初夜要素あり。
苦手な方は回避推奨
目が見えぬ分、他の感覚は優れていた。
だから、わかる。
扉に近付いてくる足音が誰のものか。
こうして、従属の訪れがある日は自分にとっては特別な日。
寝台に腰をかけた姿勢で、指先を動かしてみる。
あの方は、盤上でどんな舞を魅せてくれるだろうか。
そう考えると心が躍る。
本来なら、お会いすることも、ましてや近付くことさえできない、身の上の自分。
今、こうして、至上の身分の方のそばにいられるのは、軍儀があるから。
それがなければ、自分など道の石ころ程度だろう。
軍儀しかない自分。それなのに、自分を邪険にせず尊重してくれているのだ。
だから、精一杯、それに応える。それが自分に唯一できる
忠誠の形。それ以外は望まない。望んではいけない。
なのに、困ったことに、彼女の心にはある願望が芽生え始めていた。
対局者が描く、盤上の世界をそして、対局者の姿を「目」で見たい。知りたい。それが彼女の中にある、唯一の願望だった。
試しに、瞼の辺りに力を入れてみるが、ぴくりとも動かない。
勝負の時、己の瞳は開いていることがあるらしいが、それは無意識で自分には、全く自覚がないのであった。
(…総帥様)
ギュッと膝の上で拳を握る。
同時に、部屋がノックされた。
そして、開かれる扉。
「コムギ、本日も王が対局をと…」
「はいなっ!」
この城の従属の者の言葉が終わる前に返事をする。
寝台の横にたてかけられた白杖に手を伸ばす。胸が高鳴る。
もうすぐ、あの方に会えるのだ。
「じゃあ、行きましょ」
「はいなっ!」
従属の言葉にコムギは元気よく応えた。
白杖で長い廊下を探りながら、従属に続く。
目が不自由なコムギは彼女の姿を知らない。
だが、その声をどこかできいたことがある気がした。
遠い記憶の中にある、あやふやな思い出。
その中にある、誰かの懐かしい声。
それが、誰の声であったのか、どうしても思い出せずもどかしい。
しかし、この「記憶の中の声」に背中を押されると、不思議と活力が漲ってくる。
従属の足音が止まった。
扉を叩く音。
「失礼致します」
どこか、緊張を帯びたかたい声。
その声で理解できる。
もう、あの方は目前にいると。
自然と伸びる背筋。
一つ、深呼吸して息を整える。
ギイっと重い扉が開く音がする。
この世で一番神聖な空間。
そして、誰よりも尊い方がそこにいるのだ。
「手の調子はどうだ?」
あの、烏の襲撃以来、軍儀の際には必ず事前に自分の手のことを気にかけてくれる。
治癒された手はもう、すっかり傷は癒え、痛みなど一切ないというのに。
ここに来るまでは、誰かに気にかけてもらえるような経験などしたことがない。
いつも、邪険にされていた。
それが当たり前で、自分はそういう存在だと自分自身で認識していた。
アカズなんて、邪魔なだけ。
だから、こうして気にかけられると、どう反応していいかわからなくなってしまう。
「…もう、本当に大丈夫です…だ」
あの、鳥の襲撃以来、軍儀のたびに王は何度もコムギの手の具合を気にかけて、言葉をかけていた。
「わかった。では始めようか」
「本日の審判は、いかがいたしましょう?」
「二人でうつ。お前はもうさがれ」
「かしこまりました。」
従属と主君の短いやりとりのあと、従属は部屋を退出し、
部屋には対局者同士、2人だけが残った。
蟻の王が軍儀というものに、興味を示した当初は必ず審判役をつけて、軍儀に興じていたが、最近は2人だけで
勝負に没頭する愉しみ方を覚えてしまい、あえてのこの形で勝負に挑む。
「5-6-8中将」
先に勝負を仕掛けたのは、蟻の王であった。
「2-2-6壁(へき)」
コムギは静かに応えた。
