親子が辿り着いた空間は常人では把握できない亜空間や異空間である。通称としては『マイナス宇宙』と呼ばれるらしい。周囲は2人の記憶に反応して逐一変化しておりNERV本部や第三新東京市など絶え間なく変化した。
しかし、父と子は特段気に留めず対面しては盛大な親子喧嘩を始める。
「どうしても…なんだね」
「私はお前が憎かった。ユイの愛を一身に受けるお前が羨ましかった。あの時ユイを失ってから私はただひたすらに追い求めている。だが、それも今に終わる」
「そうなんだ。なら僕と一緒に終わらせよう…」
静かに初号機は動いた。強制停止装置は両手剣を形作って希望と絶望を司る2本の槍に挑んだ。単純な力では第壱拾三号機と碇ゲンドウが上回る。両手剣の撃はいとも容易く槍に払われてカウンターの斬撃が初号機を襲った。しかし、シンジも負けておらず数多の戦いを経験して熟練の域に達した上に父を倒す覚悟で来ている。
「お前が私に勝てる未来はない。強さとは他者を拒絶し独りで全てを為すことだ」
「強いか弱いかは関係ないよ。確かに僕は弱くて独りが怖いくせに独りを望んだりした。繰り返される円環の中で過ちを犯したこともあった。それでも望むのは皆が皆でいられる社会だった」
「その甘さは聞き飽きた」
子は父に何度も挑んでは弾き返された。四本腕と2本の槍に対しては不利が否めず父の冷酷さも相まって勝ちが見えない。概して親子喧嘩という物は親が勝利するもので子が勝つと考えること自体が間違いなのかもしれない。槍の柄で殴られたり蹴り飛ばされたり多種多様な負け方をしても碇シンジは諦めず挑み続けた。
もっとも、それは彼特有の信念による。
「弱いから僕たちは生きていける。弱くないと痛みをいつしか忘れてしまう。痛みを忘れると強くなったと勘違いするんだ。それは強くなったとは言わないよ。逆に痛みを知って弱いままでいるから皆を理解して尊重して楽しく生きていける」
「親に対し説教とは想像以上に成長しているようだな」
「それに間違えたってやり直せばいいじゃない。たとえ明日世界が滅んでもやり直してはいけない理由は無いんだからさ」
当初の厳しい表情から一転して穏やかな笑みを浮かべる子は菩薩を思わせた。そうであるが故に父の碇ゲンドウは恐れを覚える。常時ポーカーフェイスを貫くが子と対峙している時に限り黄金仮面を崩すことが多かった。流石の碇ゲンドウと雖も実の息子である碇シンジと真っ正面切って戦うとなれば揺らがざるを得ない。
(馬鹿な。私がシンジを恐れているというのか。いや、あり得るはずがない。私は私だ)
マイナス宇宙で親子喧嘩が行われている頃に現実世界のNERV本部跡地ではシャットダウンした弐号機に八号機(?)が寄り添った。覚醒した初号機と第壱拾三号機については把握済みのため、弐号機については少年が救済を与えたと思われる。跪いた格好でシャットダウンしているが弐号機パイロットの生体反応は感じられて機体共々眠りについた。とにかく生きているのなら採れる手段の幅は広がる。これなら少年を迎えに行くことも叶いそうだ。
「な~るほど。あの子ったら困ったにゃあ。アスカ姫の毒を抜くのは良いけど限りなく神に近い己に落とし込むとは荒療治が過ぎる。ほれ、おきんしゃい」
「…」
「起きろ! わんこ君がどうなってもいいの!?」
「シンジ! あいつはどこに!」
恐ろしく早いお目覚めだが少年を出した途端に反応する瞬発力は凄まじかった。パイロットの目覚めに呼応した弐号機も再起動する。傍に浮遊するマリの八号機(?)について問い詰める余裕はないが彼女自身から一定の説明がなされた。
「今わんこ君は碇ゲンドウと最後の戦いに身を投じた。あの門をくぐり抜けた先にある人では感知できない空間で盛大な親子喧嘩を繰り広げてね」
「馬鹿ッ!」
「そうね、大馬鹿者って大説教しないといけない。でもさ、彼が大人になったことは認めてあげないといけないんじゃない?」
「はいはい、わかりました。認めるからシンジを迎えに行く方法は!」
