「ふむ・・・・・・」
額から汗を垂らしながら、『水禍』の魔術師は目を凝らした。周囲には、今起こったことが信じられないのか、顔を青ざめさせている兵士が四人いる。当然だ。魔術の規模もさることながら、なんの痛痒も無く囮の兵士達を全て巻き込んだのである。
「す、水禍殿、今のは・・・・・・」
「先兵は仕留めた。前進するぞ」
「は、はっ!」
恐怖を顔面に張り付けながらも敬礼する兵士。その様子につまらなそうに鼻を鳴らし、『水禍』の魔術師は呟いた。
「さて、こちらの力は示したぞ。先兵を潰され、実力を見せつけられ。降伏か抵抗か、選んでもらおうではないか」
「ぐ、ぅ」
押し流された木々に挟み込まれる形で、異形は呻き声を漏らした。全身が圧迫され、軋んで悲鳴を上げている。背中の六本腕の内四本は奇妙な方向に捻じ曲がり、通常の腕も右腕は肘の部分から折れ曲がっている。通常なら気絶するほどの激痛だが、異形は顔を歪めながらも意識を保っていた。眠ることの出来ぬ呪いの結果ではあったが、彼は皮肉交じりに感謝する。これなら、まだ戦える。
強引に体を木々の間から引き抜き、骨にヒビが入っているのか踏みしめる度に痛みが走る足で前に進む。霧は晴れたようで、酷く見通しが良くなっている。周囲は全てが水に押し流され、草木が抉り取られて泥濘が広がっていた。隠れ里まではまだ距離がある為、そちらに影響は無いだろう。それよりも、問題は殆どの飛び筒を紛失してしまったことだ。通常サイズの一本以外は、押し流されている間に手放してしまったらしい。
幸い、鉛玉と魔石は腰のポーチに入っている分が残っている。唯一残った飛び筒も衝撃による歪みは無い様で、射撃自体に問題は無い。しかし、果たして飛び筒一本で魔術師を倒せるのか。激痛を発し続ける肉体を引きずるように進みながら、異形は策を考える。満身創痍の己、敵の魔術師の卓越した技量、泥濘の平原と化した森の一部。その全てが、異形の不利を突きつけてくる。だが、彼は決して歩みを止めない。おぞましい異相に戦意を溢れさせながら、無事な背中の二本の腕で飛び筒を持った。
相手は必ずこちらに近付いてくる。魔術師本人が来るとは限らないが、そこは賭けるしかない。異形はある程度前進した後、押し流された巨木の陰に身を潜めた。泥を全身に塗りたくり、泥濘の色に同化する。激痛はどんどん酷くなり、もはや痛み以外の感覚が分からない程だ。それでも、異形は呻き声一つ上げずに身を隠し続ける。まるで死体のように身動き一つせず、機を待ち続けた。
クレーターに水が溜まり、まるで湖のようになっている様を見つめながら『水禍』の魔術師はのんびりと歩いていた。彼の靴は魔力が込められた水で補強され、泥濘を気にすること無く進むことが出来る。が、四人の兵士達は泥濘に足を取られ、動きが非常に鈍い。魔石を積んだ馬車はこれ以上進めない為、持てる限りの魔石を回収し木に繋いでおいてある。
「も、申し訳ありません。足が地面に沈んでしまい・・・・・・」
「構わんよ。相手側にも考える時間が必要だ。相手の残存戦力がどうあれ、魔石の数には限りがある。降伏するなら、そうしてくれるに越したことは無いからな」
一歩進むだけでも苦労している兵士達に、『水禍』の魔術師は口角を上げて言う。彼の言葉の半分は本当だ。初撃で圧倒的な魔術を行使し、戦意を失わせる。そうすれば残りの魔石も温存出来る。が、彼には裏の思惑もあった。あれほどの魔術は、当然負担も大きい。消費魔力は魔石で補えるが、肉体の消耗は避けられないのだ。回復魔術は傷を癒すことは出来ても、蓄積した疲労には効きが薄い。すなわち、『水禍』の魔術師が大魔術を行使した本当の理由は、相手の抗戦意思を早期に打ち砕くことでこれ以上の肉体の消耗を避けるためだったのだ。
前者と後者の理由は、似ているようで決定的に違う。魔石さえあればいくらでもあの規模の魔術を放てると、肉体の消耗は存在しないと、周囲には思わせておかなければならない。いわば虚勢・・・・・・はったりだ。『水禍』の魔術師は、師である先代の『水禍』以外には己の実力を偽り続けてきた。実力こそ魔術師の中では中堅だった彼は、凄腕の魔術師だと周囲に思い込ませることで多額の報酬を確約させた。その上で魔道具や魔石の力、容赦の無い戦術で結果を残し続けてきた彼は、今の風評と地位を手に入れたのである。
「ふぅー・・・・・・」
兵士に気付かれぬよう、細く息を吐く。本当は丸一日休息したい所だが、長年の経験で培った精神力でなんとか持ちこたえた。敵の戦力が残っていて、かつ戦闘の意思を崩せていなかった場合、再度あの魔術を行使する必要がある。長い長い時間をかけて練り上げた、莫大な魔力と過酷な消耗と引き換えに、凄まじい威力と見栄えを誇るあの魔術───水天球を。
どれほどの時間が経っただろうか。泥に塗れ、激痛に苛まれながらも待ち続けていた異形の目に人影が映った。複数人だ。
「ぐ、ぬ・・・・・・」
ダメージの影響か視界が霞み、ぼんやりとしか見えない。数は、恐らく五人。距離は120歩。今の状況では、正確に狙うことは出来ない。引き付けるべきか。しかし、進んできた方向からいってこれ以上距離が縮むことはないだろう。時間が無い。急がなければ。思考が錯綜し、異形の集中力が乱れる。
一発。チャンスはそれだけだ。飛び筒は連射出来ず、再度射撃の準備を整えるのには数十秒はかかる。だからこそ、一発で仕留めるしかない。満身創痍の体、霞む視界、一度切りのチャンス。重圧が重くのしかかり、構えている飛び筒が揺れる。しかし、それでも。引き下がるわけにはいかない。隠れ里を、そこに住まう者達を、自分を唯一受け入れてくれた場所を。蹂躙されるわけには、いかないのだ。
いつの間にか、飛び筒の揺れは収まっていた。視界が僅かに明瞭になり、集中力が戻ってくる。異形は五人の中で、水晶を嵌めた杖を持った男に狙いを定めた。あれが、魔術師だろう。息を止め、引き金に力を込める。日の光を反射し、杖の先の水晶が輝くのが見えた。
そして、異形は引き金を引いた。
その瞬間、『水禍』の魔術師は何が起きたのか分からなかった。
ドォン!!!
