荒れ狂う風は一段と勢いを増し、日中であるはずなのに視界は暗い。体温を奪う雨粒に容赦無く打ち付けられながら、カロロは速度を落とさず飛翔していた。出発前の話ではあと半日程度で到着するはずだが、視界が限られている今はどこまで近付けているか分からない。巨大な存在がいるということだが、一体どんな見た目なのかはまだ不明なのだ。
「チーッチチチチチ!胸が躍りますなぁ!」
風雨を切り裂き進むカロロの言葉は、決してやせ我慢の類ではないだろう。隠れ里どころか大陸の情勢を一変させかねないこの局面で、己が大役を担っていることを心底誇りに思っているようだ。
カロロは飛び続ける。合間合間の休息では癒し切れない疲労を物ともせずに。そして、ニェーク達が予想していたよりも遥かに早く「それ」に辿り着いた。
「あれか・・・・・・?」
嵐の先に山のような何か、その影が見える。圧倒的に巨大な「それ」は、瘴気をまき散らしながら天を衝くようにそびえ立っていた。だが、決して山などではない。何故ならば、世界に訴えかけるように震えているからだ。まるで生き物のように全身を脈動させている様はどこか痛々しい。
「ほう、英雄譚の敵役が如き風貌ですな」
近付き過ぎない地点で高度を下げ、一旦着地しようとするカロロ。しかし、暴風に揺れる木々の間に何かが蠢いている。人型に見えるそれは、両手で数えられない程の数がいた。近くの巨木、そのてっぺんに取り付きながら気付かれないように観察すると、どうやらそれらはふらふらと一方向に進んでいるようだ。
表面がのっぺりとした人型は、意志があるかすら定かではない動きで進んでいく。つまり、隠れ里の方向へと。だからといって隠れ里が狙いとは限らない。それでも、カロロの脳裏に一抹の不安がよぎったことは確かだ。
目を凝らして周囲を確認すると、その人型は夥しい数がいるようだ。巨大な「それ」を取り囲むように、あるいは守るように蠢いている。遠くまでは見えないものの、下手をすれば地表を覆い尽くす程いるかもしれない。
「ふぅむ・・・・・・魔物、ですかな」
カロロは平静を保ちつつ呟いた。元より何が起きるか分からない状況なのだ、いちいち驚いてもいられない。問題は、敵が群れを成していることだ。強大な敵と言えど一体のみなら幾らでもやりようはあるが、この数は純粋に脅威である。対応するにはこちらも数が必要だからだ。
状況を整理しつつ、カロロはじっくりと情報を集めていく。迅速な報告の為に持たされた魔道具は、エリンドに使用者の声を届けることが出来るが、あくまで一方通行だ。さらに、数分程度で込められた魔力が枯渇し使用不能になってしまう。使い所を見極めなければ無意味な報告になりかねない。
巨大な「それ」の細部を確認する為、危険を承知で再び飛び立った。一気に高度を上げ、地上の人型に気付かれる可能性を減少させる。嵐は未だ勢いを衰えさせること無く、カロロに疲労を蓄積させていった。
「それ」との距離を詰めていく内、徐々に重苦しさを覚えるカロロ。風雨に混じり、瘴気が辺り一帯に立ち込めているらしい。そして、「それ」に近付く毎に瘴気は濃くなっていく。荒れ狂う風でもかき消せない程の、むせ返る濃度の瘴気。明らかに異常だ。
口布をしていても肺に入り込んでくる為、カロロは更に高度を上げた。なんとか瘴気を振り払うも、巨大な「それ」とは距離が離れてしまう。どうするべきか。
「ゴホッ、これはまた随分と。厄介この上無い。さて・・・・・・」
大きく息を吸い込み、翼を畳む。不敵な笑みを浮かべたカロロは、遥か下方の「それ」に向け落下し始めた。落下の速度はぐんぐんと増していき、風と雨粒が痛い程に全身を打つ。瘴気を切り裂きながら、カロロの目は「それ」の全容を捉えた。
「それ」は遠目に見た時とは印象がまるで違っていた。全体を見れば醜い肉の塊だが、表面から何かが生えている。手足のように見える突起は肉塊からずるずると這い出て、やがて人型となり周囲に産み落とされていた。際限無く増殖しているのだろうか。
さらに、肉塊の表面には大小無数の目鼻、口が確認出来る。何千人もの人間を溶かし、丸めて固めたかのような悍ましい存在。「それ」は無数の人型を引き連れて、這いずるように隠れ里の方向へと進んでいた。
醜悪でおぞましい状況を目に焼き付け、カロロは再び上昇する。瘴気の影響が無い所まで離脱すると、懐の魔道具を取り出そうとした。確認したことを可能な限り簡潔に、かつ分かりやすく報告しなければ。
が、魔道具を作動させる直前、カロロは遠くに微かに見える明かりを捉える。木々にギリギリ引っかからない程度の高さに見える光は、自然のものではありえない。頼りない光量の何かは、ふらふらとした後消えてしまった。森に落下したのだろう。
「いけない!」
思わず叫び、落下したと思わしき場所に突っ込んでいく。周囲には瘴気が満ちているが、今は気にしていられない。あの光は、もしかすれば自分と同じように偵察に来た者かもしれないのだから。迅速に救出しなければ。その一心で、カロロは濃密な瘴気と蠢く人型で満ちた森へと降りていった。
「ゴホッ、ん、ぐぅ・・・・・・!」
限界まで呼吸を抑え、滑り込むように着地する。すぐさま周囲を見渡すが、光の元となった何かは見つけられない。分厚い雲が空を覆っている上、この暴風雨では視界が悪くなって当然だ。更に、無数の人型があちこちで徘徊している。気付かれればどうなるか分からない。急がなくては。
