瞳に宿った炎は消えない   作:Tyler Durden

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第4話 ブレイク・ユア・ハート

 

 

 

 最近、ライスシャワーの視線が熱い。

 

 

 

 俺は迷走していた。非常に危険な状況に陥っていた。

 今、俺が抱えている問題はたったひとつ。けれど、その問題は小さなミスひとつで俺の人生を狂わせかねない。その問題とは――

 

 ――ライスシャワーと仲良くなりすぎちゃった。

 

 メイクデビューが終わってからというもの、ライスシャワーとの仲は深まるばかりだった。この前の談笑もあって、ライスシャワーは一層俺のことを信じるようになり、練習もより懸命に打ち込むようになった。今もメキメキと成長を続けている。

 

 変化は俺にもある。俺の場合、ライスシャワーを見る目が変わった。

 今まで彼女に思うことといえば、「才能あるなあ」くらいのものだったが、近頃は頻繁に「さすが俺のライスだ」と思うようになってきた。

 

 明らかに入れ込みすぎている。由々しき事態だった。これまでの俺にはないことだ。教え子として関わる程度ならまだいいが、彼女はそれ以上の存在に成りかねない気がした。多少仲良くなるのは許容範囲だが、それは避けたい。

 

 なぜなら、俺は他人の人生に興味をもちたくはないからだ。他人の人生に介入すれば自分を守れなくなる。俺が22年で学んだ人生の知恵だ。

 俺は自分第一で生きていたいのだ。たった3年で別れるウマ娘の人生に右往左往するなんて、まっぴらごめんだ。

 

 そうは思いつつも、当然ながら感情を抑制するなんてことはできない。どうにか冷静な思考を取り戻したいが……日頃から脳みそ使ってないとボケてきて、泣き虫な薔薇にも情が湧く。

 

 ジムに行ったり、高い肉を食いに行ったりして気分転換を図ったが、頭の片隅には常に彼女がいた。そんな俺の苦悩も知らず、彼女は次々と自己新記録を叩き出す。

 

 快調なライスシャワーとは裏腹に、俺は煮え切らない思いを胸に過ごしていた。

 

 

 

 

 

 

「よしっ。今日はこれで終わり。お疲れ」

「はっ……はっ……」

 

 本日のトレーニング内容は、筋力トレーニング、アップ、適当なドリル、200mダッシュ後に600mジョグのインターバル・トレーニングを3本×5セット。ライスシャワーは無事メニューを完遂し、虫の息となっていた。

 

 今日も今日とてトレーニング。相も変わらずトレーニング。アスリートは大変だ。それでいて研鑽に終わりはなく、頂は遥か遠い。ひどいね。

 

「それじゃあ10分間ストレッチ」

「はっ、ふっ……はいっ」

 

 ライスシャワーは大きな声で返事をした。アスリートとして染まってきたのが肌でわかって、嬉しいような、ちょっと嫌なような気分だった。

 

 ストレッチが終わるのを待つ間、手持ち無沙汰の俺は計測した記録を眺めながらライスシャワーと取り留めもない話をする。勘違いしないでほしいのは、この練習後のストレッチは俺がメニューに入れたものではなく、ライスシャワーからの提案だということだ。

 だから、俺のやれることがなくてライスシャワーと駄弁るのも仕方のないことなのだ。たまに彼女のストレッチを手伝うこともあるが、そこに疚しさは微塵もないのだ。

 

「お兄さま、背中押してもらってもいい?」

「……いいよ」

 

 開脚前屈の手伝いを頼まれた。迷ったが了承してしまった。教え子のストレッチを手伝うだけ。全く疚しくないのだ。

 

 ぐるっと後ろに回って、彼女の背に手をつける。汗ばんだ背中の体温と湿気が手のひらに伝わる。うん、全然疚しくない。

 

「押すよ」

 

 合図と同時に、怪我に繋がらないようゆっくりと体重を掛けていく。

 

