「初号機と第壱拾三号機に限らない全てのエヴァンゲリオン。そして僕が犠牲になることで悲劇が終わる」
自ら十字架へ磔となった碇シンジは己の犠牲を糧に事態の収束を図った。2本の槍は父母が処理して残された強制停止装置は浮遊しながら光の槍を形成する。本来の使い方とはかけ離れているが彼の望みに呼応して姿形のみならず機能も変わってしまった。
(これでいいんだ。僕だけが犠牲になって皆が皆でいられて過ごせればいい。僕の願いは滅ぶことなんだから)
両眼を瞑って光の槍が胸を突き刺そうとする瞬間だった。覚悟した安らかな痛みを一切感じられない。全身麻酔の類は打たれていないため必ず痛みを得られる。これは「どうもおかしい」と思って両目を開くが驚くべき再会を果たす。
「カヲル君に綾波まで」
「何も君が犠牲になることはこの渚カヲルが許さないさ。第壱拾三号機は第十三の使徒に落とされた僕の機体だ。君の幸せを最期まで望む以上は僕と彼女が代理させてもらうよ」
「ごめんなさい。碇君…これは私が願うことだから」
「なら、せめて3人で…」
シンジは自戒の念と責任感から自らの滅びを以て救済することを願った。しかし、それを散った渚カヲルと綾波レイが許さないどころか代理を申し出た。渚カヲルは第壱拾三号機に残されて綾波レイは初号機を守り続けて碇ゲンドウへの挑戦を見届けている。ただし、最後の最後になって少年が限りなく神に近い存在の力で自らを発端とした悲劇を喜劇に転換することの修正を試みた。
「それはダメだ。シンジ君のことを待っている人がいて、すぐそこまで迎えが来ている」
「アスカともう一人のパイロットが助けにきた。碇君を心からアイしているの」
「アスカとマリさんか…そんな」
「君は本当に幸せ者だね」
そう、碇シンジは感知する余裕を持たなかった。外ではオーバーラッピングした八号機及び八号機から助力を得る弐号機が突入する。最後を少年に託した以上は速やかに離脱するべきである。いや、愛する者がむざむざと滅ぶ事態は筋が通らない。それ以前の話も存在した。実は出撃前に少年と約束したこともあってか彼が一人で滅ぶことを許せるわけがなかった。
「問題はこの空間は特異過ぎるが故に彼女達では踏み入ることが出来ない。だから、僕たちで君を誘導するんだ。そう、これでお別れの時なんだ。君が持つ強制停止装置もとい、君と彼女の覚悟は僕たちが受け止める」
「カヲル君…」
「碇君と過ごせて楽しかった。碇君と愛し合えて幸せだった。分かれても、いつか会えるから」
「綾波まで…」
穏やかな笑みを浮かべる渚カヲルと綾波レイはゆっくりと頷いた。
そして、少年を優しく突き飛ばして待ち合わせ場所まで誘導した。
「さようなら。シンジ君また会おうね」
「さようならは…また会うためのおまじない」
碇シンジの意識は途絶えていきマイナス宇宙の中でも特異な空間から解放された。マイナス宇宙とは虚構と現実の狭間に存在して現実が虚構となり虚構が現実と成り得る。つまり権利という力を持つ者が正しく操作すれば願いを叶えることが可能である。そこで彼は自己犠牲による救済を望んだが嘗ての愛した者と良き理解者が代理人を買って出た。少年に始まり少年に終わることは修正が加えられ、少年は幸せに生きることが課せられる。
意識が途絶える時に彼は両目から涙を溢し笑った。もう二度と会えないかもしれない別れでも笑う門には福来る。もっとも、別れの言葉は再会を約することも含まれ、3人がいつかどこかで出会うことを堅くした。
かくして、彼が漂着した場所とは思い出の地である。
「よりにもよって、ここが待ち合わせ場所になるなんて」
そこは綺麗に透き通った波が押し寄せる砂浜だった。記憶の片隅にある終わりなき円環に設けられた仮設の終着点だろう。しかし、今は透き通った海にエヴァンゲリオンも何もない正真正銘の砂浜で円環が断ち切られて途中駅への切り替わりを示した。
すると、浅瀬の方でバシャッと音が聞こえる。
「アスカ! マリさん!」
