ラオ要塞の副官は困り果てていた。というのも、上官であるシリュート司令官の機嫌が甚だ悪いのである。他の者は気付いていないだろうが、彼の鼻の穴が微かに膨らんでいるのだ。それは、司令官が機嫌を損ねている時の合図だと副官は知っている。司令官は他者に八つ当たりするような性格では無いが、こういう時は殊更に冷酷な判断を下すことが多い。戦々恐々としながら業務を果たしていると、シリュート司令官がポツリと呟いた。
「副官、王都よりの使者が到着するのは何日後かな?確か、同時に補給隊も到着するはずだが」
「今朝の時点では五日後だと。どうかされましたか?」
「いや、少々面白いことを思いついたのでね。まぁ、気にしなくてよろしい」
どうやら、上官はまたしても策謀の種を埋め込む気のようだ。恐らくは、『水禍』の魔術師を派遣し、それが失敗したことが関連しているのだろう。しかし、副官は思い至っても決して口にしない。それが彼女の処世術であり、若くして副官まで昇り詰めた才覚の一つでもあった。
「あぁ、後はそうだ。国境線に張り付かせている第三連隊と第四連隊を、第一、第二連隊と交代させる手続きを頼む。恐らく共和国が仕掛けてくることは無い、今の内に精鋭達には休息を取ってもらおうじゃないか」
「了解しました。では、そのように」
他の意図があるのだろうが、それに気付いている素振りも見せずに副官は敬礼した。ラオ要塞に詰めている王国軍第三師団、その最精鋭の第三、第四連隊。彼らは高い練度を誇り勇猛果敢、先日の共和国軍との戦いでも黒鎧魔導重騎兵と巧みに連携し多大な戦果を上げた。シリュート司令官が動かせる、最大の手駒である。
「王都への報告書は、こちらで用意してよろしいですか?」
「頼む。私が判を押せば、すぐに送れるように整えておいてくれ。それとそうだ、ついでにこの書簡も。知り合いの商人へ、ちょっとした頼み事をしたいのでね」
「了解」
彼がどんな卑劣な策を巡らせようと、自分には関係の無いことだ。副官は自身の思考を押し留めながら、命令の通り報告書の作成に取り掛かった。
異形の旦那の小屋に向かおうとした俺たちは、通りがかった隣人に彼が鍛冶場にいることを教えられ、そちらに足を運んだ。鍛冶場は里の外れにあり、製鉄も兼ねている。木炭用の木材がやや離れた倉庫に満載されていて、近付く毎に熱気が強くなる気さえした。
「お邪魔しまーす、ここに守り神様がいるって聞いて来たんですけど」
ミュリアちゃんに続いて、俺も鍛冶場の中を覗く。そこには異形の旦那と、鍛冶場の責任者であるマノルギさんがいた。
マノルギさんは羊人の特徴である髪の毛をバッサリと剃り落とした、禿頭の老人だ。弟子の三人と共に鍛冶場を仕切り、主に鉄製の農具を作ったり修理したりしている。羊人にしては荒っぽい性格だが、気風のいい好人物といった感じだ。
「おう、ミュリア嬢にグロムさん!守り神様は今作業で手が離せんから、そこらに腰掛けて待っといてくれや」
言われた通り、俺とミュリアちゃんは丸太で出来た椅子に座り込む。やはり、相当暑い、じわりと汗が滲ませつつ炉の方に視線をやると、異形の旦那が猫背で何か作業をしているのが見えた。とはいえ、背中が大き過ぎて何をやっているのかまでは見えない。周辺に飛び筒が置いてあることから、先日の戦いで損傷した飛び筒を修理しているんだろう。ちなみに、流水に流され散乱した飛び筒はカロロと里の皆が回収してくれていた。
「わぁ・・・・・・!」
目をキラキラさせながら、異形の旦那の作業を眺めるミュリアちゃん。合計六本の腕を滑らかに動かして行っているそれは、確かに一種の美しさを感じさせる。俺たちは汗ばむ熱気も忘れて、彼の作業姿を眺めるのだった。