「うあぁ……」

 

 なんでそんな声出すん? 集中できないからやめてくれ。

 嬌声に惑わされながらも、程よい力加減を維持する。しばらくそうしていると、筋肉から強張りが抜けていくのを感じる。

 

「慣れてきた?」

「うん……」

「じゃあもうちょい倒そうか」

「ぁい……」

 

 嗜虐心を唆られて、俺は意地悪な提案をした。すまないライス。

 指導者の悪いところが出てしまった。けど同意は得たからギリセーフだろう。

 

「押してくよー」

「うっ、あぁ……んっ」

 

 押す力を少し強くすると、それに合わせて小さな喘ぎ声が漏れる。疾しい。これはもう普通に疾しい。

 

 ――ライスシャワーとの関わり方、慣れてきたと思ってたのに。

 

 相変わらず俺の見通しは甘く、結局しばらくの間は無心を保つことに必死だった。

 

 

 

 ストレッチが終わった。練習が完遂されたので、ふたりだけの集合をかけて少々のフィードバックをした。

 

「やっぱりラストセットは疲れてペースが落ちちゃってるから、疲れてるときでも速く走れるようにね」

「はい!」

「ライスの強みは粘り強さだから、そこ伸ばすためにもしっかりやってこう」

「はい!」

 

 これで今日の仕事はほとんど終わり。この後はライスの2戦目のレースを申請するためにちょっとだけ残業しなきゃいけないけど、それくらいなら全然構わない。

 

「ちょい仕事あるから先帰るね」

「あ……お兄さま待って。ライスも途中まで一緒に帰っていい?」

「……いいよ」

 

 なぜ一々確認を取るのだろうか。勝手についていったら迷惑だとでも思っているのだろうか。俺がそんなこと思わないくらい、知っているだろうに。

 

 何気ない疑問が浮かんできたが、答えを見つけようとはしない。考えずにいるほうが、バカでいるほうが都合がいいときもある。

 

 校舎を目指して、ライスシャワーと連れ立って歩く。前よりも親密になった影響か、歩いている間にも絶え間なく会話が続いた。

 

「青い薔薇の花言葉はね、最初は『不可能』だったの。青い薔薇はどこにもなかったから」

「へえ」

「でも、日本でアプローズっていうブルーローズが実際に生まれて、そこから『夢叶う』に花言葉が変わったんだよ」

「はえ〜。面白いね。ライスが帽子に付けてるのもそういう理由?」

「うん。ライスも、いつかみんなを幸せにできるウマ娘になりたいから」

「なれると思うよ。ライスなら」

 

 なってほしいという希望も込めて、俺はライスの夢を肯定した。ライスは俺の無責任な返答にも喜んでくれたようで、尻尾が左右にブンブンと揺れていた。

 

「そ、そういえばっ、次のレースが近いんだよね」

「そうだね。GⅢで、芝の1200m」

 

 短距離だ。ライスの適性距離ではない。

 

「ライス、絶対勝つからね」

 

 ライスは語気を強めて言った。自分の実力に自信がある故の発言に聞こえた。

 

「そんなに気負わなくていいよ」

 

 諌めるように言った。過信は禁物だし、俺のために勝つと言われた気がして心苦しかった。

 

「全部のレースに勝たなくてもいいんだ。どんなに強いウマ娘もいつかは負けるんだから」

 

 どんなに強くても、いつかは。

 加齢だったり、怪我だったり、病気だったり。理由はまちまちだけど、それは絶対に起きる。永遠に勝ち続けるウマ娘はいない。

 

「……ちょっと、言いすぎちゃったかな」

 

 ライスはバツの悪そうな表情を浮かべて、おずおずと顔を伏せた。俯いた彼女の長い睫毛は一層綺麗に見えた。

 しまった。レース前の選手になんてことしてるんだ、俺は。

 