「ふい~何とか来れたぁ」
「まったく…世話焼かせる」
立ち上がろうと試みるがヨロヨロして転んでしまった。思う通りに体が動いてくれないのは精も根も尽き果てた証拠だろう。両手をついて立て直して辛うじて立つことに成功するが傍からはとても見ていられない。比較的に元気な少女2人が駆け寄っては肩を回して抱きしめた。
「えっと…ただいま」
「はい、お帰りなさい。何か言うことはなくて?」
「ごめんなさい」
「よろしい」
「あらあら完全に尻に敷かれちゃって」
マリはともかくアスカは怒って当然を極める。自分を置いて勝手に戦いに向かったかと思えば一人で犠牲になろうとした。最愛の人に置いてけぼりを受けては怒りの感情を芽生えさせる。もっとも、特段制裁を加えようとは思わなかった。無事に帰って来てくれただけで喜ばしく海の如く綺麗な両目から大粒の涙が溢れ出しては止まらない。
「馬鹿シンジ…」
「はいはい、僕は大馬鹿者だよ。すいません、マリさん」
「謝るんじゃないよ。君が全てを背負いこむことはよく分かっていたけど、ここまでやるとは思わなかったから認めるしかないね。ゲンドウ君とはわかり合えたかい?」
「決して十分とは言えないんですけど、まぁ少しは」
「それはよかった。父が子と分かり合えないことは意外と苦しいもの」
ワンワン泣きじゃくる少女にシンジとマリは苦笑いを隠せないが悪い気持ちにはならない。むしろ、散々苦しい目に遭わせてしまった自戒の念が強まる。もちろん、今更になって自己犠牲で代価を払おうとはせずに長い時間をかけて償う予定を組んだ。それは2人に限定せず母や父、綾波レイ、渚カヲルといった人々への手向けを包摂する。
一頻り泣きじゃくった少女はムッとした表情に一転し少年に要求した。
「あの時キスしたけどなんか違ったのよね」
「なんかって言われても、あれはアスカから第九の使徒を取り除かないと」
「それは感謝している。別に問い詰めるつもりはないけど」
「あぁ、もう面倒! 行けぃ!」
業を煮やしたマリは少年の背中をバン!と押した。彼もええいままよと少女に対し誓いのキスを施す。少女はすんなりと受け入れて10秒以上も愛を誓い合う。両名の愛に感化されたのか周囲は目まぐるしく変化していき見覚えのない駅となった。
♪~♪~♪
(間もなく当駅始発の新山口行各駅停車が参ります…)
列車の接近放送が鳴り響くホームで3人は立っている。どうやらマイナス宇宙は虚構を現実としたようであり一人も欠けることなく戻って来た。見知らぬ駅でも決戦の舞台である南極でないだけ遥かにマシであり、長き誓いのキスを終えた2人と証人は笑い合った。
「さって、戻って来れたみたいだけど。これからどうしようかね~」
「分からない。ただ、ひたすら生きてがむしゃらに突き進むしかないと思う」
「そうね。ここがどこか分からなくてもいいじゃん」
14年に渡り続いた悲劇は喜劇で終わったことは狂いようがない現実だろう。
しかし、当事者たる3人はちょっとした違和感を覚えた。
「というか、肉体はあの時のままなのね」
「確かに。胸の大きな良い女のまま」
そう、彼らは正常に時間を経ることは無かった。3人にとっては14年の空白であり精神面は鍛えられても肉体は維持が続いている。それは仕組まれた悲劇の台本に従うだけのため終劇を迎えたならば一挙に取り戻してもおかしくなかった。
「キャンバスに余白を残してくれたんだよ。14年の余白は僕たちで好きに埋めていいんだ。今から14年を紡いでいく」
「粋なことしてくれるじゃない。そうと決まれば!」
「えぇ、行くしかないわね。シンジ、分かっているでしょ?」
「うん」
3人は目の前にある階段を駆け上がり駅舎の改札を通過する。
切符には悲劇から喜劇と印字されており改札機に入れた際に消え去った。
もう、彼らを縛る物も事も何も無いのである。
3人は3人だけの14年へ向かって街へ繰り出した。
「だって、シンジのお弁当…また食べたいから」
終劇