準備期間を含めて二か月後に兗州の刺史になることを決意した曹操は、着任すると同時に命じられるであろう賊討伐の命令に対応すべく、これまで「今の自分には関係ないから」とおざなりにしていた兗州内にある各郡の情報を集めることにした。
と言っても、今までも文若や彼女が連れてきた人員が根回しのついでに必要最低限の情報は収集していたので、政治的な情報は求めていない。
今回曹操が求めたのは軍事的な情報だ。
とくに、刺史であった劉岱が青州から来た賊に討ちとられた地、泰山郡に於ける賊の数や分布の状況である。
「私たちは宗室にして前任者である劉岱様の敵討ちを最優先で行わなければならない。でも、それはそれとして州全体を見る必要もあるわ」
「道理だな。差し当たっては泰山、否、山陽郡か」
「えぇ。賊が暴れている泰山郡よりも、政治的に混乱している山陽郡を重視しなくてはならないかもしれないわね」
次いで行われたのが、兗州刺史やその取り巻きが失われたことで混乱状態にあるであろう山陽郡の情報であった。
山陽郡は兗州の州治所(県庁所在地のようなもの)が置かれている地である。
そこが混乱したままでは州の統治に差しさわりがあるし、なにより洛陽には山陽郡が混乱していることを理由に曹操を責め立てようとする人間がいるのはわかっているので、こちらもすぐに対処する必要があった。
そこで曹操は、自分が新たな州刺史になるという内示が出ていることを理由にして腹心である夏侯淵に楽進・于禁・李典の三人と三千の兵を預けて山陽郡へ派遣し、現地で狼藉を働いている賊を討伐するよう指示を出した。
「書類仕事はその後でもできる。取り急ぎすべきことは今も民を苦しめる賊を討伐して武威を示すこと。違うかしら?」
「その通りだ」
着任してから数か月で前任の仇討ちと治安の安定化に成功する。
新任の刺史としては十分すぎる功績だろう。
民も喜ぶし曹操の立場も盤石となるのだから、異論などあろうはずがない。
並行して曹操は夏侯惇に曹仁と曹純及び軍勢五〇〇〇を預け、泰山郡の隣である済北国へ向かわせた。
彼女には泰山郡に向かう途中にいるであろう賊を討伐しつつ、現地での情報収集をするよう指示を出したわけだ。
泰山郡にいる賊の数が夏侯惇でも対処できると判断できる規模であれば、そのまま攻め入って賊を滅ぼす。
賊の数が多くてどうしようもないと判断したら、夏侯惇らはこれ以上賊の行動範囲を広めぬようけん制に専念。
その間に曹操自ら他の地域を完全に平定した後で夏侯惇に合流し、兗州の全軍で以て賊を殲滅する。
曹操はだいたいこのような感じの計画を立てていた。
「これで最低限の仕事は果たせるわ。あとは状況次第ね」
「そうだな」
予定通りいけば刺史に着任したあともそれなりに上手くいくと思われた。
しかし予定は未定とはよく言ったもので……。
―――
「夏侯淵殿の下に豫州沛国の相から使者がきた、だと?」
「……えぇ。今の相は陳珪という人物なのだけれど、彼女から援軍を要請する使者がきたそうよ」
なんで州を跨いでくるかねぇ。権限の問題で面倒ごとになるから正直関わりたくないのだが。
「豫州は潁川の件でガタガタなのはわかるのだが……同じ豫州にあり沛国と隣接している汝南にいる袁家の連中は何をやっている?」
確かに山陽郡は沛国と隣接しているが、基本は同じ州内で片付けるものだろうがよ。
なんのための州刺史だと思っているんだ。
「もちろん刺史や袁家にも援軍は要請したようだけど、期待はできないそうよ」
「まさか断ったのか?」
名家として名声を重視する袁家が同輩からの要請を断るとは思えんのだが。
「いえ、正式に断ったわけではないわ。ただ今の袁家には援軍を出す余裕がないの」
「それは何故?」
四世三公の家と謳われる袁家には、莫大な力と財力がある。
それこそ陳留一郡の太守でしかない曹操では及びもつかないほどの。
その袁家に余裕が無いとはどういうことだ?
