日向マコはこれまでの十四年間、一度だって舞台に立ったことはない。
幼稚園や、祖母の目の前という意味では何回かあるものの、二十人以上の観客になんことは今日が初めでだった。ましてや、特別な衣装を着てなんてもってのほか。
あぁ、手を包む紫の手袋が震えてたまらない。
普段なら絶対着ないフリッフリでガーリーなアイドル衣装が馴染まない。
己の目と同じ紫を主軸にしたドレス、身体の震えがスカートの端にも伝わってとまらない。
歓声が、聞こえる。
観客の姿が、見える。
喉の奥が、知らずの内に乾く。
舞台袖からでも、熱気が伝わる。
「ステージは始めて?」
「うん。思ってたより、―――怖い」
「大丈夫」
赤星メイはバンドで似たような経験がそこそこあるのだろう。かつての自分を思い出すように、震える手を包むように、黄色の手袋が日向を包む。
緊張なんて微塵もない、経験者としての威厳だった。ペンギンの髪飾りをしているから、どうにも締まらないのはご愛敬。
「日向ちゃんなら、大丈夫だよ」
「うん、うん。これまで一杯練習してきたんやし。いける」
いける、いけると自分を言い聞かせるように呟く。
ただの少女のように怯える日向を、メイはただ見ていた。そうだ、この子はまだ中学生なんだ。まだ遊びたがりで、世界のことなんて全く知らない青い果実なのだ。自分よりも小さな、小さな太陽ちゃんだということに、メイは今更になって気付かされる。
「ようし、全員そろっているな? んじゃ、最終ミーティング、っつっても、ひと言だけだけどな。えー……」
「その話長い? カットとかできない?」
「アイ、話の腰を折るんじゃねぇよ」
「だってひと言っていっていつも結局長くなるじゃん」
「キタホとメイカとお前以外は初めてだっての」
「あ、そうか」
はて、いつから漫才でも見せられていたのだろうか。日向も、四ノ川カナンも、緊張でどうにかなりそうだというのに、これではその緊張もどこかにいってしまう。気が付けば日向の顔に笑み。ふるえは止まっていた。
「ともかくだ。日向マコ、赤星メイ、伊熊ルミカ、四ノ川カナン。お前たちにとっては『B小町』になって初めてのライブになるわけだが、気負いせず行ってこい」
「そーいうのって逆にプレッシャーになるんじゃ?」
「いらねぇこと言うんじゃねぇよ」
あぁ、この2人は本当に仲が良いのだろう。本当に、家族みたいだ。なんて日向は思ってしまう。それほどに、アイと斉藤のやり取りは日常的だった。
ほら、首をこてんとするアイに向けてデコピンをお見舞いするところなんて父親と娘そのものだ。……どうやって髪のセットを崩さずに痛いデコピンを放てるのか、後で聞きに行こうか。なんて考えるほどには、余裕ができていた。
「時間だ。ほら、お前ら全員行ってこい」
「はいはーい」
「はい」
「は、はい」
アイはいつも通りに、渡辺と高峯はどこか力なく。
「それじゃーいこぉー」
「これが、私の初めてのっ」
ルミカはのんびりと、カナンはまだどこか緊張の取れていない様子で。
「じゃ、行こう、日向ちゃん」
「―――はいっ!」
メイと日向は、舞台に一歩、踏み出した。
そして定位置に。
音楽が止まる。
照明が消える。
歓声が止む。
息さえ。
誰もかれもの存在すら線引きがあいまいになる暗闇の中、不動のセンター様であるアイは思う。
センターの自分から見てひとつ左にいるアメジストの太陽。いつかはセンターを己から奪って見せると豪語した活きの良い新人さん。
オーディションや、レッスンの合間でさえ彼女の動きに魅了されたことは数知れず。本当に、すごいと思う。心の底から、ワクワクする。
退屈がひっくり返るほどの衝撃を受けた。
冷や汗だって何度したか。
―――でもね。
―――それでも、まだ、貴女はまだ勝てないよ。
―――この
そして、帳は降ろされる。
『あ・な・たの、アイドル サインはB~~! Chu!』
暗闇の宇宙に、一等星が輝いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―――おかしい。
日向が異変に気が付いたのは、四曲目の序盤だった。
震えはない。舞台袖でメイが取り払ってくれたから。
動きは悪くない。むしろ初めてのステージで、どんどん調子は良くなってきている。自信をもって、過去イチだと胸を張れる。イメージとリアルの差はほぼないと言っていい。
思考は明瞭。二曲目のCメロあたりまであたふたしていたが、アイが新加入メンバーの紹介をしているあたりで立ち直った。
目の調子も良好。わざわざ休みを取ってきてくれたのだろう、客席にいる母と姉の姿も見える。どうやらクラハも、あと何人か知った仲の学友も来てくれている。
紫のペンライトも、数は少ないとはいえ何本あるかまでキッチリと。
二たびいうが、日向マコの調子は現在進行形で絶好調だ。
だからこその不自然。
―――どうして、こんなに見られてないんや!
