この日、異形はいつも通り飛び筒の手入れをして過ごしていた。日が見え始めるはずの明朝の時刻。薄曇りの天気は、今にも泣き出しそうだ。
「・・・・・・?」
ふと、彼は顔を上げ、窓の外に目をやる。日の光がが雲に遮られ、薄暗いこと以外はいつも通りののどかな風景。川のせせらぎに、里の方からは鶏の鳴き声も聞こえてくる。しかし。
「・・・・・・これ、は」
岩が削れるような声で呟き、立ち上がる。説明出来ないような違和感が、背筋を這い上ってきたのだ。外へ出て、飛び筒を構えながら辺りを見渡す。異常は、何も無い。異形は慎重に、森の方に向かっていく。いつでも撃てるように複数の飛び筒に装填し、森の中へと入っていった。
「『水禍』様。準備は整いました。命令を」
「待て。今、結界を無力化している。そこまで急くな、時はたっぷりとあるのだ」
水晶付きの杖を地面に突き立て、『水禍』の魔術師は魔力を緩やかに流していく。周囲を固める兵は25名、誰もが魔術師の動きを固唾を飲んで見つめていた。
「よいか、貴様らの目的はあくまで陽動だ。おそらく、この結界を張った魔術師がいる。そ奴の気を逸らさせろ。そうすれば、私が仕留める」
「はっ!」
「網目状の結界を踏めば位置がバレる。あとしばらくは待て。その後、二人一組で、あらゆる方向から距離を詰める。今の内に休んでおくといい」
魔術師の言葉に、兵士達は敬礼し休息を取り始める。彼は頬を流れる汗の感触を気持ち悪く思いながら、既に10個目になる魔石に手を伸ばした。
『水禍』の魔術師は魔術を行使しながら思う。よもや、国境線近くにここまでの結界が張られていたとは。網目状の結界は森に執拗に張り巡らされており、侵入者を阻むというよりも侵入を知らせる、いわゆる鳴子のような役割を持っていると推測出来た。効果を限定しているとはいえ、これほどの規模の結界は数十年以上の時間をかけなければ張ることが出来ない。
「ふぅ・・・・・・」
熱っぽい息を吐きながら、さらに思考を進める。相手は歴戦の魔術師か、それに類する存在だろう。だというのにこの数十年、この辺りで何か騒ぎが起きたという話は聞かない。俗世に嫌気が差した魔術師が隠棲することは多いが、そうであればここまで執拗な結界は張らないだろう。やはり、この先に秘匿すべき何かがあることは間違い無い。あの胡散臭い司令官が推測していた共和国側の拠点があるという話も、あながち間違いでは無さそうだ。
しかし。『水禍』の魔術師には自信があった。まずは相手の出方を知ること。その為に、借りてきた兵士は役に立つ。彼らに降りかかるものがなんであれ、その情報で見定められるものもあるだろう。
「さぁ、何が出る?魔術師か、軍隊か、はたまた魔物か。いずれにせよ、潰させてもらうぞ」
口角を吊り上げながら魔術師は呟く。纏っている魔力の勢いが、僅かに増したように見えた。
「・・・・・・なんだ」
森の中を進む異形は、数十分程進むと違和感の理由に思い至った。進めば進む程、徐々に霧が出てきている。しかも、さっきまでは感じ取れなかった魔力を、進むごとに深くなる霧に感じた。間違い無い、何者かの侵略を受けている。
歯ぎしりを鳴らしながら、異形はずんずんと前へ進んでいった。相手の能力も、数も、思惑も、何も分からない。しかし、今までの経験にグロムに伝えられた情勢から、異形は相手は隠れ里を害す者だという確信を持った。もしも害意の無い相手ならば、このような魔力の霧を蔓延させたりはしないだろう。
さらに。恐らくだが、侵入者を感知する為に張り巡らせた結界が無力化されている。霧の影響だろう。異形は魔術師でこそ無いが、ある程度の魔術を扱える程度の心得はあった。だが、専門ではないからこそ気付くのが遅れてしまったのだ。ミスをした後悔を胸の内にしまいながら、異形は背中の六本腕を展開し、それぞれに飛び筒を持った。極度の警戒を周辺に向けながら、足音を立てないように進んでいく。
やがて、霧はどんどん深まり十歩先すら見えない有様になっていた。こうなっては視覚には頼れない。異形は本来、結界による広範囲感知と飛び筒の射撃によって、動物や魔物を狩ってきたのだ。今の状況では、両目を潰されたに等しい。
「ふん・・・・・・」
鼻を鳴らし、それでも異形は前へと進んでいく。元よりそれ以外に方法は無い。隠れ里を、守る為だ。
聴覚を研ぎ澄まし、全方位に飛び筒を構えたまま前進する。魔力が込められた霧が体に纏わり付き、じっとりと肌が濡れる。と、
「っ!」
音が聞こえた。霧が音すら遮っているからか、気付いた時点でかなり近くまで寄られている。およそ、80歩(約56m)。飛び筒の射程なら届く距離だが、相手を視認していない現状では狙って放つことは不可能だ。せめて、種族や人数を聞き分けられる場所まで近付かなければ。
しかし、ここで異形は気付いた。今までのことから考えると、相手は相当に周到だ。魔力の霧を蔓延させ結界を無力化し、さらには視界を制限してきている。それだと言うのに、物音が聞こえる程の不用心さで森の中を進んできているのだ。霧を発生させている魔術師が、そのような危険を冒すことは考え辛い。囮か、あるいは誘い込んでいるのか。どちらにせよ罠だが、このまま進み続けられると隠れ里の位置が露見してしまう。迎撃以外の選択肢は無い。
