瞳に宿った炎は消えない   作:Tyler Durden

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第3話 ライスシャワー、お前もか

 

 

 

 微睡みを誘う昼下がり。俺はティーポットで淹れた紅茶を飲みながら、ちまちまと書類にペンを走らせていた。

 映画のワンシーンのような優雅な午後。今日はライスシャワーとの練習もオフだし、ゆっくりと一日を過ごすつもりだった。

 

 そんな俺の計画は、穏やかな空気にそぐわない来客によって壊された。

 

「失礼する」

 

 扉がガチャリと音を立てて開き、静寂で満たされていたトレーナー室に凛とした声が響いた。聞き慣れたシンボリルドルフの声だ。

 

 書類から顔を上げて声の主の方向を見る。目に飛び込んできた彼女の顔は、脳裏に浮かんだ顔と寸分違わぬ厳粛な表情をしていた。

 

「ノックしてよ」

「そう言うな。君と私の仲だろう」

「出た、関係性に胡座をかいた無礼〜! そういうのよくないと思うな僕ぁ」

 

 軽口の応酬を交わす。しばらく無言で睨め合っていたが、お互い10秒も耐えられずに吹き出してしまった。

 

「ハハハハハハハッ! 久しぶりルドルフ! 元気そうじゃん!」

「フフフッ……君こそ腕を上げたな」

 

 友人との久々の再会に柄にもなく心から高揚する。普段はわざと大袈裟に振る舞っている分、純粋な喜びから来る気分の高揚は心地よい。

 

「どうしたの? なんか用?」

「用というほどでもないが……久しぶりに、君の顔が見たくなってな」

「イケメン〜!」

 

 ルドルフが用もなく来るなんて絶対嘘だけど、男前な返しに免じてすぐにはツッコまないでおく。顔が見たくなったって言い分も、一応理由のひとつではあるんだろうし、会いに来てくれた友人にケチつけるのも野暮だしね。

 

「それじゃあ、会いに来てくれたお礼にお茶を出してあげよう。茶葉はアッサム一択だよ」

「では、お言葉に甘えて」

 

 ルドルフはパイプ机に向かって歩き、一番近くのパイプ椅子に座った。それだけの単純な所作さえ洗練されていた。

 

 早速お茶を出してあげよう。ポットを持ち上げて中身を確かめる。よしよし、まだたっぷりある。

 ソーサーの上にカップを置き、あたたかい紅茶を注ぐ。注いでいる間は丁寧に慎重にポットの蓋を押さえる。ものの数秒でカップは魅惑の芳香で満たされた。

 

「はい」

「ありがとう」

 

 カップの載ったソーサーをルドルフの目の前に差し出す。彼女は礼を言ってカップを手に取り、目を閉じて静かに口をつけた。

 

「美味しいな。相変わらず」

 

 茶の腕を褒められて図らずも赤面してしまう。最近は褒められることがなかったから、余計に。

 

「褒めても何も出ません」

「純粋な賛辞だよ」

「……」

 

 根がイケメンなやつは言うことまでこうだ。まっすぐな性根と言い返せなかった事実に、少しの敗北感を覚える。

 

「それで」

 

 照れを隠しながら、机を挟んで対面の椅子に座った。背もたれに凭れかかり、ルドルフを真っ向から見つめる。

 

「何の用?」

 

 問い詰める形にならないように、軽い口調で訊いた。誤魔化しは効かないと思ったのか、ルドルフは小さく息を吐くと、観念して話し始めた。

 

「実を言うと、何かあったのではと思ってね。私のサブトレーナー時代は全く仕事をしていなかった君が、今になって担当バをもったと聞けば、心配のひとつもするさ」

 

 それが本音か。てか昔のことめっちゃ根に持ってるやん。俺が悪いけど。

 

「なるほどねー。他は?」

「……他とは?」

「他にも理由あるでしょ」

 

 たぶん、ルドルフの言ったことは嘘じゃないけど、きっとそれは理由の一部でしかない。俺にはわかる。必ず他にも理由がある。

 俺がそこまで断言できるのは、曲がりなりにも短くない時間を彼女と過ごしてきたから。

 

