貞々☨夢想   作:カツヲ武士

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6話。つかの間の日常

完敗。完全敗北。

それ以外に表現のしようがないくらいの敗北を喫した春蘭は、司馬朗に対してこれまでの態度がなんだったのかと思えるほど素直な態度で今までの無礼を詫びたわ。

 

「司馬殿! 一手御指南願いたい!」

 

それだけではない。司馬朗から学び取れるものは何でも学び取るため、率先して距離を詰めていった。

 

司馬朗の方は最初から気にしていなかったようであっさりと許したけど、それで春蘭の面目が潰されるということはなかった。

 

むしろ司馬朗の器を見せつける形になったわね。

 

それを受けて、秋蘭も司馬朗との距離を詰めることを決めたみたい。

 

元々彼が持ち込んできた統一書式の恩恵を受けていた秋蘭や栄華は司馬朗に無礼な態度を取ってはいなかったけど、今回の件でさらに垣根が消えた感じかしら。

 

もう少し時間を掛ければ、彼は華侖や柳琳とも打ち解けることでしょう。

 

感覚としては、大きな兄にじゃれつく妹、かしら。

 

嫉妬心なんて沸きようもない、なんとも微笑ましい関係に収まったわ。

 

司馬朗もたくさんの妹がいるからでしょう。

懐いてくる人間の扱いに慣れている感じがするのよね。

 

なんにせよ良かった。

 

こうして思わぬ形で武官と文官の間にあった確執という問題が解消したわ。

 

……それはそれで良いことなのだけれども、問題は司馬朗よね。

まさかあそこまで色々と卓抜した武人だったとは。

見抜けなかった。この私の眼をもってしても。

 

組手の最中ずっと顔を顰めていたのは、彼が思っていた以上に春蘭が弱かったからでしょう。

 

……というか、あの春蘭を子供扱いできる男が存在するだなんて想定できるわけないじゃない。

 

いえ、徐晃からしっかり話を聞いていれば違ったかもしれないけれど、実際に見なければ納得はしなかったでしょうね。

 

事実、そうだったし。

 

というか、最後の攻撃はなによ。

空を飛んだわよ? あの春蘭が。

 

気を失った春蘭が空を舞った瞬間、普通に「死んだ」と思ったわよ。

あれは全力でしょ? あれで手加減をしていたと言うのはどうかと思うわ。

 

そのことを徐晃に伝えたんだけど。

 

「手加減していなかったら殴られる前に剣で真っ二つにされていたかぺしゃんこにされていた」

 

「それはそうでしょうけど……」

 

素手だろうが剣だろうが殺したら同じなのでは? 私は訝しんだ。

 

「司馬朗様は立ち合いの最中に夏侯惇の実力を測って、ちゃんと死なない程度の力で殴った」

 

「空を舞ったわよ?」

 

下手したら死んでいたと思うのだけど?

 

「司馬朗様との鍛錬ならアレくらいは普通。香……私も飛んだことがある」

 

「そ、そうなの」

 

遠い目をする徐晃。

その眼に映るのは過去に見た蒼い空か、はたまた激突する寸前に見た地面か。私にはわからない。

 

「そもそもの話、司馬朗様が本気で殴った場合、相手は飛ばない」

 

「と、いうと?」

 

そもそも人が空を飛ぶのがおかしいのだけど。

 

いえ、その気になれば私にもできなくはないと思うわよ?

だけど、それはあくまで相手が普通の兵卒とかの場合だけ。

 

少なくとも私は春蘭を飛ばせない。

 

でも徐晃が言いたいのはそういうことではなかった。

 

「飛ぶのは力が無駄に分散しているから。真に集中した一撃は無駄を生まない、らしい」

 

「つまり?」

 

どういうこと?

 

「拳の形をした穴が開く。相手は死ぬ」

 

穴って、壁じゃないのよ? 人よ?

いえ、彼からすれば人も壁も同じなのかしら。

 

「そうなのね」

 

「うん。そうなの」

 

なんなんでしょうね。この疲れる感じは。

それが武の極致と言えばそうなんでしょうが、あまりにも頭が悪すぎないかしら。

 

まるで麗羽がたまに提唱する謎理論を聞かされているときのようだわ。

 

いえ、実が伴っているから謎ではないのかもしれないけど。

 

麗羽の高笑いを思い出して頭を押さえる私に、徐晃は追撃を加えてきた。

 

「だから夏侯惇が飛ばされた時点で司馬朗様が手加減してたのは明白。ただ、夏侯惇が空中で気を失ったことは司馬朗様にとっても計算外だったと思う」

 

計算外? でも普通にしていたわよ、彼。

あ、そうか。

 

「そこに気付いたからこそ貴女は春蘭を受け止めるために動いたのね」

 

「うん」

 

殴ったときに死んでいなくても、受け身を取り損ねれば死ぬこともある。

気を失っているときであれば猶更危険だものね。

 

死なないにしても、骨くらいは折れていたかもしれない。

それを彼女が助けてくれた、と。

 

「貴女には借りが溜まる一方ね」

 

今回のことといい兵の調練といい、この借りはどう返したものかしら。

 

「別に、司馬家に返してくれればそれでいい」

 

なるほど。部下の功績は上司の功績というわけね。

滅私、とまでは言わないけど大した忠義だわ。

 

彼女の忠義が私に向くようにしたいのだけれども、今のままでは無理よね。

 

どう考えても今の私よりも司馬朗の方が上だもの。

 

でも私は諦めないわ。いずれ必ず王となる。

その時には司馬朗諸共私の部下にしてあげるわ。

 

そう決心したときだった。

 

「華琳様! 姉者が、姉者が!」

 

「秋蘭? 貴女がそんなに焦るなんて一体なにが……あ、まさかっ!?」

 

まさか、司馬朗が手加減を誤って大怪我をしたんじゃないでしょうね!?

