数千単位の軍勢のぶつかり合いを第三者として見学できる機会など早々ない。それが訓練ではなく、お互いが命懸けで戦う正真正銘の戦となれば尚更である。
簡単なところでいえば、敵の動きに対して将が下す指示や、その指示を出すまでの時間を見れば将の質がわかるし、将に従う兵の動きや、指示が行き渡る速度を見れば兵の練度が伺える。
また、先陣を任されている将と全体を指揮する将との連係を見ることで、軍全体の練度も見ることができる。
見事な動きをするならそのまま参考になるし、未熟な動きをするのであれば反面教師として利用できる。
どちらに転んでも損をしないため、我々にとっては非常に都合の良い教材であると言えよう。
もちろん自分たちが命懸けで戦っているところを見世物のように見られて面白いと思う輩はいない。そのため、こちらもただ見学しているわけではないことを示す必要があるだろうが、今回に関しては敵の逃げ道を遮断したり、さりげなく圧力をかけたりと援護としてみれば十分以上に配慮しているため、戦が終わった後に文句を言われる可能性は極めて低いと思われる(どれだけ配慮をしてもわからない馬鹿もいるので、皆無ではない)
向こうにその『度の超えた馬鹿』という想像上の生物が実在するかどうかは後で判明するので今は考えないことにして。
我々の前方で行われていたのは、確かに数千単位の軍勢のぶつかり合いであった。
それだけであれば特に問題はなかったのだが、ここで一つの問題が発覚してしまう。
「片方は黄巾の賊だけど、問題はその賊と戦っている方よね。官軍ではないようだけど……」
「うむ。一部を除いて装備が貧弱すぎる」
所属は旗を見なければわからないが、装備を見れば相手が官軍か否かは一目瞭然である。
「自警団、いえ、義勇軍、でしょうか?」
「可能性はあるわね」
「数千単位の義勇軍か。ぞっとせんな」
楽進らがそうだったように、官軍以外でも黄巾と戦おうとする者たちはいる。
しかしながら、そういった者たちは大半が自警団として、自分たちが住む街や近隣の邑を護るために組織されているものだ。
彼らはその性質上、補給に難を抱える傾向にある。
もちろん自分たちの街を防衛している最中であればその限りではないが、軽々に賊の討伐などできるような余裕などない。
さらに、基本的に兵士となる者は若い男、つまり労働力として欠かせない人材である。
故に彼らは、戦わなくて良い敵と戦って数を減らすわけにはいかないのだ。
そのため彼らは自分たちが住んでいる街や近隣の邑を防衛するために見回ることはあっても、積極的に賊と戦うことはない。
まして敵が数千単位の賊ならば尚更だ。街に籠って防衛することに専念しようとするだろう。
自警団にとって大事なのは街の防衛であって、賊の首を取ることではないのだから。
賊だって数千単位の自警団が籠る街を攻めようとは思わないはずだ。
彼らにとって重要なのは物資を得ることや、官軍を打ち倒すことであって、自警団と死闘を繰り広げることではないのだから。
それ以前の問題として、数千単位の規模となった賊を討伐するのは官軍の仕事である。
確かに冀州も他の地域と同じように賊によって荒らされているのだろうが、鄴郡はそれほど荒れてはいない。
つまり官軍でも十分対象できるはずだ。
……もしかしたら賊を恐れた官吏が義勇軍に戦わせたという可能性もないわけではないが、そもそもこれからここ冀州には黄巾の本拠地を叩くために何進に集められた諸将が続々と乗り込んでくることになっている。
その誰もが武功を求めていると考えれば、現時点で県令や郡太守が義勇軍に数千単位の賊を討伐させる理由がない。
よってまともな官吏であれば、義勇軍に解散する(もしくは官軍の指揮下に入る)よう命じるだろう。
それを拒否された場合は、賊が街を襲わぬよう都市の防衛に専念させるはずだ。
もっと言えば、県令や太守の命令に従わない数千単位の軍勢が当たり前に存在していること自体がおかしい。
一体全体冀州の統治はどうなっているのだろうか?
