「あぁもう、疲れた・・・・・・」
ラオ要塞の司令官室。兵士に人払いを済ませた後、司令官代行である女性は深い溜め息をついた。以前よりも疲労の色が濃い顔に、泣き出しそうな表情を浮かべている。
現在、未だに兵站のひっ迫は解消されていない。最前線に結集した兵力は膨大で、ラオ要塞の分である糧食を削らなければ要求に応えることが出来ていなかった。当然ラオ要塞に常駐している兵士達の不満は溜まってしまう。彼らの不満を解消する為に色々やりくりしている司令官代行には、限界近い疲労とストレスが溜まっていた。
「故郷に帰りたいよぉ・・・・・・」
弱音を吐きつつ、塔の如く積み上がった書類を片付けていく。いくら最前線が緊張しているとはいえ、後方の負担は計り知れない。副官と呼べる者もいない司令官代行には、重すぎる業務量だ。
シリュートが亡くなってから災難ばかりである。いっそ逃げ出したいが、ラオ要塞に務める兵士達のことを考えるとそれも出来ない。そもそも、正規の司令官はまだ着任しないのだろうか。いくら待ち続けても連絡すら来ず、放置されているのかと思う程だ。
理解は出来る。国家の危機である以上、前線からは多少離れたラオ要塞に注力する余裕は無いはずだ。だが、それはあくまで道理の話。精神的に追い詰められている司令官代行は、窮状を訴える報告を何度も王都に送っていた。結果返ってくる返事は定型文の激励ばかり。耐えられない。
もはや半泣きになりながらも、司令官代行は手を動かし続ける。シリュートの偉大さが改めて身に染みていた。このような通常業務に加え、裏で策謀を張り巡らせるなど、常人には不可能だ。と、
「失礼します!司令官代行、前線より緊急の連絡が!」
ノックと共に切羽詰まった声が聞こえてくる。人払いを命じていたというのに、それを無視せねばならない程の報告。嫌な予感ひしひしと感じながら、姿勢を正し返事をした。
「入ってください」
「はっ!」
入ってきたのは二人の兵士。一人はラオ要塞に勤務している者だが、もう一人には見覚えが無い。彼が前線からの伝令なのだろう。
「では、報告をお願いします」
「はっ!共和国側の国境線付近に大量の魔力反応、及び瘴気の反応を察知しました!現在、前線総指揮官である『孤城』の魔術師が警戒に当たっていますが、実情は掴めていません!」
「それは・・・・・・共和国側の企てである可能性は?」
全く想定していなかった事象に、頭を抱えたくなりつつも質問する司令官代行。王国と共和国がぶつかり合う直前というタイミングで発生したということは、何かしら関係があるはずだ。
「現在調査中です!ですが、この機に共和国軍が攻勢をかけてくる可能性があると総指揮官が。ラオ要塞の常駐戦力、その半分である1500を率いて出撃してほしいと」
「出撃・・・・・・!?待ってください、ここは前線から離れているとはいえ兵站の要衝です。防衛を疎かにするわけにはいきません」
「こちらに総指揮官の親書があります。お受け取り下さい」
司令官代行の言葉を半ば無視し、懐から書状を取り出す伝令。受け取って中身を確認すると、そこには流麗な文字で現状の説明が書かれていた。要約すると以下の通りになる。
一つ。国境線付近で起こった出来事により、王国軍共和国軍双方に動揺が走っているということ。一押しすれば破裂しそうな緊張を保っていた最前線に刺激が与えられた結果、戦争の引き金になるかもしれない。
一つ。自身は黒鎧魔導重騎兵の一部を率い偵察を試みる。国境線を跨ぐ行為なので危険が伴うが、現状の把握が優先だ。その間の指揮は黒鎧魔導重騎兵の隊長が執る。
一つ。この状況で共和国側が仕掛けてくるとすれば速戦の可能性が高い。それ故、貴殿には予備隊として最前線のやや後方まで進み待機してもらいたい。
「・・・・・・っ」
丁寧かつ理詰めで書かれた書状に、司令官代行は目の前の兵士に気付かれないよう唇を噛んだ。ここまで説かれた上で出撃を拒否すれば、それこそ何が起きるか分からない。軍紀不遵守で解任ならまだいい、牢にぶち込まれるか、最悪処刑されるかも・・・・・・彼女の頭の中で、不安が瞬く間に増大していく。
