ニェーク伯爵の屋敷。調度品や装飾の少ない執務室で、ニェークはラソンと共に膨大な書類を処理していた。と、その内の一つに目を留める。見慣れた筆跡は、エリンドを統括する将軍にしてニェークの育ての親であるジエッタのものだ。
「冒険者の集まりはそれなり、第一陣を編成中、か・・・・・・。流石は将軍、迅速な動きだ」
ニェークも考え始めていた、大規模な冒険者パーティーの派遣。リスクも高いが現実的な方法に、ジエッタはいち早く決断し行動に移したようだ。それならば、こちらから打つ手もおのずと決まってくる。冷めた紅茶をカップから飲み干し立ち上がった。
「暫く席を外すから、私の承認が必要な書類はここに纏めておいてくれ」
「かしこまりました、我が主。『水禍』の元に向かうのですか?」
「うん。カツヤを利用するのは心苦しいけど、そろそろ出撃してもらおう」
落ち着いた足取りで部屋を出て、真っすぐにカツヤの部屋へと向かう。おそらく、二人ともそこに待機しているだろう。すぐに到着し扉をノックすると、息を潜めたような返事があった。カツヤの声だ。
「ど、どうぞ。出来るだけ静かに・・・・・・!」
そっと扉を開けて室内を確認するニェークの目に、翼を口に当ててあわあわしているカツヤの姿と、ベッドの上で横になっている『水禍』の姿が映った。どうやら、随分ぐっすりと眠り込んでいるらしい。
「これは、失礼。お邪魔なのは承知だけど、ごめんね」
小声で言いつつベッド横の椅子へと腰掛ける。猶予は僅かにある。ここは起こさないのが賢明か。と言っても、警戒心の塊である『水禍』がこの状態でも目覚めない以上、無理にでも起こそうとしなければ問題は無さそうだ。
「こ、こっちこそごめんニェークさん・・・・・・!飛ぶのが終わってからおっさんを無理矢理休ませて、俺もさっき目が覚めた所なんだ。もしかして、急用?」
「いや、少しは余裕があるから大丈夫だよ。そのまま寝かせてあげるといい」
頭を下げるカツヤを制し、ニェークは穏やかに告げた。これから存分に働いてもらうのだ、体力を温存してもらおう。
とはいえ、少々驚いたのも事実だ。『水禍』は複雑な内面を有する男だと思っていたが、まさか添い寝をする程カツヤに心を許していたとは。いや、それは無いだろう。出撃の準備やカツヤにまつわる心労で、純粋に疲れ果てていた。ニェークはそう当たりを付けつつ、案外純朴に見える『水禍』の寝顔を眺めた。
時は少し遡る。飛行試験を終え全身ずぶぬれになった『水禍』とカツヤは、一旦休息を取る為に屋敷の部屋に戻っていた。着替えを終えた『水禍』はむっつりと黙り込み、部屋の隅の椅子に腰を降ろしている。視線の先には、満足気な表情でベッドにダイブするカツヤがいた。
「いやぁ、やっぱ飛ぶのは気持ちいいなぁ!雨と風は凄かったけど特に問題無かったし、これなら余裕で目的地に辿り着けるでしょ!」
「・・・・・・油断をするな。尋常な状況ではないのだ、何が起きるのか分からん。楽観は時として有効かもしれんが、現状では致命傷になりかねん」
「分かってるって!おっさんも一緒に行くんだから、きっと大丈夫!」
能天気な返事。『水禍』は苛立たしげにあごを撫で、カツヤを睨み付ける。しかし彼女は一切怯えること無く、とんでもない言葉を口にした。
「でさ、まだ出発まで時間あるんだろ?それなら、おっさんこのベッドで休んでくれよ」
「断る。ここで十分だ」
「椅子に座ったままじゃちゃんと休めないじゃん。ほら、俺はベッドの隅っこで丸まってるからさ」
カツヤは言葉通り、這いずりながらベッドの隅に移動する。きらきらとしたまなざしを向けられた『水禍』は鬱陶しそうに首を振った。カツヤがこちらを心配していることには気付いている。しかし、無防備な姿を晒すわけにはいかない。湧き上がってくる忌避感は、長い人生で染み付いた防衛本能のようなものだ。
