ここに来るまでに捕えた賊を尋問した結果知ったことだが、どうやら張角というのは二人いるらしい。
より正確に言えば【人を集めた張角】と【漢に反逆した張角】の二人が存在するようだ。
このうち【人を集めた張角】とは、旅芸人をしていた張角・張梁・張宝という三人姉妹の長姉であるそうな。
彼女たちは、演劇だか歌劇だかよくわからんが、ともかく娯楽のない時代に娯楽を提供したことで熱狂的なファンを生んだらしい。
で、彼女らの下に集った熱狂的なファンを自分の思想の為に利用しようとしたのが【漢に反逆した張角】である。
漢の転覆を狙ったものの洛陽で捕まった 馬 元義 なる賊や、潁川で敗れた波才。
一時は南陽を制圧したものの、後に根絶やしにされた 張 曼成 なる賊を操っていたのもこいつの仲間に分類されるだろう。
洛陽で情報収集に当たっていた妹曰く、連中の腕は国家の中枢たる十常侍にまで及んでいたというのだから驚きだ。
旅芸人如きにそこまで根回しできるはずがないと考えれば、この【漢に反逆した張角】こそ、我々が討伐すべき敵と言えよう。
実のところ上記の情報はこれまで不確定な情報だったのだが、この度黄巾側から降伏の使者がきたことでそれが事実だと判明した。
そのことを教えてくれた降伏の使者曰く『自分たちはどうなってもいい。でも天和ちゃんたちは助けて欲しい』とのことであった。
そこで「天和とは誰のことだ?」と尋ねたところ、それが三姉妹の長姉である張角の真名であることが発覚。
つまり、ここにきてようやくその天和とやらが【人を集めた張角】であることが確定したのである。
で、なぜ今さらになって賊が降伏を申し入れてきたのかと言えば、なんのことはない。
事ここに及んで、ようやく一時の熱狂で暴走したファンの頭が冷えたのだ。
冷えた頭で周囲を見回してみれば、自分たちが暴走したせいで推しのアイドルが大罪人として指名手配されている状況である。
そりゃ熱狂的なファンならば己の身を挺しても護りたいだろう。気持ちは理解できなくもない。
だが彼らの降伏は受け入れられない。
意図的なのか、それとも利用されたのか不明だが、彼女には数十万の民を集めて、それを暴走させた責任というものがあるからだ。
せめて黄巾が潁川や南陽で勝っていたときに降伏していたら【人を集めていた張角】は助けられたかもしれないが、ここまで追い込まれてから降伏したのでは、どうしても説得力がない。
いくらファンが『彼女は悪くない』と言っても、責任転嫁としか思われないだろう。
そもそも諸侯に『逆賊張角を討て』という勅命が下っている。
当然【人を集めた張角】はその対象だ。
とはいえ、実際のところ、旅芸人を庇うだけだけなら簡単……とまでは言わないが不可能ではない。
その辺のファンに張角として死んでもらって、その首を【漢に反逆した張角】として渡せばなんとかなる可能性はある。
だがしかし、それが有効なのは『張角に関する事実を知っているのが我々だけの場合』に限られる。
大前提として『賊滅の曹操』と恐れられている曹操のもとに使者を遣わすほど追い詰められた連中が、皇甫嵩や孫策に同様の使者を出さないことがあるだろうか? いや、ない(反語)
我々以外にも張角が二人いることを知っている人間がいるのであれば、張角の首が一つしかなければ【人を集めた張角】が死んでいないことは既定の事実となる。
そしてもし曹操が、生き残った張角を抱え込んで民草の慰撫や労働力の確保に利用したらどうなるだろうか?
【人を集めた張角】を匿い、利用していることが判明すれば、曹操は殺すべき逆賊を匿った罪を以て逆賊とされてしまうだろう。
それどころか、最悪の場合「曹操こそが黄巾を操っていた黒幕だ」なんて言われる可能性まである。
では隠せば良いと思うかもしれないが、自分のために利用しないのであれば勅命に反して賊を庇う意味がない。
そもそも隠し通せるとは思えない。
名前を変えればいい? それで、集まったファンたちから情報が漏れないとでも?
共通点を見つけられないとでも? いくらなんでも官吏を舐め過ぎだ。
あと、他人の足を引っ張ることを生きがいとしているような連中もいるしな。
それらの連中のせいで曹操が勅命に反したことが判明した場合どうなる?
