瞳に宿った炎は消えない   作:Tyler Durden

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第5話 黒い琥珀のように

 

 

 

『注目の2番人気、8番ライスシャワー』

『1番人気こそ譲りましたが、素質は負けていませんよ』

 

 アナウンサーたちの声が中山競バ場に響く。それが意味するのは、まもなくレースが始まるということ。才能が努力を否定する時間が来るということだ。

 

 パドックのライスシャワーを眺めながら、俺はひとり緊張とも期待とも取れる不可思議な感情と戯れていた。俺はこの、いろんな感情が綯交ぜになるレース特有の待ち時間が嫌いではなかった。

 

 芙蓉ステークス。ライスシャワーの3戦目。芝の1600m。天候は曇りで、バ場は重い。

 あまり適性のない距離に加えて、ジュニア級にしては周りのレベルも高い。明らかな格上挑戦。それでも、今の彼女の実力なら勝ち目はあるはずだ。

 

 今回のレースの目的は、実力の伯仲した相手とのひりつくような接戦を経験させること。そうすることで、より早く、より多くの経験値を得る。それが目的。

 原石は研磨されてこそ真価を発揮する。ウマ娘の場合は強敵と鎬を削ることがそれにあたる。

 

 ライスは才能あるウマ娘だが、まだ存分に磨かれてはいない。今の彼女には試練が必要だ。彼女を押し上げてくれる試練が。試練だけが原石を研磨できるのだ。

 試練は強敵であるほど良い。試練は供えものだ。立派であるほど良い。

 

 幸いなことに、今日の試練は十分な硬度を備えている。特に1番人気のアララットサン、あいつは結構やる。ライスと比べても他のやつと比べても、実力は頭ひとつ抜けている。

 

 ライスシャワーにとってはハードな挑戦。だからこそ、勝ったときの喜びも大きなものになる。勝てないとは微塵も思っていない。戦いは強い者が勝つとは限らない。

 

 ――行け、ライス。

 

 声に出さず、心の中で激励を送る。そんなことをしなくても、今日までの練習を通して俺の気持ちは伝わっているはずだ。

 

 ――これまでの練習の成果を、君が積み上げてきた努力を、ここでみんなに見せてやれ。

 

 ゲートインを控えたライスシャワーを見つめながら、俺は芙蓉ステークスに向けて重ねてきた努力の日々を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 ライスシャワーの最大の欠点は、相手を舐めるきらいがあることだった。彼女は練習に真摯に打ち込んでいる分、自分の力ならレースに出れば勝てるという幻想を抱いていた。

 

 しかし、勝負の世界は想像よりずっと理不尽で残酷だ。努力すれば夢は叶うなんて、とてもじゃないが言ってやれない。それに、同情や慰めから出るお為ごかしなんてのは大嫌いだ。

 

 だから俺が最初に取り組んだことは、彼女の公正世界信念を打ち砕くことだった。

 

『いいかい、ライス。()()()()()()()()()()()。対戦相手を舐めるの、君の悪いクセだ』

『な、舐めてなんかないよ』

『ないのね、自覚……』

 

 彼女の症状はかなり深刻だった。中央に来たばかりの大半のウマ娘に言えることだが、勝つことが当たり前だと思っている。地元じゃ負けなしのウマ娘だけが中央に来られるわけだから、勝ち慣れているのは当然ではあるのだが、そんな考えが通用するのはせいぜいジュニア級まで。もしくは圧倒的な才能を持つ者だけ。

 

 甘い考えはいつか勝利を脅かす。今後のためにも今のうちに修正しておいた方がいい。事の重大さを感じ取ってもらうため、俺は強い口調で彼女に注意した。

 

『俺が言いたいのは、マナーだとか言葉遣いだとかそんなチャチなことじゃあない。相手を自らの勝利を脅かす敵だと認めて、徹底的に、完膚なきまでに喰い殺そうとすること。それが競技者にとっての敬意』

 

 物騒な言葉遣いを聞いたライスシャワーは怯えた目をしていた。俺が普段は優しい態度と口調を心がけているせいか、過激な発言と口ぶりに驚きを隠せないようだった。

 

『敬意を払え。それが最低限の礼儀だ。ライスが競えるのは相手がいるからだ』

『……』

『返事は?』

『は、はいっ』

 