 

 

―――

 

「司馬殿! 一手御指南願いたい!」

 

最近夏侯惇が懐いてくるようになった。

 

懐く方向性が鍛錬に誘ってくるというのが若干血の気が多い気がしないでもないが、それ自体は別にいいのだ。

 

内政官の筆頭である俺と武官筆頭である夏侯惇の仲が悪い(俺としては含むところはなかったが)ことに曹操も頭を悩ませていたし。

 

そもそも武器も同じようなものだから技術的な互換性もあるし、そういう意味でも武の先達として鍛えるのもやぶさかではない。

 

だがな夏侯惇。お前は色々駄目だ。

 

男との距離感を掴めていないのだろうが、軽々しく引っ付くな。

プルプルが当たっているだろうが。

 

もしかして当てているのか?

 

ザビーネ卿でもそんな露骨な真似はしてこなかったぞ。

 

立っているときも痛いが、座っているときだって息子が元気になると色々痛いんだぞ。

 

常に力を加えられている貞操帯の身にもなれ。

 

あと仕事の邪魔すんな。

 

「今は仕事の時間だから無理だな。というか、貴殿もそうだったはずだが?」

 

仕事はどうした仕事は。

 

「我ら武官にとって鍛錬も立派な仕事だぞ!」

 

うん、そうだね。なんて言うと思うか?

 

「貴殿が行うべき書類仕事を夏侯淵殿が代行していると聞いたが?」

 

自分の仕事を人に回すんじゃない。

 

「そ、それはだな」

 

「それは?」

 

「わ、私がやるよりも秋蘭に任せた方が確実で早いからな! 適材適所というやつだ!」

 

はい、アウト。

 

「馬鹿垂れが」

 

「ぐっ! なにをする!」

 

ゲンコツをくれてやれば夏侯惇は恨みがましい視線を向けてきた。

それは夏侯淵がお前に向ける眼だろうが。

 

「今はまだ軍の規模が小さいから問題はない。だが将来的にはどうだ? 武官筆頭である貴殿と武官の次席である夏侯淵殿が常に一緒にいられると思うか?」

 

「うっ」

 

「夏侯淵殿が傍にいないときはどうする? その辺にいる人間にすべての書類を投げ渡すのか?」

 

「……」

 

「軍事機密の漏洩どころの話ではないぞ。そこに悪意がある人間がいれば全軍が危機に陥ることになる。それがわからんのか?」

 

「……」

 

「貴殿が個人の武を高めるため鍛錬に時間を費やすのは大いに結構。なれど将帥として万の軍勢を率いるのであればそれだけでは足りぬ」

 

「万の、軍勢?」

 

「そうだ。その際、曹孟徳が求める戦働きを成すために、貴殿も学ぶべきことは学ばねばならぬ」

 

「華琳様が求める働き……」

 

「うむ。それを成すために余裕をもって学べるのは今しかない」

 

「今しかない?」

 

「そうだ」

 

軍の規模が小さいうちに経験しなければ、規模が膨れ上がったときに対応できんからな。

 

なにせこの時代は古代中国。

当たり前のように万単位の軍勢が編成されるイカれた時代である。

 

そしてこのイカれた時代の勝ち馬が曹孟徳だ。

その陣営に於ける筆頭武官となれば、最終的に差配する兵の数は1万どころか10万を超えるかもしれん。

 

それなのに、数千単位の仕事さえ処理できないとか悪夢と言わずなんという。

 

洒落にならんぞ。曹操にとっても、配下の将兵にとってもな。

 

「……司馬朗殿」

 

「なにか?」

 

「私が、私が間違っていた!」

 

うん。そうだな。

 

「私はもっと華琳様の役に立ちたい!」

 

「そうか。ならば何をするべきかわかるな?」

 

「あぁ、すぐに秋蘭のところに行ってくる!」

 

「それで良い。ちゃんと今までのことを謝るのだぞ」

 

「無論だ! 秋らぁぁぁぁん!」

 

行ったか。

 

これで静かになったな。

さぁ、静まれ我が息子よ。

 

そして仕事を終わらせるのだ。

 

「しししし司馬朗! 貴方、一体春蘭に何をしたの!?」

 

数分後、夏侯惇を送り出して満足していた俺氏の下に、真っ青な顔をしながら夏侯惇を抱えた曹操と夏侯淵が駆け込んでくることになるのだが……夏侯惇が書類仕事をしようとするだけでそんな大事になるなどと、この時の俺には知る由もなかった。

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