「私に構うな、カツヤ。貴様が近くにいては寝るに寝られん。それに、ちゃんと休むべきなのは貴様の方だ。私を連れて飛ぶというのに、墜落されては敵わん」
「うーん・・・・・・だったら、やっぱり二人で休むの一番じゃないのか?このベッド滅茶苦茶デカいし、そんなに気にする必要はないと思うんだけどな」
「何か勘違いしているようだが、どちらにしろ私がそこで休むことは無い。大人しく寝ていろ」
平行線だ。カツヤは『水禍』と睨み合いながら頬を膨らませる。どうにかして彼をベッドで休ませなければ。しかし、相手はとてつもなく強情だ。どれだけ言葉を弄したとしても、素直に聞いてくれるはずが無い。どうすればいいのだろうか。いい案は思いつけず、カツヤは最終手段に訴えることにした。
「・・・・・・ねぇ、おっさん。お願い。頼むよ、本当にお願いします。俺はおっさんが疲れたままなのが嫌なんだ。だから、お願いします」
頭を下げ、ひたすらに頼み込む。人生経験も少なく常識の通じない世界に飛ばされてきたカツヤにとって、これしか考えられなかったのだ。ベッドの上で這いつくばるような姿勢をしているカツヤに、『水禍』は思わず黙り込む。ここまで恥も外聞も無く振る舞うとは、流石に予想していなかった。
「頭を上げろ、貴様がいくら言ったとしても」
「おっさんがこっちで寝るまで上げない!お願いします!」
『水禍』の言葉を遮って叫ぶカツヤ。このハーピーは対話をする気が無い。ただただ無様に、無理やり提案を押し付けようとしてきている。以前の『水禍』ならば有無を言わせず叩きのめす所だが、カツヤを害するのは躊躇われた。
「おい、いい加減」
「おーねーがーいーしーまーすー!!!」
カルヤは額をベッドに擦り付けたまま、無茶苦茶に声を張り上げる。ごり押しかつ幼稚にも程があるが、これが今の彼女が切れる最善のカードだった。それに、どれだけ自分が醜態を晒そうとも、『水禍』が休んでくれるのならそれに勝ることは無い。己の弱さを盾に、徹底的にゴネるつもりでいた。
「・・・・・・」
「お願い!頼みます!お願いします!」
「・・・・・・ええい。分かった。分かったから囀るのを止めろ」
根負けしたのか、頭をがしがしと掻きながら言う『水禍』に、カツヤはバッと顔を上げた。喜色満面な表情が『水禍』の精神を逆撫でる。だが、ここで押し問答をしても意味は無い。重い足取りでベッドまで向かい、のっそりと腰を下ろした。
「そら、隅に行け。貴様が言ったのだろうが」
「うん!了解了解!」
跳ねるようにベッドの上を転がり、カツヤは言われた通り隅へと寝転ぶ。それを見た『水禍』は露骨に鼻を鳴らして、不機嫌そうな様子を隠そうともせずにベッドに横たわった。柔らかく包み込むような感触。どこか、隠れ里のベッドを思い出す。
「それじゃあ、おやすみおっさん!毛布は使っていいからさ!」
「うるさい、黙れ。眠らせる気が無いのか?」
両翼で口を抑えたカツヤを横目に、『水禍』は仕方なく目を閉じる。どうせ眠れるわけも無い。意識が朦朧とする程の量の酒でも飲まされるか、あるいは気絶でもしない限り、他者が傍にいると警戒して意識を落とせないのだ。汚れ仕事を請け負い続け、敵を増やし続けてきた人生だからこそ染みついた習慣。
「・・・・・・」
しかし。何故か、睡魔がゆっくりと近付いてくるのを感じる。確かに心身共に疲弊しているが、それだけが理由でも無いだろう。何よりも、先ほどまで『水禍』は酷く不機嫌だった。本来ならば眠れるような状況ではない。
