ある日、方々から流入してくる難民問題を解決するため職務に励んでいた我々の下に、陳留郡の隣にある済陰郡の太守から賊の討伐に力を貸してほしいという要請がきた。
要請を受けた当初、華琳様は苛政を敷き民を賊に落とした挙句その賊によって領地を荒らされている阿呆の要望を受け入れることに難色を示したが、最終的に同僚である郡太守からの正式な要請を断ることができないと判断し、討伐軍を派兵することを決定した。
そこまではいい。
私としても余計な手間だとは思わないでもないが、その賊をこのまま放置していたらいずれ陳留にも被害が出る可能性があるし、何より今回の討伐を成功させることで将来的に発生する可能性が高い禍根の芽を摘むと同時に、隣の郡太守に貸しを作りつつ華琳様の武名を高めることができるという、少なくとも3つの利点があるのだ。
華琳様は現在、その徳政によって大いに名を高めている。
それは非常に好ましいことだ。
だが、問題もあった。
それは、華琳様の政が完璧すぎるせいで領内に大規模な賊の集団が発生しないため、武功が得られていないということだ。
そのせいで口さがない連中などは「自分たちが苦労しているのにあの小娘は何もしていない」などという的外れな悪評を流布しているらしい。
それを聞いた華琳様は「政の理想は最初から問題が発生しないことなのだけれど、ね」と悪評を垂れ流していた者たちの不見識を笑っていたが、無能者が華琳様を笑いものにしているという事実は私や姉者にとっては耐えがたき屈辱であった。
そんな屈辱に耐える日々もこれで終わる。
隣の郡太守が斃せなかった賊を粉砕するのだ。それも一方的に。何もさせずに滅ぼしてみせる。
その一方的な勝利を以て華琳様は文武に秀でた英傑だと満天下に示すのだ!
そう意気込んで姉者と共に出陣の準備を進めていたときのことだった。
「……秋蘭。これはどういうつもりかしら?」
「え?」
―――
私は激怒していた。
必ずや今回の件に携わった連中を裁かねばならぬと心に決めた。
私は軍務に詳しい。私はこの陳留の太守である。
詩を愛し、美女と戯れてきた。
けれども下衆な連中が向けてくる悪意には敏感であった。
今回の件とは、隣の郡を治めている太守から「自分の郡で発生した賊を自分で討伐できないからなんとか対処してほしい」という、恥知らずな要請が来たことだ。
なんとも面倒なことだけども正式に要請が来た以上は対処しなければならない。
また、この要請に応じることで私にも少ならからぬ利があるのも確か。
故に「対処する以上は完璧に処理してみせる」そう意気込んでいたのも事実である。
そこで私たちは、野を越え、山を越え、数百里離れた場所にいる賊を討伐するための準備をしていた。
春蘭や秋蘭は私以上に乗り気だし、普段は資財や予算の放出を渋る栄華も今回に限っては大盤振る舞いすることを決めていた。
華侖も柳琳もやる気十分で、出陣の時を心待ちにしている。
さすがに全員で出るわけにはいかないので留守居役として栄華を筆頭に司馬朗と徐晃を待機させる予定だけど、賊相手であればこれでも過剰すぎるほどの戦力だという自負があった。
そう、
秋蘭が最終確認のためにと差し出して来た書簡をこの目で見るまでは。
「……秋蘭。これはどういうつもりかしら?」
そこに記されていたのは、私が用意するように指示をだしていた量の半分程度の量しか物資を用意していないという内容であった。
「え?」
「え? じゃないわよ。秋蘭、貴女は今回の討伐を失敗させたいのかしら?」
これは明確な命令違反だ。いや、それだけではない。
「このままでは私の顔に泥を塗るだけではなく、私に付き従った兵たちが死ぬわ。それが貴女の望みなの?」
いかな精鋭であれ、食べるものがなければ飢えて死ぬ。そこには将も兵も、騎兵も歩兵も弓兵も関係ない。
「そ、そんなことは!」
えぇ。そうでしょうとも。
秋蘭がそんな人間であるはずがない。
それは理解している。
もしも秋蘭に対する人物評が違えていたのだとしたら、それは私に見る眼がなかったというだけのこと。
素直に諦めましょう。
そう思っても、どうしても抑えが利かない。
「ではどんなつもりでこの書簡を私の前に差し出したのかしら?」
内容を知っていた上で一言も前置きを置かずに書簡を差し出してきたのだとすれば、何かしらの意図があるはずよね。
その内容次第では納得もしましょう。
もちろん内容次第では処罰するけど。
逆に、自分で内容を確認しないまま私に差し出してきたというのであれば、それは秋蘭の怠慢でしかない。
反乱よりはマシかもしれないけど、秋蘭に対する評価を改める必要がある。
「ど、どんなつもりと言われましても……」
この反応は後者かしら。
残念だわ。
最近は春蘭も書類仕事をするようになったから余裕ができたものね。
そのせいで気が緩んだ?
