車椅子でゴロゴロと運ばれるシンジ。彼をゴロゴロと運ぶアスカの両名は、ゆっくりとした時間を物理的にも過ごしていた。第三村の未舗装道路でも、ノロノロ運転をしていれば安全に動くことが可能である。運ぶアスカは、敢えての意図的に高度な技術がチラチラと存在して、人口密度が濃い中心部、旧二俣線天竜二俣駅を避けている。よって、畑が主となる第三村の外れの方を歩いていた。中心部はどうしても人が多いので、奇怪な目で見られてしまう。それはシンジにとって、今現在は一番避けなければならないことだ。多少の目があることはやむを得なくても、あまりにも多数になると事情は変わる。アスカのおかげで、何とか精神状態を良好に維持できているが、一瞬でも綻びが生じれば瞬く間に崩壊を始めてしまう。そんなリスキーな行動は慎むべきであろう。また、良い意味での『田舎』の環境は荒み切った彼の心を癒す効果があると思われた。
「この第三村はニアサーとサードを生き残った人間が身を寄せ合って、互いに助け合って生きるシェルター。説明は受けていると思うけど、改めて言っておくわね。そして、一応言っておくけど。シンジは悪くない」
アスカは先んじて釘を刺しておいた。彼は何もかもを背負いこんで、自分だけで処理しようとする。それで処理することができれば、誰にも迷惑をかけないで終わってくれる。被害を被るのは自分だけなのだから。しかし、問題は処理しきれなかった場合であろうに。幸いにも、それは織り込み済みであった。なぜなら、彼は自分だけが壊れるように努力するからだ。確かに処理出来ても、出来なくても壊れるのは自分だけ。そうとは言え、自分が壊れて廃人と化してしまっては元も子もないだろうに。
彼と近しい彼女は、絶対にそれを許さない。この第三村を含めた世界を創りだしたのは彼のせいとは言え、全部を背負って自滅しようなんて冗談じゃない。いくら何でも早計が過ぎる。それに、悪いのは彼ではないのだ。真に悪いのは、SEELEや全ての元凶である碇ゲンドウなのだから。奴らが彼ひとりに押し付けたのが悪い。
「向こう(Wille)でシンジが不条理な辛い思いをしたのは、まぁ、正直に言っちゃうと。あのクルーはアマチュアだからよ。ミサトやリツコに関しては許さなくてもいいけど、せめて理解はしてあげて。立場上の問題があるから」
シンジは第三村以前の話として、Wille(ヴンダー)での出来事で酷く打ちのめされていた。彼がやって来たことが裏目に出たとはいえ、それはくだらない結果論に過ぎない。時に結果論は正義の様にされる風潮があるが、それは本当に正義といるだろうか?結果に至るまでには、必ず幾つもの過程が存在するのである。その過程も単なる一本道ではない。複雑な数えきれない道があり、また外からの風もある。それを全部ひっくるめて考えないといけないのではないか。しかし、この論争には決着がつくことなく、永遠と続けられるだろう。それでも、彼が置かれている状況を鑑みれば、安易な結果論で終わらせるのは愚行と断じる。少なくともアスカはそうだった。
「…(無言で畑を見つめる)」
(シンジのことだから、ちゃんと聞いてはいるだろうけど。やっぱり、まだ厳しいか)
シンジの反応は無かった。言葉はなく、頷きなどの手振り身振りも無かった。それでもいい。大切なことは根気よく語りかけること。シンジは大切な人の話までもシャットアウトしてしまう程に非常識ではない。彼は極めて温厚で真面目な性格だから、アスカのような愛する少女の話すことを聞かないわけがない。それを理解しているから、反応が無くても、反応があると彼女は判断していた。無論、彼が未だに厳しい状況にあることは否めないが。
「ちょっと歩くけど、良いところに行くわよ。私たちの馴染みがある場所に。そこなら誰一人いないからね」
アスカは一計を案じて、畑地帯から場所を移すことにした。結構歩くことになるが、シンジが安らぎを覚えることができるなら上等だ。いやいや、それでもであろう。シンジを乗せた車椅子を押すため、移動距離の長さとの相乗効果でかなりの労力を要するぞ。それは馬鹿にならない。
(そのぐらい、どうってことないわ!)
だ、そうだ。
さて、歩くこと20分ほど。青々とした木が生い茂る林道を抜けた先に、妙に開けた土地があった。しかも、ただの土地ではない。一面に青い湖が広がっている。元からあった自然の湖かと思われたが、どうやら違うらしい。なぜなら、瓦礫と化している人工物が存在しているからだ。
「昔のNERV本部関係施設のなれの果てが、こうして大きな湖になっているの。ちゃんと魚もいるし、鳥もやって来る。それに、あれもね」
アスカが指さした方向をシンジは見た。すると、みるみるうちに彼の表情は穏やかなものになっていった。指さした方にいたのは、懐かしいペンギンの群れだ。随分と人慣れしているようで、2人を警戒するどころか、真逆で積極的にこちらに向かって来ている。なるほど、彼は旧友を思い出したことで、安らぎを感じ始めていた。人は常に他者を傷つけ、他者に傷つけられる。動物は違う。純粋な彼らは他意なく行動する。例外があるかもしれないが、このペンギン達。とても賢い温泉ペンギン達は、まず間違いない。
「歓迎しているのかしら」
「ペンギンか…」
アスカの目論見は見事に的中した。ただ単に『田舎』を散歩することは悪くないが、特段良いわけでもない。散歩だけでは療養に時間がかかるため、一種のカンフル剤を欲していた。そこで、ここの湖と温泉ペンギンである。シンジのメンタルを熟知しているアスカだから思いついた妙策だった。
温泉ペンギンは上手いこと群れを変形させ、綺麗な円形でシンジの車椅子を囲んだ。囲まれた彼は恐怖を覚えそうだが、旧友の記憶があるため全然気に留めない。温泉ペンギンに敵意や害意は全くのゼロであり、シンジのことを取り囲んでワイワイしている。彼のことを優しくクチバシで突いたり、頭を擦り付けたりして甘えている。
「フフッ…」
シンジは嬉しそうに笑っている。
それを見るアスカも笑っている。
そう、2人とも笑っていた。