考えるまでもない。賊を匿った逆賊として討伐対象にされてしまうだけだ。
利用しない賊を匿って逆賊にされることに何の意味があるというのか。
つまり【人を集めた張角】とは、利用すれば勅命に逆らって逆賊を匿ったことが判明する厄介者であり、利用しないのであればただ逆賊を匿ったという汚点にしかならない。
どちらに転んでもアウトな存在でしかないわけだ。
為政者としての視点を持つ曹操からすれば旅芸人という身分で数十万の民を熱狂させただけでなく、兵として動員することができたという事実に興味があるようだが、さすがに今回は駄目だろう。
足場を固めるべきこの時期に賊の頭目を陣営に引き入れることなどありないし、あってはならない。
「曹操殿には敵が多い。州牧となったばかりのこの時期にわざわざ付け入る隙を与えるべきではない。だから曹操殿よ。【人を集めた張角】を利用しようとするのは諦めろ」
「……そうね」
「華琳様……」
心なしか肩を落とす曹操と、それを見て「お労しや」と嘆く文若の図である。
このまま話が終わればそれで良かったのだが、ここで終わらないのが曹操という人物なのだろう。
「……彼女たちがそのまま利用できないのはわかったわ。それについては諦めましょう。でも」
「でも?」
「せめて有効に活用したいわ。だってせっかく得た貴重な情報よ? このまま放置するのは勿体ないと思わない?」
「気持ちはわからんでもないが……」
貴重な情報を無駄にしない。否、できない。
これを”策士の悪癖”と窘めるべきか、それとも”情報の重要性を理解している”と褒めるべきかは微妙なところである。
個人的には策士の悪癖に分類されると思うのだが、このご時世使えるものを最大限活用するという姿勢は間違っていない。
しかしながら今回得た情報の使い道は極めて限られているわけで。
「使うと言ってもな。張角が二人いることで得られるモノなんざ武功以外にないと思うのだが?」
もう少し前なら別の使い方もあったかもしれないが、この期に及んではどうしようもないだろう。
「……武功が増えるのなら良いことだと思うけど?」
「普通ならそうだ。しかし曹操殿は武功を求めていまい?」
「まぁ、そうね」
単純に、賞金首が二つになると考えれば悪いことではないのかもしれない。
しかし曹操が張角の首を取ってしまうと、ただでさえ曹操を敵視、もしくは危険視している連中から注目を集めてしまうし、なにより彼女たちの熱烈なファンが敵に回ってしまう。
他の群雄と違ってこの場での功績を求めていない曹操からすれば、得られる利よりも損が勝る。
もしくは曹操のように隠れて利用しようとした群雄がいた場合、それを告発することができるのだが……敵の足を引っ張るためだけに賊を生かすのも違う気がする。
というか、曹操の気性からしてそのようなコスい真似はしないだろう。
どちらにせよ言えることは一つ。
「まず張角が二人いることを皇甫嵩将軍に伝える。それと【人を集めた張角】が旅芸人三姉妹の長姉であることも隠してはいけない。これは絶対だ」
向こうもすでに知っている可能性は高いが、情報を共有すること。もっと言えば『曹操もこのことを知っている』と伝える必要がある。
もし知らないのであれば尚更、世に流布している【いかにも悪人らしい顔をしたおっさん】だけを張角として扱わないよう釘を刺さねばならない。
そうすることで周囲は曹操に勅命を果たすつもりがあることと、功績を独占するつもりがないこと。
さらには、張角を隠しだてするつもりがないことを理解するだろう。
何をするにしても、すべてはここからだ。
「他の諸侯に功を回せ、と?」
「結果的にはそうなるな」
「それで、私が得る利はなにかしら? まさかこの情報のおかげで利を得た諸侯が私に恩義を感じる。なんて言わないわよね?」
「まさか。連中が曹操殿に恩義なんざ感じるはずがない。むしろ『馬鹿正直に真実を公表したせいで、本来は得られたであろう功を取りこぼした阿呆』と曹操殿を嗤うだろうさ」
「んな!?」
「そうね。それで?」
「功を競う諸侯には嗤われるだろう。だが皇甫嵩将軍からは『情報と功績を独占しない律儀者』という評価を得られるはずだ」
逆に言えば、この状況で曹操が得て利益になるものなんて風評くらいしかないともいえる。
いや、結構重要だな風評。
「『律儀者』ねぇ。この場合は無欲な阿呆。もしくは情報を活用できない愚物と評されるのではないかしら?」
「そうやって侮ってもらえるなら尚良し、だな」
「……へぇ」
「司馬朗! 黙って聞いていれば、アンタ! 華琳様がその辺の雑魚どもに侮られても良いというの!?」
「警戒されるよりはやりやすいだろう?」
「はぁ!?」
「桂花、少し黙りなさい」
「か、華琳様?」
「三略に曰く『謀は密なるを貴ぶ』。孫子に曰く『兵は詭道なり』。何も知らない阿呆どもが勝手に私を侮るのであれば、それを糺す前に利用するのも兵法。そういうことでしょう?」
