自分がここに来ていいのか。
迷いの中、ゼノはそこに足を踏み入れた。
係に案内された場所へ行く。
1人の女性が、まだ慣れぬ様子で腕の中でむずがる赤子をなだめようと苦戦していた。
ソファーに座っていた女性は、すぐにこちらに気付いた。
視線が合う。
なんとなく、気まずい。
赤子を抱く腕は鱗に覆われている。
額には水晶のようなものがある。
いわゆる人外に近い存在。
そして、彼女の腕に抱いている赤子も、人間とはいえない。
「会長のご友人ですよね?」
女性からの質問にゼノは曖昧な感じに首を傾げた。
ネテロとは、旧知の仲であるが…
(友人…?)
そういう関係かといえば、違和感がある。
ゼノは訝しい表情を隠そうともせず、女性の腕に抱かれている赤子の顔をのぞきこんだ。
丸っとした小さな体は、人間の赤子のようではあるが、
その顔の造りは蟻の王の父親の面影が強く、生まれてひと月も経たぬというのに、しっかり眼はあいていて、意志すら持っているのでは、という程力に溢れた眼をしていた。
ゼノに覗きこまれた赤子は、むずがるのをやめて、じっとゼノを見返していた。
警戒と好奇の色が混じる不思議な光を宿した眼差し。
既に力の片鱗を見せている。
長くいきてきて、まさか、このような生命に遭遇するとは…
ゼノは、まだ、自分が無知で未熟であると自覚させられたような気がした。
「…あの。すみません。救ったこと、怒っていますか…?
私、どうしても、救けたかったのです。
勝手で申し訳ありません。
そして…会長を救えなくて…」
蟻の子を抱いたまま、女性は頭を下げながら、静かに涙を流した。
ゼノは頭をふる。
「いいや、あんたはよくやってくれたよ。それに、アイツもなぁ…誕生を喜んでるんでないかの」
ゼノは空を仰ぐようにして笑うと、女性の腕の中にいる、
赤子の頬を一度だけ撫ぜた。
そして、後ろに持っていた大きな紙袋を女性に手渡す。
「これ、子の母親が目覚めたら、渡してやってくれ。儂からの出産祝いだ」
受け取る。子の母親、コムギは母体に極力、負担がかからぬよう、帝王切開で出産したのだが、まだ身体は回復せず、出産してから今まで眠り続けている。
だが、そろそろ目覚めるのではないかというのが医師団の見立てだ。
コムギに変わり、パームとビスケが蟻の子の世話をするという不思議な事態が起きていた。
「ありがとうございます」
と礼を伝えようと、顔を上げると老人の姿はもう消えていた。
不意に、その場に足を運びたくなった。
晴れた気持ちのいい天気。
ゼノが辿り着いたのは、蟻の王とネテロが死闘を繰り広げたという、あの、核兵器の実験場だった荒れ地だった。
まだ、爆弾の毒が残っているのを肌で感じる。
砕かれた岩と割れた大地が闘いの苛烈さを物語っていた。
強者たちの全力の死闘の後。
あれほどの実力者と、本気の対峙の機会を持てたネテロが羨ましくもある。
パームの話では、蟻の力を得て、爆発的に自身の能力があがったというのだった。
その中で、ネテロの異変を察し、ここに来たがネテロの骨すら見つけることはかなわなかったという。
変わりに、瀕死の蟻の王に直面し、妻子のことを託されたのだった。
断るべき、案件だと…
そう考える自分もいるのに、蟻の王の魂の崇高さ、そして想いの深さに触れ…
彼女、パームは蟻の子とその母を救うと、独断で決めた。
パームはネテロの命を救えずに悔やんでいたが、仕方ないことだ。
ここに立っているだけで、ネテロが何を使ったのかということがわかってしまった。
(全く…)
ゼノは道の適当な露店で買った安酒の瓶をあけた。
「じーちゃん!」
背後からしたのは孫の声だった。
「キルア!?」
振り返って驚愕する。
確かにキルアは、気配の絶ち方が抜群に上手い。
だが、ここまで自分に気配を気付かせないとは。
そして、なんと、いつもの普段着で防護服すら身につけていない。
「…せめて。防護服をだな」
やや、疲れた様子で肩を落とすゼノ。
「オレ、毒になれてっし。じーちゃんも防護服なんて着てねーじゃん」
キルアは悪びれた様子もなく、毒の蔓延する荒れ地で気持ちよさそうに伸びをした。
「パームが赤子の世話なんて、想像つかねーし、やらかしてんじゃねーかって思って様子見に行ったら、じーちゃんいるし」
キルアは少しだけ、気まずそうに、ボソボソ呟いた。
口下手で不器用な孫だが、思い遣りがある。
そんな孫をゼノは微笑ましく思う。
「盗みぎきとは関心せんな」
ゼノは、安酒を割れた大地に盛大にぶちまけてやる。
ゼノなりの、ネテロへの弔い方だ。
「さっさと行くぞ!」
一刻も早く、この毒の蔓延する大地から、孫を連れ出したくてゼノはキルアの首ねっこを掴むと、瞬く間にその場を飛びたった。
蟻の王の子が産まれて1ヶ月を迎える頃、母親のコムギの意識が戻った。
その報せを受け、パームはすぐに王の子を連れてコムギに面会した。
視えなくてもわかる。
その腕に抱かされた時の、ぬくもりと重みが総てを物語っていたから。
子の方も本能で母親と悟っていたようで、コムギの腕の中で安心したように身を丸めていた。
「ワダす…ワダす…」
強く、我が子を腕に抱きながら、生かされた意味を実感する。
生きていても、なんの意味もないと思っていた。
ずっと。
軍儀で勝ち続けても、からっぽの勝利。目が視えるようになるわけでもなく、家族に認められるわけでもない。
空腹が満たされるのは、ほんのひと時で。
総てを諦めの中で生きていた。でも、変われたのは唯一無二の方との出会いからだった。
何度も、導いて下さった。
根気よく、向き合って下さった。
そして、授けてくれたのだ。
コムギは何度も何度も、我が子の頬に触れ、額に触れ、小さな手を握って幸福をかみしめた。
「…総帥様は?」気になって仕方ないという風にコムギは訊ねた。
コムギの問いに、パームは答えた。
現在、メルエムはコムギが入院していた病院の別の病棟にいる。
肉体、骨も血も深く爆弾の毒に侵されていて、まだ意識が戻っていない。
しかし、王の体内に侵入したプフとユピーの細胞が解毒効果を発揮していて、じきに王の体内からは全ての毒が消え、いつかは意識が戻る。
それは、明日かもしれないし、1年後かもしれない。
護衛軍の死の報せに酷く落胆したコムギであったが、子を抱く姿は母として、妻としての強さが確かにあった。
「ワダす…必ず信じています。総帥様がこの子の顔を見ることができる日がきっとくるって。その日がとても楽しみで…」
盲いた瞳で笑う顔が眩しい。
いつか親子三人で、過ごす日がくるだろう。
その日が早くくればよいと、パームは願った。
完
最後までご愛読ありがとうございました。
コムギの出産に話の軸をおいていたので、原作とはかなり違う流れになりました。
また何かの作品でお会いできれば嬉しいです