昏き太陽の小夜曲   作:志生野柱

17 / 17
17

 人気の失せた大通りに、暁の光が満ちていく。

 勿論、自然のものではない。現在時刻は18時前。夜明けどころか、夜本番すら訪れていない。

 

 厳密には、それは陽光でさえなかった。

 

 千年もの長きに亘り戒めてきた封印が解け、本来の力を取り戻した仄火が放つ、空亡の光。

 

 それ自体が何か強力な特異性を持っているわけではない。あくまでも暁光によく似た、夜の澄んだ冷たさと闇を払う暖かさが奇妙に同居した色の光というだけ。

 しかし、全く無意味なただの明かりではない。

 

 信号機と同じだ。

 ただの光でしかないものに意味を付与するには、光を目にする者の知性が必要だ。緑なら進め、赤なら止まれ。人間はそれを知っているから、信号機が指示器としての役割を持つ。

 

 人間にとっては、ただの光。

 そして──妖怪にとっては、滅びの顕現を知らせる警告。

 

 光は夕闇の中で減衰し、50メートル離れた夕魅の位置からは光っていることすら分からない。しかし、妖怪はそれを目に見える光信号としてではなく、不可視の妖力の波動として感じ取った。

 

 仄火──空亡を中心とした半径10キロ圏にいた妖怪のほぼ全て、虫のような小さなモノから人間大の大ぶりなモノまで、総数20000体以上が脇目も振らずに逃げ出した。自分が何から逃げているのかを明確に理解できるほどの知性は無く、だからこそ、本能的な恐怖に駆られた妖怪たちの動きには困惑や躊躇が無い。

 

 彼らは一心不乱に、自らを喰らい潰す暗黒の太陽から距離を取る。

 何があろうと、何処に居ようと、全速力で。

 

 進路上の人間も、この時ばかりは悪意や害意を向ける標的ではなく、ただの障害物だ。

 驚かすだけの妖怪も、食うために殺す妖怪も、攫って隠す妖怪も、自分たちが持つ能力を十全に活かして逃げる。()()()()()()()()()。性質と存在理由がイコールで結ばれるのが妖怪だ。自然には有り得ない挙動と言える。

 

 結果として──まだ何の術も権能も使っていない、ただ空亡が力を取り戻しただけの結果として。

 

 百鬼夜行が始まった。

 

 小さく力もない妖怪の中には道行く歩行者に踏み潰され、車に撥ねられて消滅するモノもいた。普段なら霊力の籠らない物質は自分の意思で透過できるはずだが、恐慌状態とあっては非物質状態を維持することもできないようだ。

 

 口裂け女や袋狢のような人間大のモノが車や電車に撥ねられると、撥ねた側も衝撃で気付く。中には運転手が人間を撥ねたと思ってパニックを起こし、暴走した挙句、本当に人を撥ねた車もあった。

 

 ごく一部、ぬりかべや犀のような巨躯を持つ妖怪は、ぶつかった車やバイクの方が重篤な被害を受けた。

 

 生身で妖怪の進路を妨げた──たまたま進路上に立っていた人間は、もっと悲惨だ。

 普通に人間が全速力で走ってきて衝突するだけでも大怪我する危険があるのに、相手は牙や、爪や、場合によっては毒や刃物さえ持っているのだから。

 

 人々は見えない何かと衝突し、時には切り裂かれ、食われ、拐かされる。

 

 妖怪たちのスタンピード。

 

 それを引き起こした張本人は、惨劇の中心で欠伸を零していた。上品な仕草で口元を隠し、浮かんだ涙を拭う。

 ほんの数秒前まで激痛に叫んでいたとは思えない、安穏とした所作だ。

 

 仄火の身に起こった変容は、もっと緩やかな速度であれば“成長”と表現して差し支えのないものだった。少なくとも唐突に翼が生えたり、腕が増えたりはしない。

 背と髪が伸び、身体に起伏が生まれる。ただ、時間の加速による急成長ではないことは、纏っていた衣服までもが変化し、純白のワンピースは色を反転させ複雑化する。

 

 伝統と格式に則った着物ではなく、さりとて洋風に振り切れてもいない、折衷的なデザインの黒いドレス。

 狐の耳はどこかに消え、金色の髪と目は自ら光を放つかの如く輝いている。肉食獣のような縦長の瞳孔が様変わりした自分の肉体を見下ろし、脚を見るのに胸が邪魔で首を傾げた。

 

 「あぁ──そうだったな」

 

 幼くも落ち着いた涼やかな仄火の声ではなく、酷薄さ一辺倒の冷たい声。

 目を瞑り長く伸びた髪を弄ぶ様は、声も相俟って陰鬱な女帝といった雰囲気がある。

 

 「私は、こういうモノだった」

 

 滑らかなストレートだった髪は緩やかなウェーブを描き、手櫛によってふわりと靡く。

 再び開かれた金色の双眸は浮世への倦厭に満ちていたが、玉藻の前の後ろで倒れてピクリとも動かない陽人を見つけたとき、柔らかな笑みの形に細められた。

 