だというのに、抗い切れない睡魔が全身を包んでいく。鋭敏な『水禍』の感覚は、すぐ傍にカツヤがいると認識しているにも関わらず。動揺や戸惑いも、微睡みの内へと沈んでいった。微かに残った意識にも抗う力は無く、『水禍』は眠りへと落ちていく。その心に、不思議な安堵を覚えながら。
「忘れろ」
「起床早々元気だねぇ。だけど」
「いいから忘れろ。というより見ていたなら起こせ。貴様が大の男の寝顔を眺めるような奇矯な趣味の持ち主だとは知らなかったぞ」
『水禍』が目を覚まして真っ先に見えたのは、穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ているニェークの顔だった。寝起きの頭が即座に動き、状況を察する。起き上がった勢いのままニェークに顔を近付け、ドスの利いた声で言い放つも一切効果が無いようだ。
「これから君達には過酷な旅に出てもらうからね。それなのに、わざわざ起こすことはしないさ。十分に英気を養えただろう?」
「黙れ。ええい、どいつもこいつも」
苛立ち紛れに服装を整え、じろりとカツヤの方を睨んだ。彼女は満足気に何度も頷き、達成感を覚えているような表情をしている。頬でも張りたいところだったが、鋼の意志でどうにか堪え頭を振った。
「とにかく、出発の時間だろうが。私が要求したものは揃えたのか?」
「寝起きだというのに判断が早いね。うん、準備は出来てる。魔石や魔道具も、望んだものは用意してあるよ」
にこやかに答えるニェーク。それにもイラついてしまう『水禍』はローブを羽織り直し首を回す。ぽきぽきと音が鳴り、血液が巡る感覚が広がっていった。
「ならば、すぐにでも出よう。カツヤも構わんな」
「おっさんがいいなら俺も大丈夫!よーっし、出陣だ出陣!」
話を振られたカツヤは、ベッドからピョンと飛び跳ねて嬉しそうに笑う。あまりにも軽薄な態度に『水禍』のこめかみに青筋が浮かぶが、何も言わずに部屋を出た。まともに歩けないカツヤは、入れ替わりに入ってきた従者に背負われついてくる。
正直な話、『水禍』自身の羞恥を考慮に入れなければ体調はすこぶる良かった。久々に熟睡したからだろうか、心身共に力が漲っている。だが、そうなった原因であるカツヤに対し、素直に感謝するなど出来るはずも無い。背中越しのうるさい囀りに耳を貸すこともせず、『水禍』はのしのしと通路を歩いていった。
中庭近くまで行くと、ぎりぎりまで物資を詰め込んだ背嚢が準備されている。横に佇むのはニェークの腹心、犬の亜人であるラソンだ。
「お待ちしておりました、『水禍』様。万事、整っております」
「いいだろう、確認する。それが終われば出発するとしよう」
そう言って背嚢の中身を確かめつつ、ちらりと視線をカツヤの方にやる。彼女は従者にベルトを装着されながら、ニェーク相手に鼻息荒く話しかけていた。頬は紅潮し、興奮は収まるどころかどんどん増しているようだ。
「さっき飛んだ時も全然余裕だったし、期待してくれていいよニェークさん!めっちゃ早く到着出来ると思うから!」
「うんうん、それは何よりだ。だけど、決して無理はしないように。『水禍』の言うことにはキチンと従ってくれるかな?」
「もっちろん!」
頭が痛くなるような会話に、しかし実際の脳内はすっきりとしている。そのことが、逆に『水禍』の心をささくれ立たせた。荷物の確認を済ませ背嚢を背負う。そして、渋々とカツヤに向き直った。
「カツヤ。随分と浮かれているようだが、これから先は泣き言は許されん。精々はしゃいでおくことだ」
「りょーかい!よーし、やるぜぇー!」
皮肉も通じず、言った通りにはしゃぐカツヤ。無暗に翼をばさばさと動かし、羽毛が周囲に飛び散る。その様子に、『水禍』は深い溜め息を吐くのだった。
『水禍』&カツヤ、出陣。それゆけでこぼこコンビ。