 彼女には他にも足りていないものがあった。

 ウマ娘なら誰もが普遍的にもっていて、どんな戦いにも欠かせないもの――闘争心だ。

 

 これが無いと始まらない。闘争心のない状態では、勝てる勝負も勝てなくなってしまう。

 戦いに挑もうとする心こそが、初めの一歩を軽くしてくれるのだ。時にはその一歩が勝敗を分けることもある。

 

 ライスシャワーは臆病な子だ。

 才能はある。だが闘争心がまるでない。そのことを教える指導者が今までいなかったのは悲劇だ。このままでは彼女の才能は錆びる。川に捨てられた自転車のように。

 

 だが幸いなことに、俺には心強い味方がいた。『皇帝』――シンボリルドルフだ。俺は彼女に頼み込んで併走の約束を取り付けた。

 

 俺の頼みをルドルフは快諾してくれた。このときほどサブトレーナーとしての経歴に感謝したことはない。諸手を挙げて喜ぶ俺にルドルフは苦笑していた。

 

『しかし私でいいのか? 私との併走は、その……評判が悪いだろう』

 

 ルドルフはライスが自信を失わないかとひどく気にかけていた。当然の懸念だ。俺自身、ルドルフとの併走で才能の差を見せつけられて心が折れたウマ娘を多く見てきた。ライスシャワーがそうならないという保証はどこにもない。俺もその可能性は承知していた。

 

『いいんだ。今のライスには荒療治が必要だから』

 

 その上で俺は併走を頼んだ。彼女の為を思って。

 

 こんなことは言いたくないが、ライスは遅かれ早かれ自分の限界を知る選手だ。才能の限界……そんな窮地に立たされたとき、その限界を超えられるかどうかは彼女の『精神力』に懸かっている。ここで躓く程度のメンタリティならどの道先はない。

 

『それにさ……』

『その程度で折れるようではこの先やっていけない、か?』

『まあ、そうだね』

 

 ルドルフも考えは同じらしい。俺たちは日頃の態度こそ違えど、競争に対する姿勢は非常に似通っていた。

 

 そういうわけで、芙蓉ステークスまでの19日間、シンボリルドルフと併走トレーニングをする運びになった。

 

 もちろんライスはボコボコにされた。当然の結果だ。ただ毎回併走の内容は変えた。

 本気のルドルフと競わせることで才能の暴力を、結構手を抜いたルドルフと競わせることで舐められることの悔しさを、めちゃくちゃ手を抜いたルドルフと競わせることでレース運びを学ばせた。

 

 特に力を入れたのは悔しさを覚えさせることだった。俺は闘志を剥き出しにしてライスを煽った。

 

『遅い遅い遅いよっ。もっと速く!』

『ヘバるな! 走れっ!』

『どうして自分から仕掛けない!? 日が暮れるまでそうして待つ気か!?』

 

 闘争心を育むのと同時に、練習量の確保も意識して取り組んだ。何にでも言えることだが、量が質を担保する。フォームもペース配分も忘れさせて、我武者羅に全力で走らせた。才能が同程度なら積み重ねの多いものが勝つ。積み上げた努力が実力となり、自信にもなる。

 技術的な部分は後から追いつく。それよりも根本を優先した。

 

『よしっ。休憩だっ』

『ハアッ……ハッ……』

 

 ライスシャワーの顔色を見ながら、これ以上無理というタイミングで休憩を入れた。苛立ちと疲労が募っていくのが傍目にも見てとれた。ルドルフは大して息も乱さず余裕の表情だった。

 

『お兄さま……これ……強くなるの……?』

 

 ライスは息も絶え絶えに呟いた。

 

『なるよ』

 

 ぶっきらぼうに返した。タイマーを睨めつけながら、目も合わせずに。

 

『ライスにはスピードが足りていない。加速力も。その切れ味の無さでは敵を殺すことは出来ない』

 

 ライスは意見を聞こうとしてルドルフのほうを向いた。菫色の瞳に見つめられたルドルフは何も言わず瞠目した。

 無言で見つめ続けるライスだったが、ルドルフの態度から彼女も俺に賛同していると察したようで、最後は黙って休憩に入った。

 

 ウェイトとストレッチ、マッサージも並行して行った。

 