「来ていたのなら、声をかければよかったものを」
「いや、あれだけ集中している所に声をかけるのは気が引けたもんで。飛び筒は直りそうかい?」
羊毛のタオルで汗を拭きながら、一段落ついたらしい異形の旦那は俺たちの存在に気付いた。怪訝な顔をする彼に肩を竦め、手に持っている飛び筒に目をやる。
「試してみないことには分からん。新造するにも、良質の鉄が足りんからな。面倒なことだ」
岩が擦れ合うような声で、しかし流暢に喋る旦那に、ミュリアちゃんは驚いたように目を丸くしていた。考えれば、ミュリアちゃんと異形の旦那は俺よりも長い付き合いだものな。色々思う所もあるんだろう。
「ま、守り神様が普通に喋れてる・・・・・・!」
「あぁ、まぁな。固まっていた舌が、ようやく動き出したようだ。ミュリアよ、今まで迷惑をかけた」
「そ、そんな!私は別に何も!それより、えっと、その・・・・・・」
ミュリアちゃんは、前とは違う様子の旦那にわたわたとしながらも視線は逸らさない。言葉が見つからないのか、しばらくもごもご口を動かしていたが、やがて何かを決意したように表情を引き締め宣言した。
「わ、私!守り神様に恩返ししたいんです!」
「・・・・・・恩返し?」
「はい!ずっと、ずっと守ってくれていたのに、私達は何も返せてなくて!だから、その」
「いや、待て。住む場所や日用品どころか、食事の世話すらしてもらっているのだ。俺はそれで十分・・・・・・」
「わ、私がしたいんです!恩返し!なんでも言ってください!」
「む、むぅ」
ぐいぐいと来るミュリアちゃんに、異形の旦那はたじたじといった様相だ。初めて二人を知った時からは考えられない光景だな。
「まぁまぁ、ミュリアちゃんその辺で。これだけしっかり言ったんだ、ミュリアちゃんの力が必要な時はしっかり頼ってくれるさ」
「う、うむ。今の所は何も無いが、何かあれば手伝ってもらうとしよう」
「本当ですか!?絶対ですよ、お願いします!」
勢いよく頭を下げるミュリアちゃんに、俺と旦那は苦笑を浮かべる。若いっていいねぇ、うん。
「で、だ。異形の旦那、眠りの調子はどうだい?俺がいなくても眠れてたりは・・・・・・」
「いや、それは無いな。今更数日眠れなくともなんの問題も無いが、やはりお前と接触していなければ微睡むことも出来ん。他の者には試したのか?」
「んー、ミュリアちゃんはカロロ相手にはやってみたが、結局いつも熟睡してるからな・・・・・・そもそも、俺が『眠りの聖女』だからって何か問題があるわけでもないしなぁ・・・・・・」
そう。よく考えれば、なんの問題も無いのだ。別に世界を救う役目を負ってる訳でもなし、伝承と同じ存在だろうと俺は俺だ。例え眠りの聖女だったとしても、そこに違いは無い。
「ま、隣人が安眠出来るってのは喜ばしいことだ。聖女呼ばわりは座りが悪いが・・・・・・」
「私はいいと思いますけど。だって、『眠りの聖女』様は里に安らぎと平穏をもたらしてくれる存在ですから!グロムさんにピッタリです!」
「えぇ・・・・・・」
むしろ、俺が来てから里の平穏が崩れ始めているんだが。
「俺が守り神呼ばわりされているのだ。お前が眠りの聖女でも、なんの問題も無いだろう」
「そりゃ、まぁ。あんたにそう言われたら、納得するしかないが」
しがない老傭兵が聖女呼ばわりか。つくづく、人生ってのは分からんもんだね。まぁ、受け入れてもいいか。持ち上げられるのは苦手だが、そんな雰囲気でもないからな。
「おぅい、水だ!汗をかいたら水飲まんとな!」
