グロム達が出ていってから10日が経った。その間、里は平穏無事な日常を過ごしている。そんな中、異形はいつもの習慣を繰り返していた。
暖炉に火をくべて、使い込まれた鍋で鉛を溶かす。煙を吸い込まないようにしながら慎重に溶かしていき、丁度良い頃合いになったところで鋳型に流し込んだ。飛び筒の弾を作る作業である。
黙々と、何度も繰り返してきた工程を行う異形。飛び筒の修理や改造には里の鍛冶場を借りなければならないが、この程度のことはいつも小屋で済ましている。鋳型を冷まし、出来た鉛玉を恐ろしげな容貌で見つめると、巨体に似合わぬちんまりとしたやすりを取り出した。歪な部分を細かく削り、出来る限り真球へと近付けていく。
数十年以上前から、異形はこの作業をし続けてきた。里に辿り着く前も、辿り着いた後も。最早呼吸と同じように、何か考えずともこなせる程に体に馴染んでいる。背中の腕も器用に使い並行して鉛玉を削っていると、小屋の扉が控えめに叩かれた。
「誰、だ」
「グジンでさぁ。里長から、野菜が沢山採れたので守り神様におすそ分けしろと。扉の横に置いときゃいいですかい?」
「あぁ。助かる」
聞き慣れた素朴な声は、いつも異形によくしてくれている里の者だ。このような見た目の者に優しくするなど、正気の沙汰ではない。異形は常々そう思っているのだが、彼らは何故か普通に接してくれている。何度か代替わりしてもそれは変わらず、挙句おぞましき自身を守り神だと敬う始末だ。警戒心が無さ過ぎるのか、人を疑うということを知らないのか。異形は密かに心配していたのだが、個人としては好ましく感じていた。
グジンの足音が遠のいていくのを聞きながら、異形は作業を続ける。そういえば、少し前に旅立ったグロム達は無事だろうか。魔物や野生動物はまだしも、人間が里に訪れたことは一度も無い。だというのに、戦争だかなんだか知らないが、隠れ里に危険が及ぶのは異形も望むところでは無かった。
グロム。同族化の秘術を受けた、外の傭兵だったという存在。彼は里の者とは違う、現状を理解し解決しようという意思を感じた。今の所は、信頼出来る奴だろう。
「ゴホッ」
異形は軽く咳き込み、頭を振る。鉛玉はある程度完成したが、飛び筒の口径毎に量を作らないといけない。いつも通り、夜通し作業を続けることにした。
そう。異形は複数の呪いをかけられているが、その内の一つに「眠ることが出来なくなる」というものがある。その悪趣味な呪いをかけられて以来、異形は一睡も出来ず、意思や思考がぼんやりとして定まらない。数十年経つ内に慣れてしまったが、異形にとってこの呪いは最も辛いものだった。隠れ里を訪ねた理由も、この呪いを解くためだったのだ。
曰く。羊の亜人達の中には、『眠りの聖女』と呼ばれる女性が生まれることがあるという。どんな者も安眠させることが出来る力を持つ、聖女に相応しき存在。異形はとうに忘れ果てた眠りを得る為に、隠れ里に訪れた。しかし、眠りの聖女は見つからない。それどころか、羊人達の間では眠りの聖女が実際に現れたという記録は残っていなかった。希望をへし折られた異形は気力も枯れ果て、呪いを解くのを諦めここに留まることした。己の境遇を、諦観と共に受け入れたのだ。
あれから数十年。異形は、羊人に建てて貰った小屋で日常を送っている。魔物や野生動物を倒し、里を庇護する日常を。それは、これからも変わらないのだろう。そう、思っていた。グロムが里に来るまでは。
外部の者が、この里へと接触してくる。それだけで、異形にとっては驚くべきことだった。さらに、王国の斥候隊の接近。間違い無く、状況が変化している。隠れ里が隠れ里でいられない状況へと。
やるべきことは変わらない。近付く者を撃退する。異形には、それしか出来ない。だからこそ、異形はグロムに微かな期待を寄せているのだ。現状を突破出来る可能性を、見出しているのだ。
「・・・・・・全く。馬鹿な、話だ」
溜め息を吐いて、作業を中断し小屋の外に出る。グジンが置いていった野菜がたっぷり入った籠を回収し、遅い夕飯を作ることにした。
「ようこそおいでくださいました、『水禍』の魔術師殿。我がラオ要塞は、貴方を歓迎しましょう」
「おべっかはいらんよ、司令官。あくまで仕事だ、仰々しいのは苦手でね」
王国側の国境際、ラオ要塞の一室に三人の人間がいた。
一人はラオ要塞の司令官。一人はその副官。そして、最後の一人は。
「そう仰らず。無論、働きの対する対価は存分に払わせていただきますが」
「ならいいが・・・・・・。それで、早速事情を聞こうか。書簡では詳しいことは書かれていなかったからな」
水晶のアクセサリーを全身のあちこちに身に付けた、たくましい初老の男性。同じく水晶をあしらった杖を横に立てかけ、じろりと司令官に目をやった。
「えぇ。国境線近辺に共和国の拠点らしきものが発見された、という所まではよろしいですね?」
「あぁ」
「実は、そこを叩き潰してほしいのです。『水禍』の二つ名を持つ貴方なら、容易い話でしょう?」