「ルドルフはね、年中仕事してるし、ダジャレばっかり言うし、俺のことが心配ってだけで会いには来ないの」

「なかなか辛辣だな」

「ほんとのことだろ?」

 

 図星を突かれた彼女とふたりして笑った。俺は気にしてないけどね。それに、彼女の魅力はそんなことくらいじゃ下がらない。

 

「君に隠し事はできないな」

 

 これでも元サブトレーナーですから、とイキりたいところだったが、すぐに平常心を取り戻してしまったので得意げな顔をするだけに留めておいた。

 

「私がここに来たのは、君の担当バであるライスシャワーのためでもあるんだ。先程も述べた通り、君はお世辞にも真面目なトレーナーではなかったからな。君が彼女に真剣に接しているか、監査する目的もあった」

「えぇ……」

「杞憂で済んでよかったよ」

 

 思ったよりマジな理由に絶句してしまった。全然信用されてないじゃん俺。

 

「どこ見てそう思ったの? 別に大したことしてなかったけど」

 

 一番の疑問を投げかける。ルドルフが入室してから現在まで、俺に褒められる点はなかったと思うのだが。

 

「以前の君なら、デスクワークすらサボっていたはずだ。そんな君が自発的に働いているということは、少なからず彼女のことを思案しているのだろう」

「ン〜〜ッ」

 

 判定があま〜い!

 『真剣』の基準がゆるゆるすぎて思わず唸ってしまった。ゴールドシップでも合格が貰えるような基準に意味があるのか、と思いつつも余計な口出しはしない。口、特に軽口は災いの元だ。

 

「私が保証しよう。今の君になら、彼女を任せられる」

「御眼鏡に適ってよかったよ」

 

 どうやら褒められているようだ。とてもそうは思えないが、皇帝に称賛されて悪い気はしない。

 ルドルフは満足げな笑みを浮かると、おもむろに席を立った。

 

「さて、私はまだやるべき仕事が残っているから、そろそろお暇させてもらうよ」

「え、もう帰るの?」

 

 どうやら本当に俺の様子を見るためだけに来たようだ。忙しい中、時間を縫って会う機会をつくってくれたのは嬉しいが、目的を果たした途端に帰られるのは正直傷つく。あと、あまりおしゃべりせず友人と別れるのはシンプルにつらい。

 

 素直な俺は悲哀が顔に出てしまったようだ。聡いルドルフはすぐに俺の悲嘆を察したようで、道端で野良猫に餌をねだられたみたいにばつの悪い顔をした。

 

「そんな目で見ないでくれ。今度は時間のある日に来るから。そのときは君の紅茶と一緒に、とっておきのダジャレを披露し合おう」

「それは別に――」

 

 俺の返答を聞き終わるよりも速くルドルフは部屋から出ていった。せっかちさんだなぁ。ああでもないと七冠は取れないのだろうか。

 

 

 

 またひとりになった。無駄に広いトレーナー室で、誰に聞かせるわけでもなく大きなため息をつく。友人が去った後の孤独は耐えがたいものがある。そう思うのは俺だけだろうか。

 

 哀愁に浸っていても仕方ない。限りある時間を有効に使うため仕事に戻ろうとしたそのとき、再びドアが開いた。ルドルフが忘れ物でもしたのかと思ったが、目に入ってきた大きな耳のおかげで、すぐに入ってきたのは彼女だとわかった。ライスシャワーだ。

 

「失礼します、お兄さま」

 

 なぜトレーナー室に来たのだろう。理由は気になりなるが、先に言うことがある。

 

「ノックしてよ」

「あ、ご、ごめんなさい! あわててて、つ、つい……本当にごめんなさい……」

「そんな謝るか? 全然気にしてないから」

 

 ルドルフとのノリでいじったら倍返しで謝罪された。想定を超えて謝られるとこちらも居た堪れない。

 

「どうした? 練習のことで相談でもある?」

 

 場に流れた変な空気を強引に質問で誤魔化す。我ながら下手なやり方だ。

 

 どういう訳かライスシャワーは反応に困ったようで、俯いて頬を紅潮させていたが、やがて口ごもりながら細い声で呟いた。

 

「お兄さまと、お話したいと思って……迷惑じゃ、ないかな?」

「惚れてまうやろぉ!」

 

 そんなかわいいこと言われたらぁ! 惚れてまうやろぉが! なぁ!

