軍が真面目に戦っていたら仲間は死なずにすんだのでは? と。
無論、兵とて諸将が本気で戦っていることは理解しているだろう。
だがどこか遊びが混じっているのも確かなのだ。
その部分がある以上、兵は、その家族は諸将を恨むだろう。
方針を決めた文若を恨むだろう。
方針を採用した曹操を恨むだろう。
その恨みがいずれ曹操を蝕む時がくるのかもしれない。
我らはそれから曹操を護らねばならない。
この乱世を終わらせる為に曹操は必要な存在だから。
だが、だがこうも思うのだ。
こうして面白半分で恨みをばら撒くような存在が天下を統べることできるのだろうか、と。
どこかで自覚してもらい、態度を改めてもらわなければならないのではないか、と。
勿論この場で指摘して自覚を促すことはできるだろう。
だが人は勝ちの中では学ばない。学べない。
まして相手は滅ぼすべき賊なのだ。
それを擁護するようなことは口にするべきではない。
また、勝利しているところに冷や水をかけてはならない。
彼女らの中に遊び心があるのは確かだが、命懸けで戦っているのもまた事実なのだ。
そうして勝利を掴んだところに説教をされては面白くないだろう。
士気にも関わる。
なにより今回の件は曹操が認めたことだ。
反論すべき場で反論しなかった俺が口を出してはならない。
それはわかっているのだが、な。
「なんともままならぬものだ」
あぁ、悲しいな。
さっきまであれほど痛かったちん〇が、今はぜんぜん痛くない。
――この日、潁川に集った賊徒は大勢の仲間と共に本拠地を失うこととなった。
戦に敗れたものの、運良く南陽方面に逃げ延びることができた賊たちは、口を揃えて『曹操が如何に悪逆な存在なのか』を仲間たちに伝えたという。
オリ設定1:荀彧の提案で各将が敵の砦に軍旗を立てることになった。
オリ設定2:曹操は一番高いところに旗を立てたら褒美を出すと宣言した。
オリ設定3:諸将は戦闘中にも拘わらず先を競って高い場所を探した。
前回同様恋姫設定です。
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