思わずため息を漏らすマリだが心では変わらないアスカに安堵した。碇シンジは自分達とはかけ離れた存在で使徒もどきやリリン崩れ等々とあやふやでも識別できない。最も近しい表現としては「限りなく神に近い存在」である。ニアサーとサード、フォースのインパクト三連弾を経て彼は熟成された末に碇ゲンドウと並んだ。仮に第九の使徒を吸収してもほぼ神であるが故に供物と処理するとは彼は底が見えない。
「オーバーラッピングした私の8+9+10+11+12号機で無理やり門を突破する。そして閉ざされた空間からシンジ君を救出する。ただ、私の見立てだと彼は絶対に自分を犠牲にするから」
「その閉じこもりから引きずり出すため、弐号機とあたしが必要ってわけね」
「ご名答~」
大人達よりも交流の深かった少女2人は碇シンジの傾向を掴んでいる。彼は強い『自戒の念』とここぞという時に絶対的な『責任感』を発揮し、第十の使徒戦が最たる例として自分を捨て他者を救うことを厭わなかった。
そう、彼の願いというのは自らを犠牲にして救うことにある。いわば、崇高な自己犠牲なのだ。それを許さず否が応でも生に引きずり出すためには彼女が必須となる。あくまでもの話で、マリは嘗ての先生が遺した物を受け取って突破口を開ける鍵に過ぎなかった。自己犠牲を厭わないで滅びを望む少年に拒否権から考える余裕すら与えない切り札がアスカなのだろう。
一旦深呼吸を挟み淀むことを知らず柿田川のように澄んだ両目が開かれる。
「いくわよ、マリ」
「ほいきた」
それでは現在の親子喧嘩の様子かいかがだろうか。
「言っただろう。お前が私に勝つことなどあり得んのだ」
「それこそ勘違いだって言っているでしょ」
案の定、シンジはゲンドウに辿り着くことが出来ない。幾度となく仕掛けたが2本の槍にふっ飛ばされた。斬撃を貰うこともあれば貫かれかけたこともある。勝ち目は本当に薄いが彼の狙いは何も勝ちではなく、勝利を追い求めることは重要でも、時にしては良い敗北も悪くなかった。
したがって、今度のシンジはひと味違う。両手剣を構えて突撃する様子は変わらずだが何を思ったのか放り投げた。奇襲を図ったのだろうが自ら攻撃手段を放棄するに等しく、第壱拾三号機は呆れるように弾いたが子の術中に嵌る。
「馬鹿なっ! やはり私はシンジを恐れているというのか! 」
「父さん。もう無駄だよ」
両手剣を投げたのは相手の視界を遮って防御を引き出す囮だった。本命は僅かに遅れて突っ込む初号機であり碇ゲンドウは予想外にATフィールドを張る。本来は至極真っ当な行動でも今に限り最大のミスを犯した。あれだけ他者を拒絶して実の息子碇シンジまでも捨てた父親が恐れた。
そして、決闘場から第壱拾三号機と初号機は消えて周囲は旧式電車へと変わる。碇親子は戦いから対話へとシフトチェンジして車内で親子は左右の長椅子席に座って対面した。奇しくもお互いに共通する精神世界とは面白い。
「そうか…私はシンジを愛していたのか。心の奥底でシンジを愛していた…他者を拒絶しても息子だけは愛していた」
「僕も愛しているよ。やっと気づいたんだ。父さんから逃げていたけど本当は愛していて求めるだけじゃなくて与えないといけない」
「あぁ、そうだな。シンジ…」
敗北を察したのか冷気に満ちた表情から血色の良い優しき父へと変わった。今度こそは真っ直ぐに息子を捉えようと試みた瞬間に驚きが支配する。碇ゲンドウは息子の背後ににっこりと笑う最愛の妻である旧姓綾波ユイを見た。
「ユイ! お前はシンジにいたのか。あぁ、そうだな。私はこれでいい…」
セミの鳴き声が漏れ聞こえる車内から碇ゲンドウは綾波ユイと共に駅へ降りた。扉が占められると旧式電車は吊りかけ駆動特有の猛々しいモーター音で加速する。一人残されたシンジは妙に清々しい気持ちで床に落ちている強制停止装置を拾い上げた。
そして、総仕上げに取り掛かる。
「さて、最期は僕が終わらせる。犠牲になるのは僕だけでいい」
続く