「あぁもう、酷い嵐だ。これも関係があるのかね」
森の中を進みつつ、『鏡像』は憎々しげに呟いた。外套に強風と雨粒が叩きつけられ、一歩進むのにも億劫そうだ。
「さて、ここか」
杖から放たれる光を頼りにどうにか目的の場所に辿り着く。木々を切って運び出すことで作られた場所に、異形と『水禍』が構築した魔法陣、それを持続させる為の魔力の通り道があった。
「これは、また。古臭いが頑健に組まれてるな。性格が現れてるよ」
『鏡像』は座り込み、ぬかるんでいる地面へと手を当てる。緻密に制御された魔力の流れは、隠れ里の周囲に広く循環しているようだ。長い年月をかけて魔力を流し込み、消費を抑えつつ結界を維持する。堅実だが途方も無いやり方だ。
「でも、そのお陰で少しは無茶出来そうだ。補修作業は手伝うから貸してもらうよ」
魔力の流れの中に手を突っ込むように、『鏡像』は自身の魔力を織り交ぜていく。以前異形から確認していた結界の造りを頼りに、支配権を一時的に借り受けた。そして、正体不明の存在が現れた場所まで結界を拡張していく。細く、糸のように。
常道から外れた方法は、僅かな時間で『鏡像』を消耗させていく。しかし、今最も大事なのは情報だ。相手がどのような存在なのか、少しでも早く知らなければならない。残り少ない魔石が割れる音を聞きながら、彼女は暗闇を進むように結界を伸ばし続けた。
「・・・・・・っ。これか・・・・・・?」
汗を滲ませながら呟く。探知用の結界が捉えたのは、あまりにも巨大な何か。魔力と瘴気が渦巻き、膨大な力が感じ取られる。『鏡像』は目を見開き、おののくように口を開いた。
「なんだ、これは」
今まで感じたことの無い、どす黒い気配。天を衝く程に巨大なそれは、這いずるようにこちらに近付いてくる。かつて戦った、昇魂薬により変貌した肉塊のような不定形。生き物かどうかすらも怪しい存在を、『鏡像』は懸命に分析しようとした。だが、
「っ、結界が・・・・・・喰われた?」
巨大な何かに向けて伸ばしていた結界が、貪られるが如く消失していく。魔力そのものを吸収しているのか、あるいは術式自体を取り込んでいるのか。いずれにせよ、細かい分析は不可能なようだ。何度か試してその度に結界が消失したのを確かめ、『鏡像』はそう判断した。
これ以上の情報収集は不可能。ならば、里に帰還し対策を練らねばならない。あの存在は、ゆっくりとだが確実に里の方角に進んできている。里が目的でないとしても、何か手を打つ必要があるかもしれないのだ。
『鏡像』は立ち上がり、来た道を戻っていく。激しい雨と風は一向に収まる気配を見せず、むしろより強くなっていくかのようだった。
「私が行く。それで文句はあるまい」
「わざわざ前線に出向くのは感心しないなぁ。君にはここでやるべきことが残っている。頼むから、落ち着いてよく考えてほしい」
ニェーク伯爵の住まう屋敷。その隅にある密談用の隠し部屋で、二人の人物が睨み合っていた。
一人はこの屋敷の主、ニェーク・ラグロ・フィズ・エリンド。困ったような表情を浮かべ、しかし冷静な視線で対面の男を諭す。
「そうも言っていられないだろう。あの怪物がなんであれ、共和国の脅威になることに変わりは無い。迅速に対処するには現場にいなくては」
遥かに地位が上の相手に臆する事無く反論するのは、つい先日エリンドに帰還してきた魔術師、『水禍』。腕を組んだまま、厳めしい顔で言い募った。ニェークは軽く首を振り、宥めるように言葉を紡ぐ。
「いくら急いで対処するとしても、やり方は的確なものでなくてはならない。その判断は、今の所君にしか出来ないんだ。生憎、優秀な人材は国境線に駆り出されていてね。そもそも、私の子飼いや兵隊は人間相手を想定したものだから、規格外な怪物と戦うには力不足だ」
「的確な対処方法を見つけたところで、それを実行する者が現場にいなければ話にならん。侮ってもらっては困る、ニェーク伯爵。現場への移動中に対策は考えるさ。何よりこの雨だ。『水禍』の魔術が最も効果を発揮するこの機を、逃すわけにはいかない」