「がぁっ!?」
衝撃。吹き飛ばされるように倒れ込み、肩口から痛みが噴き出してくる。全身が痺れるような感覚の中で事態を把握しようとしたが、衝撃のせいか体が動かない。
「何がっぐぅぅ、起きた」
辛うじて声を絞り出し、兵士達に声をかける。彼らも混乱しているようだが、咄嗟に駆け寄ってきた兵士が驚愕の表情で魔術師に告げた。
「何者かからの攻撃です!『水禍』殿、肩を負傷しているのでどうか動かず・・・・・・!」
見ると、確かに肩が抉れている。骨が露出し、とめどなく血が流れていた。魔術師は咄嗟に水を操り、それ以上出血しないように傷口を圧迫する。しかし。
「ばっ化け物が突撃してきます!」
別の兵士が発したその言葉に、痛みも衝撃も全て無視して体を起こす。見やれば、二足歩行ながら何本もの腕を生やした怪物がこちらに走ってくるではないか。『水禍』の魔術師は辛うじて動く片手で杖を構え、水を槍の様に形成し怪物へと放った。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああっっっ!!!」
怪物が咆哮する。水の槍が掠め、肌を裂かれ血を流しながらも突撃は止まることが無い。魔術師を守るように隊列を組んだ兵士達を殴り飛ばし、『水禍』の元へと迫る。その様はまるで伝承に伝わる悪鬼に似て、常人ならば恐慌を起こすようなおぞましさだった。
「来い!潰してやろう!」
『水禍』の魔術師は杖を構え、怪物を迎撃する。水が細長く伸び、うねりながら異形に襲い掛かった。鎖のようにしなる水が異形の足に絡みつき、引っ張り上げ転倒させようとする。が、
「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
魂も凍らせる雄叫びと共に、異形が無理やりに前進してきた。水で出来た鎖は決して千切れない。それでも、異形の膂力を封じ込めることは出来なかった。
「はぁっ、面白い!」
恐怖を押し殺し、意識して不敵な笑みを浮かべる『水禍』。己を鼓舞しつつ杖を泥濘に突き立てる。
「槍を構えよ!突き殺せ!」
兵士達に激を飛ばし、『水禍』の魔術師は水の壁を生成した。泥と混じり合い濁ったそれが異形の突撃を遮り、動きを止めた所で兵士達が槍を手に突きかかる。異形は身を捩り避けようとするが、その内の一本が脇腹を浅く切り裂いた。
「がぁっ!!!」
負傷にも構わず、両腕と背中の六本腕を振り回す異形。兵士達は強かに打ち据えられ、吹き飛んで泥濘に倒れ伏した。その瞬間、異形を遮っていた水の壁が分裂し、十数本の鎖となり彼の全身に絡みつく。
「動けるものなら動いてみせろ、異形の魔物よ!!」
一本ならば気にも留めなかった異形だが、これほどの本数で絡めとられては身動きが取れない。ギチギチと締め上げられ、鎖が肉に食い込み皮膚が破れる。それでも彼は衰えぬ戦意を瞳に灯し、『水禍』の魔術師を睨み続けた。
「見事な胆力だが、届かなかったな。終わりだ」
杖の先端、水晶を包むように水が蠢く。槍の穂先のように鋭く形作られた水を、『水禍』はまっすぐ異形へと向けた。堂に入った構えは、彼が魔術だけでなく武技を身に付けていることを示している。
「答えろ。この先には何がある?仔細を話すのならば、命だけは助けてやろう」
「・・・・・・」
『水禍』の言葉に、異形は口を固く閉じ何も答えない。
「ふん。貴様のような怪物が、命を賭して守り抜こうとしたのだ。さぞ大事なものがあるのだろうよ。よいのか?答えねば、貴様が守るべきものは全て蹂躙される。ここで答えるのならば、私も温情をかける余地があるというものだ」
揺さぶりをかけるが、異形の表情は変わらなかった。己を律しているのか、こちらの思惑に気付いているのか。『水禍』は軽く舌打ちをして杖を構え直す。こうなれば、殺すしかあるまい。
「いいだろう。ならば、死ぬがいい」
胸の辺りに狙いを定め、杖を突き出そうとした瞬間。『水禍』の耳に風切り音が聞こえる。咄嗟に振り向いた彼の目に映ったのは、幼子を抱える鳥の亜人がこちらにまっすぐ突っ込んでくる姿であった。
次回、決着。