「それ」に直接気付いたのは、偶然周辺まで近付いていた冒険者達だった。賞金首である山賊を追って国境線付近まで来ていた彼らは、豪雨と嵐に阻まれ洞窟へと退避するのを余儀無くされていた。焚き火で暖を取りつつ各々武具の手入れや仮眠、くだらない世間話をしていると、ふと奇妙なことに気が付いた。
轟々と嵐が吹き荒れる闇の中、何かが見えている。不思議な程にくっきりと、黒い何かがそこに在る。山のように大きな何かが、洞窟の遥か外に存在しているのだ。
冒険者達はこぞって何かを確認する。あんな場所に山は無かった。そもそも、嵐の中で見えていることがおかしい。日常的に魔物を相手にし、大抵なことには動じない彼らですら不気味さを覚える現象。だが、これで終わりではなかった。
ズゥン ズゥン ズゥン
地鳴りが響く。ただの地鳴りではない。まるで巨人か何かが足踏みしているような、等間隔に揺れるものだ。これは流石におかしいと、冒険者達は戦闘態勢を整える。彼らとて幾度も死線を超えてきた者達だ。冒険者稼業はいつ死ぬかも分からない危険と隣り合わせである。故に、生き残る為に戦うことに躊躇は無かった。
程無くして。嵐渦巻く闇の中から何かが聞こえてくる。何かが蠢き、近付いてくる音。彼らの眼前までやってきた「それ」を焚き火の明かりが照らした。
それは、人だ。いや、人ではない。人のような形をしているが、絶対に人ではない。何故なら、それは溶けていたからだ。表面が黒く粘っこい何かに覆われ、溶けている。当然目鼻や口も見えず、伸びた四肢は指も無くのっぺりとしていた。出来損ないの影法師のような奇妙な人型。それが、見えるだけでも数十体はいる。
冒険者達は感じ取った。それから漂う、吐き気がする程濃密な瘴気を。魔物だ。そう直感し、彼らは迫りくるそれに武器を向ける。しかし、
オォォォォーーーーーーンンンン・・・・・・
形容しがたい音が響き渡った。目の前の人型からではない。遠くに佇む山の如き何かから、世界そのものを揺るがすような音が発せられているのだ。頭が割れそうになりながらも意識を保つ冒険者達。この状況で目の前の人型に襲われればひとたまりも無い。だが、そうはならなかった。
響き渡る音の影響だろうか。人型達はずるずると、直立したまま這いずる様に離れていく。それと同時に、音が弱まっていく。やがて、嵐が吹きすさぶ音だけが残った。冒険者達は呆然としながら、遠くに存在する山の如き影を見つめるしか出来ない。彼らが直近の都市であるエリンドに帰還するのは、数日後のことである。
「チーッチチチチチ!吹きすさぶ風!全身を打つ雫!いくら荒れ狂っていようとやはり空はいい!気分が高揚しますなぁ!」
闇と風雨が支配する空。心から嬉しそうなカロロの声は、嵐の中でもかき消されることは無い。暴風と雨粒に晒されながらも、彼は力強く羽ばたき続けていた。
しかし、まだ先は長い。謎の存在はエリンドと隠れ里、その中間辺りに現れている。万全の状態のカロロなら、往復してエリンドに戻るまで三日といった所だ。だが、この嵐に病み上がりの体調を加味すれば、もっと時間がかかってもおかしくはない。
それでも、休息は絶対に必要である。疲労が溜まり切る前に降下し、大木の根本に身を寄せた。軽く撥水性の高い布と、周囲に落ちている枝を用いて簡易的な風除けを組み上げたカロロは、羊毛の毛布にくるまりながら干し豆や干しブドウを齧る。飛ぶ際に重りにならぬよう、火を付ける道具は置いてきていた。ただでさえ、通信用の魔道具が重いのだ。