頑として譲らぬ『水禍』に、ニェークはやれやれといったように肩をすくめた。決意の固い相手を説得するのは骨が折れる。何より、その言葉にはある程度の正当性があった。危険性さえ無視すれば、だが。
「・・・・・・うーん。こちらとしては、こんな不確定な事態に君を突っ込ませたくないんだけど」
「元より私は前線に向かうつもりだ。拠点で安穏と過ごしている魔術師達と一緒にしてもらっては困るな。ニェークよ、私という札の切り方を誤るな」
「はあぁ。君を迎え入れたのは失敗だったかな。ここまで勇猛だとは、こちらも想像してなかったよ」
呆れたような物言いのニェーク。数少ない戦力である魔術師を、敵かも分からぬ存在がいる場所に突入させるのは避けたい。しかし、本人の意志を蔑ろにしては握れる手綱も握れなくなる。ここは危険を承知で、彼の案に乗るべきか。
「・・・・・・分かった。ひとまずは接触を許可しよう。ただし、独断で対処に移らないように。どれだけ危険な存在だったとしても、まずはこちらへの報告が先だ。無論、第一に優先するのは君自身の命。いいね?」
「その辺りが落としどころか。いいだろう、それでは準備を整えてくる。移動用の馬の手配を頼んだ」
頷くや否や立ち上がり、隠し部屋を後にしようとする『水禍』。気が急いている様子の彼をニェークが呼び止める。
「待った。最低限、斥候から情報が来るまでは待機だ。完全に手探りな状況で突っ込むのは認めないよ」
「なんだと?既に斥候を出しているとは聞いていないぞ」
眉を顰めて振り返る『水禍』に、ニェークは胡散臭く微笑んだ。裏で何を考えているのか分からない表情で、囁くように告げる。
「カロロを斥候に出した。本人たっての願いでね」
ピシリ。空気が凍るような感覚。『水禍』は掴みかかる勢いでニェークへと詰め寄り、憤怒の声を上げた。
「貴様・・・・・・!奴の傷はまだ完全には癒えていないはずだ!それに、いつエリンドへ呼び戻した!私は何も聞いていないぞ!」
「話していないからね。傷が完全に癒えていないというのも、まぁ間違ってはいないけど。通常の飛行には支障が出ない程度には回復しているよ。なにせ『苦薬』の魔術師のお墨付きだ」
「ならば、私を同道させればよかっただろう!何故単独で行かせた!?」
「飛行に支障が無いとは言ったけど、君という重荷がある状態で高速飛行するのは負担が大きい。今回の場合、何より重要なのは速度だ。君がついていって速度が落ちたら本末転倒。それくらい、君は分かっているはずだよね?」
理路整然とした返しに、『水禍』は黙り込みながらニェークを睨む。やはり、一筋縄ではいかない人物のようだ。
「・・・・・・奴に危険を押し付け、私は奴の命で安全を買え、と。舐められたものだ」
「上に立つ者として当然の判断さ。いくら恨んでくれても構わないが、従ってもらうよ。今の君の雇用主はこの私だ。先日、契約更新したばかりだし」
そこを突かれると弱い。契約上、『水禍』はニェークにはある程度従う必要がある。ここまで話し合ってくれただけ、大分譲歩されているのだ。つくづく、カツヤの為に契約を更新したのが悔やまれる。
「いいだろう。だが、これからは情報を共有しろ。裏でこそこそ糸を引くのは許さんぞ」
「分かっているとも。それじゃあ、色々と準備を進めようか」
ニェークはそう言って笑みを浮かべたが、『水禍』はそれに僅かばかりの固さを感じ取った。恐らく、ニェーク自身も不安で仕方無いのだろう。それを覆い隠し、表面上だけでも余裕を保つのは、貴族としての義務故か。彼の背を追いながら、『水禍』は皮肉げに呟いた。
「見栄を張るのは、誰もが同じか」
『鏡像』が手に入れてきた情報に、俺は目を見開いた。里を覆い尽くす程に巨大な何かが、こちらに向けてゆっくりと進んできている。魔力と瘴気を内包し、非常に危険性が高い、と。
