苺プロのオーディションから早三日が過ぎた。だが日向の本当の闘いはこれからだったのだ。
というのも母親にアイドルオーディションに行ったなんて知られた日には、『あらあらまぁまぁ』と普段はやさしい日向の母親が般若になること間違いない。だから日向はあさイチや、母が仕事から帰ってくる前にこっそりマンションの郵便入れを覗いてなんて生活をせざるをえなかった。
今日も朝、日が昇るとともに起床してランニングを済ました後にチラッチラッと見たが、入っていたのは近所に新しくできた弁当屋のチラシだった。……あ、この唐揚げ弁当美味しそう、といらない考えをしてしまったのは悪くない。
さて、そんなアイドルを目指す太陽の子とて、義務教育の檻から逃げ出すことはできない。中学二年に上がると同時に都内に引っ越してきた日向も、三か月も経てば転校してきた学校に完全に馴染む。
最初は積極的にコミュニケーションを取りに行く日向にみんなたじろいではいたし、聞きなれない関西弁という特徴もあってクラスの中で浮いていた。
しかしさすがは太陽の子、ことある人たちと会話するごとにパーフェクトコミュニケーションをかまして、今では作りあがった校内の女子社会の中に溶け込んでいた。むしろ、いつもにこやかな彼女の姿に脳を焼かれてしまった日陰女子たちも少なくない。
「う~、う~~ん」
「えっと、あの、どうしたの日向ちゃん」
お昼休憩、共に箸を食べ物に高峯クラハもその一人だ。どこにでもいるメガネっ子ショートボブの彼女だが、日向がこの学校に転校して始めてこんがり脳を焼かれた第一被害者でもある。
「アイドルオーディション受けたって言うたやん?」
「日向ちゃんなら絶対受かっていると思うけど」
「さすがに絶対はないって。審査自体は自信あんねんやけど、その前にちょーっとな」
「……今度は何やらかしたの?」
「やらかしたって、……いや、そうなんやけど」
クラハはこの三か月間、それはそれはよぉ~く日向のことを見てきた。席が隣だったがゆえに、日向の非公式ファンクラブの中でいつも自慢するくらいには共にいた。
だから彼女が何かやらかしていることはもうわかっているので、こんな聞き方をしたのだ。
このアメジストの能天気は自分が思っていること以上のことをいつもやらかすから、今度は何をしたのかが気になって仕方ない。
「えぇーと、実はなぁ―――」
いいネタだったらファンクラブの日報にでも載せようかと思案したのはクラハの胸内の話だけ。断じてこんな爆弾ネタ、爆笑ネタを欲して聞きたかったわけではないのだ。
「誘拐と間違えてオーディション先の社長を、蹴った?」
「はいぃぃ」
「どうしてオーディション先の事務所のホームページ見てなかったの? そこに社長とか所属タレントの顔とか載っているんじゃ?」
「あー、あー、正論やめぇ!」
クラハの、悪気のないド正論が日向を襲った。本当に嫌だったのだろう、耳を手で塞いで聞こえませんのタップダンスを踊る。聞こえませんのタップダンスってなんだよ、なんて寒いツッコミはナシだ。ホント、上履きでどうやって鳴らしているのか。
細かいことに目を瞑れば、日向のダンスはやはりすごい。クラハが箸を置いてうっとり眺めている姿からも見て取れるだろう。見れば見る程正気度が削られるというわけでもないのに。
「そうだ、日向ちゃん」
「ん?」
「もし、落ちちゃったら、今度私のチャンネルに出てよ」
「クラハんの頼みならなんでもやるけどチャン、ネル? 何それ」
なんでも、の時点で目から怪しい光が一瞬出たこともないかもしれないが、それよりも気になる単語。はてな? と首をかしげる日向を横目に、クラハは自分の携帯を弄ってとある画面を見せた。それはとある動画配信アプリの画面だった。
そこには十分程度の動画が二度三度スクロールできるほどの数が。チャンネル名を見ると『太陽の黒子さん』、そしてかわいらしいアイコンが映し出されている。ここ一カ月の投稿頻度はかなりのものだ。
「最近流行り始めていて、私も三月から動画配信しているんだけど、もしよければ―――」
「クラハん、クラハんっ!」
ダンス踊ってみたとかで出てみない? と言い切る前に抱き着かれてクラハの頭はショートしてしまった。あ、お日様の匂いってこういうことなんだなと、天にも昇る気持ちになって、ほわわわと天に召されかけた。
歯ぎしりの声がよそから聞こえた気もしないが、クラハの耳には聞こえなかった。聞こえないふりをした。
