(…うわっ)
痛みはない。
けれども、もう、ご生誕間もない御子様が胎内で、最後に摂る栄養として、私の細胞をすごい勢いで吸収していくのがわかった。
外界で、何が起きているか…
なんとなくわかる。
明確に、声が聴こえるわけではないが…
人間共が、慌ただしく、動く気配がする。
おそらく、「パーム」、彼女が用意した医療チームがコムギの出産までのサポートにあたるのだろう。
もう、大丈夫。
そう思うと、あたたかな気持ちになった。
(…やったよ。ピトー、ねぇ、私もすぐそっち行くね)
形すらなくなった、私だけど、最期の意志だけは残っていた。
そして…その中で過去なのか、現在起きていることなのか、わからない、泡沫のような世界を視た。
「…王ーっ!!!」
ユピーの不吉な咆哮が聴こえたと思ったら、涙で顔をグシャグシャにしたプフの顔が見えた。
だが、その顔を醜いとは思わない。
己の命より、尊い、高尚な存在が喪われる可能性がある、極めて危機的な状況で、冷静を保てるはずがない。
私も、記憶と時間の螺旋が視せてきた、王のお姿が現実に起きたことは、とても考えられなかった。
黒く咲く薔薇が醜悪に嗤っていて、王の命を貪っていた。
灰色の岩しかない、荒れ地で四肢を失い、瀕死の王のお姿を見つけた時、ユピーとプフの絶望と苦しみはどれほど、深かっただろうか。
私も、王のそのお姿を視た時には苦しくて苦しくて、何も考えられなかった。
しかし、ユピーもプフも王が「生きている」と、その事実のみに注視し、即座に判断を下していた。
さすが、護衛軍の精鋭である。
プフは自らの細胞を使い、王の救命にあたり始めた。
瀕死だった王に、生気が戻り始める。
もう、それだけで希望に満ちてくる。
そして、プフに感化されたユピーが自らの細胞を液体に変化させ、王に捧げた。
王に、力が命が漲っていく…!!
ああ、なんて、輝かしく美しい光景だろう。
よかった。本当によかった!御子様は、母親も父親も喪っていない。
この世で最も尊い、父と母と共に栄華を極めるような道を歩まれていくのだろう。
そう考えると、もう、どうしようもない程、歓びがこみあげてきて、己の総てが浄化されていくようだった。
そして…王はふと、なんでもないようなことのように、二人に最も重要なことを告げられた。
それは、王がご自身の母君から賜ったという、他でもない
王ご本人の御名であった。
その名をきき、魂が震える。
我らが、唯一の王よ!
実体はもうない。
だけれど、この最後の最期の時にでも、私は、いいえ、私たちはこの方に平伏し、命も何もかもを捧げたくなってしまうのであった。
あらゆる、栄誉と栄光は全ては王の為。
ああ、輝く世界。
貴方様がこれから治める世界は、どれほど素晴らしいものに、なるのでしょう。
メルエム様…肉体は滅びても…魂だけでも、貴方にお仕えすることができましたら…!
が、その願いは叶わない。
次に王が発したのは、こちらが思ってもいないようなことだった。
「プフ、ユピー、お前たちはもう余のもとを去れ」
先程まで、歓喜に満ちていたプフとユピーの表情が、かたく、凍りついた。
「…何故、そのような…」
親に捨てられた赤子のような表情で、プフがかすれた声で言葉を紡ぐ。
「愚問だな。そなた達も気付いておるだろう?余の身体は、既に毒に侵されている。あの、老人の爆弾には毒が仕込まれいてな。全く、人間というものは侮れんな」
そう仰った王の表情は、どこか清々しかった。
王は言葉は続ける。
「この毒は伝染する。この場所も、爆弾の毒により、汚染されている。余はあの老人に完全に敗北したのだ。
単なる敗北者に王の称号は不釣り合いであろう?
だから、お前たちも、もう、余に尽くす必要など不要なのだ」
「…ですがっ!」
再び、プフが言葉を絞り出す。
プフも、ユピーも苦悶の表情で、王の言葉をとても受け入れ難い様子だった。
わかるよ。だって、私達は王しか見えない。
絶対に喪いたくないの。
離れられないし、ましてや、王の命の損失なんて!
「早くこから去れ。お前達にも、毒が伝染る、その前に。
…コムギと生まれてくる子を余に変わり、お前達がこれからは護ってくれ」
王は、強いお言葉で二人にそう伝えた。
「…コムギや、御子様が必要としているのは、メルエム様!
貴方ご自身です。そのことを、どうか、どうかご理解下さい!」
プフが、鬼気迫る表情で王に、叫ぶ。
何かを決意しているのだろう。
「王は、敗者などではありません!命を護る為なら…どんなことでも…できるんです!禁忌だと理解しています。王がお望みでないことも。ですが、ですが…どうか、受け入れて頂きます!」
そう宣言すると、王の返答を待つ前に分裂したプフの細胞達が王の体内に入っていった。
驚く王に、ユピーは「王、ご理解お願いします」と告げると、ユピーの細胞を半ば強引に王に与え始めた。
そこで、視える世界が、一度、途切れた。
それから、また違う世界が流れ込んできた。
「早く早く!」
声でわかった。
パームだ。
パームは防護服を着ていた。
周りに数人の人間がいて、彼らも防護服を着ていた。
場所は、先程の王の場所。
王もプフもユピーも意識を失ったように倒れていた。
「駄目だ。二人はもう息がない」
防護服を着た1人が言う。
「では王だけをー」
パームが他の人間に指示を出していた。
「…しかし、本当に大丈夫かね?」
「大丈夫よ。総ての責任は、私が負うし、貴方達、医師団には迷惑をかけない」
「…信じて大丈夫だろうな?」
「なんの為に、莫大な依頼料を貴方たちに先に支払ったと思ってるの?報酬の分の仕事は果たして」
「わかったよ」
防護服の人間は、しぶしぶといった感じで、王に防護服を着せると、担架に乗せて王を運び始めた。
それからまた、視る景色が変わる。
慌ただしく、複数の人間の医師がコムギを囲んでいた。
「執刀、始め」
声と、同時に光が溢れる。
同時に産声がきこえた。
力に溢れた新しい生命の声…
ああ、なんて、素晴らしい幕開けだろう。
私も、ユピーもプフもピトーも役割を果たせたと思う。
もう、私の命の幕は降りる。
でも、王とその大切な方々が明るい光の世界で生きていけるなら、それでいいの。
最期に、私が王から頂いたのは、御子様の産声という至高の贈り物だった。
こんな幸せな幕引き。
至上の幸福を頂いて、最高の形で最期を迎える。
もう悔いはない。