「さて、皇甫嵩将軍はもちろんのこと、貴方が警戒していた孫策でさえも大した情報を持っていなかったわけだけれども……これについて何か申し開きはあるかしら?」
申し開き、ねぇ。
「特にないな」
「はぁ!?」
ぶった切るような俺の返答を聞いてトサカにきたのか『ひゃっはーこれから弾劾裁判だ!』と言わんばかりの笑みを浮かべていた文若が変な叫び声をあげた。
文若の気持ちはわからんでもない。
傍から見たら開き直ったようにしか見えんからな。”せめて反省の色は見せろ”と思うのも理解できる。
しかしながら、俺に弁明しなければならないようなことは何一つとして存在していない。
当然、原告兼裁判官である曹孟徳もそのことは理解している。
結局、先程の言葉は当てつけというか、八つ当たりに近いモノでしかないのだ。
普段の曹操であればこのような無駄なことはしないのだが、さしもの彼女であっても今回ばかりはガス抜きが必要になったのだろう。
まぁ、如何に優秀でも彼女はまだ17か18くらいの少女でしかない。
感情が先走ることだってあるだろうよ。
「……そこまで堂々とされては何も言えなくなるわね」
「そうか? もう少しなら付き合うぞ?」
「はぁ……」
これはあれかね? 自分が疲れていることと、大人げなかったことを自覚したか?
俺としては、ヴァリ様が突発的に叫ぶようなモノだと思えば困惑や怒りよりも『普段から自分を律している彼女も年頃の少女なんだなぁ』と安堵する気持ちが湧いてくるくらいだから問題はないのだが。
あとはアレだ、戦場ということで夜に好き勝手出来ないことでストレスが溜まっていると見た。
ここ最近は敵に備える関係上、武官は朝だろうが夜だろうが気を抜くことができないからな。
実際、もし奇襲を受けた際に夏侯惇や夏侯淵の気が抜けていたり、立てないくらい疲れていたら話にならんし。
また『奇襲を受けたとき、裸だったので陣頭に立てませんでした』なんてことになったら、いい嗤い者になってしまう。
ついでに『大将が夜な夜な幹部といかがわしいことをしている』となると部下への示しがつかないので、ここ最近自粛しているそうな。その分ストレスも溜まっているのだろう。
それらの鬱憤を晴らすためなら、日頃から特別扱いされている割に大した仕事もしていないことを自覚している身としては、多少は我慢してやろうと思うのだ。
あくまで”多少”だが。
俺の我慢の限界値に関してはさて置くとして。
本題は曹操が先ほど述べた通り、皇甫嵩や孫策が黄巾賊の情報を持っていなかったことに対するあれこれである。
「真面目な話、俺が連中を過大に評価していたのは確かだ。しかし我々には事前に想定していた通りの、否、想定以上の収穫があった。ならば特に問題があるわけではあるまい?」
「まぁ、それはそうなんだけどね」
「これを曹孟徳に告げることは、孔子に論語、孫子に兵法を説くようなものであることは自覚している。だが、敢えて言おう。逃がした魚の大きさに拘泥しても意味はないと」
論ずるべきなのは”何故逃がしたのか”であり”今後同じようなことがあったときどうすれば良いのか”を論ずるべきなのだ。
よって俺の主張に間違いがないことは確定的に明らかである。
文若からは『お前がいうな』みたいな視線を感じるが、きっと気のせいだろう。
「言っていることは間違っていないわ。私もそうあるべきだと思っている。でも……」
「でも?」
「なんだか釈然としないのよ。敢えて言葉にするのであれば『損をした気分』とでも言えばいいのかしら?」
「あぁ」
これまた気持ちはわからんでもない。
流石に今回は予想外が重なり過ぎたからな。
今回の一件について細かく話を聞いたところ、事前に予想していた通り皇甫嵩将軍の下には――孫策の下には行っていなかったが――降伏の使者が訪れていたそうな。
しかし皇甫嵩将軍は『賊徒と話すことはない』と言って問答無用で処刑したらしい。
賊徒と交渉しない。確かに官軍の将としては正しいのだろう。
しかし、だ。それならそれで、使者としてきた賊を捕えて情報を搾り取ればいいじゃないか。
それがなんで問答無用で処刑することになるのか。これがわからない。
いや、まぁ、名家の連中が賊の話を聞くかどうかなんて考えるまでもないと言われたらその通りなんだが。
結果として皇甫嵩将軍は賊の情報を何も持っていなかったらしい。
情報がなくても擂り潰せるだけの戦力差があったが故の油断慢心だな。
もちろん細かい情報があった方が味方の被害は少なくなるということは理解していたが、そこまで重要視するような情報があるとは考えていなかったそうな。
だがしかし。降伏の使者はなにより重要な情報を持っていた。
