(…あれっ)
てっきり私は、粒子となり、命もそのまま消えるものだと思っていた。
なのに…
自分の姿すらもう形を失い、砂粒より小さな細胞となり、
しかも、その大半がコムギの子宮周りの修復という形で吸収されているのに、私はまだ生きている。やはり、蟻だからだろうか。こんな粒子でも、意志すら失わずいられるのは。
血流の中を滑りながら、たくさんのピトーの「光」を見た。
柔らかな光がコムギの傷つけられた箇所を癒すように包んでいた。
でも…中々、治癒にはまだ時間がかかりそうだった。
傷が深いというのもあるけど…
ピトーの指摘通り、コムギの躰が「弱すぎる」んだ。
きっと。
それは、コムギの生育環境に起因すると思う。
蟻になる前、私は人間だった。
コムギと同じ、とても貧しい國にいて、同じような環境にいたから。
わかるよ。肉体の構成、成長に一番重要な幼少期。
その時期にすら、まともな食事すら摂ったことなかったもんね。
痩せた土地では、作物もまともに育たない。
痩せた畑でとれる小さな芋が主食だった。
奇跡的に川で小魚が獲れたら、それをスープにして食べたりするのが、唯一のご馳走だった。
いつも空腹。
鈍色の景色の中で、限りなく脆い内臓や骨のまま、コムギも私も年だけ重ねた。
高い精神性とは裏腹に、脆い肉体。コムギ自身の自己修復能力が極端に低く、ピトーの力でも治癒が難航している。
ああ、コムギが生まれた國がもっと豊かであれば…
いや、東ゴルトーで生まれていたとしても、コムギの身分が食事に困らないような高位であれば…
もっと強い肉体を持つことが可能だったかもしれないのに!
そう考えると、悔しくてたまらなかった。
けれど…
もし、コムギが他の國に生まれていたり、あの國の他の身分だったら、あの方と巡り会うこともなかったのだろうか。
だとすれば、運命は数奇で必然には誰も逆らえない、流れの気がする。
駒でしかない私だけど、あの方とコムギは結ばれるべく、結ばれたのだと…確信しているのよ。
だから…
(ねぇ、お願いよ…)
あとの願いは思考にするのも、言葉にするのも難しかった。
それでもきっと…
願いこそが力になると信じ、私はピトーの力に自分の力を重ねた。
柔らかく光って癒していく。
きっとうまくいく。
瞬く間に、コムギの胎に辿り着いた。
翠色の壁。
それは私の細胞からできたもの。
その壁ごしでも、御子様が放つ力の強さと神々しさが、もう、溢れ出すように伝わってきて、私はもう、歓びと感動で
いっぱいいっぱいだった。
尊くて…美しい、輝くような命。
こんな、輝きに出会えるなんて…
目の眩むような幸福に、魂が震える。
お顔は見えないけれど…
(父君と、母君どちらの面影を宿してお生まれになるのかしら…?)
そんなことを考えると、幸せでたまらなかった。
ああ、でもお生まれになる時は、この胎も胎を守る私の細胞の壁もさすがに消失するから、さすがに私も死ぬかー。
お顔を拝見させて頂きたいけど、それは叶わないのね。
でも、ピトーやユピーや、プフは拝見できるのよね。
ああー、なんだかちょっと悔しいし、すごーく羨ましい…くすん。
ちょっとだけ、落ち込んだ時に、落ち込んでいるような状況がゆるされないような事態が…起きようとしていた。
呪詛のようにつきまとう。
長髪の人間の雄の幻影。
たかが、残滓の分際であるのに!
それから、それとは別の人間。まだ子供。
単なる人間が発するとは思えない、「怨」の念。
あきらかな殺意が私たち、「蟻」という存在に向けられていた。
「死」が迫る。
蟻の殲滅の儀符が視えた気がした。
私は必死に、その不吉な駒の並びを脳内から払い、届かぬとわかっていても、祈るように半身に呼びかけた。
(ピトー…!)
コムギを護って。
叶わないかもしれない。
でも、どうか生き延びて。
例え、生き延びることが敵わずとも…
コムギと王だけはどうか…
それは祈りであり、願いだ。
死神の嗤い声がする。
どちらかの命が喪われるのは必然。
だが、私たちは決して詰むわけにはいかない。
最期の戦いが始まろうとしていた。