言い訳にもならないわよ。
「……はぁ」
「っ!」
失望を隠しきれていない自覚はある。
軽々しく感情を表に出すのは王としてよろしくない行為なのだろうけど、今くらいは許してほしいわ。
「自分の眼で確認してみなさい」
「し、失礼します!」
書簡を秋蘭へと投げ渡せば、それを受け取った秋蘭は表情を青褪めさせながら書簡を確認していく。
そして待つこと暫し。
「こ、これは!」
どうやら気付いたらしいわね。
では再度問いましょう。
「夏侯妙才。貴女はどんなつもりでこのような書簡を私の前に差し出してきたのかしら?」
「……」
「無言じゃわからないんだけど?」
「……申し訳ございません」
「何についての謝罪なのかわからないわ」
確認不足を詫びたのか、遠征を失敗させようとしたことが露見したことを詫びたのか。
はたまた能力不足を詫びたのか。
私はどう受け取ればいいのかしら?
「……」
無言で俯かれてもねぇ。
「もういいわ。司馬朗と栄華を呼んできて」
「……はっ」
ことここに及べば、問題は秋蘭一人の問題ではない。
この書簡を見たであろう司馬朗や栄華が何を考えて物資を準備していたのかを知る必要がある。
その内容によっては……。
「覇業の一歩がこれ、か。ままならないものね」
―――
今回の遠征に伴い留守居役である曹洪と出陣前の打ち合わせをしているのだが、どうにも座りが悪い。
それは目の前にいる曹操以上の胸部装甲を誇るミニスカ美少女のせい……だけではない。
「何度考えても解せん」
「何がでしょう?」
「今回の遠征についてだ。とくに用意するよう言われた物資の量についてだな。どう考えても足りんだろう。いや、不足はしていないのだが、なんというか、そうだな。遊びがない」
前世、つまりはポリドロ領の領主であったころから従軍経験のある俺からすれば、今回用意するように言われた物資の数は軍の規模に比べて少なすぎるように感じたのだ。
食糧が足りない軍がどれほど危うい存在なのかを知っている身としては、曹操の正気を疑いたくなる。
「確かに私も少ないとは思いましたよ。でも我々は集めろと言われたモノを集めるだけですから」
「それはそうなんだがな」
今回の件に関しては金庫番として陳留の財政を預かる曹洪も疑問に思っていたようだが、軍部から出された指示書にそう書かれていた以上、勝手な判断はできないと判断したようだ。
確かに俺は飽くまで内政官であり、軍務に関してはノータッチだ。
そして現在軍務を統括しているのは、夏侯淵である。
(武官の筆頭は夏侯惇だが、軍政に関する書類仕事の大半は夏侯淵が処理している)
また、今回の件は隣の郡太守が陳留郡の太守である曹操に救援を要請したために発生した事案である。
つまり今回の遠征には曹操という人間の威信がかかっていると言っても過言ではない。
故に、物資の準備などに曹操の意思が介在している可能性は極めて高い。
あの曹操が、何の考えもなしにこんな指示を出すとは思えない。
即ち何かしらの理由があるということなのだろうが、その理由が読めん。
ポリドロ領の領主であったことであればこんなことは疑問にも思わなかったし、疑問を抱いたとしても「アナスタシア殿下やアスターテ公にはナニカ考えがあるのだろう」と気にも留めなかったのだろう。
だがここには、あの人を喰ってそうな目をした第一王女もいなければ、隙あらばケツを狙ってくる盟友もいない。
今の俺は自分で考え、自分で決めなければならないのだ。
そのための知識は今世の母から与えられている。
その、前世から積み重ねてきた従軍経験と今世で得た軍事に関する知識が囁くのだ。
『このままでは良くないことになる』と。
かと言って今の俺に何ができるというわけでもないのだが。
逆に、もしこれらがただの勘違いだとすればどんなケースがあるだろうか。
一番ありそうなのは、不足分の物資を向こうの太守に用意させていることだ。
面倒ごとを依頼してきたんだからそのくらい要求しても問題あるまい。
これならここから持ち出す食糧が不足していてもなんとかなるだろう。
普通に考えれば曹操の意図するところはこれだ。
では向こうから物資を得られることを前提としたうえで、なお問題が発生するとしたらどんなケースだ?