抱き着きからの両手を取られてルンルンと、太陽の笑顔がクラハを見つめてくる。動悸がすごいことになっているが、このままでは話が続かないと思い、何とか言葉を振り絞って、
「なっ、なに?」
「クラハん、めっっっちゃすごいなぁ!」
混じりッけのない純粋たる尊敬のまなざし、ノーガードに右ストレートを決められた。
十数分の動画と言えど、人を十分も同じ場所、飽きさせないようにするにはかなりの労力を要する。1つの動画を作るために一日、一週間、あるいはもっとなんていうのはざらだ。
もちろん日向は動画投稿などしたことがない。なんなら機械類を弄るのは苦手な部類。しかし、同じく表現する者として『人に魅せるために隠れた幾万の努力』を見過ごすはずもない。
「最近、授業中にウトウトしとるから、影でなんか頑張ってんねやろなぁとは思ってたけど想像以上やったわぁ。偉いなぁ」
「え、えへへ、えへへへへ」
「でも夜更かしはあかんで? 肌荒れてまうからな?」
「ちゃんとお手入れしてるから大丈夫」
とてもご機嫌だった、有頂天だった。いうなれば推しの子から特大ファンサを名前呼びでされているようなもの。仕方あるまい。
「えー? ウチ、クラハんのムニムニ頬っぺた大好きよ?」
「ミッ」
日向の両手がクラハの頬に。
心底気がかりだと誰の目から見ても明らかな太陽の輝きにファンは焼き尽くされてしまった。後から聞けば、真っ白な灰になったクラハの姿はそれはそれは幸せそうだったらしい。
「でんも、動画出演はもうちょい待っててな」
「まだ落ちたって決まってないから?」
「それもあるけど、一番は『まだウチがアイドルになるんを諦めてないから』よ」
ビシッと指さす日向に世界が呼応したのか、窓から流れこむ温かな風は碧の紙をたなびかせる。白い歯を見せて笑う彼女に、クラハはなにも言えなかった。これが彼女で、こんな彼女に惹かれてしまったのだ。今更何を言うことがあるだろう。
「そっか、頑張ってね。応援してる」
「おうさ! クラハんはこっち来てから初めてのファンやからな。ウチはファンからの期待は裏切らん」
アイドルを目指す日向ではあるが、クラハからすれば彼女はもう立派なアイドルだった。年相応に子供っぽくて、でもふとした間際に頼りになる。頼りになるのに、どこか放っておけない。
そんな日向がステージに上がるのをクラハは楽しみにしつつも、やっぱりどこか寂しくもある。ずっと私だけのアイドルであってくれたらな、なんて欲深いこともチラリと。
「あぁ、そうだ。アイドルと言えばなんだけど。隣のクラスの四ノ川さんも同じ苺プロオーディション受けていたみたい」
「え、ホンマ? ウチがいったやつにはおらんかったけどなぁ」
「別の日だったんじゃない? 友だちから聞いたけど、四ノ川さんはもう合格の通知をもらったとかなんとか」
「へぇ~」
「―――ほら丁度。廊下のライトブラウンのロングの子が四ノ川さん」
と話していたら、噂をすればなんとやらとはよく言ったもので、日向たちの教室横廊下に件の四ノ川、四ノ川カナンが友人らしき人物を二・三人引き連れて歩いていた。口元を隠して笑いながら、されど気取らない。
『清楚系アイドル』とはどんな人かと聞かれれば、あの四ノ川だと指さしても申し分ない。実際、彼女の評判は隣のクラスであるクラハたちの耳にも届いている。
「あぁ、あの子がなぁ」
「うん」
「ツラの皮厚すぎやろ」
「とても似合っているよね」
「「ん?」」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
なんてことがあった日の夜。あの後もとりとめもない話をクラハと、他の友達とも集まって気が付けば五限目のチャイムの五分前だった。その後もいつも通り学校の授業を受けて、放課後少し遊んで帰って今。
日向が『ただいま』と元気よく扉を開けた向こう側には、
「あら、お帰りなさい? マコ、ちょっとこっちにきぃや」
「ん~? なに、おかーちゃん」
鬼だ、鬼がいた。
「これは、なぁに?」
「ワッ」
まず良い知らせと悪い知らせがある。
良い知らせは、苺プロダクションからの合格通知が来ていたこと。
悪い知らせは―――、その封筒を日向の母、日向ヒヨリが握っていることだ。
「ちゃんと説明するまで、夕飯ぬきやから、な?」
本作では、原作の描写から推定して、2014年を舞台にしております。
詳しい原作時系列予想に関しましては、別の機会に。
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