 「未だ何の力も振るわぬというのに、霊力が底を突いたか。愛おしいほどに無力だな」

 

 慈愛と嘲笑を同時に感じさせる声を聞いているのは、玉藻の前ただ一人だ。

 陽人は完全に昏倒している。肉体そのものにダメージは無いが、霊力は単に使役術や陰陽術を使うときの燃料、所謂MP的な役割だけではなく、精神的活力の源でもある。

 

 今の陽人には起き上がるどころか、目を覚ますだけの気力がない。心因性昏睡に近い状態だ。投与され続けているのではなく、吸い上げられ続けているというのが麻酔薬との違いかもしれない。

 

 仄火──空亡による霊力の吸収が止まれば、自然と目を覚ますだろう。

 問題は、その吸収能力が不随意だということ。

 

 「気持ちよう寝てたみたいやねぇ、空亡。寝惚けてるんか知らんけど、()の妖力食うん、止めて貰える?」

 「私は無知も愚鈍も愛せるつもりだ。そこで倒れ伏している私の主人をそうするように。……だが、貴様の無知は不愉快だな。私のこれは呼吸……いや、心拍に等しい。そもそも──妖怪を相手に権能行使を止めさせるなど、不可能だろうよ。権能は我らの存在理由にして存在そのもの。生まれ直して早々に耄碌したか、千年妖狐」

 

 玉藻の前の口ぶりは軽く、とてもそうは見えないが、彼女も空亡によって妖力を吸収されている。それも、陽人が昏倒するほどの量を。

 並みの妖怪であればとっくに消滅しているはずだが、そこは英雄の軍勢に匹敵する大妖怪。保有する妖力量が桁外れのようだ。

 

 空亡の言葉に、玉藻の前は雅な仕草で口元を隠してけらけらと笑う。

 

 「主人やなんて、あんたはんこそ1000年も封印されとって耄碌したんとちゃうん? 大妖怪空亡は、()と同格にして同質の、人も妖怪も分け隔てなく滅ぼす妖怪やろうに」

 

 自分と同格、と言うところで、玉藻の前の目の奥に忌々しそうな光が一瞬だけ瞬いた。

 自尊心故なのか、単に戦闘に発展したとき面倒だからなのかは不明だが、そんなこと、空亡にとってはどうでもいいことだ。

 

 いや、それ以前に──空亡の価値観に照らすと、彼女と玉藻の前は同格なんかではなかった。

 

 「同格? 力量の話か。だが、貴様は所詮、傾城傾国の化生。私のように純粋ではない」

 

 国を滅ぼす化け物を──人間一人では無く、1億人の集合である国家に対して悪意を向ける化け物に、「所詮」という侮る言葉を使う空亡。

 その一言で、玉藻の前はその表情を苦々しく歪めた。

 

 ──当てが外れた、と。

 

 妖怪は自分が持つ悪意と害意の本能に従う。

 だから玉藻の前は、空亡を覚醒させれば、百鬼夜行によってこの国を亡ぼせると考えていた──空亡とは、“百鬼夜行によって人間を害する妖怪”だと思っていた。

 

 「知性(ヒト)の転じた化生など、野性(ケモノ)の転じた怪異など──恨みつらみの積もる果ての悪意など、木っ端に等しい。我ら妖怪の中では、純粋さこそが強さであり正義」

 

 だが違う。

 空亡の語り口調からは、玉藻の前も含めた妖怪への蔑視がある。それは空亡という妖怪の強さに裏打ちされたものだと、一瞬だけ錯覚してしまった。

 

 だが、違うのだ。

 

 「鬼は何故強い? それは奴らが「強いもの」だからだ。戦う術を持たぬ驚かすだけの低級妖怪が、何故未だに絶滅していない? それは奴らが純粋であるが故に、強い核を有するからだ。国で遊ぶ貴様には、純度が足りぬ。遊ぶ悪意は人にとっては恐ろしかろうが、同族にしてみれば贅肉の塊だ。喰らう気にもならん」

 

 嘲弄を向けられるなど、玉藻の前にしてみれば初めての──1000年前、平安時代を含めて一度も無かったことだ。

 だから忌々しく表情を歪めるが、頭の中は冷静だ。

 

 冷静に──この場から、空亡の眼前から逃げる方法を模索していた。

 当てが外れたと、空亡の本質を見誤っていたと気付いた瞬間から、ずっと。

 

 「ただ在るモノ。自らの在り方を知り、そのままに在るモノこそが強い。それが妖怪というものだ。どれほど弱くとも純粋であれば決して滅びず、ただ強く在るものが強い。我らはそういう存在だ」

 

 空亡は力を封印され“仄火”と呼ばれて陽人の使役下にあったときから、自分の存在理由に忠実だったのだ。玉藻の前はそれに気付くのが遅れた。

 

 つまるところ、空亡とは。

 

 「──平伏せよ。百鬼夜行の幕開けにして幕引き、生み出し喰らい尽くすモノ。昏き太陽たる空亡に」

 

 ()()()()()()()なのだった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(必須:5文字~500文字)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。