「なんでも何進からの要請で、袁家で雇っている戦に使えそうな人員の大部分を麗羽が洛陽に連れて行ったらしいのよ」
「……なんと」
洛陽絡みか。それではどうしようもないな。
確か豫州潁川と荊州南陽の他に冀州鉅鹿にも大規模な集団が確認されたんだったか。
それで、何進は冀州を敵の本拠地と判断し、それを討伐するため諸侯に兵を出すよう求める予定だったらしい。
袁紹には勅令が正式に発令される前に何進か洛陽にいる親族を経由して内示が出ていたのだろう、彼女はそれに従っただけだ。
それはわかった。袁家が意図して沛国を見捨てたわけではないことも理解した。
しかしその結果、我々に皺寄せがきているのはどうかと思わなくもない。
まぁそれもこれもこの時期よくあることと言えばそれまでだし、なによりこちらはこちらで「他の州のことなど知らん」と言えばそれで終わる話なんだよな。
本来であれば。
実のところ今回に関して言えば、我々、というか曹操は援軍要請を断ることができない。
何故なら援軍を要請してきた相手が豫州沛国の相、つまりは曹操らの出身地を治める人物からの依頼だからだ。
当然沛国には曹操の知り合いや親類縁者が多数いるだろう。
それを見捨てることはできないのである。
道義的にも、実利の上でも。
儒教が蔓延るこの国は、基本的に法よりも孝徳を重視する時代なので法を理由に親類縁者を見捨てることができない。
それをやった時点で曹操の評判は地に落ちることになるからだ。
評判が落ちるだけではない。
沛国の賊を放置した結果被害が拡大してしまえば、出身地とそこにいる身内という地盤まで消失してしまうことになるのだ。
それなら現在山陽郡にいる夏侯淵を向かわせればいいのでは? と思うかもしれないが、そこにも問題がある。
「現在秋蘭が率いている軍勢はあくまで山陽郡を鎮めるための軍勢だから、秋蘭をそのまま豫州へ行かせるわけにはいかないのよね」
これだ。基本的に公私混同となる行為はできるだけ控えねばならないのである。
孝徳を重んずる上に、中抜きなどは好き勝手やるくせに軍事に関してだけはおざなりにできないのだから、実に面倒な時代だと思う。
いや、面倒なのは他人の行為を監視してしたり顔で評価を下す儒家連中なのだが。
「だから向こうには私が行くしかないわ」
「そうだな」
法のこともそうだが、自分の親類縁者を自分で助けに行くのは理に適っている。
これなら儒家の反対もないだろう。
ついでに向こうで豫州の刺史とかに絡まれても曹操本人が行けば対処できる。
もちろん曹操自身の能力も問題ない。
理と利の両面から見て、曹操が出れば万事解決するだろう。
というか、曹操が出ないと解決しない問題だ。
難点があるとすれば、曹操が抜けることで陳留の政が滞ることくらいだろうか。
まぁその辺は文若が上手くやるだろう。
あとは俺がどこに配属されるか、だが。
「沛国には栄華と季衣と流琉を連れて行くわ。貴方と徐晃は万が一に備えて待機していて頂戴。私がいない間に何かあったら貴方の判断で出撃してもいいわよ」
「了解した」
俺は留守居役か。
留守を預けるほど信頼されていると思えば良いのか、それともここに残って司馬家が推薦してきた人材を監督しろと言われているのかは微妙な所ところだが、フリーハンドで動けるのは悪くない。
もし俺が出撃しなくてはならなくなった場合、一人残されることになる文若が大変なことになりそうだが、まぁそうなったときはそうなったときだ。
未来の文若に期待するしかない。
弱音を吐いたら「数か月の留守も守れず何が荀家の神童か」とか言って煽れば馬車馬のように働くだろうしな。
