私は今、冷静さを欠こうとしている。
「喰らえ!」
「……ふむ」
開始の合図と共に春蘭が七星餓狼で斬りかかるも、あっさりと回避された。
その手に持った大剣で防御をしたのではない、避けたのだ。それも、いとも簡単に。
「ふっ! はっ!」
初撃を回避したというだけでも驚きなのだが、それがまぐれでなかったことは何度も振り回している攻撃が一度も当たっていないことが証明している。
「なるほど。この程度か。これでは徐晃が手を抜くよう忠告するのも道理だな」
「なっ!」
思わず口をついた独り言なのだろう。
私たちに聞かせるつもりはなかったのだろう。
もちろん春蘭を煽るつもりなど欠片もなかったはずだ。
だが、結果としてその呟きは間違いなく春蘭の耳に入った。
入ってしまった。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
繰り出される攻撃は全身全霊にして必殺必中の一撃。
「姉者っ!」
訓練だということさえ忘れているのだろう。その勢いは真剣そのもので。
司馬朗に死なれては困るということを理解している秋蘭が思わず声を上げる程の攻撃だった。
それは普通なら助からない。それなりの武人、それこそ華侖や柳琳でも大怪我するだろう一撃だった。
「確かに早いし無駄がない。良い一撃だ。だがそれ故に読みやすい」
でも彼には、司馬朗には届かない。
「馬鹿な……」
「で、今ので終わりか?」
「なぁぁめぇぇぇるぅぅぅぅなぁぁぁぁ!!!」
春蘭ほどの武人であれば、どれだけ頭に血を昇らせていたとしてもその攻撃が歪むという事はない。
故にその攻撃は流麗にして激烈。
上から切り下ろす。
横から凪ぐ。
斜め下からカチ上げる。
私でさえ防ぐことができないと断言できる勢いの連撃を繰り出す春蘭。
「ふむ」
でも、届かない。
「避けるな! 当たれ!」
「当たれと言われて当たる阿呆はいないぞ」
「なん……だとっ!」
「貴公は敵にも同じことをいうつもりか? 攻撃が当たらないから当たって下さいと」
「くっ!」
視認することさえ難しいはずの春蘭の連撃をいとも簡単に回避するだけでなく品評した上で説教までする余裕がある?
しかもそれをしているのが男?
そんな存在がこの大陸にいたなんて、想像したこともなかった。
さらにその説教の内容も的を射ている。
己の攻撃を避ける敵に向かって「避けるな。当たれ」などと叫んだところで何になるというのか。
勢いで押しつぶせる相手であればまだしも、純然たる実力差のある相手にそんなことを言ったところで己が技量の不足を露呈するだけだ。
……彼は今の春蘭が及ぶ相手ではない。
それがわかってしまう。
そして春蘭が及ばないということは、私たちの中の誰もが彼に及ばないということで。
ギリッ。という音を立てたのは誰の口か。
私の中にある武人としての矜持が叫び声を上げるのが分かる。
「アレこそ頂。武を学ぶものにとっての目標」
そう呟く徐晃の手も強く握られていた。
「まぁ、こんなものか」
「くっ!」
何度か行われた攻撃を凌いだ司馬朗の動きが変わった。
「貴公の剣は見た。これ以上がないのであれば、そろそろこちらからも行くぞ」
「「「!?」」」
これは……なんという殺気……。
「……か、華琳様」
「……えぇ」
司馬朗は剣を構えただけ。
ただそれだけで私と秋蘭に死を覚悟させた。
傍から見ているだけの私たちでさえそうなのだ。
直接殺気を当てられている春蘭が感じているモノは私たちの比ではないだろう。
「いくぞ」
「……っ!」
真っ青になった春蘭に対して、大剣を持った司馬朗が襲いかかる。
その動きには一切の無駄がなく、あの大剣が決して飾りではないことがわかる。
あの長身から繰り出される打ち下ろしに込められている力は如何程のものか。
回避? 間に合わない。
防御? 潰されて終わりだ。
反撃? できるはずがない。
詰んだ。春蘭の負け……。
あ、いや、そうじゃない!
「駄目! 止まって!」
あの一撃を喰らえば負けるでは済まない。
死ぬ。死んでしまう!
そう確信した私が思わず上げた声が聞こえたのだろうか。
「安心しろ」
春蘭を押しつぶさんとしていた大剣は、ぴたりと音が聞こえるくらい鮮やかに停止していた。
それも春蘭の顔から一寸程度の距離で。
呆然とする春蘭。だけど彼は止まらなかった。
「腹だ。構えろ。歯を食いしばれ」
「え?」
「そいっ!」
「ッッッ!!!」
「春蘭!」
「姉者!」
次の瞬間、すさまじい音がしたと思ったら春蘭が飛んでいた。
え? なに? どうしたの?
なんで春蘭は空を飛んでいるの?
