かつて、大陸を統一していた偉大なる王国があった。精強な兵を擁し、カリスマに溢れる王族達が辣腕を振るう。臣民を脅かす悪人や魔物はことごとく打ち滅ぼされ、統一国家に相応しい治世が大陸全土に行き渡っていた。
しかし。今から150年前、辺境の小さな反乱を機に事態は急変する。今まで魔物と認識され、奴隷のように扱われていた亜人達が徒党を組んで立ち上がったのだ。我らにも平穏な暮らしを。その想いに感化された一部の人間達も武器を取り、亜人と人間の連合軍が王国に牙を剥いた。
王国の判断は素早いものだった。即座に討伐軍を組織し、反乱の鎮圧に乗り出す。だが、虐げられてきた怒りと自由への渇望に燃える亜人達は手強かった。整然と隊列を組み進軍する討伐軍に対し、徹底したゲリラ戦術を敢行。補給線を徹底的に攻撃し、討伐軍を衰弱させる。決戦主義に傾倒していた王国の軍隊では、連合軍相手では相性が悪すぎた。徐々に戦力をすり減らし、確かな戦果を上げることの無いまま撤退まで追い込まれてしまう。
王国軍、敗れる。その報が大陸全土を駆け巡り、亜人たちの蜂起が王国内で頻発。野心溢れる貴族たちも陰ながら同調し、裏から亜人を支援。王国には混乱と戦火が吹き荒れ、人々の屍が際限無く積み上がっていった。
蜂起で戦力を分散された王国の隙を突くように、亜人と人間の連合軍は大攻勢を開始した。一時は大陸の半分程を奪取する戦果を上げるも、領土が狭まったことで戦力分散し辛くなった為かそこからの攻勢は停滞。蜂起を一つ一つ丁寧に潰した王国直属の軍隊が戦線へと急行したこともあり、互いに睨み合う日々が続いた。
───それから三年後。亜人と人間の連合軍は共和国の設立を宣言。亜人の中でも有力な六つの氏族の長、そして亜人に協力した人間達の代表者三人。さらには民衆の支持を受けた者達によって行われる議会によって国家を運営することとした。
王冠を戴かない国。亜人と人間が共存出来る国。王国としては、思想に反する逆徒を野放しにする理由は無い。それから王国と共和国は何度もぶつかり合い、時には外交で、時には戦争で国境線を押し合っている。150年の間、ずっと。消えぬ恨みが積もるには、十分過ぎる期間だ。
王国歴672年。共和国歴151年。その年の秋の月、何度も繰り返された小競り合いで、王国軍はつまらぬ勝利を一つ上げた。そしてその裏で、とある傭兵の運命がねじ曲がろうとしていた。
傭兵の名はグロム。『縄かけ屋』と称された歴戦の傭兵。彼が長い長い眠りから目を覚ますと、そこは───
もこもこ、ふわふわ。そうとしか言えない感触が、全身を包んでいる。若い頃に一度だけ行った高級娼館のベッドを思い出すが、それより数段は心地良い。あぁ、あるいはここが死後の世界という奴だろうか。死んだら終わりだと思っていたが、神官の言葉を真面目に聞いとくべきだったかな。
「ん・・・・・・」
ゆっくりと目を開ける。木造りの天井が見えて、次いでそれが燭台か何かの明かりに照らされていることに気付いた。気のせいだろうか、天井が大分高いように感じる。どうやら、俺は小屋か何かのベッドへと寝かされているようだ。
「・・・・・・?」
死にかけていたからか、体の調子が妙だ。いつもの感覚と随分ズレている。とはいえ、痛みも無いし普通に動かせそうだ。状況を理解するために起き上がろうとすると、そこでようやく誰かに抱き着かれていることに気が付いた。
「むにゃ・・・・・・」
抱き着いてきているのは、あの時の亜人の少女だ。まだ小さめの巻き角に、もこもこの髪の毛。彼女はぐっすりと眠りながら、俺をがっしりと掴んでいる。振りほどいたら起きてしまいそうだ。と、
「起きたか」
岩同士を擦り合わせたかのような、奇怪な声。首を動かして声のした方向を見ると、そこには異形としか言えない化け物が胡坐をかいていた。
まず、酷い異相だ。落ち窪んだ瞳はギョロリと巨大で、黒目が異常に大きい。頬は削げているのだが、どこかゴツゴツとした印象を受ける。さらには、身の丈3mはありそうな巨体。こちらも肋骨が浮き出ており、手足も長い。が、そもそもの骨が太いからか痩せているという印象は薄い。立ち枯れかけている巨木。一言で言えば、
そんな感じだ。
しかし、もっともおぞましいのは背中だ。肩の辺りから腰まで、三対六本の腕が生えている。これも長く骨太で、まるで木の枝のように節くれだっていた。魔物だとしても、これほどの異形は見たことが無い。厚手のズボン以外は何も身に纏っていない異形は、太い杖のようなものを手元でいじくっているようだ。
「驚くな。今、敵では、無い」
地中奥深くから響いてくるような声で、異形が言う。まぁ確かに、こいつが俺に危害を加えようと思ってるのなら寝てる内にやればよかった話だ。一応、敵意は無いと見ていいだろう。意思疎通も出来そうなので、とりあえず話しかけてみることにする。
「あんた、何者だい?それに・・・・・・ん?」
声がおかしい。いつもより高く、澄んでいるようだ。喉に手を当てると、いつもの突起が感じられずすべすべとしている。ど、どういうことだ?
