アイドルを夢見る日向マコ14歳。けんかっ早い性格ゆえに他人とぶつかったことなぞ十や二十二とどまらない。しかし最後にはなんだかんだと和解してきた。そんな日向でも二度目にあった人物に首を切るジェスチャーをされたのは初めてだった。
そもそも芸能事務所の社長が、そんなパワハラじみたことをする方がおかしいといわれればぐうの音も出ないのだが。
「え、なに」「もしかしてこれが圧迫面接っ」「なんであの人あんなに不機嫌なの」「あれ、服に汚れが」「私やっぱり今日の面接やめようかな」エトセトラエトセトラ
ヤのつく風貌も相まって、一時間前の斎藤の身に何があったのかを知らない人たちに動揺が走る。脈絡もわからないのに不機嫌な人が目の前に現われれば、それも当然だろう。
とはいえ、いちど空気がひりついてしまえば戻るのはそうたやすくない。しかも張り詰めた空気は緊張と不安を誘発し、そんな感情が身体の動きまで鈍らせる。つまるところ、こんな状況で十全なパフォーマンスなんぞできるはずもなく。
誰かの、息を呑む音さえ聞こえないほどの静けさ―――
「社長なんで怒ってんのー? あ、私は『B小町』のセンターやってます、アイでーす。今日は審査員もするから、みんなよろしくねっ」
そんな雰囲気など気にも留めぬと一番星。ウインクとともに星が飛び出そうなほど天真爛漫そうな声が静寂を叩きのめした。空気が弛緩する様は、誰かの安堵の息がよく表している。
やはりアイドルとは一声だけでこんなにも場の空気を支配できるのもなのか。それに気が付いたものは全体の四分の一もいればよい方だろう。そのほかはきっともう星の輝きに脳を焼かれているに違いない。
「お前っ! いや、まぁいい。……オーディションは審査室で五人ずつ行う。とりあえず受付からもらった番号、1から5番までは付いてこい。他は呼ばれるまでここで待機していてくれ」
斉藤は言葉を締めくくって会議室を後にする。星野は男の背を追うように手を振った後で退出した。私情に揺さぶられながらも、仕事の一面を決して忘れないのはさすが芸能事務所の社長と言ったところか。扉の閉まる音は『心して備えよ』と警句を飛ばしているようにも聞こえる。
日向はあたりを見渡すと、各々がせっせと準備に、あるいは精神統一をしている者も。
―――あぁ、そうやった、ここにいる人たち全員、今日のライバル。
にじり寄る熱気に思わず身震い、よりも笑みが一つ。
「おもろいやんけ」
「何がおもしろいの?」
「ひゃいっ⁉」
意気込む日向の首筋にひんやりとしたものが。驚いて振り向くと、どうやら当てられていたのは飲料水。今日は良く驚かされるな、だなんて心に一つ。
「キミささっきすごい睨まれてなかった?」
「ちょっと、ここに来るまでに色々ありまして」
「なんか、わけありありな感じ?」
「そんなところです。……えーっと」
飲み物片手にイタズラ大成功! と舌をぺろりと笑う女性。
今日ここにいるということは言わずもがな彼女もライバル。だが、どこか体格に見合わない幼さを感じさせる様は、アイの天真爛漫というよりも元気溌剌といった方が適格か。
黄色に彩られた髪がぴょんぴょんと揺れて人懐っこさを醸し出している。
「あぁ、ごめんね。わたし、赤星メイっていうの」
「日向マコです。関西の方から来たんで、ちょっとイントネーションとかおかしいですけと、よろしくお願いします」
「そんな硬くならなくていいよ。身長的に高校生二年生?」
「いや、中学三年です」
「えぇっ⁉ てっきり同年代かと」
うわー足ほそー。背ぇ高、すごー。なんて言いながら日向の周りをまわるメイ。どうしてか、日向の頭の中には目新しいモノをくちばしで突っつくペンギンの姿を思い浮かべた。
べたべたと身体を触られるのは日向も慣れているが、珍獣を観察する様子はどことなく気に入らない。メイの方に悪気が一切ないからこそ止めにも入り辛い。
しかし待機時間は有限。準備することは山ほどあって、いくら準備していても不足はない。ここは人懐っこい笑みを一つ。
「多分呼ばれるの最後の方でしょうし、せっかくなんで、呼ばれるまで身体ほぐしておきませんか?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
身体をほぐすこと早30分そこら。念入りに、一つ一つの筋肉と筋を丹寧にほぐしていく。動悸は一定に、されど身体を温めてじんわりと内側から熱くなる感覚が心地いい。日向はいつもやっているルーティーンの一つで、特段目新しい発見はあるはずもない。
だが、今日に限っては共におしゃべりをする人がいるからだろうか、体感時間をいつもより短く感じていた。
「そういえば赤星さんはどうしてこのオーディションに?」
「メイでいいよ。私音楽が好きで、高校の同級生と一緒にバンドやっていたんだけどさ、なんというか、方向性の違い? で解散しちゃってさ」
やってしまった。話すべきではなかったかと日向は言葉に詰まってしまう。好きな食べ物は、休日どこ行くの? そんな話をしていた時は一度も俯くことなんてなかったのに、今、たった一つの質問でメイとの心の隙間が広くなるのを日向は感じた。
こういう時は、いつだって人の心に埋まっていた地雷が爆発する音がするのだ。
「みーんな受験勉強でーとか、音楽とかはあくまで息抜きだってさ。でも、でもさ。私はっ」
「……」
日向には、メイの抱いている感覚が理解できなかった。転校になる前も、後もそれほど校内での友人関係ですれ違いなんて経験してこなかった。
一番身近な家族とも、母親には『アイドルなんて』と口酸っぱく言われているが、いかんせん日向本人が頑固なところがあるゆえに、いつもすれ違いではなく真っ向勝負のぶつかり合いになってしまう。
まぁ、夕飯時になれば何もなかったかのように宅を囲むのだが。
「ごめんね、辛気臭くなっちゃって。日向ちゃんこそどうしてアイドルに?」
「ふふふーん! ウチはなぁ」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに楽し気に口を開いて―――
「40番から48番の方、準備が整ったので審査室にお入りください」
またもや遮る声。
ムスッとはしてしまうが、呼ばれてしまったのならば仕方がない。
「呼ばれちゃったね」
「出鼻挫かれてもうたわ。タイミングわるぅ」
「そんなすねないの。さっ、行こっ」
そうして日向とメイ、あと四人が元気よく返事を返す。最後に一杯、水分を口に含み、ゴクリとのどを潤していく。声を整え、髪をヘアゴムで縛って意識を切り替える。
ほぐした身体には熱が滾ってたまらない。
オーディションでは一人3分も時間は与えられないだろう。だからこそ、日向は胸に燃え滾る灼熱をその刹那にぶつける。
全ては、『
そうして独り静かに目を閉じる日向に、メイは寄り添うように背中を叩く。会場についてたった30分の短い関係だったが、メイはどうしてか日向にこのオーディションに受かってほしいと思いようになっていた。
いや、もっと正しく言うのなら、………ここではやめておこう。
「ねぇ、日向ちゃん」
「どないしたんです?」
「絶対受かろうね」
「あー、そう、ですねぇ」
メイの心の内を日向は知らない。でもメイのきらりと光る瞳を見れば、あの社長の股間を蹴り上げたから多分無理、なんて言えるはずもなかった。
感想よろしくお願いします。
次話はほぼ無理ゲーと化したオーディションに太陽の子が挑みます。