冷たい。寒い。苦しい。全身を苛む苦痛に、チャロは薄く目を開けた。四肢の感覚は鈍く、動くことすらままならない。だが、生きている。
「チャロ!目が覚めましたか、体調は?話せますか?」
「あ、れ」
霞む視界に移るのは、尊敬してやまない鳥人の冒険者、カロロ。端正ながら幼げな顔立ちに心配そうな表情を浮かべている。何故ここに・・・・・・?体を起こそうとするが、上手くいかなかった。カロロに支えられながら呟く。
「カロロ、様。どうして、ここ、に」
「おそらくはチャロと同じですよ。瘴気と魔力を秘めた謎の存在が発生した為、偵察に来たのです。それよりも貴方の体調を教えてください。決して誤魔化さないように」
「あ、と・・・・・・。体が、上手く動かない、です。全身が、痺れた、みたいで。申し、訳、ありません」
途切れ途切れにしか声を出せない現状で、意地を張ることは出来ない。素直に話すと、カロロは頷いてそっとチャロを寝かせた。どうやら簡易的なテントの中のようだ。風雨が布に打ち付け音を立てている。
「大丈夫。よくやりましたね、チャロ。ここでワタクシと貴方が会えたのは、必ずや好転の兆しとなるでしょう」
励ますように肩を叩かれ、チャロはゆっくりと息を吐き安堵した。彼が言うのなら、ただ励ましているだけではないのだろう。だが、このまま苦痛に任せ意識を失うわけにはいかない。息も絶え絶えながら、なんとか情報を伝えようとする。
「隠れ里、は、防御陣地を、構築、してます・・・・・・ふぅ・・・・・・、だけど、多分、足りない。変な、人型の、魔物が・・・・・・沢山・・・・・・隠れ里に、向かっています」
「十分です。チャロ、後はワタクシに任せてゆっくりと休みなさい」
その言葉に、抗い切れない消耗を感じているチャロの瞼が落ちていった。自分がこんな状況な以上、後はカロロに任せるしかない。それでも、彼ならば安心して任せることが出来る。意識を手放す直前に見えたのは、カロロの頼もしい笑みだった。
異形の旦那の小屋。未だに衰えない風雨の音を聞きながら、俺は思案に耽っていた。ミュリアちゃんにオーギス、『鏡像』も一緒に小屋で休んでいる。ミーは雨に打たれていたいようで、小屋の横で寛いでいるらしい。
柵の設置も済み、最低限の堀も用意した。防御陣地としては三流もいい所だが、少人数で構築したにしては上出来だ。ただ、一方向にしか構築出来なかったのは問題だな。まぁ、そもそも柵も人手も足りないから仕方ない。これ以上の対策は、チャロや旦那達が戻ってきてからだ。と、魔道具の手入れをしていた『鏡像』が軽口を叩く。
「しかめっ面だねぇ。可愛い顔に似合わないよ」
「おっと、そりゃすまんね。ただまぁあれだ、可愛いって言われてもなぁ。そういうのはミュリアちゃんに言ってあげてくれや」
「え、えっと、ありがとうございます。でもグロムさんが可愛いのは本当ですから」
照れながら言い返してくるミュリアちゃん。うーむ・・・・・・確かに、初対面の相手だとミュリアちゃんと姉妹だと思われたりすることはあったが。やはり、可愛いと褒められるのはそれ程嬉しいわけではない。この体になってからそれなりに経つが、いくら馴染んでいても感性は男の頃と変わっていないようだ。
「いやぁ、元のグロムさんを知らんから男だった頃の姿が想像出来ませんな。初見の印象で固まっちまってるもんで」
「それが普通だと思うぜ。そういやオーギスと初めて会った時、俺も幼い子供のフリをしたりしたしなぁ」
「懐かしいですね。私、オーギスさん達がグロムさんを人質に取ったんじゃないかって勘違いしちゃって。あの時はごめんなさい」
「こっちこそ、勘違いさせてすまんかった。しかし、あの出会いから里で暮らすことになるなんて、想像も出来なかったよ」