流石は曹孟徳。誇り高いことと忍耐力がないのは同義ではないことを正しく理解している。
「うむ。王は侮られてはならない。しかし新米の州牧でしかない今ならいくらでも侮られてもいい。大事なのはその後だろうよ」
前世に於いて、俺が武功を上げる前は俺や亡き母を侮る者はいくらでもいた。
貴族どころか、市井の民でさえそうだった。
辺境の領主などそんなものだ。
それらの侮蔑に一々キレていては話が前に進まないではないか。
無論、舐められたら殺すという意見も間違っているわけではない。
もしも目の前で舐められたら報復するべきだ。
しかし、陰でこそこそと噂話をしている程度の連中に目くじらを立てる必要があるか? と問われれば……。
「そうね。私としても立場がある。だから無条件に侮られることは受け入れられない。でも、それが必要な策というのであれば飲み込むわ。それくらいの度量はあるつもりよ」
「結構なことだ」
そうだ。考えを改めない連中は後で殺せばいいのだ。その時まで嗤いたいやつには嗤わせておけばいい。
自分を侮って警戒を緩めたところを殴り倒してわからせる。それだけの話ではないか。
……まぁこのような考えにたどり着けたのは、今世の母上や妹に懇々と説教されたおかげなのだが。
そう考えると、前世に於いて自分の尻拭いをしてくれたアナスタシア様やアスターテ公には随分と迷惑をかけたんだなぁと思わないでもない。
まぁ前世のことだから時効ということにしておこう。大事なのは今ここで曹操を納得させることだし。
「股婦(この世界の韓信は女だった)を嗤う者は股婦に討たれる……いや、今回曹操殿は誰の股下も潜っていないから、この言いようは不適当か?」
喩えは微妙だが、言いたいことは伝わるだろう?
我慢だよ、我慢。将来のために一時の屈辱に耐えるのだ。
「ふふっ。股婦を嗤う者は股婦に討たれる、か。言いたいことはわかるし面白い表現だと思うけれども、確かに少し違うかもしれないわね」
「そうか。それは失礼した」
「あら。別に構わないわ。言ったでしょう? 言いたいことはわかるって」
「そうだったな」
今更説明するまでもないことだが、股婦の語源となったのはこの世界でも名将として名を馳せた英雄・韓信である。
しかしながらチンピラの股下を潜ったとされる当時の韓信は、素行が悪い、貧しい、武力がない、甲斐性がないと散々な状態だった。
それに対して、曹操はそのどれにも該当していない。
しいて言えば素行(より正確に言えば夜の私生活)にだらしないところはあるものの、甲斐性がないわけではないからな。
だから股婦の故事を以て我慢を促すのは微妙に失礼にあたると言えなくもないわけだ。
そんな、ある意味失礼な喩えをしてしまったわけだが、曹操としては己を国士無双の英傑である韓信に喩えられたたことに不満はないようで、心なしか機嫌がよくなったように見えなくもない。
「股婦。確かにそれは、でも……」
あとは何とも言えない表情を浮かべている文若だが、彼女の説得は俺よりも曹操に任せたほうが早いし確実だ。
「桂花。ここは考え方を変えなさい」
「考え方、ですか」
「そうよ。私は貴重な情報を無駄にしたわけじゃない。私からの情報を得られなければ武功を立てることもできなかったであろう哀れな諸侯に正しい情報を施してあげたのよ」
「施し……た、確かにそうですね!」
単純か。いや、ここで口を挟んでもしょうがないから別に何も言わんけど。
「もとから知っているなら、私の狙いが奈辺にあるのか探るでしょう。自分が施しを受けたことを知る程度の頭があるのであれば、自分が独力で正しい情報を得ることができなかったことを悔いることはあっても、私を嗤うことはないでしょう。つまり私を嗤うのは、己が施しを受けたことを自覚出来ない阿呆か、施しを施しと認識したうえで利用しようとする無知蒙昧にして忘恩の徒となるわ」
無知蒙昧にして忘恩の徒。凄い……表現だ。
「なるほど! 今回の施しは、諸侯の能力と人品を見定めるための一手になるということですね!」
「そう。だから桂花。貴女がするべきことはここで憤ることではない。わかるわね?」
「はい! 情報を得た際に諸侯がどういう反応をみせるか、それを見定めます!」
「えぇ。それによって、もとから正しい情報を得ていた諸侯と、そうでない諸侯の見分けを付けるわ。その上で新たに情報を得た諸侯がどう動くかを見て、その器を量る。それが貴女の仕事よ」
「はい! お任せください!」
「いい子ね。ご褒美は先払いであげようかしら?」
「か、華琳様……」
ふむ。俺の考えつかないところまで考えているようでなによりである。
やはり面倒な頭脳労働はこの二人に任せておけば問題はないな。
とりあえずの方針が固まったことを確認した俺は、なにやら百合百合しい雰囲気を醸し出し始めた二人の邪魔をしないよう、クールに陣幕を後にするのであった。
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