「・・・・・・」
無言のまま、足音を殺し距離を詰める。それに伴って、少しずつ音の詳細が分かり始めた。二足歩行、二人。僅かに沈み込むような足音から、武装していることが伺える。手練れと言う程では無いが、相応に武技を修めているであろう足取り。問題無く倒せる相手ではあるが、懸念はやはり、魔術師の出方だ。
もしも、足音の対象が囮ならば。何故囮を出したかを考えなければならない。誘い出し、狙う為か。こちらの戦力を測っているのか。あるいは、敵の場所を特定する為か。異形は飛び筒を近くの木々に立てかけた。戦力を測っているにせよ、場所の特定にせよ、飛び筒は使わない方がいいと判断したのである。誘い出されている場合は悪手だが、他の足音が聞こえないことや気配も伝わってこないことから、異形はその可能性を切り捨てた。
懐から大振りのナイフを取り出し、背中の腕の一本に持たせる。奇襲からの白兵戦で、声すら出させずに殺すのが最善だ。足音から20歩の距離。大木の陰に身を潜ませ、近付いてくる足音に耳を凝らす。霧の向こう、微かに姿が見えた。王国軍の一般的な兵士の装備をしている男が二人。周囲を警戒しながら進んでいるが、異形の存在は気付かれていないようだ。
距離が近付く。魔術師が張ったであろう霧が、今はありがたい。異形は十分に兵士を引きつけ、あと10歩の距離になった瞬間に跳びかかった。一人を押し倒しながら首に手をかけると同時に、ナイフを持った背中の腕でもう一人の胸を突く。
「っが、ぁっ・・・・・・!!」
首を絞められた兵士が苦悶の呻き声を上げ、胸を突かれた兵士は呆然とした表情で胸から血を噴き出しつつ倒れ込んだ。異形はそのまま手に力を込め、兵士の首をへし折り殺害する。静寂が取り戻した森の中、彼は息が乱れることも無く再び耳を澄ました。
「・・・・・・ほぅ」
八組の兵士を送り出し、四人の兵士に守られている『水禍』の魔術師は片眉を上げ息を漏らした。囮として送り出した八組には、生きている限りこちらに位置を知らせる道具を持たせてある。その内の一つが反応しなくなったということは、相手の襲撃を受けたのだろう。断末魔が聞こえなかったということは、相手の実力が高いことが窺い知れる。
しかし、魔術では無い。魔力を用いた攻撃ならば、噴霧している霧もあって感知出来るはず。そうでないということは、相手は物理的な手段を用いて兵士二人を鮮やかに倒してのけたのだろう。警戒心を強めながら、魔術師は周囲の兵士に告げる。
「敵は少数だが、こちらに近付いてきているようだ。斥候が一組やられた。気を付けろ、周囲に一層気を配れ」
口を動かしながら、魔術師は思考を回す。こちらの侵攻に気付きながらも、相手は少数しか派兵してきていない。存外、兵力という点では乏しいのかもいれないと思いながらも、決して油断はしなかった。その少数を叩き潰す為、魔術を行使し始める。例え実力者であろうとも、抗いようの無い魔術を。
「生憎魔石には余裕がある。押し潰させてもらうぞ・・・・・・!」
「・・・・・・む」
再び物音が聞こえる。それも、複数の方向から。どうやら、相手は囮を何組も前進させているらしい。そのどれかが隠れ里を発見し、位置を伝えられた時点で異形の敗北だ。僅かな時間で思考をフル回転させる。囮を全て叩き潰すのが先か、どこかに潜んでいるであろう魔術師を叩くのが先か。しかし、肝心の魔術師の場所は絞り込めない。囮の後方にいると思われるが、範囲が膨大過ぎるのだ。
仕方ない。異形は踵を返し、飛び筒を回収しつつ近場の物音の方向へ向かった。まずは全ての囮を撃破し、その後魔術師を探すしかない。手のひらの上で踊っているような気分になりながらも、異形は迅速に行動を再開した。
八組の内五組がやられた時点で、『水禍』の魔術師は次に狙うであろう斥候の場所を読み切った。ひたすらに近場から襲撃しているのは、僅かでも時間を惜しんでいるからだろう。ならば、敵は北北東の斥候を狙うのが道理だ。『水禍』は頷き杖に魔力を込める。魔石が立て続けに割れ、大量の魔力が補われた。
「さて、ゆくぞ」
杖を上空に向けて振る。先ほどから仕込んでおいた術式が起動し、曇り空に魔法陣が浮かび上がった。しばらく前から降っているはずだった雨、その水分を吸収した巨大な球体が姿を現す。水球は凝縮され、やがて巨大な雨粒の如く地上へと落下した。
六組目に襲撃をかける直前、異形は上空の異常に気付いた。何かが降ってくる。濃霧故に何も見えないが、直感が告げていた。ここは、危険だ。身を翻し離れようとするが、既に遅かった。小さな村であればすっぽりと呑み込む程の大きさの水球が地上に落下した瞬間、凝縮されていた膨大な水が全てを押し流す。大津波の如き奔流の中、異形は辛うじて木に掴まろうとするが、文字通り根こそぎ流され意味を為さない。
「っぐぅぅぅっがぼっ・・・・・・!」
踏み止まることも出来ず、異形は抗いようの無い水流に飲み込まれる。『水禍』の魔術師の一撃は森に巨大なクレーターを作り、そこにあった全てを押し流したのだった。
質量攻撃は漢のロマン