「冀州の統治について思うところが無いとはいわないけど、今は眼前の戦よ。賊が約五〇〇〇程度で、もう片方、面倒だから義勇軍ってことにするけどそちらが三〇〇〇程度。数の上では賊が勝っているようだけど、優勢なのは義勇軍の方みたいね」
「そのようだな。勝敗を分けているのは率いている将の差、か」
「でしょうね。あの黒い髪を靡かせた武将が先陣を切ることで敵を翻弄しているようだけど……」
「無駄の一言に尽きる」
「えぇ。そうね」
将による単騎駆けが悪いわけではない。
問題なのはその将に兵が付いていけていないことだ。
ウチの陣営で言えば夏侯惇も似たようなことをするが、彼女の場合は己が鍛えた兵卒やそれを率いる夏侯淵や曹操を信用して突っ込んでいるのであって、闇雲に突っ込んでいるわけではない。
しかし向こうの将は違う。アレは兵を信用しているわけでもなければ、後ろで指揮を執っている人間を信用しているわけでもない。
ただ『己の武があれば賊程度何とでもなる』と思って突っ込んでいるだけだ。そこに連携の文字はない。
まともな目を持っているのであれば、前線で勝手気ままに暴れる将に褒めるところはない。
むしろあれを補佐するために必死で兵を動かしているであろう指揮官に哀れみさえ覚えるだろう。
「夏侯惇殿と文若を組ませればアレと同じようなことがおこるやもしれんな」
「……ちっ」
兵の質が違うので一概に同じことになるとは言えないが、おそらく似たような感じになるだろうと思われる。
「尤も、あれが義勇軍と考えれば、あれだけの将と兵との間に差が生じるのも仕方のないことではあるのだけれど」
「官軍だろうが義勇軍だろうが自警団だろうが兵を信用していない時点で将としては無能だぞ」
「……そうね」
どれだけやれても所詮は一人なのだ。できることには限りがある。
事実、俺とて向かってくる賊の首を取ること自体は難しくない。
しかし逃げる敵を追って全滅させるのは不可能なのだ。
故に、あの黒髪の女の暴走を暴走で終わらせぬよう兵を動かしている指揮官こそ、義勇軍を勝たせている要因と言えよう。
「なんにせよ、戦の終わりは近いぞ」
「えぇ。ここまでくれば両軍とも私たちの存在に気付いているでしょうから、これからは官軍を敵と認識している方が崩れるわ」
両方崩れたら面白いが、さすがにそうはならんやろ。
「賊が崩れたとしても、数に劣る義勇軍が逃げる賊を全滅させることはできん。夏侯淵殿たちの活躍が期待できそうでなによりだ」
相手が義勇軍であれば、戦闘の前に懸念していたようなことにはなるまい。
むしろ、賊が逃げた際のことを考えていなかった向こうの指揮官に対して叱責しなければならんだろうが、その辺は曹操に任せよう。
「あの黒髪の将、ウチに来てくれないかしら? 私たちなら上手く使えると思うんだけど」
「なっ!」
「勧誘したいのであれば好きにすればいい。ただ、見た感じ夏侯惇殿とは相性が悪そうだし、文若とも相性が悪いだろうから、使いどころは考えねばならんぞ」
「……貴方との相性はどうかしら?」
「悪いだろうな」
「あら、即答?」
「理よりも私情を優先するような人間とは合わん」
夏侯惇? 彼女は曹操を優先することが最も合理的だと確信した上で依存しているからな。
結果として曹操が間違えない限りは合理的なのである。
また、夏侯惇は曹操の命に逆らわない。
仮令激昂しても、曹操に諫められれば止まるのだ。
だが、あの黒髪の女が唯々諾々と曹操に従うようには思えない。
万人が納得する義や理を用いて反論するのはいい。
だが情に従って主君に背くような人材は組織にとって害悪でしかない。
そういう意味では文若もそうなのだが、彼女は感情的な部分はあれどその主張には一定の理があるし、なにより書類仕事や人材の斡旋によって結果を出しているので文句を封殺できている。
……封殺できているだけで、火種が燻ったままなのはよろしくないが、それも時間が解決するだろう。きっと。多分。
だがここでアレを加えるのであれば、その限りではない。
曹操は新たな火種が陣営の全てを焼き払わぬよう、相当気を遣わなければならないだろう。
そこを自覚した上で陣営に加えると言うのであれば、好きにすればいい。
この陣営の主は飽くまで曹孟徳であって、俺ではないのだから。
「理と情、か。……とりあえず勧誘云々は後にして、まずは向こうの話を聞いてみましょうか。桂花は義勇軍を率いている人物に、こちらに来るよう使者を出しなさい。使者には向こうの陣容を探れる人員を当てること」
「はっ!」
「司馬朗は二〇〇〇の兵を率いて賊を追撃してもらうわ。秋蘭や柳琳にも指示を出して頂戴。一人も逃がさないようにすること。いいわね?」
「御意」
会談の前に賊が滅ぶ様子を見せつけることで曹操軍の怖さを義勇軍に示す。ということだろうな。
あまり物騒なのはどうかと思わなくもないが、主がそれを望むのであれば是非もなし。
「いくぞ、徐晃」
「はい、司馬朗様」
賊徒死すべし、慈悲はない。
冀州の賊どもに曹孟徳が軍勢の恐ろしさを知らしめてくれるわ。
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