俺は俺で無理をしない程度に頑張るだけだ。
――そんな感じで留守を守ること一か月と少し。
夏侯惇や夏侯淵が頑張ったおかげか、陳留では大規模な賊が発生することはなかった。
当然俺は一度も出撃することなく、もっぱら城内で文若と難民を使った開拓についての打ち合わせを行う日々であった。
その間に曹操は山陽郡の賊と戦っていた夏侯淵と合流して沛国に入り、あっさりと沛国周辺の賊を一掃した。
目的を果たしたのだからそのまますぐに戻ってくるかと思ったら、何を思ったか曹操は沛国方面から泰山郡に侵攻し、東から泰山郡に入った夏侯惇とともに賊を挟撃。そのまま泰山郡に蔓延る賊を討伐してしまった。
正直やりすぎと思わなくもないが、ここの刺史になるのは俺ではなく曹操なので、自分の所領に蔓延る賊を滅ぼそうとした彼女の判断に文句を言うつもりはない。
予定していた以上の捕虜を持ち込まれたせいで一時文若が倒れそうになっていたが、それもまぁ風物詩のようなものなので問題なし。
暫くは文官仕事に励もうかと思っていたところに曹操らが帰還してきたので、留守の間にあったことや他の地域の情報を伝えるために文若と共に曹操の執務室へと向かうこととなった。
「文若は論功行賞が先だと思うか? それとも曹操殿が刺史に任命されてから論功行賞を行うと思うか?」
「……難しいところね。論功行賞はできるだけ早く行うのが望ましいけれど、陳留の太守である華琳様が賞するのと、刺史になった華琳様が賞するのでは同じ褒賞であっても価値が違うもの」
「うむ。理想は今の段階で一度、刺史になってからもう一度行うことだ。だが曹操殿の性格であれば報酬の二重取りは行わないから、論功行賞は一度しかできん。そういう意味では、武功になる泰山の賊は刺史になってから滅ぼして欲しかったというのが本音ではある」
「……いくらあんたでも、華琳様の決定に文句をつけることは許さないわよ」
「過ぎたことに文句は言わんよ。意見具申はするがな」
違い? 本人の受け取り方だな。
「屁理屈を……まぁいいわ。華琳様、桂花です。司馬朗と共に報告に参りました」
なんやかんやで執務室へ到着である。
わざわざ文若が俺が同行していることを告げたのは、ここで俺の存在を明確にしておかないと曹操がお楽しみの最中だったときに困るからだな。
「入りなさい」
「はっ」
「失礼する……む?」
どうやらお楽しみではなかったらしい。
俺にとっても曹操にとっても不幸な事故は起こらなかった。
それは良いことだ。良いことなのだが……。
「あの、華琳様、そちらの二人は?」
文若が見つめる先には、見覚えのない二人の女性の姿があった。
「報告を受ける前に紹介するわ。豫州沛国の相・陳珪とその娘の陳登よ」
「陳元龍です! よろしくお願いします!」
一人は褐色と青い髪とメガネ(この時代にメガネがあることについてはもう突っ込まん)が特徴的な健康そうな少女だ。
露出も普通(ミニスカは諦めた)なので、特に問題はない。
問題はもう一人の方だ。
「陳漢瑜です。華琳様にお仕えすることになりました。これからよろしくお願いしますね?」
青い髪は娘と同じ。だが同じのはそれだけだ。
なんだその胸部装甲とそれを強調する服は!
なんだその生足とそれを強調する服と紐は!
しかもこの見た目で陳登の親だと?
夫はどうした? まさか……未亡人だとでもいうのか!?
くっ。鎮まれ俺の息子よ!
ここで立ち上がったら、生涯変態として扱われるぞ!
母を、あの厳格な母を思い出すのだ!
オリ設定 陳珪と陳登親子がこの時期に曹操に帰順。
正確には恋姫設定です。
閲覧ありがとうございました。