「ふ、うぅ・・・・・・。分かりました。総指揮官の命に従い出撃します。ただし、数は1000が限界です。ラオ要塞の防衛を考えないとしても、この嵐で道がぬかるんできていると報告を受けています。行軍上の安全の為、1500は出せません」
「了解しました、そのように伝えます!」
「それと、少数で予備隊の任を務める為に輜重隊は編成しません。軍需物資は前線に備蓄されているものから出していただきたいのですが」
書状には速戦と書いてあった。ならば、山ほど送った糧食が尽きるような展開にはならないだろう。兵士毎に最低限の食料を持たせ、輜重は編成せず前線に着くまでの時間を減らした方がいい。滲みそうになる涙を堪えながら、司令官代行はそう判断した。
「はっ!」
「では、部隊の選抜と編成を進めます。完了次第、出撃しましょう」
見事な指揮ぶりとは裏腹に、司令官代行は絶望的な感情を抑える。実は、彼女自身が最前線に赴いたことは無い。それどころか、野戦の経験も殆ど無いのだ。そして、訓練を積んでいるとはいえ同じく野戦の経験が乏しい守備隊。その中から、有事の際即座に動ける予備隊を1000人選ばなければならない。それを率いて前線に向かうのは、他ならぬ自分だ。
「っ、うぅぅぅ・・・・・・!」
兵士二人が退出した後、司令官代行のか細い呻き声が漏れる。なんで、どうしてこんなことに。後悔と悲嘆に襲われるも、彼女は逃げなかった。ほんの数分で顔を上げ、選抜する部隊のリストアップを始める。やるしかない。自分がやらねば、家族を養えない。それに、ラオ要塞の兵士達も使い潰されてしまうかもしれないのだ。
「やるわよ、やればいいんでしょ!」
理不尽な状況に怒りすら湧きながら、彼女は必死にやるべきことを進めていく。積み重なった疲労を強引にねじ伏せながら。
「暇だなぁ」
高級そうなふかふかのベッドに寝転びながら、カツヤは呑気に呟いた。一応服を着てはいるが、特徴的な腕の羽根はそのままだ。羽毛がベッドに引っ付くのにも構わず、ごろごろとくつろいでいる。
『水禍』の魔術師と名乗る男に連れられてきた場所は、とある貴族の屋敷だった。どことなく胡散臭い貴族、ニェーク伯爵は優しく迎え入れてくれたが、割り当てられた部屋から出ることは認められず。軟禁のような状況で、カツヤは暇を持て余していた。
今の彼がしていることは、元々住んでいた世界について説明をすること。拙い説明でもラソンの名乗った筆記者は理解しているようで、カツヤには読めない文字ですらすらと書き記していた。丁寧かつこちらを気遣う様子に、こちらを害するような意志は感じられないように思える。しかし、カツヤにとって居心地が悪いことに変わりは無い。
そもそも、『水禍』はどこに行ったのだろう。ここに自分を預けてから一度も会っていない。別れる際、顔を見せると言っていたのにだ。
「薄情だなぁ、おっさん・・・・・・」
自分が生きてきた世界とは別の異世界、しかも両腕が翼という化け物になってしまっている中で、初めて出会った言葉の通じる人間。カツヤは『水禍』のことが嫌いではない。あれだけずけずけとこちらの心に言葉を打ち込んでくる人物、そうはいないだろう。少なくとも、元の世界で生きていた時にはいなかった。
今、『水禍』は何をしているのだろうか。なんでも、ニェーク伯爵の為に依頼をこなしているらしいが・・・・・・。もしかしたら、自分が屋敷に軟禁されていることも何か関係しているのかもしれない。
「うーん・・・・・・」
不安が頭をもたげるが、だからといってどうこうすることは出来ない。そもそも、羽になった腕では扉もまともに開けることすら出来ないのだ。鉤爪のようになった脚には周囲を傷付けないよう、もこもこした素材のカバーを履かされている。室内では飛ぶことも難しく、結局柔らかなベッドの上でじたばたするしかなかった。
それに。少し前から、どうにも嫌な予感を覚えている。体の奥底から湧き上がってくるような、ぞわぞわする感覚。風邪でも引いたのかと思ったが、そうではないようだ。なら、どうして?何も分からないままに、不安だけが積み重なっていく。
「異世界転生ってもっとこう、波乱万丈な感じじゃないのか?こんなだらだらするだけって、本当にいいのかな」