「待って違うから。勝てないと思ってるとかそういうのじゃなくて、単なる心構えの話ね! 緊張すると実力が出しにくくなるから、適度にリラックスして臨もうって話」

 

 彼女を不快にさせまいと、俺は必死に言葉を取り繕った。

 

「そ、そうなの?」

「そう! 別に深い意味はないから」

 

 はちゃめちゃに慌てる俺が愉快だったのか、ライスは小さく吹き出した。それを見て俺は胸を撫で下ろした。

 

「大丈夫だよ、お兄さま。だってライスは、お兄さまの選んだウマ娘だもん」

 

 ライスは自信の籠った口調で嘯き、自慢げに微笑んだ。つられて俺も笑った。

 

 

 

 蜜月の時とは短いものである。お喋りに夢中になっていると、あっという間に校舎へ着いた。

 

「あんまり夜ふかししちゃダメだよ」

「うん。また明日、お兄さま」

 

 校舎の前で短い言葉を交わして別れる。俺は宿舎に、ライスは美浦寮に向けて歩を進めた。

 

 少し歩いてから何の気なしに後ろを振り向くと、同じく振り返ったライスシャワーと目が合った。まったく同じ行動を取ったことが可笑しくて、けれど少し嬉しくて、俺は声を上げて笑った。

 

 俺が手を振ると、ライスも手を振り返した。遠くてよく見えなかったが、彼女も笑っている気がした。

 

 

 

 

 

 

 ライスシャワーの2戦目のレースが終わった。彼女の着順は11着だった。

 

「ライス」

 

 ステージへと移動する途中の彼女に声を掛ける。俺の声は聞こえているはずだったが、反応はなかった。俺は急いで彼女を追いかけた。

 

 彼女は道の途中で立ち止まると、天井を見上げた。目には涙が溜まっていた。彼女の少し荒い息づかいだけが聞こえた。

 

「ごめんなさい」

 

 彼女の口から最初に出た言葉は謝罪だった。

 

「なんで謝るの」

 

 もっといい言葉を掛けたかったが、咄嗟に出てきたのは茶化すような口調だけだった。

 

「約束、守れなくて。勝つって、言ったのに」

「すべてのレースに勝つウマ娘はいない。こういうときもあるさ」

 

 少しは気の利いた会話ができないのだろうか。俺は自分の口下手さを恥じた。

 

「でも……」

 

 嗚咽混じりに彼女は呟いた。頬は紅潮して、耳まで赤く染まっていた。それ以上の言葉を紡ぐと泣き出してしまいそうだったので、俺は彼女を遮った。

 

「いいんだよ」

 

 心の底から思ったことを口にした。そうじゃないと、彼女の本気に釣り合わないから。

 

「いくらでも失敗していい。何度でも挑戦したらいい。ライスはまだまだ、始まったばかりだよ」

 

 生まれたときから無敵だった、なんて奴は存在しない。誰しもか弱く、無知で、それでいて無限の可能性に満ち溢れていた時期があったはずだ。

 ライスにとっては、今がその時期なんだ。俺はきっと、そんな君の成長を手助けしたいんだ。

 

 ライスは袖で顔を拭った。涙は消えたが、瞼は腫れたままだった。

 

「ねえ、お兄さま」

「なに?」

「お兄さまは……ライスが、負けるって思ってた?」

「戦う前に負けること考えるトレーナーがいるかよ」

「……うん」

 

 頬を叩いてかぶりを振って、ライスシャワーは前を向いた。後悔と挫折を知った彼女の背中は、一回り大きくなったように見えた。

 

 敗北を経て、少女はまたひとつ強くなった。そして今日の敗北は決して無駄ではない。「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になるはずだ。

 

「ライス、強くなりたいな」

「なれるよ。ライスなら」

 

 力強く、決意を込めて言った。いつの日か君を、最強のウマ娘にするという決意を込めて。

 

 

 

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