「いや~連絡を貰った時は驚いたよ。まさか、碇が生きていたなんてな。その感じだと、よほど辛かったな。碇はどうしようか、うちで引き取るか」
「えぇ。そうらしいわ。今、シンジは私がいないと生きられない状況にいるから」
ただ聞くだけなら惚けかもしれないが、全くもって惚けではない。今のシンジは廃人状態にあって、自分一人では歩くこともままならない。隣にアスカがいてようやく動けるぐらいで、まず一人で生きていくことは不可能であると言えてしまう。感情の起伏すら見せず、表情をピクリともさせない姿を見れば納得するしかないだろうて。事実として、迎えに来た協力者は彼が相当酷い目にあったことを瞬時に理解していた。
ここからは歩きではなく、協力者の運転する車に乗ってある場所へ向かう。乗客は3名だが、普通の乗用車であるから問題ない。車内では少女2名に挟まれた少年が1名と中々に羨ましい光景だった。しかも、可愛い彼女ちゃん達だ。だが、当の本人は何にも反応しない。もはやここまでだと、彼が生きていることが怪しく思えてしまう程だった。
それでも、彼がちゃんと生きていることを感じさせることが起こった。
「ちょっと。シンジ」
「…」
シンジは無言でアスカに寄りかかった。十中八九、肉体的でも精神的でもの極度の疲労のせいで、まともに制止することもできないのだろう。大前提としてエヴァを操縦することは、パイロットに大きな負担をかける。肉体を動かすことは最小限でも、ハチャメチャな機動をしたり、常に最善の動きを考えなければならないので常人では耐え難い負担が圧し掛かる。だから、総合的に適性があると判断されたパイロットでなければ操縦できない。要は、エヴァに乗るだけで疲れてしまうのだ。しかし、これで終わらないのが世の常。彼は、自分のせいでフォースインパクトを引き起こしてしまい、結果的には中途半端で終わらせることが出来ても、やっと出会えた理解者を殺す羽目になる。彼の目の前で、理解者は散った。
これら一連の出来事でシンジは、ただでさえ弱り切っていた肉体と精神に残酷過ぎる止めを刺されたのであった。
「はぁ、仕方ないわね。好きなだけこうしてなさい」
アスカは彼の全てを考慮して、受け入れることにした。誰よりも辛い思いをしている彼を突っ撥ねることが許されるだろうか。いいや、許されないであろう。それ以前にアスカは彼の全てを受容することに決めていた。彼が必要としている者は理解者もいるかもしれないが、一番なのは母親である。母親と言うと限定されてしまうため、母性を持つ人物と言った方が良いかもしれない。ただ、アスカは自身の母親について極めて複雑な過去を有する。その意味では、彼女に不安が生じてしまってもおかしくない。いや、そんなことはどうだってよかった。自分の過去なんて振り返らなければ、どうとでもなってくれる。今は、彼を支えること。それが彼女がやるべきこと。
「変わったな。アスカは」
「何よ。何が言いたいわけ?」
「いや、別に悪い意味合いで言っているわけでは無いんだ。何と言うか、丸くなった。特にシンジに対して、強く思うんだ。14年は…ただの時間経過じゃないんだと思い知らせてくれるよ。さて、道が道だから、盛大に揺れるかもしれない。悪いが、碇のことを頼むよ」
「そんなこと、言われなくても。もうね」
車がひた走る道は市街地であるため、小さな瓦礫が散乱していてもグラグラ揺れるほどではない。しかし、これから走るであろう道はそうはいかない。向かうところが場所だけに、そこへ続く道は必然的に苦しくなってくる。安全運転に努めようと、一切揺れない運転は絶対に不可能なのだ。
「安心したよ。アスカと碇が仲睦まじい姿を見せてくれるから。きっと、トウジも喜ぶぞ」
ミラー越しで見る後部座席では、シンジがアスカの肩に全てを預けている。物理的にだけでなく、心も彼女に全てを委ねていた。それを受けるアスカは拒絶せず、むしろ彼のことを進んで引き寄せている。具体的には左腕で彼を抱き寄せ、彼の頭を右手で持って、自分の胸の部分に誘導する。その後右手は彼の頭を優しく撫でていた。そうして彼を完全に自分の下まで引っ張れば、小さな声で「大丈夫よ。私がいるから」と囁く。心を壊してしまった彼にとっては、これがどれだけ嬉しいことだろうかは言うまでもない。もし言わせようとするなら、それは鈍感の極みに尽きてしまう。
一部始終を見ていたドライバーは、朗らかな微笑を浮かべて運転に集中する。この2人の時間を邪魔しないようにしなければならない。それが、彼の責務であろう。
~とある村~
「事前の連絡でわかってはいたが、完全に心を閉ざしてる。生命活動に支障は出てないから、ちゃんと食べれば健康体でいられるはずだ。ただ、心についてはどうにもできん。どれだけの頭脳があっても、どれだけの機械が揃っていても、心ばかりは治せん。すまん…わしには何もできない」
村の中にある医療設備にて、少年は診察を受けていた。彼に必要最低限を上回る負担がかからないように、ベッドに寝かせた上での診察だ。白衣姿で医者らしい人物が診た結果、ただの疲労で命に別条はない。だが、うんともすんとも言わない。この無反応ぶりを見るに、もうクドイようだが心がだめということ。お医者様がそう言うのなら、それで確定とせざるを得なかった。
「そう。ありがとう」
「生きる上で必要になる栄養を詰め込んだ携帯食料を渡すから、食べさせてやってくれ。この調子じゃ普通の食事はとれん」
アスカは頷いて肯定と了承の意を示した。当たり前だが、人間は食べないと死んでしまう人間である。特異な存在を除き、基本的にはそうなっている。したがって、シンジに無理やりにでも食わせないといけない。彼を餓死させるなんて論外の論外だ。
「安心しなさい。このアタシがシンジを守る。鬼が出ても、蛇が出ても、エヴァが来てもね」
何よりも力強い一言であった。