水袋で口の中を湿らせて、手早く食事を済ませた後は休むだけ。目を閉じ仮眠を取りながらも周囲への警戒を怠らない。一人で冒険者を続けてきたカロロにとって、一連の行動は手慣れたものだった。
手足の先が痺れるような寒さ。しかし、羊毛にくるまれているとじわじわと温かくなってくる。カロロはふと、羊人になってしまった無二の友を思い浮かべた。幼い子供になってしまったというのに、昔から何一つ変わらないお人好しのことを。
「きっと今も、無理を通して頑張っているのでしょうなぁ。あの愚かにすら思える献身には、報いたくなるというもの」
謎の存在は、じわじわと隠れ里に向けて進んでいるらしい。ならば、自身が為すべきことは一つだ。ニェーク伯爵やジエッタ将軍を利用してでも、友の窮地を救う。その為に、嵐の中を飛んできたのだから。
献身には献身を。与えられたものに報いるのは、人として当然のことだとカロロは思っている。グロムは、自身では否定するだろうが高潔だ。無私の心で周囲に手を差し伸べる。その人柄に、かつてのカロロは憧れた。否。今も、憧れ続けている。
そして。僅かばかりの休息を済ませたカロロは、再び飛び立った。嵐と闇を切り裂いて、前へと進み続ける。謎の存在を確認し情報を伝える為に。ただ一人の飛行。苦難を打ち払う為の先駆け。それは、彼にとってこの上ない誉なのだ。
「風よ、雨よ、天よ、世界よ!いくらでも荒れ狂うがいい!この程度で阻める青空の騎士ではないことを、証明してみせましょうとも!」
勇ましく言い放つカロロの瞳は、雲一つ無い青空のように澄み渡っていた。
準備を整えたチャロさんが飛び立った後、グロムさん達は慌ただしく動き始めた。隠れ里を守る為に。今私がいるのは、守り神様の小屋だ。いざという時、地下室に隠れられるからとびしょ濡れになりながら移動してきていた。
「すまん、ミュリアちゃん。なにか体が温まるものを作っておいてくれるか?」
「は、はい!えっと、グロムさんも外に行くんですか?こんなに酷い嵐なのに・・・・・・」
「まぁ、飛ばされないように注意するさ。頼んだぜ」
そう言い残し、グロムさんは守り神様達と一緒に出ていってしまった。暖炉の火に照らされた小屋の中で一人きり。とても心細いけど、それ以上にみんなのことが心配だ。不安が溢れてきそうになるのを、無理に抑えて大鍋を手に取る。せめて、戻ってきた時に美味しいものを食べさせてあげたい。
「大丈夫・・・・・・みんななら、きっと。私は私に出来ることをしよう」
自分を励ますように呟いて、私は料理に取り掛かる。小屋の隅にある袋の中を確認すると、長持ちする野菜類が沢山入っていた。干し肉も吊り下げられてあるし、以前に私が持ち込んだ塩や香草、調味料類も少ないけどある。これならなんとかなりそうだ。
「よし、やろう!」
体が温まる料理といえば、やっぱり煮込み系だろうか。いつ戻ってくるか分からないし、温め直しても美味しい方がいいかな。そうなると、味付けは濃いめで火の通りやすい食材は後から入れる感じにすれば・・・・・・。色々考えながら、丁寧に野菜を刻んでいく。と、外からの激しい風に小屋が軋むような音を立てた。
「っ・・・・・・」
不気味に響く音に、少しだけ体が震える。ここまでの嵐は、ずっと里で生きてきた私の記憶には無い。もしかして、家ごと吹き飛ばされてしまうんじゃないかと心配になってしまう。でも、この嵐の中でグロムさん達は頑張っているんだ。この程度で怯えてはいられない。
