私は、ピトーに頼まれ、ほぼ毎日、コムギの側に着いている。
子を宿されるということ、他でもない王の御子。というのは、光栄極まりないことである。
だが、極めて脆弱な人間の身体には、とても負荷がかかるようで、ほぼ毎日、ほとんどの時間をコムギは眠って過ごしていた。
あの日、私たちが王にコムギの懐妊をご報告にあがらせて頂いた日も、私とピトーが、コムギの部屋に入ると、コムギは一瞬だけ目を開いて私たちを確認した。
でも、相変わらずその瞳は、盲いたままなわけだから、あくまで、気配を…私たちの気配だけを認識した様子だった。
ピトーは、すっとコムギの傍らに寄ると、彼女に懐妊の事実を告げていた。
コムギは朦朧とした様子で、「わだスが…?」と呟き、
己の腹部に、恐る恐る手を当てていた。
そして、また、泥のように眠り始めた。
ピトーはその様子を見て、頷くと、再び、私に近寄ってきた。
「シー、これから、彼女が(その時)を迎えるまで、コムギの側に控えていて。ボクも、プフもユピーも、この宮殿の敷地に誰一人として、近付けないように、細心の注意を測り、今まで以上に警戒態勢を強めていく。もちろん、コムギの容態にも、細心の注意を払っていく。それが、ボクらにできる唯一のお役目だからだ」
私はピトーの言葉にコクリと頷いた。
「万全の状態でお二人の御子様をお迎えする。それが…何より重要だから。もし、万が一、彼女の身に何か異変を感じたら、すぐにボクに知らせてほしいニャ。例え、どんな微細な異変でも」
「でも、ピトーが毎日、診るなら大丈夫じゃないの?」
私の言葉に、ピトーはふっと頬をゆるめた。
「何言ってるの、シー?コムギを見つけたのもシーだったし、懐妊の兆候に気付いたのも、シーでしょ。信頼してるニャ」
ピトーは、柔らかく笑った。
そして、また顔を引き締めて言ったのだった。
「御子様を必ず…万全の態勢で」
その言葉に、異論など、あるはずがない。
以降、宮殿では万全の警備、警戒体制が敷かれた。
ピトーは1日に一度、コムギの診療に当たり、それ以外は外部からの侵入者を防ぐべく、宮殿の周囲に円を張り、敷地を護っていた。
プフは、自身の小さな分身を何体もつくり出し、
宮殿内部に散りばめさせ、内部への警戒体制を敷いていた。
宮殿内に残る蟻たちへの牽制も込められている。
万が一、王、及び護衛軍に反逆の兆候を見せたら、容赦なく始末する。
また、コムギの存在と現状については、王と私たち護衛軍だけの機密とし、他の蟻にも情報は閉ざした。
そして、ユピーは王のお部屋のそばで王の警護にあたり、
私はコムギのそばに常に控えている。
コムギは大丈夫だろうかと心配になる程に、よく眠っていた。
時々、ピトーが点滴のようなもので、栄養を補給するだけで、眠ったまま、その小さな身体で中に宿る命を護り、育てている。
とても…神秘的な姿だった。
御子様のご生誕までに、私たち、蟻は世界をつくり変える必要があった。
要はこの、不浄と欺瞞に満ちた穢れた世界は、御子様に相応しくない。
あらゆる不浄が拭われた完璧な世界こそが御子様に相応しいのだ。
だから、私たちは、滞っていた、選別を再開することとなった。
選別の再開を王に提案したのは、プフだった。
選別で、全ての不安因子を排除し、清らかな世界で御子様を
お迎えするというのが、プフの計画だ。
やや、いきすぎた提案だとかんじたのか、王は少し難色を示されたが、プフの意志も強く、選別の再開は近いうちに再開される予定だ。
貧しくて、元の人口もそう多くない。
最初の選別の実験国となった国。
東ゴルトーでの選別を、まずは完了させてから、他国の選別を開始する流れだ。
そして、城を出ていった蟻達の中に、もし、人肉食をしていいる者を見つければ、それも反逆因子のとし、始末の対象とすることにした。
とはいえ、私はコムギのそばから離れるわけにはいかないので、選別に携わることは、発案者のプフが主に指揮をとり、ユピーとピトーは補佐役に回るようだった。
安定期に入ったコムギ。
珍しく、目を覚ましていて、その日は王の居室にて軍儀に興じていた。
「無理する必要はないのだぞ?」
「いぇいぇ。今日は気分がよいですだ!」
王のお言葉に、コムギは大きく膨らんだ腹部をさすりながら
返答した。
ピトーの見立てでは、あと一月程で、いよいよ…ということだ。
母子共に良好な状態。
「久すぶりに…総帥様のお声をこうしてきけて…軍儀ができて…わだス…本当に嬉しいです…」
コムギは、頬をゆるめて、嬉しそうに指で駒を挟んだ。
「そうか…」
王は目を細めて、そんなコムギの様子をご覧になっていた。
何の心配もない。
私たちには、輝かしく明るい未来が待っているの。
なのに…どうして?
われるような頭の痛み…
それから、脳裏に割り込んできたのは…いつだったか、ピトーが腕に抱えていた長髪の人間の雄の生首と、見知らぬ人間の子供な(黒髪の雄)の姿だった…
不吉と絶望の不協和音の中、ピトーのテレパシーが脳裏に届いた。
(シー!)
同時に、目が眩む程の閃光が視界を灼く。
私は勘だけを頼りに、コムギの身体に覆い被さった。
私なんて、どうでもいい。
コムギを…御子様を…!!王を!
どうかどうか…
無我夢中でそれ以外のことは、考えられない。
爆炎がはれ、顔をあげる。
コムギの身体は血に濡れていた。
私の片腕も、先程の閃光による攻撃で、傷を受けた。
けれども、避けきれず、コムギの身体も傷ついてしまっていた。
コムギは王の腕に抱えられていた。
傷ついたコムギを腕に抱かれた王の、その表情。それを拝見しただけで…
王がどれだけ、深い寵をコムギに注いできたか、想像には難くなかった。
この世の誰であれ…王から大切なものを奪い、壊そうとするなんて、絶対にゆるされない。
護れなかった絶望と、悔しさ。この世で唯一無二の方の至高の方にとっての宝を失わせてはならぬ。
コムギも、御子様も風前の灯火の命だ。
だが、消えてはいない。
私は一縷の
望みを掛け、半身に呼びかけた。
(ピトー!)
それにしても…一体、誰だ?
この宮殿の壁や天井。
しかも、王の居室の壁を破れる程の威力の攻撃を仕掛けることができる程の力を持っているなんて…
宮殿を出た蟻たちだろうか。
でも、一般の蟻なら、無理だ。こんなの。
と、なれば…師団長クラスか?
だが…壁の割れ目に佇む存在に目をこらすと蟻ではないことが明白となった。
(…うそ!?人間っ)
そこには、老いた2人の人間の男がいた。