脱出することも何度か考えたが、わざわざ『水禍』が連れてきてくれた場所から逃げ出すのはなんとなく申し訳ない。やるべきことと言えば一日数時間の聞き取りだけで、カツヤの日常は至極退屈なものである。と、
「失礼します、よろしいですか?」
聞き慣れた声。犬耳が生えたラソンという男だろう。
「あ、うん。どうぞ」
返事をすると、音が立たないように扉を開けてラソンが入ってきた。しかし、いつものように筆記用の道具等は持っていない。相も変わらず慇懃な様子の彼に、カツヤは不思議そうに問いかける。
「えっと、いつもみたいに俺が話したことを書くわけじゃないの?色々持ってないみたいだけど」
「えぇ、今回は違います。と言っても、貴方に負担を与えるようなことはしませんのでご心配なく」
「・・・・・・なーんか、やな感じするなぁ。何企んでるんだ?」
自分は信用されていない。そのことを、カツヤは敏感に感じ取っていた。ラソンからどれだけ丁寧な対応をされても、一歩引いた立ち位置にいるのがなんとなく分かる。それも当然だろう。あちらからしてみれば、わけの分からないことを言い続ける魔物なのだ。魔物は生物への憎しみを持つ悪しき存在だと、『水禍』に教えてもらっている。
「企んでいることはありません。今から、きちんと説明させていただきますので」
「ねぇ、ラソンさん。俺って魔物なんでしょ?それなのになんで、そんな丁寧なのさ。なんかこう、変だぞ」
「貴方は『水禍』の魔術師殿が連れてきた賓客ですから。我が主であるニェークからも、丁重にもてなすように仰せつかっています」
にこやかに言いつつ、ラソンは懐から何かを取り出した。奇妙な紋様が描かれたお札のように見えるそれを、こちらの方に向けてくる。意図が分からずカツヤが首を傾げると、頷いて口を開いた。
「これは、人の内面を映し出すと言われている魔道具です。と言っても、私はあまり信じていませんが。これを手に、いや、羽の上に置いてもいいですか?」
「別にいいけど・・・・・・魔道具かぁ」
しげしげとお札を眺めながら、カツヤは羽毛に覆われた両腕を差し出した。そこに置かれたお札からは特に何も感じない。見た目通り軽いようで、目で見なければ置かれているとも気付けないくらいだ。と、
「お、おおぉ・・・・・・?」
不意に、温もりのような感覚がお札周辺から広がってくる。じわじわと全身に広がっていく、何かに這い回られているような温もり。くすぐったいような、むず痒いような感覚にカツヤは身を捩らせた。
「な、なんかくすぐったいんだけど!?んふっ、んんんっ」
頬を赤らめてもじもじするカツヤを、ラソンは冷静な瞳で見つめた。何かを見定めているような厳正な表情だ。しばらくすると、お札の紋様が徐々に変化し始める。その変化にはカツヤも気付いたが、何を意味するのかは分からない。
「こ、これ、どういう意味があるんだ?」
「浮かび上がる紋様によって、貴方がどういう存在なのかを示すようです。さて、これは・・・・・・」
紋様をじっくりと確認するラソンと、くすぐったさが抑え切れず涙すら滲んできたカツヤ。対照的な二人の間に、突如雷鳴が轟いた。
「うひゃっ!?」
「おっと」
びくりと体を飛び跳ねさせてしまい、お札が宙を舞う。それをキャッチしたラソンは、緊張した面持ちで立ち上がった。お札を懐にしまい言う。
「少しお待ちを。今の雷、随分近くに落ちたようなので」
「え、あっ・・・・・・」
返事も待たずに部屋を出ていくラソンに、取り残されたカツヤは微妙な表情で見送るしかなかった。くすぐったさは嘘のように消えているが、どことなくそわそわする気分は残っている。それに、お札が示す意味も伝えられていない。
「なんなんだよ、ホントに」
何一つ分からない。もやもやする現状に、カツヤは頬を膨らませ呟いた。自分だけ取り残されているようで、どうにも気分がよくない。遠くから再び聞こえてきた雷鳴にビクつきつつも、天井を見上げて言う。
「なんか、本当に嫌な感じがする。俺に出来ることってないのかな」
ぞわぞわする感覚は未だに溜まり続けている。どうすることも出来ず、カツヤは再びベッドに寝転がるのだった。
色んな所で色んな人達が動いています。