水樽から汲んだ水を大鍋に注いで、火が通り辛かったり味が染み出しやすい野菜を入れていく。暖炉の火にかけて温まった所で、干し肉を手ごろな大きさに千切りながら放り込んだ。お匙で灰汁を掬いながら、調味料で軽く味付けする。温め直す時に追加の野菜も入れるから、ひとまずは薄めに。
大鍋をぐるぐるとかき混ぜていると、また小屋が軋んで音を立てた。だけど、吹き飛ぶどころか雨漏りもしていないみたい。少しの安堵感を覚えつつ私は調理を続ける。せめて、グロムさん達の心の安らぎになりますように。
『鏡像』から借りた魔道具で周囲を照らしつつ、俺達は持ち運べる柵で簡易的な防御陣地を造っていた。と言っても、この嵐の中じゃあ俺は運べない。打たれた杭に縄を縛り付け、俺の腰にも縛り付ける。こうして吹き飛ばされないようにしながら、指示を出しているだけだ。
「里の全周を覆うのは不可能だ!その分攻められる可能性がある方面を厚く守るぞ!」
持ち運べる柵で最低限の防備は出来るものの、本来なら堀を深く掘って備えたい所だ。しかし、堀を掘るには人手が足りない。仮に里の羊人みんなの手を借りても、この嵐では難しいだろう。なら、柵を何重かに構えて攻撃を防ぐべきだ。相手が何者かまだ分からない以上、どんな状況でも有用になり得る防御策を講じるしかなかった。
何より、戦闘可能な人員が少な過ぎる。これだけ柵を設置しても、隠れ里全周を防御出来ない以上回り込まれてしまう。だが、その回り込む時間を稼げるだけ上出来だ。もっとも、里そのものを覆い尽くす巨大な存在にはなんの意味も無いだろうが。
「柵同士に多少の隙間があってもいい!今は速度を重視してくれ!この嵐だ、声掛けでの位置確認を忘れるなよ!」
喉が痛む程の大声を出しても、己の無力感は拭いきれない。しかし、そんなことはどうでもよかった。今は、未曽有の危機が訪れるかもしれない里を守るのが先決。恥を忍んで俺は命令を出し続ける。と、
「グロム!見張り台は無事だ、崩れる心配は無い!」
「そいつはありがたい、設置されてる飛び筒は!?」
「問題無く使用出来るが、チャロが行ってしまったので撃てるのは俺だけだ!どうする?」
見張り台の確認に行っていた旦那の質問に、俺は顔をしかめた。あのデカい飛び筒は、見張り台から撃ち下ろすことを前提に設計されている。もし防衛戦になった場合、非常に有効なはずだ。だが、扱えるのが旦那だけというのが問題になる。
旦那には、可能なら遊撃役を頼みたい。この嵐の中でも遠くの敵を狙い撃てる旦那を見張り台に縛り付けるのは悪手だ。思考を素早く回し、大声で言葉を返す。
「状況に応じて動くしかない!ひとまず、無理して使うことは考えないでおこうや!それと、ハヤトに斬り刻まれた見張り台に設置してた飛び筒はどうなってる?」
「倉庫に仕舞ってあるがいつでも引っ張り出せる!」
「なら、柵の防備、その後方に運んでおいてくれ!最悪、正面からぶちかますことになるかもしれん!」
頷いて走り去る旦那を見送りつつ、俺は考えていた。相手に害意があったとして、ここまで迫られた時点で負け戦だ。この嵐では羊人達の避難もままならない。今構築している防御陣地も、やらないよりはマシ程度の効力しか発揮しないだろう。その手前で、なんとか食い止める必要がある。そして、その為には相手の情報が必要だ。
「頼んだぜ、チャロ・・・・・・!よーし、柵の設置はもう少しで終わる!踏ん張りどころだぜ、みんな!」
空を見上げても、風雨が荒れ狂う闇しか見えない。チャロの無事を祈りながら、俺は再び大声を張り上げるのだった。
嵐の中の作業とか通常の5倍くらいの速度で体力消し飛ぶんですよね。マージで辛い。