しみじみと言うオーギス。分かってはいる。状況に似合わず穏やかな会話をしているのは、少しでも雰囲気を和らげる為だと。だが、こういう時間は嫌いじゃない。
「へぇ、私と会う前にそんなことがあったんだね。ま、私も同じようなものか。数奇な巡り合わせで隠れ里のことを知ったけれど、ここでの生活は気に入ってる。何より飯と酒が美味い。贅を尽くしたものよりも、こういう素朴なものの方が私好みだ」
温めた果実水を飲みながら、『鏡像』は優しげな口調で言う。最初に会った頃の不敵さからはかけ離れた表情だ。それが悪い変化だとは、俺には思えなかった。と、突如小屋の外から轟音が聞こえる。雷の音か。一瞬で雰囲気が引き締まり、オーギスが真っ先に立ち上がった。
「様子を見てきます。かなり近い所に落ちた臭いので」
「私も一緒に行こう。大嵐の中で単独行動は危険だ」
「あぁ、任せたぜ」
オーギスと『鏡像』に頷き、送り出す。この雨だ、火災の心配は無いだろうが・・・・・・確認するに越したことは無い。クソ、つくづくこの細っこくて軽い体が恨めしいな。吹っ飛ぶ心配さえ無ければ、自分で確認に行くものを。
「大丈夫ですよ、グロムさん。貴女は頑張ってるんですから。オーギスさん達にも負けないくらいに」
・・・・・・俺の心を見透かしたかのように、ミュリアちゃんが頭を撫でてくる。やれやれ、毎度思うけど敵わないな。
「ありがとよ。それを言うならミュリアちゃんだって頑張ってるぜ。あの煮込みはすごく美味かった。今度作り方教えてくれるかい?」
「勿論!グロムさんならすぐに覚えられますよ。そんなに複雑じゃないので」
そう言いながらも俺を撫でるのを止めないミュリアちゃんに、俺は目を細め感触を味わう。可愛い少女扱いされるのは嬉しくないが、こうして撫でられるのは好きだ。大の大人の趣味じゃないのは、まぁご愛敬と思っておこう。穏やかな気持ちを噛み締めながら、俺は皆が帰ってくるのを待つのだった。
「ウワァ、凄イネ」
雷が落ちた場所を確認しに行く『鏡像』とオーギスについてきたミーは、黒焦げになって裂けている木を見て驚嘆の声を上げた。プスプスと燻りつつ煙が立っているが、火自体はこの風雨で殆どかき消されたようだ。
「いやぁ、ものの見事に真っ二つ。今ばかりは豪雨に感謝しないとね。山火事になったら目も当てられない」
「しかし、雷が里に落ちなくて良かった。私らが住んでる家も吹き飛ぶ威力ですよ、これは」
恐ろしそうに顔を歪め、オーギスは身を震わせる。それ程に凄まじい落雷の跡だった。『鏡像』も顔をしかめているが、躊躇する事無く黒焦げの木に近付き、細かく観察を始める。
「ふむ・・・・・・特に変わった所は見当たらない、か。魔力や瘴気は感じられない、ただの落雷だろう。こっちに向かってきてる奴とは関係無さそうだ。ミー、嫌な感じはまだしてるかい?」
「ウ、ウン。ホンノ少シダケド、強クナッテル気ガスル」
ミーは頷きながら答え、木から目を逸らし『鏡像』に目をやった。実際、なんとなくだが感覚が強くなっている。こちらに来ている存在と連動しているのだろうか。
「うん、ありがとう。それじゃ、今は問題無さそうだし戻ろうか。体力を温存しておかないと、後で酷いことになりそうだ」
「了解です」
「ハーイ」
三人が現場から立ち去ろうとすると、一際強い風が吹いた。黒焦げに裂けた木がミシミシと音を立てて倒れる。風雨の音と合わさり酷く不気味だ。ミーは身を竦めながら、倒れた木をじっと見つめる。何か、違和感がある。ずっと感じている感覚に似た、奇妙な何か。と、唐突に背筋を悪寒が襲った。ここは危険だ。
「二人トモ離レテッ!!!」
叫びながら『鏡像』とオーギスを押しやる。直後に爆発。雷が落ちたのだ。しかも、普通の雷とは違う、瘴気を纏った雷が。
「ンギィッ!?」