 ウェイトは下半身の強化をメインにスクワット、ランジを中心としてメニューを組んだ。増えたパワーで体がブレないように体幹トレーニングもさせた。

 

 ストレッチも下半身が中心だった。ハムストリングス、大臀筋周り、ふくらはぎ。瞬発力に関係する体の背面の柔軟性を高めた。日に2回、一箇所最低でも30秒以上。ライスは体が固く、それでも十分とは言えなかった。

 

 マッサージはトレセンに雇用されている理学療法士の方に頼んだ。マッサージは筋膜の癒着を取り除き、ウェイトと併走での筋疲労を軽減させることが目的だった。彼女が不在の日は代わりに俺が上半身のマッサージをした。

 

 艱難たる日々が続いた。度重なる不条理にライスが疲労と怒りを溜める一方で、彼女がぐんぐんと成長するのがわかった。

 

 芙蓉ステークスまで3日を切った日に、ようやくライスに闘志の炎が灯った。

 

 その日の併走は様子が違った。前までは仕掛けられるのを待っていたライスが、今までにはないタイミングで自分から仕掛けた。不意を突かれたルドルフは喰らい付くライスを振り払えず、もつれる形でゴール板に雪崩れ込んだ。

 

 先にゴールしたのはルドルフだったが、自力の差でゴリ押した結果だった。詰め寄られた瞬間、咄嗟にスパートをかけたので間に合ったが、仕掛けのタイミングは完全にライスが優っていた。

 

『今のは良かったよ』

『あっ……ありがとうございます!』

 

 コースを1周流してきた彼女たちに近寄ると、ルドルフが笑顔でライスを褒めていた。誰かの走りで笑うルドルフを見るのは久しぶりだった。

 

『ライス、今のは良かったね。素晴らしい』

『うんっ。ルドルフさんとの練習のお陰、かな』

『私のお陰ではないよ。君が努力した正当なる成果だ』

 

 上手く行ったときはとことん褒める。ルドルフも褒めて伸ばすやり方に乗ってくれた。ライスは満面の笑みで、尻尾を振り回して喜びを爆発させていた。

 ルドルフに感謝を込めて目線を遣ると、彼女は薄く笑ってウインクで返してくれた。

 

 良い感覚のまま練習を終わらせたかったので、疲労抜きの意味も込めてこの日の練習は終わりにした。

 

 疲れを抜き切って本番に備えるため、軽い運動だけするように指示して残りの数日はオフにした。

 

 

 

 

 

 

 回想してみると本当に厳しい練習だった。肉体的にもそうだが、精神的にはもっと厳しかったはずだ。

 

 よく耐えてくれた。これで負けたなら仕方ないと思えるほどライスは努力してくれた。あとは出し切るだけ。

 

 最後のウマ娘がゲートに入り、出走の準備が済んだ。あれだけうるさかった観客たちもピタリと鳴りを潜めて、レースが始まるのを固唾を飲んで見守っている。

 

 俺は息をするのも忘れてゲートを凝視し続けた。苦しくなって大きく息を吸い込んだその時、ゲートが一斉に開いた。

 

 飛び出したのは1番ジンデンクイーン。その次にサンクティティ。タマアワーが二人を追って3番目。

 

 少し離れてアララットサン。その後ろにライスシャワー。前から5番目に着けた。悪くないスタートだ。すぐ隣にハーバーリファール。やや圧を感じるか。

 

 遅れてサクラミサキオー。最後尾はジョウテンウオローが勤める。

 

 順位は変わらず、お互いに見合ったまま第1コーナーを通過する。ライスシャワーはジリジリと前に詰める。前の馬群との距離を少しずつ縮めていき、第2コーナーでは先頭からほぼ2番目に食い込む。

 

 馬群に大きな動きはない。まだ溜める。まだ。まだ。

 

 第3コーナーが迫ってきた。中山の直線は短い。もうあまり時間がない。行くなら今しかない。

 

 ――ここだ!

 

 第3コーナー。心の中ではち切れそうなくらい叫んだ。それと同時に、黒いバ体がジンデンクイーンをかわして先頭に立った――ライスシャワーだ!