それが【人を集めた張角】に関する情報である。
曹操からの情報提供がなければ”自分が本当に討伐しなければならない相手を見逃していた可能性が高かった”ということを自覚した皇甫嵩将軍は、己の視野の狭さを悔いると共に貴重な情報を提供してくれた曹操を高く評価した。
これだけで当初の目的は果たされたと言えるだろう。
ちなみに、ナニカやらかすだろうと見ていた孫策はナニをしていたかと言えば、なんと彼女は【漢に反逆した張角】の傍に人を忍ばせていたそうな。
その副次効果として、砦の大まかな見取り図や兵の配置情報などを得ていたらしい。
当初向こうはそれらの情報と我々が持つ情報を交換しようとしていたらしいのだが……向こうからやってきた陸遜とやらは、自分たちが持つ情報と曹操が持つ情報の間にある差を知って愕然としたそうな。
孫家的に極めて貴重にして極めて重要な情報を携えて来たにも拘わらず、こちらがそれ以上の情報を持っていたため情報を交換するどころか一方的に施しを受けることになった彼女は、顔面を蒼白にしてお帰りになった (許褚談)とのこと。
”そうな”とか”とのこと”を繰り返していることからもわかるように、俺はこの会談に参加していない。
『わざわざ警戒している相手に隠し玉を見せる必要はない』という曹操の一言によって、その場に居合わせることはできなかったのだ。
隠し玉という評価はどうかと思わないでもないが、使者としてきた陸遜を見た典韋曰く”色白でお胸がすごく大きな人でした”とのことだったので、その場に居合わせなくて良かったと心からそう思っている次第である。
息子に優しくなさそうな女こと陸遜が顔面蒼白となった理由も見当がつく。
孫策陣営は優秀な密偵を通じて多大な情報――曹操が得た情報に比べれば少ないものであったが皇甫嵩将軍や他の諸侯と比べれば格別といえるだけの情報――を得ていたし、なによりその優秀な密偵を張角の命を狙える場所に潜ませることに成功している。
これによって相当なイレギュラーが発生しない限り、今回の戦に於ける武功の第一功は間違いなく孫策が搔っ攫っていたであろう。
だが、現実は甘くなかった。
今回はその”相当なイレギュラー”が発生していたのだ。
それも【標的が違う】という特大のイレギュラーである。
どれだけ凄腕で在ろうと、所詮は数日前に潜入した密偵でしかない。
そんな密偵が、標的から目を離さないようにしつつコソコソと探った程度で得られる情報と、最初から向こうに篭っている連中――それも幹部――が推しを救うために自発的に話してくれる情報では、その量にも質にも比べ物にならないほどの差があった。
そのせいか孫策は【人を集めた張角】の存在を知らなかったし、砦の明確な見取り図を持っていないため物資の貯蔵施設の場所や貯蔵量、さらには抜け道の存在も知らなかった。
もしこちらが黙っていたら【漢に反逆した張角】はまだしも【人を集めた張角】には逃げられていたこと請け合いである。
これだけでも問題だが、何より問題視されるのが大まかであっても内部の情報を知りながら武功を独占するために秘匿していたという事実だろう。
張角の傍らに暗殺者を潜ませていたことも含め、皇甫嵩将軍にとって面白いモノではない。
これらの事実が明るみに出た(そうしなければ張角を討ち取っても孫策の武功が認められない可能性があった)ため、孫策は戦闘前から評価を落とすこととなっている。
この分では【漢に反逆した張角】を討ち取ってようやくプラスマイナスゼロといったところだろうか。
命懸けで働いても功績が認められないなんて、悪夢としか形容できない状況である。
これでは顔色の一つも悪くなろうというものだ。
ご愁傷様。しかし悪いのは使者の陸遜ではない。
総大将である皇甫嵩将軍に対しても大事な情報を隠していた君の主君が悪いのだよ。
そんなこんながあって、現在。
皇甫嵩も孫策も、もちろんその他の諸侯も大した情報を持っていなかったことを知った曹操が「今回は必要以上に情報を吐き出しすぎたんじゃないか?」とか「もっと上手く隠していたら三姉妹も利用できていたのでは?」などと考えてしまい、なんか損した感じになったのだろう。その結果こんな茶番が催されたという流れである。
一言で纏めると、あれだ。”策士の悪癖”が再発したのだ。
でもなぁ。
「気持ちはわかる。だが、それらに関しては初めから”今回は武功よりも風評を得る”と決めていたではないか。ならば損した気分に浸るより、孫策らがやらかしたおかげで相対的に曹操殿の評価が高まったことを喜ぶべきだろうよ」
その方が建設的だし、健康的だと思う。いや、まじで。
閲覧・感想・誤字報告ありがとうございます。
一応次で黄巾は終わる予定です。