ウマ娘ちゃんと入れ替わってる!? 作:一般通過トレーナー
「う~ん……」
私ともあろうことか。アグネスデジタルともあろうことか。
いけない。完全に筆が止まってしまった。
午後7時。ご飯もお風呂も終えて日々の執筆をしていたのだが、今日は一つも進まない。
ネタがない訳じゃないけど、描き起こすにはまだまだ構想が練り上がってない。
最近レースに出たばかりで、少し余裕がある今のうちにどうにか進めておきたいのに。
とはいえ何かは仕上げておかないと……それか明日はネタ集めに徹して早めに寝ておく?
「はぁ~、贅沢な悩みですねぇ」
トレセン学園に入ってきてからこんなことは初めて。
外に立っているだけで勝手にウマ娘ちゃんのあれやこれやの方が勝手に舞い込んでくるというのに。
「何かないかなぁ……」
そう独り言を呟いていると、バタンと背後の扉が開いた。
「やぁやぁデジタル君! どうやらお悩みごとのようだねぇ」
振り返ってみてみると、私と同室のアグネスタキオンさんが立っていた。
「あ、あ、タキオンさん、どうかしましたか!?」
若干キョドりながらも何とか返事をする。
初めの頃なんて壊れたロボットみたいになっていたのだから大分成長したものだ。
「いやぁ、最近筆の進みが遅いように見えてね。君のことだから、絵の描写ではなく題材か設定に困っているんじゃないかと思ったんだが」
「え、あ、お――そんな、あた、あたしのことそんなによく見てくれているなんて……デジたん感激~!」
一瞬頭が弾けたかと思った。
光速の貴公子なんて言われていて、常に研究熱心な人がこんなウマ娘ヲタクの自分のことを見てくれているなんて考えたこともなかった。
ただ寮の同室というだけで、こんな幸せなことがあっていいのだろうか。
あぁ、今はただこの幸せを噛み締めていたい――
「――で、どうなんだい?」
「わひゃ!? ご、ごめんなさい! そうです、ネタ切れですぅ~!」
落ち着いたタキオンさんの声で現実へ引き戻された。
せっかく目の前で話をしていただいているのに、別次元へ意識を飛ばすなんて失礼にも程がある。
「そうかそうか。では取引といこう。私の研究を手伝ってくれたら、とっておきの情報をプレゼントしようじゃないか」
「研究、ですか?」
「あぁ、そうとも。とりあえずかけたまえ。ゆっくり話をしよう」
ぎらりとタキオンさんの目つきが変わる。
やばい、めっちゃゾクゾクしちゃう。
これは研究とか興味を持った時に変わるタキオンさんそのもの。
そもそもこんな提案を受けただけでネタができあがったも同然なのだが、タキオンさんに促されるがまま自分の机から共用の机へ移動する。
慣れた手付きで2人分の紅茶の準備をしてくれるのをただ見守る。
最初の頃は手伝おうとしたが、何かこだわりがあるのか手伝わせてくれないので私はいつもこうして見つめているのだ。
コップにお湯を入れ、ティーパックを浮かべた後蓋をして蒸らす。
あとはタキオンさん用の大量のお砂糖が入ったポットを置いて準備完了。
「さて、回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言おう。私と体を入れ替えてくれ」
「あ、はい――今なんて言いましたか?」
生返事してしまってから聞き返してしまった。
何を突拍子もないことを言っているのだろうか。
いやまぁ、そんなことができるのなら願ったり叶ったりだが何とも恐れ多いことだろうと思う。
「良い返事だ。さあこれを飲んでくれ」
質問に答えてくれるタキオンさんではなく、蓋をした私の分のカップを開け試験管の中身を容赦なく注いでしまった。
「ま、待ってください! せめてどういうことかだけでも!」
「……仕方ない。手短に説明しよう」
私の紅茶に細工しながら自分の分はちゃっかり飲む準備をしていたようで、溢れんばかりに砂糖が盛られた紅茶を一口飲んで話し始めた。
相変わらず器用な人ですよほんと。
「私がウマ娘の体について研究しているのはデジタル君も知っての通りだが、ここ最近進みが良くなくてねぇ。なんたって、ウマ娘としてデータを取れるのは私自身のものだけ。モルモット君もいるが所詮は人間だ。どうしてもウマ娘のそれとは少なくない差異が出てきてしまう。彼はよくしてくれているがね」