「あ、まずい」
その音が、司馬朗が春蘭の腹を殴り付けたときに発生した音だと気付いたのは、私の横にいたはずの徐晃が春蘭を助けるために走り出した後のことだった。
―――
「ふむ」
殺す気でくる相手に手加減をしろとか、徐晃め中々にハードルが高いことを要求してくれる。
と思わせておいて、実際はそうでもない。
相手がテレメール公やレッケンベル殿であれば話は別だが、今の夏侯惇にはそこまでの威はないし、何より冷静さを欠いているからな。
これが曹操陣営の武官筆頭かと思うと気が重くなるが、まぁまだ子供だからしかたない。
これから成長すると考えればいい。
しかしどうにもこうにも、この時代の武人は攻撃が単調なのよな。
徐晃も最初はそうだった。
ただ重量のある斧で殴りかかって来るだけだったからな。
それで倒せる相手であればそれでも問題はないのだが、技術の欠片もない攻撃が通用するのは格下だけだ。
世の中はそんなに甘くないのである。
尤も。今が古代中国だと考えれば、武術が発展していないのも道理ではあるし、何より個人差の大きい超人に画一的な技術を修得させることに意味がないというのもあるのかもしれない。
故に伝承できるのは基礎だけ。
それ以上は各々が研鑽していくしかない。
それがこの時代における超人の常識なのだろう。
そんな中、俺だけは違う。
俺の魂には前世の母、マリアンヌから与えられた全てが刻まれているが故に。
そして今世の母である司馬防からはこの前世に匹敵する恵まれた体躯と、幼い子供が一心不乱に武を磨く様を黙認してもらった。
二人の母より受けた愛。
それらによって得られた体躯と身心に刻まれた技術は、我流でしか腕を磨くことができなかったそんじょそこらの子供に劣るモノではない。
しかも相手がこれではな。
「避けるな! 当たれ!」
いや、無理。
見てから回避も余裕でできる攻撃に当たってやるほど甘くはないぞ。
もしかしたら防御して欲しいのかもしれないが、それは却下だ。
何故なら武器が傷むから。
前世で使っていたグレートソードのような魔法が込められた武器があればまだしも、残念ながら今の俺が持つ武器はただ鉄の塊。
いや、それなりに貴重な材質を使った上で鍛造されているらしいから鋼の塊かもしれないが、前世のアレに勝るものではない。
にも拘わらず、この大剣は高い。
どれほど高かったかと言えば、請求書を見た母上が思わず二度見するほど高かったと言えばわかるだろうか?
厳格という概念が人の形をとったかのような人物であるあの母上が、一瞬でもギャグキャラのような行いをするほど高価なのだ。
そんな高価な武器を訓練で使い潰すなんてとんでもない。
かと言って一切攻撃しないというのもおかしな話。
なにより夏侯惇は俺を殺すつもりで剣を振るって来たのだ。
そうである以上、負けたときにどうなるかを教えるのは年長者としての務めであろう。
「貴公の剣は見た。そろそろこちらからも行くぞ」
わざわざ告知してやるのだ。
きちんと対処してみせろよ?
そう思って夏侯惇を見てみれば、彼女は新兵よろしく青い顔をして硬直しているではないか。
どうやら今まで死の恐怖というのを味わったことがないらしい。
武官筆頭がこれではいかんだろう。
「いくぞ」
さぁ、味わえ。己に迫る死の気配を。
「駄目! 止まって!」
曹操の声が聞こえるが、俺を一体なんだと思っているのやら。
訓練で殺しはしないぞ。
負けるということがどういうことなのかは理解してもらうだけだ。
硬直している彼女の頭を潰す寸前で武器を止め、懐に入る。
「腹だ。構えろ。歯を食いしばれ」
「え?」
俺の声を聞いてもなお呆然としたままの夏侯惇。
うむ。近くで見ると本気でヤバい片乳だな。
よし。今夜のおかずは決まった。
……あまり見てセクハラ扱いされても困るので、さっさとやることをやろう。
「そいっ!」
握りしめた拳を左斜め下から突き上げる。
アッパーとストレートの間。
スリークォーターからのスマッシュである。
心臓殴りの儀との違いは狙いが心臓ではないことだろうか。
「ッッッ!!!」
ドン! という音と共に夏侯惇が空を飛ぶ。
手ごたえからすれば死んではいないはずだ。
ケルン騎士殿のときはアレクサンドラ殿とユエ殿がケルン騎士殿が死んだと勘違いして必死で蘇生させようと努力したものだが、今回はその必要もあるまい。
ふっ。私も手加減が上手くなったものだ。
それと空を飛ぶ夏侯惇を見て思いだした。
数年前の徐晃も同じように空を飛んでいたということを。
あれ以来空を飛びたいと言わなくなったが、徐晃が抱いていた夢はどうなったのだろう。
一度空を経験したことで満足したのか、それとも思ったよりもつまらなかったから別の夢を求めたか。
「……夢は叶わぬままの方が良いのかもしれないな」
俺は、空中で徐晃にキャッチされて地面に横たわる形となった夏侯惇と、それの無事を確認するためなのか必死で走って来る曹操や夏侯淵のプルプルを視界に収めつつそう独り言ちたのであった。
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