ぱちりと目を覚まして、俺はすぐにそこが夢だということを理解した。――いわゆる明晰夢だ。
五感は明確に働いているけれども、今見ている光景がどういうものなのか理解できない。
記憶に連続性がないと表現すべきだろうか。脳みその一部に霞がかかっているようだった。
俺は牢の中にいた。
(なんっだここ……)
牢の中には窓はない。 ただ、なんとなく――理由はないが――そこが高い場所であるということはわかった。
あるものは鉄格子、打ちっぱなしの壁、石の床。食事の差し入れ口。簡易ベッドに毛布、小さな机。牢屋だが意外と広い。
上級監房だ、と脳の隅にある意識が答えを出した。うちの城の、監獄塔の上級監房。
――重罪を犯した上級貴族や、
あるいは王族が放り込まれる場所。
(ここ……『魔国聖女』で細かく描写があった、牢だよな)
全ての罪を明らかにされた悪徳王女ディアナが、入れられた牢。
まったく同じ場所であるかはわからないが、少なくとも似たランクの牢だろう。普通の犯罪者なら、たとえ軽犯罪者だろうと狭い部屋に鮨詰めにされるものだし、貴族の罪人であろうと、実家に力がなければここまで広い牢には入れない。
「珍しくふて寝をしていないんですね」
響いた冷ややかな声に、俺はゆるゆると顔を上げる。――そこで初めて、俺は夢の中の自分の髪が、白金色であることに気がついた。ひどくパサついている髪だった。
次いで肌が乾き、唇が割れていることにも気がつく。頬が粉を吹き、目の下が重たい。背中の下まであるはずの
声の主は、鉄格子の前で静かに立っていた。
身に纏うのは紅玉を思わせる深い緋色のドレス。胸のリボンとイヤリングは、アメジスト色。その上から、長いローブを羽織っている。
――ドレスとアクセサリーは、アインハードと、シャルロットの瞳の色だ。すぐにわかった。
「……シャルロット」
「珍しい。あなたがわたしの名を呼ぶなんて。ここに入れられてからも……いいえ、ここに入れられてからなお、あなたはさらにわたしを貧民、売女の娘と罵っていたのに」
直感的に理解する。
今俺は、『魔国聖女』の正規ルート――処刑への道を辿ったディアナ・リュヌ=モントシャインになっている。
目の前に立つのは強くなったヒロインで、
アインハードと手を取り合って俺に復讐を遂げんとしている人間だ。
「ついに明日が処刑の日です。ディアナ様」
「……」
「結局あなたは、わたしに一言も、命乞いの言葉も、懺悔の言葉も聞かせませんでしたね。
……でも、ベッドの上で毛布にくるまって、わたしのことを見ないいつもに比べたらマシかしら」
シャルロットは
憤りと軽蔑、悔しさと――それから悲しみの混じった視線が、突き刺さる。
「どうしてなの。……どうしてあなたはわたしをそうまで嫌ったの。
アインハード様は、あなたはわたしを妬んだからこそ、苛烈に虐げたのだろうと言ったわ。
ねえ、わたしの何が妬ましかったの? ――あなたは王女だった。家族がいて、味方の宰相がいて、美人で、最上の身分だった! 未来の女王ですらあった。それなのに……どうしてなの?」
だが、知らない。
シャルロットが処刑前のディアナに会っているなんて、『魔国聖女物語』にはなかった。
こんな独白も――。
「こんな、月の神子だなんていう役目が、身分が、あなたにとってはそんなに重要だったの。わたしが誰かに認められるのが、そんなに嫌だったのはなぜ? 娼婦の娘が自分より目立つのが嫌だった、本当にそれだけの理由だったの? 顔立ちの美しさだなんて、人が見れば評価が変わりそうなものに――身分によっては食い散らかされる理由になるだけのものに――あなたは価値を置いていたの?」
あなたは何でも持っていたじゃない、とシャルロットは言った。鉄格子を掴んで、真っ直ぐこちらを睨む。
「わたしは――わたしは、初めてあなたを見た時。
女神様に会ったのかとさえ、思ったのに」
あなたがあまりにも綺麗だったから。
煌めく月白の髪が揺れるのを見て、天上の楽園にいる女神のようだと。
王女という、生まれながらに無欠の存在は、女神のように壮麗なのだと。
――そう思ったのに。
「わたしは……あなたが嫌い。あなたが憎い」
「……」
「でも、きっと……心の底ではずっと認められたかった。初めて会ったあなたへの憧れを捨てられなかった。どれだけのことをされても――」
シャルロットが膝を着く。
瞋恚に燃える宵闇色から、しずくが、一筋、零れていく。
「命乞いをしなさい」
がしゃん、と鉄格子が鳴った。
膝をついたまま、シャルロットが鉄格子を鳴らしたのだ。
「今までのことを謝罪すると言いなさい。一言、あなたを月の神子として認めると言いなさい。頭を下げて、わたしのことを受け入れなさい。
そうすれば。
そうすれば、今からでも――」
「――嫌よ」