瘴気によって霞む目を懸命に見開き捜索を続けていると、草むらから何かが飛び出ているのを発見した。あれは、翼だろうか。足音を立てないように駆け寄り草むらをかき分ける。そこには、意識を失い青ざめた顔色をした鳥の亜人・・・・・・チャロが倒れていた。
見知った相手に驚くも、カロロは素早く担ぎ上げ再び飛び立つ。瘴気の薄い上空まで行かなければ共倒れだ。疲れ果てた体にチャロの重みは堪えるが、弱音を吐いてはいられない。
「チャロ!チャロ、声が聞こえていますか!?聞こえていたら手を握りなさい!」
力強い羽ばたきで瘴気から逃れ、チャロに呼びかける。ぐったりとしているのは疲労からか、あるいは瘴気を大量に吸い込んだからか。脈はあるし呼吸もしているが、呼びかけへの反応は見られなかった。
仕方ない。カロロはチャロを担いだまま、「それ」から離れていく。瘴気の無い場所で治療を施さなければ、チャロの命が危ういからだ。ニェークへの連絡もしなくれはならない。暴風に煽られながらも、カロロは決死の思いで飛び続けた。
暗く冷たい森の中。ぬかるみに足を取られないように注意しながら、異形とイニマの二人は草木をかき分け進んでいた。
「無事か、イニマ」
「うん、大丈夫です!悪路を歩くのは慣れてるから!」
「無理はするな。これから、存分に暴れることになるだろうからな。少し休息を挟もう」
「んー・・・・・・了解です。確かに、ちょっとあったまりたいかも」
「うむ。接敵してからが本番だ、余力は残しておけ」
隠れ里を出発して既に半日以上が経過している。結界が示している侵入者の位置まで、不眠不休で進めば一日もかからないだろう。だが、異形はここで一度長めの休息を取ることにした。自分は問題無いが、イニマはただの人間だ。彼女の剣技と健脚は、後の局面で必ず必要になるはず。無理はさせたくない。
開けた場所を探し、簡易的なテントを手早く張る。環境は過酷だが、イニマが寝転んでも問題無い程度の空間は確保出来た。自分は木の陰に身を寄せつつ、イニマに羊毛の毛布を渡す。
「軽く食べた後はしばらく眠るといい。見張りは俺がしておく」
「むー。色々言いたいことはあるけど、今はお言葉に甘えます。何かあったらすぐに起こしてくださいね!」
ミュリア特製の野菜サンドを齧りながら、イニマは毛布にくるまった。行儀が悪いがこの際仕方が無い。異形の厳めしい顔を横目に、体の緊張をほぐしていく。異形の言う通り、本番はこれからだ。存分に戦えるよう心身を休めなくては。
「ふふ、やーらかい」
毛布の肌触りは最高で、ほっとするような温もりを与えてくれる。これならば問題無く眠れそうだ。ちゃんと休んで、それから頑張ろう。みんなも頑張っているんだから。不安を心の奥に押し込んで、イニマはそっと目を閉じた。
「・・・・・・」
暫くして聞こえてきた寝息を聞きながら、異形を思案を巡らせる。結界が現在探知しているだけでも、数えきれない程の人型が侵入しているのだ。酷く遅い進軍速度とはいえ、昼夜問わず進み続けている為隠れ里に到達するのは時間の問題。迎撃の手が足りるかどうか・・・・・・それは、直接戦ってみなければ分からない。
とにかく情報が足りない。チャロが帰ってくる前に迎撃に出たのは失策だったか。いや、それでは手遅れになる可能性が高い。今は拙速でも動くべきだ。
「うぅむ・・・・・・」
異形は背負っている背嚢から複数の飛び筒を取り出し、点検を始める。この風雨だ、遠距離からの狙撃は難しいだろう。近距離で弾幕を張りつつ、いざという時は白兵戦に切り替えるのがいいだろうか。いや、あの数だ。狙いを細かく定めない目暗撃ちでも有効かもしれない。
しかし、一体に一発としても魔石が足りない。ならばやはり白兵戦を主眼に置くべきか。幸い、機動力に優れたイニマが共に来てくれているので柔軟な対応が出来そうだ。自身が射撃しつつ突っ込み、討ち漏らしをイニマが対処する。これが今考えられる戦術だ。
だが、やはり数の多さが問題か。二人ではおそらく捌き切れない。ある程度数を減らしつつ隠れ里へ撤退し、情報共有の後全員で迎え撃つ。あるいは再び迎撃に出て敵の数を削ることを繰り返した方がいいのか。
異形はひたすらに考え続ける。思考こそが、状況を打破する鍵になると信じていた。グロムと会う前、数十年の間一睡も出来なかった頃は、脳内に薄い膜が張ったように思考が鈍かった。だが、今は違う。『眠りの聖女』の力かは知らないが、グロムと共になら眠ることが出来るのだ。
明瞭な思考を以て、迎撃の最適解を組み上げていく。相手は大軍、しかしその歩調は乱れている。統率する者がいないのか、知能が足りないのか。ならば、徹底的に攪乱するべきだ。欺瞞、陽動、ありとあらゆる手を使って隠れ里へ向かわせない。正面から当たるのは最後の手段にしなければ。
ぶるりと、身を震わせる異形。それは寒さからでも、恐れからでもない。困難を前に彼は精神を高揚させていた。迸る程の戦意は、親愛に溢れた隣人を守る為か。不気味な両目を大きく見開いて、異形はずっと考え続ける。イニマを起こすまで、ただひたすらに。
じりじりと、本当にじりじりと状況が動いてきました。