直撃こそ免れたものの、余波に巻き込まれ吹き飛ぶミー。近くの木に叩きつけられ呼気が口から漏れ出る。衝撃が全身に走り、ぐったりと倒れ込んだ。
「ミー!?クソッ、今の魔力の流れは・・・・・・!?オーギス、ミーを運ぶのを手伝ってくれ!」
『鏡像』の声が遠くに聞こえる。よかった、無事だったんだ。そんな安堵を覚えながら、ミーの意識は闇に呑まれていった。
ニェーク邸の中庭。暴風と豪雨が吹き荒れる中、『水禍』とカツヤは風雨の届かない場所で準備を整えていた。
「よーし・・・・・・!やるぞぉ、エイエイオー!」
「五月蠅い。無駄な体力を使うな、カツヤ。ここからは想像も出来んくらい過酷だぞ」
「分かってるって!役に立てるのが嬉しくてさ、張り切っちゃうんだよ!」
状況を理解しているのだろうか、うきうきとした様子のカツヤに頭を抱えたくなる『鏡像』。どうしてこんなことになったのか。無論、自分が感情に任せて阿呆な提案をしたからだ。
カツヤの飛行能力を見込んだ強行偵察。無謀かつ突飛なその提案に、ニェークは数十秒考えた後許可を出した。出してしまった。早急に計画が纏められ、中庭で飛行試験を行うことが決定される。そういうわけで、『水禍』とカツヤはこの場にいるのだった。
「はぁーっ・・・・・・!ならば、浮かれるだけの実力を示してみせろ」
頑丈なベルトでカツヤと自身を固定しつつ、『水禍』は振り落とされた場合の対策を用意する。水を用いた魔術であれば落下の衝撃を軽減出来るだろう。その思考はカツヤを信じていないも同然だが、意識して露悪的に考えている節もあった。
鳥の亜人に比べて、ハーピーは歩行すらままらない。その代わり、自在に空を舞うことが出来るのだ。鳥人よりも鳥に近いその肉体は、より飛行に特化している。しかし重いものを運ぶのには向いていない。骨格の強度が足りず、負荷に弱いからである。
だから、カツヤには期待していない。無理そうならすぐに取り止め、部屋に戻ってもらう。それでいい。『水禍』は己に言い聞かせるように考えるが、カツヤはその気も知らずに嬉しそうに声を上げた。
「それじゃあ、しっかり捕まっててねおっさん!吹っ飛んじまっても知らないぜー!」
ばさり。両翼を広げたカツヤは、大嵐に臆する事無く羽ばたいた。ブランコのようにぶら下がっている『水禍』に激しい揺れが伝わるが、ベルトで固定されている為振り落とされることは無い。予想に反してぐんぐんと高度を上げていき、飛行自体も安定しているようだ。吹き付ける風雨を物ともせず飛び回っている。
「おい、ペースが速いぞ!」
「へーきへーき!ずっと部屋に閉じ込められてて体力有り余ってるんだ!そーれっ!」
ぐんと速度を上げ、カツヤは嵐の中で舞う。ハーピーとしては異常な力強さだ。本来こんなことはありえない。と、過去の事象を思い出した。そういえば、カツヤには『炎災』との戦いの際に、片翼を焦がしながらも飛び続けた実績があったはず。もしかすると、通常のハーピーよりも頑健なのかもしれない。
ならば。『水禍』がした提案は、良くも悪くも正しかったと言える。カロロの他にも飛行出来る人員がいれば、戦術的にも戦略的にも大幅に有利だからだ。
「・・・・・・チッ」
暴風とカツヤの羽ばたきに揺られながら『水禍』は舌打ちする。これならば、ニェークはカツヤを偵察に出すことを認めるだろう。とにかく手が足りない現状、『水禍』にとってもありがたいはずだ。しかし、彼の表情は優れない。
「ふぅー!久々に飛ぶと気持ちいいなぁ!風も雨も俺を止められないぜ!」
完全にハイになっているカツヤは、『水禍』の苦悶に気付かない。当然だ、彼女はやっと役に立てるという事実に舞い上がっているのだから。二人は思考のすれ違いを自覚すること無く、無事に飛行試験を終わらせた。
吹けよ風、呼べよ嵐。されど空は遠く、未だ至る者無し。