「それに、アレは私が伸ばした結界を無力化して吸収した。魔術が効かない可能性もある」
「そいつは・・・・・・いや、とりあえずはお疲れ様。今の所は休んでくれ」
びしょ濡れの『鏡像』に言いながら、俺は思考を回し続ける。これは、誰が企んだことだ?あるいは突発的な事故の可能性もある。いずれにせよ、里に近付いてくる以上対処するしか無さそうだ。
「過去、大木よりも背丈がある魔物と戦ったことがあるが・・・・・・それを遥かに凌ぐ大きさか。これは、骨が折れるぞ」
「そうだな。デカいってのはそれだけで強い。いくら飛び筒で撃っても止められそうにない図体だ。さて、どうするか・・・・・・」
異形の旦那の言葉に頷き、対応策を考える。このまま隠れ里まで到達されてしまえば、守り切ることは不可能だろう。その前に迎撃し前進を止める必要がある。だが、どうやって?山の如く巨大な相手を、どうすれば止められるというのか。半端な攻撃や柵による防御では防ぎきれない。進軍を止めるだけの対策は、今の里では不可能ではないのか。
「幸い、隠れ里に到達するまでは時間がある。しかしここは・・・・・・エリンド等里以外の所から協力を得る必要があるかもな」
「でも、この嵐じゃ連絡しようにも難しいんじゃ・・・・・・」
「イニマの言うことも最もです。チャロの怪我も完治してないし、徒歩だとかなりの時間がかかる。エリンドの方で事態を把握してりゃあいいんですが・・・・・・」
「そりゃそうか。協力出来るに越したことは無いが、実際には難しいよな。ふぅむ・・・・・・」
オーギスの言う通りだ。すぐに連絡が取れない以上、やはり対処は俺達だけで行う必要がある。だが、どうする?純粋に巨大な存在を迎撃出来るような備えはこの里に無い。巨大な飛び筒でも効果があるかどうか。そもそも、そこまで里に近付かれた時点で駄目だ。クソ、経験が無いからか思考が纏まらない。と、
「・・・・・・僕が飛ぶ。傷は殆ど治ってるんだ、今飛ばなくちゃなんの意味も無い」
「いや、チャロ、それは・・・・・・」
この嵐に、万全ではない状態。流石に許可するわけにはいかない。そう思っているのを察したのか、チャロは俺に詰め寄ってきた。瞳には強い感情が浮かんでいる。
「頼むよ。ここで何も出来なかったら、今まで大人しくしてた意味が無い。大丈夫、絶対に無事に帰ってくるって約束する。だから・・・・・・!」
握り締められた拳が、ぶるぶると震えている。こんな様子のチャロは今まで見たことが無かった。
「チャロ、落ち着け。しばらく飛んでない状態でこの嵐は、いくらお前でも危険過ぎる」
「そ、そうだよ。それなら私が走っていくから・・・・・・」
「オーギス、イニマ。僕なら大丈夫。それに、誰かが行かなきゃいけないなら、一番早い僕が行くべきだ」
決然と言い切るチャロ。これは、どれだけ止めた所で勝手に飛んで行ってしまいそうだ。・・・・・・仕方ない、か。
「・・・・・・チャロの思いは分かった。偵察に行ってきてくれるか?」
「い、いいんですか、グロムさん」
ミュリアちゃんの言葉を聞きながら、俺はチャロの両肩を掴んだ。目を合わせ、本心を告げる。
「正直、俺はチャロに行ってほしくない。だが、お前の言う通り誰かが行かなきゃならないんだ。だったら俺はチャロを選ぶ。頼めるか?」
「っ・・・・・・ありがとう、グロム。必ず役目は果たすから」
最悪、チャロは帰ってこれない可能性もある。それでも俺はチャロを行かせることにした。俺の責任を以てして、だ。
「というわけだ。頼む、オーギスにイニマ。チャロを行かせてやってくれ。何かあった時は、俺が全ての責任を負う」
力強く言い切る。例え結果がどうなろうと、何もかも抱え込む覚悟を決めながら。
私はねぇ!何もかも不明な存在に対してそれでも抗おうとする者達が大好きなんだよぉ!シン・ゴジラとか最高なんだよぉ!