王はぴくりと眉宇を動かし、次の一手をうつ。 互いに静かに、駒と駒を動かしつつ、勝負の世界に没頭していく。
駒を動かす際に、意図せず、コムギは王の指に触れてしまった。
(…あ)
王から、自分に触れてきたのならともかく、王の許可もなく王の身体の一部に触れてしまうなど、ありえぬ失態。
コムギは、すぐさま手を庇おうとしたが遅かった。
王の指がコムギの指に絡んでいた。
冷たい感触。
4本しかない指。
申し訳ねぇですだ。と、伝えたいのに、言葉が出ない。
かわりに、汗ばかりが噴き出てきた。
ドクドクと、自分の心臓の音だけが大きく耳に聴こえる。
触れてみたいと思っていた。
もっと近付きたいと願っていた。
でも、こんな形でこんなに急に…とは、想定外であるし、王に手を握られていること事態があり得ないことなので、どうしたらよいか、わからず、困惑してしまう。
「どうした?コムギ。随分と顔が赤いな?」
想定以上に近い位置で、声がした。
顔は見えないが、ほぼ正面、互いの鼻がついてしまうような位置に総帥はいるようだ。
あわてて、あとずさろうとするが、指を強く絡められていて、微動だにできない。
「…も、申し訳なかったですだ!」
コムギは、しどろもどろになりながら、ますます顔を赤くして謝罪した。
「何を謝る?」
王はコムギの顔を見つめたまま、そう言うと、コムギが
逃げぬように、あいている手で、コムギの腰を引き寄せた。
そして、不思議な色彩のその瞳を覗き込む。
盲いているはずなのに、不思議な色の光が煌めくように灯っていて、淡い美しさを放っていた。
近くで見るのは初めてで、王は興味の赴くままに、その不思議な瞳の魅力に引き込まれるように、じっと見つめている。
コムギは、目が見えないが、あきらかに今、自分に非常事態が起きているような気がして、ひたすら落ち着かない心地だった。
「なるほど。美しいな」
王は簡潔に言葉を述べた。
「…へばっ!?」
何に対しての賛辞か、全く、わからない。
今、総帥の前にいるのは、みすぼらしいアカズだけのはず。
「コムギ、お前の瞳の色彩は実に美しいな」
王はなんともないことのようにそう言った。
ほんの戯れだろうが、自分にまさか「美しい」という形容を使ってもらえるとは思わず、コムギは息をのんで、その言葉を心の中で反芻する。
駄目だ。迷惑をかけたら。
自分の感情なんて、邪魔なだけ。
そう思うのに…
「うー…」
見えない瞳からは、自ずと涙が流れていた。
「どうした?何故泣く?」
王はコムギの腰にまわした腕に更に力をこめ、自らの胸にその小さな身体を抱き込んだ。
コムギは上手く自分の気持ちを伝えられず、ひたすらに嗚咽をこらえようとしていた。
けれども、中々、止まらなくてしゃくりあげてしまう。
コムギは腕の中で、思っていた。
美しいのは、貴方だと。
目が見えなくてもわかる。
軍儀を通して光る世界を幾度となく、見せてくれた。
知りたいと思っても、視えないから、軍儀の中でだけ視れる彼の形。
それだけでも、有り難い、自分にはもったいないことなのに
こうして、自分に触れて、更には抱きしめて、彼が彼自身の姿を自分に伝えようとしてくれている。
「…嬉しぐで」
ようやく、涙をとめたコムギが王の胸から顔をあげた。
王はふっと一つ息をつくと、そのまま顔を傾けてコムギに顔を近づけた。
頬に残る涙のあとを舌出拭い取る。
「…へばっ!?」
何をされたかわからず、声をあげるコムギに王は微笑んだ。
「コムギ、覚悟しろ。今日は軍儀はしまいだ。余の本質、お前に受け止めてもらうぞ」
そう言うと王は、コムギの身体を抱き上げて寝台に向けて歩き始めた。
コムギはただ、黙ってその腕に身を委ねていた。
fine
無限城よかった!!