考えるまでもない。
向こうの太守が出し惜しみをしたり、準備が遅くて向こうが用意する前にこちらの食糧が尽きるケースだろう。
うむ、どちらもありそうだ。
万が一に備えるのであれば、兵糧を積んだ後詰め部隊を用意するべきか?
曹操に提案してみよう。
いや、その前に確認だ。
「ちなみに曹洪は向こうの太守とはどんな人間か知っているか?」
全部俺の考えすぎという可能性もあるからな。
相手の能力や為人を知らないうちに決めつけるのはよろしくない。
「無能な豚です」
「は?」
「無能な豚です」
「男ってことか?」
曹洪も陣営の例に漏れず男嫌いだったもんな。
だが男と言うだけで評価を落とされても困るぞ。
事務処理能力に男女の差なんかほとんどないんだし。
「それもありますけど、根本的に無能なんです。だからこそ大規模な賊が発生したり、その賊を自分で討伐できなかったり、大量の難民が陳留に流れてくるんですよ」
凄い説得力だ。
「……そうか」
全部事実に基づく評価からな。否定もできん。
つまり遠征軍は無能な豚に命運を委ねるということか?
それはあかんやろ。
というか、曹洪はプルプルというよりはフニフニなのな。
性格や嗜好は曹操と似ているが、どうしてこうも違うのか。
そういえば曹仁や曹純も……あ、不味い!
「ぐっ!」
「? 司馬朗殿、いかがなさいました?」
「……いや、なんでもない」
「そうは言われましても……」
上目遣いで「汗が凄いですよ」と言ってくる曹洪のフニフニやチラチラ見える生足のせいで元気モリモリな我が息子が齎す痛みが辛い。
このままでは仕事中に元気になる変態として処罰されてしまう。
なんとかしなければ。
「……栄華。司馬殿。華琳様がお呼びだ。すぐに来て欲しい」
神は、いた。
「秋蘭お姉様?」
曹操と出陣前の最後の打ち合わせをしていたはずの夏侯淵が、留守居役としての打ち合わせをしている俺たちを呼びに来た。
それだけなら「ありがとう! 本当にありがとう!」と全力で感謝を伝えるところなのだが、どうも様子がおかしい。
「秋蘭お姉様、その、大丈夫ですか?」
そう。夏侯淵の顔色がヤバいのだ。
「……私のことなんかより、これ以上華琳様をお待たせするわけにはいかない。急いで欲しい」
「は、はい」
来ている服よりも真っ青に染まった夏侯淵の顔をみた俺は、なにやら彼女たちの間で発生したと思しき面倒ごとに巻き込まれたことを確信したのであった。
……つーか、そんなに急いで前を歩くな。
色々揺れるだけじゃなく、スリットから見える生足と紐が気になって歩きにくくなるだろうが。
閲覧ありがとうございました