と、話している俺たちにマノルギさんとその弟子達が水を持ってきてくれた。ありがたく木のコップを受け取りながら口を付ける。柑橘系の汁を入れているのか、爽やかな香りが鼻に突き抜けた。
「わざわざすみませんね、マノルギさん。助かります」
「がっはは、気にするな!ここは男所帯だもんで、グロムさん方がいてくれるだけで場が華やぐってもんよ!」
その言葉に曖昧に笑いながら、俺は水をちびちび飲む。あぁ、まぁ、うん。確かに、今の俺の見た目だけは『眠りの聖女』に名前負けはしてないかもしれない。その事実を飲み込むのには、水を飲むよりもよっぽど時間がかかった。
「いや、流石に無理があるぞこれ・・・・・・」
「ご、ごめんなさい、私が抜けるので」
「俺としては、無理に今日でなくとも構わんのだが」
夜。ミュリアちゃんの強い勧めもあり、異形の旦那を含めた俺たち三人は小屋のベッドにぎゅうぎゅう詰めになっていた。いくら旦那用に大きめに作られたベッドとはいえ、三人並ぶと流石にキツい。
「俺はベッドの横の椅子に座るから、それで手を握りゃあいいんじゃないか?」
「それじゃあグロムさんがゆっくり休めないじゃないですか。私が一旦抜けるので・・・・・・」
異形の旦那を挟んだ状態で言い合う俺たちに、彼は困惑を顔に浮かべていた。が、何か得心したのか軽く頷き、太く長い両腕を伸ばす。
「なら、こうすればいい」
「え、わっ」
「おい、何を・・・・・・っ?」
旦那は俺たち二人を軽々と持ち上げ、自身の体の上に着地させた。俺とミュリアちゃんを合わせても、旦那の大きさには敵わない。すっぽりと、異形の旦那の胸元に収まってしまう。
「お、重いですから!」
「まるで重くはないぞ。全員で眠るというならば、これしかあるまい」
平然と言い放つ彼は、既に目をつぶろうとしていた。
「いや、旦那、これはどうなんだ?おかしかぁないか?」
「何がおかしいのだ。三人揃ってベッドで寝るに、これ以上の体勢は無いだろう」
・・・・・・ひょっとして、異形の旦那も大概愉快な性格してるな?いや、合理主義とも言えるのかもしれないが、なんにせよ妙な状況に変わりは無い。客観的には、異形の化け物に俺たちが囚われているようしか見えないぞ、これ。
「あ、あの、本当に重くないですか?今朝はお野菜をたくさん食べてしまったので・・・・・・」
「重くないとも。なんの問題もありはしない」
「そ、そうですか?えへへ」
何故か嬉しそうにはにかみ、異形の旦那の胸元に横になるミュリアちゃん。・・・・・・。
「・・・・・・まぁ、いいか」
二人がいいなら俺もいいよ、うん。釈然としない気持ちを抑えながら俺も横になると、骨が浮き出てゴツゴツしているも寝心地は意外と悪くない。いや、男の胸で寝るなんて体験は生まれて初めてだし、比較対象があるわけではないが。と、俺がいらぬ思考を回している内に二人の寝息が聞こえてきた。
「すぅ、すぅ」
「ぐぅ・・・・・・」
この状況で、こんなにあっさりと眠れるとは。まさかとは思うが、これが『眠りの聖女』の力なのかもしれない。なんだろうな、中々に微妙な気分になっちまう。異形の存在の胸元で眠る亜人の少女二人、しかも片方は俺。二人が即座に眠りに落ちたのは俺の力。うーん・・・・・・。
「・・・・・・寝よう」
気持ち的にはどうにも割り切れない部分があるが、別に害がある訳でもないしミュリアちゃんと旦那に迷惑をかけてる訳でもない。ただ、元男として釈然としないだけだ。この見た目になってプライドは捨てたと思ってたが、意外な所に残ってるもんだな。妙な感慨を覚えつつ、俺は二人に続いて目をつぶった。
百年以上前のメンタルなら、異形の旦那が興奮しててもおかしくなかったですね。俺だって羊娘二人を抱いたまま眠りてぇよぉ!