にこやかな司令官の言葉に、『水禍』の魔術師は顔をしかめる。
「無茶を言うな。敵の情報も何も無い状況で攻めるなど、正気の沙汰ではないぞ」
「だからこそ、貴方なのです。先遣させた斥候隊はおそらく全滅しました。それだけじゃない、拠点があると思しき場所へ向かった兵は、一人たりとて戻ってこないのです。尋常な事態ではない」
「そのような死地を攻略しろと。ふん、随分と偉くなったものだなシリュート。王家の財宝の半分をやると言われても、このような仕事はお断りだ」
シリュートと呼ばれた司令官は、殺気すら漂わせる魔術師を前に表情を崩さなかった。それどころか、笑みを深めて言い募る。
「常道では、そうでしょうね。ですが貴方なら問題無いでしょう。その気になれば、このラオ要塞すら単騎で落とせる力を持っている貴方ならば」
「・・・・・・買い被りだ。確かに、貴様は私の魔術をその目で見た男だ。だが、思い込みが強いのだな。私の魔術はそこまで強力なものではない。『雷鳴』や『鉄塊』、『孤城』に比べれば、私は足元にも及ばんよ」
「ははは。ですが、可能でしょう?私が貴方を高く買っているのは、何も魔術の練度だけではないのです。手段を選ばぬ方法論こそ、私が貴方を評価している理由なのですから」
にこやかに言い切り、冷めかけの紅茶を啜るシリュート。『水禍』の魔術師は黙り込み、その様子をじっと見つめている。話の間ずっと直立不動で立っていた副官は滴る汗を拭くことも忘れ、場のプレッシャーに耐え続けていた。
目の前にいる男。『水禍』の名を冠する魔術師の噂は、副官も耳にしている。曰く、水を操作する魔術にかけては当代一の実力を持っている。必要とあれば眉一つ動かさずに罪の無い赤ん坊を殺害出来る。彼の襲撃を受けた共和国軍の大隊が全滅した、と。多少の誇張はあるだろうが、それでもとんでもない魔術師だ。実際に目にすると、想像していたような残忍な見た目では無い。下手な騎士よりも屈強な肉体に傷だらけの風貌、厳めしい顔付きに禿頭という組み合わせは、魔術師というよりは戦士に近いと副官は感じた。
息をするのも忘れたように、副官はぴくりとも動かない。先ほど魔術師から放たれた殺気は、軍に入ってから初めて味わうほどのものだった。巨大な毒蛇に睨まれたような、全身が総毛だつ感覚。司令官であるシリュートに向けられたものの余波でこれなのだから、たまらない。一切表情を変えず振る舞っている司令官は、やはり傑物なのだろう。
長い沈黙の後、『水禍』の魔術師は口を開いた。苦々しげな口調で、シリュートへと告げる。
「・・・・・・はぁ。まず、大量の魔石を用意しろ。一級のものを、最低でも200個」
「すぐに手配しましょう。他には?」
「兵を貸せ。20人程だ。精鋭でなくても構わんが、捨て駒に使う」
「よろしい、小隊規模で差し上げましょう」
「後は、悪路でも進める馬車だな。魔石の運搬に使う。その上で金貨150枚。それが、仕事を受ける条件だ」
その要求に、副官は思わず目を見開いた。金貨150枚とは、領地を買ってそれが経営出来る程の額だ。しかしシリュートは笑みを崩さず、大きく頷く。
「貴方が拠点を潰し、戻る頃には用意しておきましょう」
「ふん。色々と手間なことがある、しばらくはここに滞在させてもらうぞ」
「ご随意に。何か手伝えることがあれば、なんなりと」
シリュートを睨みながら魔術師は立ち上がり、部屋を出ていった。外にいた見張りの兵に魔術師を案内しろと言付けて、シリュートは笑みを解いてソファに背をもたれさせる。
「やれやれ、強欲な人だ。私が霞んで見える程だね」
「よろしかったのですか、司令官」
落ち着いた様子で紅茶の残りを啜る彼に、副官は息を潜めて訊ねた。他のものはともかく、金貨150枚は軍需物資でも何でもない。いくらラオ要塞の司令官という立場とはいえ、融通するのは並大抵の難しさではないはずだ。
「なに、心配いらないよ。なんの問題も無いとも。それより、君は明日から『水禍』の魔術師殿についてやってくれ。監視というわけじゃあないが、まぁ念の為にね」
「・・・・・・了解」
彼女は、それなりに長くシリュート司令官の副官として働いてきた。だからこそ分かる。司令官は、何かを企んでいると。しかし、わざわざ指摘することはしない。私腹を肥やす癖や強い権勢欲はあるものの、シリュートは優秀な人物だ。下手に不興を買うよりは、唯々諾々と従い彼の庇護を受ける方が賢い選択だと自分に言い聞かせる。副官に取り立ててもらった恩も、まだ返せていないのだ。
「では、小隊の選抜はこちらで進めます。魔石と馬車の手配は如何しますか?」
「それはこちらに任せてくれ。カルボラ採掘場の監督とは面識がある、上手く言って融通してもらうとするよ」
粘性の笑みを浮かべるシリュートに、副官は丁寧に敬礼する。内心の不快感や嫌悪感を抑えながら、彼女は業務に取り掛かるのだった。
さて、里に脅威が迫って参りました。