見て、見て、見ろや、見てくれ。
そう焦るほどに、白けていく観客の目が辛かった。
誰もが、自分ではなく、少し右の兎さんを見ていた。
空に輝くお星さまを、崇拝していた。
「それじゃ、いっくよ~~~!」
そして、とびっきりの大嘘つきが会場を支配している。
なんだ、なんなんだ。
メイや日向が『見て』と音楽に気持ちをのせるたび、逆に恥ずかしくなる。
まるで、一生懸命あれやこれやを駆使して絵画を査定している横で、すらりと現れた貴婦人がさらりと値段を言い当て去っていくような虚無。
いや、自分たちは成り金よろしく宝石や真珠に金を身に纏ってでもと必死に振り向いてくれる人を探す中、ただ花をめでている横の女性に全員が目を奪われているような、いいようもない恥ずかしさ。
つまるところ、どうしようもない敗北感が日向を、メイを襲った。
しかしこれも当たり前の話。
アイは、今まで二年もの間、このグループを引っ張ってきた、引っ張り上げてきた人物なのだ。どうして今日ポッとでた新人に、違う畑で育った中途に負けることがあるだろうか。
「次の曲は~~~?」
経験も、プライドも、全て、総て、すべて賭けてアイは今この場に立っている。
愛せなくてもいい、愛を知らなくてもいい、全部嘘でもいい。
嘘つきなお前に、アイドルは天職だと斉藤は言ってくれた。
嘘付きのままでいいと言ってくれた。ろくでもない生まれで、ろくでもない生き方をしてきた自分を初めて肯定してくれた唯一の存在なのだ。
だから、『愛してる』の嘘が本当になるいつかの日まで、自分を見出してくれた斉藤を裏切るわけにはいかない。負けるわけにはいかない。
だから、センターなんて絶対に譲ってやんない!
―――これが、わたしにできる親孝行だから。
だから……星は人のために輝いていられるのだ。
「そうだ、アイ。『B小町』のセンターが誰か、生意気な後輩に教えてやれ」
舞台袖の奴隷は、アイの気持ちを知らないけど、アイドルとしてのアイを、彼は全幅の信頼をよせるのだった。あるいは、それこそを信仰だというのだろうか。
ステージが、更に熱狂を苛烈にしていく。
中心は、やはり天性の星を宿したアイドル様だった。
―――クソッ
怒りが、湧きあがる。これまで経験したことのないほどの猛烈な熱を伴ったマグマが沸き立つ。
―――クソッッ
怒り、怒り、怒り。
何に? 見られないという虚無? どうしようもない敗北感?
それともあんなに宣っておいて完敗という絶望?
―――クソガァッ!
否、否、否だ。
日向マコは、自分に対して憤っているのだ。
「日向ちゃん……」
クラハの、心配そうな声。姉の不安そうな顔、母の優しそうな目。
悔しくて、悔しくて仕方ない。ただ、自分を見に来てくれたファンを心配させたという事実が、心底不甲斐ない。
断じてそんなことを言わせるためにアイドルになったわけじゃない。
こんな顔をさせるためにステージに立ちたかったわけじゃない。
『マコは太陽の子だから、たくさんの人を照らしてあげなさい』
ただ驚かせたかった、満足させたかった、応援させてやりたかった。
ひとえに、笑顔にしたいだけだった。
その一番の近道がアイよりも目立つこと、センターを奪うことだと思っていた。
しかし今、もうそんなことはどうでも良い。そういう話以前の段階だ。
『B小町』のメンバーですらなく、お星さまを引き立てるためのバックライトでしかない自分が、どうしようもなく許せない。
―――あぁ、クッソ。ホンマに、怒り狂いそうやわ。
「今日のライブは以上となります。それじゃ、みんな、また次のライブで!」
アイが音頭を取る。
『B小町でした!』
お辞儀をしてステージから下りる寸前まで、自分はアイドルとして体裁を整えられていただろうか。日向は自信がなかった。
そしてギリッ、と日向、ではなくメイが下を向いて噛み締めている。
彼女に至っては今日が初めての舞台というわけでもない。客へのパフォーマンスの造形はそう変わらないはずだ。なによりも、自分はアイやマコとは二年も先に生きている。社会に出ればたった二年。されど青春期の色濃い二年。
それでも、アイはおろか、始まる前は震えていたマコにすら遠く及ばなかった。
彼女は今どんな顔をしているのか、それはメイ自身しかしらない。
ただ、今日この日二つ言えることは、日向とメイはたった一人の星に蹂躙されたこと。
そして日向マコが、人生で初めて挫折を味わった忌まわしき記念日。太陽の光すら届かない、深淵のそのまた下のどん底まで突き落とされた、落陽の日だということだけだ。
まぁ、これで勝っちゃったらストーリー終わっちゃうからね
6月7日23時58分、使用楽曲コードを間違えていたので、修正しました。