 

「ほ、惚れっ……!」

 

 ライスは漏れ出た大声を遮るかのように、両手で口元を隠した。顔全体がみるみる赤く染まっていった。

 

「冗談だよ」

「え? 冗談――そ、そうだよねっ。ただのジョークだよね。ごめんなさい、ライス、なんだか変な反応しちゃって」

 

 彼女は真っ赤な顔のまま、言い訳で本心を隠してお茶を濁した。お世辞にもうまいとは言えないやり方だ。教え子は指導者に似るのかも。

 

「わかりにくかったかな。ごめん。次はもっとわかりやすいギャグにするね」

「ち、違うよ。ライスの理解力が低いだけで、お兄さまは悪くないよ」

 

 謝罪と反省、改善策を淡々と述べる。まるで「俺は君に興味なんてないですよ?」と言わんばかりに。

 

 一見トレーナーとしてお手本のような対応をした風に見えるが、これは偽装だ。余裕を装ってはいるが、正直なところ俺は照れるライスを見て、彼女にドギマギしてしていた。教え子であるにもかかわらずだ。彼女の恥じらいと期待の眼差しが、俺の庇護欲をくすぐって仕方なかった。

 

 俺は自分に厳しく問いかけた。

 

(一体何のつもりだ? リアルに『教え子に手を出したらトレーナー生活終わるナリ……』なんだぞ? 担当バに手を出して退職したトレーナーなんて腐るほど見てきただろ)

 

 自制しなければ。藪をつついてブラックマンバを出すのは御免だ。決意を新たにした俺は、冗談はしっかりふざけた雰囲気をつくってから言おうと心に誓った。

 

「……ちょうど俺も休憩しようとしてたんだ。いっぱいお喋りしようぜ」

「うんっ!」

 

 本当はさっき休んだばかりだったが、嘘を吐いた。仕事は後でもできるが、ライスシャワーとの歓談は今しかできないからしょうがない。

 

 数分前までルドルフの座っていた椅子に座り、ライスは対面の席に座った。

 

「今日はどんな一日だった? いいことあったか?」

「えっと、今日はね、食堂でゴールドシップさんと会ったの。それでね、ライスがパエリアを食べてるのを見てゴールドシップさんが『共喰い笑』って言ったの。だから、『ライスは日本生まれでインディカ米じゃないから、どっちかといえば生存競争かも』って返したら、『中々やるじゃねえか!』って褒めてもらえたの」

「ふ、ふ〜ん」

 

 期待せずに聞いていたらちょっと面白い話が飛び出してきた。なんか悔しい。

 その後もやや面白い小噺を聞き続けていると、一息ついたタイミングで本命の話題が来た。

 

「その、お兄さまはルドルフさんと仲が良いの?」

 

 あまりに唐突な話題の転換だったので、最初から彼女がしたかったのはこの質問だったのだとすぐにわかった。

 俺とルドルフの仲が気になるのか。愛いやつめ。

 

「仲良いよ。俺あいつの元サブトレーナーだから」

「……知らなかった」

 

 隠すつもりもないので正直に答える。ライスはかなり驚愕したみたいだ。心外だが、俺みたいなのがルドルフと関わってたら驚くか。

 

「結構有名な話だぜ、これ。当時は『無名の新人トレーナーがあのシンボリルドルフのサブトレーナーに抜擢!?』って騒がれた」

「そうなんだ……」

「仕事はほとんどチーフトレーナーの方がやってたから、俺はなんもしてなかったけどね」

 

 あの頃は良かった。学ぶのが仕事みたいな感じだったし、重要なことは全部チーフがやってくれたから、俺は喋って学ぶ置き物でいればよかった。

 

「お兄さま、失礼な質問になっちゃうけど、いい?」

「おお、全然いいよ」

「どういう経緯でルドルフさんのサブトレーナーになったの?」

 

 前置き必要なくない? なんでお前みたいなのがルドルフのサブトレーナーになれたんだよって言ってるようなもんじゃん。

 モヤモヤを抱えつつも問いかけに応える。

 