困惑している俺を察してか、異形はのそりとこちらに近付き、何かを差し出してくる。金属で出来た鏡のようだ。って、
「・・・・・・あ?」
間抜けな声が漏れた。そこに映っているのは、亜人の少女に抱き着かれている、さらに幼い羊の亜人。顔の作りから見るに女の子だろうか、愛嬌のある丸みを帯びた顔に、眠たげな目つき。となりの少女に負けるとも劣らない量のふわふわな髪の毛。驚きと困惑が混ざったような表情で、鏡をじっと見つめている。これは、つまり・・・・・・待った、おかしいだろうこれは。
「あ、あんた、こりゃどういうことだ?どうなってる、何かの幻覚か?」
「違う」
相変わらずおぞましい、それでいてきっぱりとした声色で異形は言う。
「お前、羊、亜人になる。なった。同族に招く、秘術で」
噛んで千切るような言葉に、俺は思い当たる節があった。
お喋り好きな学者先生から聞いたところによると、亜人は本来生殖行為によって子を授かり、血を繋いでいくらしい。つまり、人間と同じだ。しかし、それ以外にも繁殖する方法が一つだけある。それが、同族化の秘術だ。
名前の通り、人間を亜人へと変化させる秘術。詳しいことまでは分からないが、確かかける相手の同意が必要だったはず。それに、性別や年齢まで変わるなんてのは聞いたこともない。
「いや、待ってくれ。そいつはアレだ、同意が無きゃあ同族化出来ないんじゃないのか?それに」
「待て」
言い募ろうとする俺を遮るように、異形が右手をかざす。背中の六本腕が蠢き何かの作業をしているようだが、巨体に隠されていて分からない。
「俺は、詳しく知らん。ミュリアに聞け」
かざした手で、俺の横、抱き着いて眠っている少女を指差す。そして、異形はまるでこちらに興味を失ったように、杖の様なものを点検し始めた。
「・・・・・・」
押し黙って、横の少女を見る。涎を口の端から垂らしながら、とても気持ちよさそうに眠っているようだ。うーむ・・・・・・起こすのは忍びないが、他に事情を聞ける者もいない。仕方ないか。
「おーい、お嬢ちゃん。起きてくれ」
軽く肩を揺するが、一切起きる気配が無い。「むへへ、もう食べられないよう」などと、随分古典的な寝言を呟いている。整った顔立ちや、敗残兵に襲われていたときの印象とは少し外れているように感じた。
「ふむ・・・・・・」
・・・・・・ま、いいか。今は俺も疲れている。訳の分からぬ状況も気になるし、何より横で何かの作業をしている異形のことも気になる。だが、今は休もう。また起きた時に、今度こそ事情を聞けばいいさ。そう割り切って俺は目を閉じた。・・・・・・気が緩んでいるのか、それとも羊毛のおかげか。あっという間に眠ってしまったのは秘密だ。
「ご、ごめんなさい!!」
「いや、頭を上げてくれって。参ったな、ったく・・・・・・」
数時間後。目を覚ました俺を待っていたのは、平伏するように頭を下げている亜人の少女だった。
「とりあえずさ。頼むから状況を説明してくれないかい。別に怒ったりしないから」
「え、えぇと・・・・・・!ごめんなさい、全て私が勝手にやったことなんです!」
「うん、分かった、分かったから。何をやったのかを、説明してくれないかな?」
酷く後悔しているような様子の彼女を宥めながら、なんとか事情を聴き出そうとする。亜人の少女の見た目は14.5歳程だけども、どうにも子供の相手は苦手だ。
「は、はい・・・・・・。実は、ですね・・・・・・?」
出来るだけ丁寧に接したのが功を奏したのか、少女・・・・・・ミュリアと名乗った羊の亜人は、おずおずと事情を説明し始めた。
曰く。俺が意識を失ったのは、背中に六本腕を持ってる異形が放った魔術が頭を掠めたからとのこと。それ自体はかすり傷程度で、命に別状は無かったらしい。
