シンジがヴンダーに戻って数日経ち、全ての補給作業と退艦希望者の退艦などの第三村で行うべきことは全て完了した。作業が完了したことを隅々まで且つ何度も確認してから、Wille母艦ヴンダーは第三村に最後の別れを告げ、作戦開始前の最終チェックポイントの宇宙空間へ飛び立った。宇宙では第三村で回収したものなどを使った、後を生きる者達への手向けを送る作業がある。その準備と並行して最終戦争の準備も行う。基本的にそれらの作業は各班の長の指示を受けつつ下位職員が従事しているため、貴重なエヴァパイロットが作業を行うことはなかった。では、何をするかと聞かれても、答えは何もしないのである。出撃か人力やマシンパワーでも困難な外部作業でない限り、元からの2名が私室から出ることは無かった。当たり前だが帰って来た彼もである。
それが何を意味するだろうか?
狭い部屋と言うスケスケ箱の中で2名の少女が1名の少年と付き合う様子が見られるのである。
「意外と勉強家なのね~」
「そう言いつつ腕を絡ませてくるのやめようよ」
常人には耐えられないような暇な状態を乗り切る方法は様々あるが、シンジは積み重なっていた本を読むことを選んだ。これ大量の本はマリが集めに集めた古本から比較的新しい本もあって、またジャンルも多種多様と決して飽きることはないだろう。百をゆうに超える数が置かれていて、作戦開始までの暇つぶしにはもってこい以上である。そんなシンジは何となく目についた本を手に取って、特に選り好みはしていなかった。今現在読んでいるのはサイモン・シン氏の代表的な著作の『暗号解読』の上下セットだ。これは数学者や暗号が好きな人でなくても、少々齧ったことがあれば知っているはずの極めて有名な本。そのタイトルから分かる通り「暗号」についてを纏めてある。暗号についての本は既に多数出版されているだろうが、この本はかなり本格的で専門的な内容となっているため、初学者が読むには割と難しい。シンジはドが付く初学者だが、むしろその方が時間をかけることが出来た。よって、これぐらいが丁度良い。
ただ、難点を述べるとすれば。
先からマリが腕を絡ませてきて豊満な母を押し付けてくることがある。
「姫と違って、学問に精を出すことはいいことだ。将来有望だね」
「うるさいわね。私だって本は読むわよ」
アスカはベッドに寝ころびながら携帯ゲーム機をピコピコさせて遊んでいる。1人は学問を修めようとして、1人は邪魔をして、1人はゲームをしている異様な空間が形成されていた。各々が好きに暇を潰しているからこそ見られる光景だろう。
すると、邪魔をしていたはずのマリが突拍子もないことを聞いて来た。
「本を読むより、いいことしない?」(耳に囁き)
「ちょっと!」
僅か1秒の間を挟むことなくアスカが飛び起きた。凄まじい反応速度には敬服しかけてしまうが、そんな彼女に対して仕掛け人はニヤニヤ笑っている。どうやら、これはアスカへ向けたマリなりのドッキリらしい。それにしてはもう少し穏便なものに出来なかったかと言いたくなる。ちなみに利用されたシンジは動じないで読書を継続していた。14年の年を重ねていないが、数々の常軌を逸した、過酷な経験は彼を叩き上げている。
「ほ~ら。すぐ引っ掛かる。ま、分かり易いことも良い事じゃない」
「うっ…あんたねぇ」
このドッキリで確かめられたのは、アスカがどれだけシンジのことを想っているかだ。抜群の反応速度で焦った彼女を鑑みるに、自分の大切な人と表するには不適応極まりない強烈な想いを抱いていることは間違いない。見事にしてやられたアスカは顔を赤面させるしかなく、恥ずかしさからベッドに倒れ込む。ただ、その表情は決して悪いものではないことをここに示しておく。なぜなら、彼女だって吹っ切れていたからである。誰に何を言われようと、世界がどれだけ残酷で非情でも、自分が彼を想い続ける。それを改めて表明したに過ぎない。それ以上でも以下でもなかった。
すると、何を思ったのか。あのシンジが動いた。律儀にも小さな付箋を挟んでから。
「よっと」
「何よ、悪乗りして煽りにきたわけ?」
「まさか。こんな滅びゆく運命の僕のことを心配してくれるのが嬉しくてさ」
「滅びゆく運命は私も背負うことを選んだの。今更すぎるわよ」
シンジもアスカも互いに想いあっていて、運命を共にしていることは言うまでもない。しかし、その運命と言うのはどう転ぶか分からない。そう、分からないのだが、少年は既に将来を読み切ったようなニュアンスで綴った。確かに自分の過去は破滅を招くか進める結果を出していたが、そこまで悲嘆するだろうか。また、それに同調するアスカもアスカである。
「滅びゆく者のために…私は何も出来ないのが悔しいよ」
マリはポツリと漏らした。まるで2人が本当に破滅へ向かうことを知っているかのように。そして、自分が全くの無力であることを悔やんで、同時に恨んでもいた。エヴァと言う道具があっても無駄なのか、ただ滅んでいくシンジとアスカを見ているだけなのか。そう内心で吐き散らしていた。
「いいんですよ。マリさん」
「げ、聞かれてたか」
ポツリと漏らした言葉は聞かれてしまっていたらしい。シンジが清らしい笑顔を伴って答えてくれた。それが気休めになってくれればとの彼の気遣いが窺える。彼は自分のあずかり知らぬ所でいつの間にか数十段も成長していることがよくわかった。
「僕は今生きているだけで贅沢なんです。だから、これ以上のことは望みません。もちろん、一番いいのは皆で生き残ることだけど…」
「それ以上言うとダメ。言霊があるから」
アスカが悲哀をぶった切った。中々ファインプレーで、シンジが持つ固有の哀しいを断ち切ろうとしたのは勇気ある行動だろう。彼は自分で望まない結果を避けようとしても、強制的に自らの手で創りだされて来た。だから、せめて最後は抗って滅びたいと思っている。アスカは彼のその気持ちを痛い程共感できるのだが、言い過ぎは結果を誘発する意味でも彼の心を蝕む意味でも毒である。
「ユイさん…私は絶対に彼を助けるからね。アスカに届けてあげなきゃ」
美しい哀しき愛を見て、マリは己の覚悟を新たにしたのであった。
続く