「採用面接のときに『あなたはどんなウマ娘と歩んでいきたいですか』って訊かれて、『才能のあるウマ娘と組みたいです』って言ったら、入ってすぐの頃にチーフから声掛けられた」

「えぇ……」

 

 ドン引きやないかい。だが正常な反応だ。あの頃は俺も尖っていた。

 

「たぶん面接官の人が面白がって俺のこと話したんだろ。それをチーフが人伝に聞いて、興味もってくれたんじゃないかな。知らんけど」

 

 なんにせよ運が良かった。あんな人間できてる人そうそういないからな。

 俺が今もトレセンに在籍できてるのは、チーフの指導の賜物でしかない。チーフが一通りの指導で俺を一端のトレーナーにしてくれた。俺は今でこそ怠惰で有能なトレーナーだが、昔は無能で怠惰な新人トレーナーだった。

 

「そんな感じかな。別に劇的な出会いがあったとかじゃなくて、たまたまご縁があっただけだよ」

「ご縁……」

 

 どうやら納得がいったようで、ライスシャワーはしきりに頷いていた。純粋でかわいい。

 

「俺、人との縁には恵まれてるからさ」

「すごいなぁ。ご縁……素敵な理由だね」

「ああ。素敵なことだ」

 

 本当にそう思う。コーチやチーフがいなければ、俺はこの世に存在していない。ふたりには感謝しかない。

 俺がしみじみと感慨に耽っていると、ライスがおずおずと口を挟んできた。

 

「ちなみに、ライスとの縁は、どうかな?」

「ふふっ。どうって?」

「お兄さまにとって、いいご縁だった……?」

「え〜。そうだなぁ」

 

 あえて即答はせず、意味もなくライスを焦した。どうにも彼女の言動は嗜虐心を煽る。イジワルだとは思いつつも、からかってみたくなる不思議な魅力がある。

 

「ライスはお兄さまと出会えて、すごく嬉しいって思ってるよ」

「わぁ」

 

 あざとッ! こんなん四捨五入したらカレンチャンやで!

 

 あまりのあざとさに心中でツッコむ。全くもって悪い女の子だ。故意じゃない分、かえってタチが悪いまである。

 しかし俺はそういうのに弱い男なので、喜び勇んで答えてしまった。

 

「俺も嬉しいよ」

「ほんと、ほんとにっ?」

「本当だよ」

 

 少し気恥ずかしくて言葉足らずな返答になってしまったが、ライスは諸手を挙げて喜んでくれた。喜びが抑えきれないようで、机の下で脚をパタパタさせていた。小躍りでも始めそうな様子の彼女を見ていると、余計に恥ずかしくなってきた。

 

「ライス頑張るから! 絶対に強くなって、お兄さまに恩返ししてみせるから!」

「大丈夫――」

 

 俺が返事を言い終わる前に、ライスシャワーは席を立って雷霆のような速さで部屋から出ていった。なんてスピードだ。これは七冠の器。

 

 ようやく仕事に戻れる。大きく息を吐いて硬いパイプ椅子から立ち上がった。手首を掴んで体を左右に伸ばす。長いこと座っていたせいで固まった体が、再び柔軟性を取り戻した。さて、もう一仕事だ。

 

 デスクまで戻り、悪くないクッション性のある椅子に座る。目の前には空白の目立つ書類が積み重なっていた。全て片すのには時間が掛かりそうだ。思わず逃げ出したくなるが、脳裏にライスシャワーの顔を思い浮かべるとそんな気持ちは霧散した。

 頑張らないとな。ルドルフにも期待されてるし。

 

『ライス頑張るから! 絶対に強くなって、お兄さまに恩返ししてみせるから!』

 

 先程ライスから聞いた言葉が脳内でフラッシュバックした。嬉しいこと言ってくれる。そんな熱いこと言われたら、俺も応えなきゃな。

 

 俺は彼女に伝えられなかった想いを、誰もいない部屋でひとりで呟いた。

 

「大丈夫だよ。いずれライスは怪物に化ける。俺がそうしてみせる」

 

 

 

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