曰く。横で作業をしている異形は、羊の亜人達が暮らす隠れ里を守る為、近付く兵士達を撃退しているらしい。事情も何も知らんが、今は追及することでは無い。少女の説明を促す。
曰く。腹部の傷の具合が悪く、このままでは死んでしまうと羊の亜人の里へ運び込んだとのこと。この辺りに亜人の里があるとは知らなかったが、少女の物言いを見ると本当のことなのだろう。それと、腹の傷はやはり重傷だったようだ。
曰く。助けようとしてくれた人が死ぬのを見過ごせず、同族化の秘術を行うことにした、とのこと。そこが、俺にとっては分からない。考えながら語る少女の言葉に口を挟んだ。
「いや、待ってくれ。いくら助けようとしたっつっても、所詮は流れの兵士だろう?秘術のことには詳しくないが、わざわざ助ける程でも無いんじゃないか?」
「で、でも・・・・・・貴方は、私を助けようとしてくれましたよね?そんな人が目の前で死ぬのは、嫌です」
シンプルな答え。このご時世に似合わない純粋な言葉に、俺は頭を掻く。硬質な何かが頭部から生えている感触から考えるに、本当に角が生えてるようだ。
「そうかい。優しいんだねぇ、ミュリアのお嬢ちゃんは」
「そ、そんなことは無い、です。だって、私達に優しい人達は少ないって知ってますから」
少女の返事に、思わず口ごもる。共和国が亜人の権利を認めているとはいえ、人間達の中では亜人を一段下に見ている奴らは多い。それどころか、昔のように奴隷扱いする者も多いのだ。内心苦い感情を浮かべつつ、続けて訊ねる。
「ミュリアちゃんが、俺を助けてくれたのは分かった。だが、この体はどういうことだい?ミュリアちゃんよりも幼い、しかも女の子になってるようだが」
一応、再度起きてから股間を確かめた。さほど立派ではない愚息は影も形も無く、のっぺりとした感触が伝わってくるだけ。女になっていることは疑いようも無い。
「そ、それは私にも分かりません。普通は、秘術をかけるには同意が必要なんです。でも、意識を失っていたから、その、無理やりやってしまって・・・・・・そのせいかもしれません、ごめんなさい!」
・・・・・・要するに、だ。俺は死にかけていた所をミュリアに助けてもらったが、その代償に羊の亜人、それも幼い少女になってしまった、と。荒唐無稽な話だが、信じるしかないだろう。なにせ、ミュリアのお嬢ちゃんの言う通り、俺の体は羊の亜人になってるんだから。
「ふぅ・・・・・・分かった、分かった。そんな頭を下げないでくれよ、ミュリアちゃん。俺の命を助けてくれたんだろう?こっちから感謝こそすれ、恨むような筋合いは無いさ」
「そ、そうなんですか?でも、勝手にやっちゃったのに・・・・・・」
「あんたがやっちゃわなきゃ、俺は死んでた。まぁ、他にも色々確かめたいことはあるけど、あんたは俺の命の恩人だ。ありがとな、助けてくれて」
にこりと笑いながら言うと、ミュリアちゃんはほっとしたような表情になる。・・・・・・まぁ、思う所が無いわけじゃあないが。とりあえずは、生きてることに感謝すべきだな。
さて、と。俺の事情は分かった。だが、気になることは他にもある。その最たるものは、俺とミュリアちゃんの会話の間、一言も発さずにいた異形の存在だ。
「同族化の秘術で、俺が羊の亜人になったのは分かった。理由は知らんが、娘っ子になっちまったことも。だが、それとは別に気になることがある。そちらの御仁、何者だい?」
ちらりと異形の方に目をやる。自身の話題が出たというのに、こっちには見向きもしない。どうにも正体が掴めない中、ミュリアちゃんは軽い調子で答えた。
「あぁ、この方は守り神様です」
「・・・・・・守り神様?」
なにやら、きな臭いことになってきた。俺は純朴そうなミュリアちゃんと隣で作業をしている異形を交互に眺めながら、内心大きく溜め息を吐いた。
羊の亜人達は髪の毛もっふもふです。羊毛最高!