 

 残り300m。先頭はライスシャワー。このまま行けば勝てる。急勾配を駆け上がり、直下降を終えたとき、そこに勝利がある。

 

 ――行け、ライス、走れ。

 

 俺の祈りをかき消すかのように大外からハーバーリファールが上がってくる。しかしもう遅い。

 

 勝った。そう思ったとき、中団から猛烈な勢いで追い上げてくるウマ娘がいた。

 

 あれは――1番人気アララットサン。凄い脚だ。どんどん近づいてくる。抜け出して終わりだと思ったのに、さらに伸びる。ライスシャワーを追いかけて、遂には追い付く。二人の距離は既に触れ合うほど。

 

 ライスは必死だ。全力で走っている。抜かされまいと呼吸を荒くし、どこまでも脚を動かす。

 アララットサンも負けられない。鬼のような形相で大地を蹴る。蹴り上げられた芝と土が宙を舞う。

 

 両者一歩も譲らない。白熱する競り合いが続く。ゴールはすぐそこだ。

 

 息が詰まる。二人は走り続ける。アララットサンが抜こうとする。ライスは譲らない。アララットサンが吼える。それでもライスは譲らない。二人の影は重なったまま。

 

 ふたつの物体が時速60kmでゴール板を駆け抜ける。ほとんど同時にゴール。わずかにライスが先。俺にはそう見えた。

 

 写真判定に移る。心臓がバクバクだ。頼む、ライスであってくれ。

 

 場内に緊迫した空気が流れる。着順掲示板に番号が光る。一着に8、二着に6、三着に4。戦いを制したのは――ライスシャワーだった。

 

「っしゃあッ!」

 

 嬉しすぎてガッツリ雄叫びを上げた。周りの皆さんがびっくりしたって顔で俺のほうを見てきた。興奮が急激に冷めて、代わりに恥ずかしさが顔を出した。

 

 俺は居た堪れなくなって、体を小さく丸めながらその場から逃げた。

 変な奴と思われて顔から火が出る思いだったが、衆人環視の中で奇行を見られた恥ずかしさでも、この胸の高鳴りを止めることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

「ライス!」

「お兄さま!」

 

 地下バ道でライスシャワーと落ち合った。彼女は鈴のような声で俺を呼んだ。その声には喜びと達成感がいっぱいに詰まっていた。

 

「勝ったよ、お兄さま」

「そうだ。君が一番だ」

 

 ライスは静かに頷いた。静かに、けれど深く噛み締めるように。

 

「ライス……変われたよね」

 

 ライスが俺に訊いてきた。尋ねるような声音だったが、確信と満足を含んでいた。

 

「自分ではどう思う?」

 

 答えはもう知ってるでしょと言わんばかりに訊き返した。今回は意地悪ではなく、自分の言葉で言ってもらいたかったから。

 

「……最初は、ルドルフさんとの併走、すごく辛かった。なんでこんなことやってるんだろうって。勝てるわけないのにって。だけど……」

 

 ライスの双眸が俺を射抜く。レースを終えたばかりだというのに目に力が漲っていた。

 

「今は、ルドルフさんに勝ちたいって思える」

 

 俺は破顔した。クールぶっていたかったが、こんなに熱い決意を聞かせてもらったらそうもいかない。

 

「愛してるぜ、ライスシャワー」

 

 成長した彼女が輝いて見えて、そんなセリフが思わず口を突いて出た。言った後に自分で恥ずかしくなって、イタズラっぽく笑った。

 

 ライスは小さく「うん」と首肯すると、おもむろに踵を返した。そうして、「ありがとう、お兄さま」と聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいて、ウイニングライブへと歩いていった。

 

 さすがに言い過ぎたかな、と自省する。しかし、本当に彼女のことが大切に思えて仕方なかったのだ。今日の彼女は、まるで黒い琥珀のように美しかった。

 

 熱い戦いでライスシャワーは研磨された。彼女自身、自分が一皮剥けたことを肌で感じているだろう。

 

 悪くない……いや、こんな日くらい濁すのはよそう。いい気分だ。俺は今、幸福だと感じている。心から彼女の成長を祝福している。

 

 ――おめでとう、ライスシャワー。

 

 胸の鼓動が収まることはなかった。彼女のレースが瞼に焼き付いていた。

 

 きっと今日は眠れない。それもいいだろう。夜が明ければ、また君との日々が待っている。

 

 

 

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