「はい……それと今回のお話とどう関係が?」
「考えたことがないかい? もしも研究対象自身になることができれば……君の言葉に置き換えると、推しになれたら、とね。それが叶えば全てがわかる、何でもやりたい放題さ! 君には未知の体験を、私は芝ダート共に走る勇者の体でデータ収集、一石二鳥さ!」
この人は頭がおかしい(褒め言葉)のか? 確かに一瞬でもそんなことを考えたことがないと言えば嘘になる。
というか、そのウマ娘ちゃんになりきって作品をセリフを考えたりは日常茶飯事だ。
こくり、と頷くとタキオンさんはにやりと広角を上げる。あ、美しい。
「この薬は対となるセットのものをそれぞれの対象が経口摂取し、同時に睡眠状態になることによって意識の交換を行うものだ。もっとも試したことはないので成功するかどうかもわからないが、君なら問題ないだろう」
相変わらずぶっとんだ製薬技術だ。その腕前があれば世界を牛耳れそうな勢いをしている。
しかし、よりにもよって何で私なんだろう。いつもなら、なんというかこう……
「……タキオンさんのトレーナーさんじゃ、ダメなんですか?」
「……いや、それはまずいだろう。私とトレーナー君となんて……」
おや? タキオンさんのようすがなんか変だぞ?
「私は構わないさ、人間の体というものも一度は経験しても良いとは思う。だが、そうなるとトレーナー君が私の体を使うということだ。それはなんというか……私も女なのだから、こう……まずいだろう」
え、なにそれ。それは一体どういう感情なの?
惚れた腫れたなんて全く気にしなさそうなのに、あのトレーナーさんは嫌なの? 女だから?
待って待って、それってめちゃくちゃ意識してるってこと!? あのタキオンさんが!?
ちょっと頬が赤いけど、タキオンさん今どんなこと考えてるの? すごい信頼関係だと思ってたけどやっぱりタキオンさんとあのトレーナーさんってやっぱりそういう関係ってこと――
「デジタル君、戻ってくるんだ」
「あ、すみません、何も考えてませんよほんとですからデジたんこれっぽっちも思ってませんから」
不埒な考えを捨てるため頭をぶんぶん振り終わると、タキオンさんの顔は元に戻っていた。
うん、気のせいだったかもしれない。じゃないとデジたんの頭爆発して一片の悔い無く昇天しちゃう。
「……まあいい。さあ早く飲んで寝るんだ」
「いや、待ってくださいね。ウマ娘ちゃんに触れるのは禁忌なので、鉄則なんで、推しは見るだけで触っちゃダメ絶対なんで……」
そう、忘れていた。私のモットーはありのままのウマ娘ちゃんを愛でること。
触らない、ねだらない、邪魔しない、これ鉄則。
「その本人になるんだから何も問題はないだろう。報酬は私の体を自由に使って良いということで。無論今後の研究に支障が出るような怪我とかはやめてくれたまえよ」
え、いいの? タキオンさんが言うんだから……いいよね?
「じゃ、じゃあ……いた、だきます……」
震える手でカップを手に取る。これを飲んで寝たらタキオンさんになる? ほんとに?
頭がグルグルしているが、タキオンさんの熱い視線に押されるようにぐっと一息に飲み干す。
味は普通の紅茶だ。砂糖なしだから少し苦いけど、特に盛られたような感じはしない。
「素晴らしい飲みっぷりだ。では、明日は頼むよ」
そう言い、もう一本薬を取り出して紅茶に入れ飲み干すとそのまま布団へ入ってしまった。
「…………」
しばらくあっけに取られてフリーズしていたが、考えたって仕方がない。圧をかけられたような気がしなくもないけど、決めたのはデジたん自身だ。
「……とりあえず、片付けて私も寝ましょうか」
タキオンさんの分も一緒に食洗機へ入れ、電気を消して自分も布団に入ることにする。
飲んだばかりということもあるかもしれないが、体に変化はない。これで本当に入れ替われるのか?
……聡明なタキオンさんのことだから、多分本当にできちゃうんだろうな。人体発光する薬作れるし。
でも、入れ替わるってことは、デジたんの体にタキオンさんが入るってこと?
それは大丈夫なの……かな……
少し不思議な感覚と共に、私は眠りについた。